and She said... (5)
 
 ある日の放課後、先生と話す藤間くんを見かけた。
 と、それだけを文章にすると日常にありふれたワンシーンのように思えるけど、彼が話している相手というのが男性の外国人教師だった。
 サイモン・メラーズという名のその先生は、生徒たちのコミュニケーション能力の向上を己が使命としているらしく、よく生徒をつかまえては英語で話しかけてくる。おかげで皆メラーズ先生を見かけると逃げ、不意の遭遇でつかまってしまったら自分の不運を嘆きながら持てる英語力を総動員してその場をやり過ごそうとする。それが校内でよく見かける光景だった。
 藤間くんもきっと運悪くメラーズ先生につかまってしまったのだろう。
 少し待って、先生から解放されたところで声をかけようと思う。今すぐにいかないのは巻き込まれたくないからだ。わたしも英会話はあまり得意ではない。
 ところが、すぐに終わるだろうと思っていた藤間くんと先生の会話は、なかなか終わらなかった。どうも様子がおかしい。普通ならどうにかして逃げようとするところ、彼はむしろ積極的に話そうとしているように見えた。言葉に詰まるたびに自分の記憶と知識の中から単語を導き出そうとする。そして、先生はそれをじっくりと待っている。そんなことが何度か繰り返された。
 やがて話が終わり、彼がわたしに気がついた。途端、嫌そうな顔をつくる。相変わらず失礼な子だ。それでも無視したり逃げたりしないところがかわいくもある。
「ずいぶんと話し込んでいたわね」
 わたしは遠ざかっていくメラーズ先生の背中を見ながら言う。
「機会があればできるだけ話すようにしてるんだ」
「もしかして英会話は得意?」
「まさか」
 と、彼。
「得意ならこんなことしないさ」
 つまり藤間くんは本気で英語でのコミュニケーション能力を磨こうとしているらしい。
 彼が歩き出したので、わたしも一緒に足を踏み出した。
「メラーズ先生のおしえ方はわかりやすいよ。実践的だし」
 疑問詞ばかり使ってると尋問みたいになる、とかさ――と藤間くんは続ける。
「使える英語をただでおしえてくれるんだ。利用しないと」
「熱心ね。海外旅行でも行くつもり?」
「まぁね。そんなところ」
 曖昧に答える彼。
 わたしは後になって思う。彼はこのころから理想実現に向けて準備をしていたのだと。
 階段を上る。
 ここは前にも一緒に通った。先日、図書室に行ったときだ。だとしたら、これから行くところもそこだろうか。
「ぁぅ……」
 口から思わずもれる小さなうめき声。
「どうした?」
「い、いえ、何でもないわ」
 藤間くんが問うてくるが、わたしは曖昧に誤魔化す。
 さすがに言えなかった。
 あの恥ずかしい失敗を思い出したなんて。
「……」
 少しどうにかしないと。このままでは藤間くんと会うたびに思い出すことになるかもしれない。
「あ、そうそう」
 わたしは自分の気を紛らわすように切り出した。ついでに大事なことも思い出したのだ。
「今度のデートのことだけど」
「中止か? それは残念だ」
 どうして間髪入れずそういう発想になるのだろう。そして、彼の声が喜んでいるように聞こえるのは気のせいだろうか。
「いいえ、延期よ」
「……実に残念だな」
「気づいてる? 中止になってもならなくても残念って言ってるわよ」
「そうか? それは気づかなかったな」
「……」
 誰かこの子に人間関係を円滑に進める方法をレクチャーしてくれないかしら? 女の子の扱い方なんかはわたしがおしえるので。
「それで――延期って具体的には?」
「ああ、そうだったわね。今週じゃなくて来週にしてほしいの」
「それはまた急だな」
 今日は金曜日。そう言われても仕方がない。
「かまわない?」
「かまうもかまわないも、僕に拒否権はなさそうだしな」
 藤間くんは苦笑する。
 ちょっとむっときた。わたしってそんなにわがままな女の子に見えるのだろうか。
「じゃあ、それ相応の対価を払えばいい?」
 わたしの中でいたずら心が騒ぐ。
「実はあれからもっと効果的な魅せ方を研究したの」
「は?」
 階段の途中、彼の足が止まる。
「きっとこの前以上にどきどきさせてみせるわ」
「……」
 ぎ、ぎ、ぎ……と、まるで油の切れた機械のような動きで、彼の顔がこちらを向く。凍りつくという表現がぴったりなほど表情が固まっていた。
「あまりたちの悪い冗談は……」
「あら? 冗談だと思ってる?」
 わたしは反対に、にっこりと笑顔をつくってみせる。
「そう言えば、この学務棟ってあまり人がこないわよね? 丁度いいと思――」
「悪い。用を思い出した。今日はもう帰ることにする」
 藤間くんはわたしの発音を遮りながらそう言うと、素早く回れ右。
「時間と待ち合わせ場所の変更もあるなら、ぜひメールで頼む。しばらく会うのはよそう」
 そうして階段を3段飛ばしで駆け下りていった。見送るわたしの前から、あっという間にその姿が消える。
「……」
 勝った?
 でも、『肉を切らせて骨を断つ』とはきっとこういうことを言うのね。……自分の傷口を広げたような気がしないでもないわ。
 思わず壁におでこをつけ、しばらく考え込んでしまった。
 
 ひとつつけ加えると、この後一時的に藤間くんとの遭遇率が低下した。
 さすがにちょっと反省した。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2011年12月16日公開 / 同17日修正

 


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