and She said... (5)´
 
 わたしはデートの日を首を長くして待っていた。
 特に当初の予定を変更して延ばした一週間は後悔ばかりしていた。こんなに待ち焦がれるなら、この前の日曜日に行っておけばよかった。天気もよかったし。とは言え、過ぎてしまった以上、次の日曜日を待つより他はない。学校を休んで行くわけにはいかないのだから……と思ったけど、それもいい考えかもとも思った。
 
 そうしてついに当日。
 少しばかり浮かれていたのか、わたしはうっかり待ち合わせの場所に30分以上も早く着いてしまった。でも、程なく藤間くんもきてくれて、それほど待つことはなかった。ただ、この間にちょっとしたトラブルに巻き込まれたのだけど。
 遊園地へ向かう電車は思っていた以上に込み合っていた。皆行き先は同じなのだろう、どこを見ても目に映るのは家族連れや友達同士らしいグループ、そして恋人同士。
(わたしと藤間くんはどう見えるのかしら?)
 姉弟? 友達? それとも……?
 電車の中にはわたしの知り合いや明慧の生徒はいないようだった。藤間くんはこんなところを誰かに見られたらどんな顔をするのだろうか。うまくすれば今日中にそれが見られるはずだ。
 その込み合った電車の中で、わたしはたまたま目の前で空いた座席に座り、藤間くんはわたしの前で吊り革を持って立っていた。
「どうせなら少し痛めつけておけばよかったな」
 彼が惜しげにそう言うのは、先ほどの出来事を思い出してのことだ。
 この電車に乗る直前、待ち合わせ場所で待っていたわたしはふたり組の男の子にしつこく遊びに誘われ、後からきた藤間くんが彼らを追い返したのだった。
「ずいぶんと過激なことを言うのね」
「生憎、僕はそれほど穏便な性格じゃなくてね。専守防衛の精神は薄いんだ」
 やや自嘲気味にそう言ってのける。
「昔見たアニメに『撃っていいのは、撃たれる覚悟があるやつだけだ』という台詞があったんだ」
「真でもそういうのを見るのね」
 少し可笑しかった。
 わたしは彼のことを『真』と呼ぶ。それは今日限定の決めごと。勿論、彼はわたしのことを『涼』と呼ぶことになっているのだけど、さっきからなかなか口にしようとしない。
「子どものころの話さ」
 ところが、紡ぎ出されたのは少々暴力的な内容だった。
「実のところあれはひどい詐術だ。自分が被害者であり得るという潜在的な可能性をもとにして、相手の加害者性の有無を確認せずに自ら加害者になることを肯定する。つまり自己中心的な先制攻撃の理屈だ」
 一拍。
「だけど嫌いじゃない。少なくとも何か思い切った行動をとる際の、自分の背中を押す自己欺瞞にはなる」
「……」
 先ほどのことと言い、この考え方と言い、一見おとなしそうな藤間くんの意外に激しい一面を見た気がした。
「尤も、さっきの連中に関して言えば、僕としてはすでに先制攻撃を受けたも同然で、反撃に値するが」
「そうなの?」
 わたしは首を傾げる。精神的な被害もカウントするのだろうか。
 藤間くんを見上げると、彼は逃げるように窓の外に目を向けた。
 
 
 別の機会にもう少し踏み込んだ質問を投げかけてみたことがある。
 学校の食堂で昼食を食べているときのことだ。
「殺人という行為についてどう思う?」
 なぜ人を殺してはいけないのか?
 よくある問いだけど、彼の考え方を知るにはよい題材だと思った。
「唐突だな。……勿論、それは許されないことだ」
 向かいで彼は即答する。
「何がそれを禁じているのかしら?」
「法だろうね」
「それだけ?」
「道徳、倫理、あるいは哲学や宗教も理由になるかもしれないけど、どれも観念的だ。唯一法のみが明確に禁止している」
 藤間くんは完全に食べる手を止めた。
 語るモード。
 わたしは期待に胸をふくらませる。こういうときは決まって興味深い話を聞けるからだ。わたしも食べるのをやめ、彼の話に耳を傾けた。
「人間は共同体に対して、他者に攻撃を加えない代わりに自分も攻撃を受けないという契約を交わしている」
 それは法律や条令に明文化されている――とつけ加える。
「仮に攻撃を受けたとしても、それに報復する権利すら与えられていない」
「確かに現在進行形の攻撃に対して身を守る行為は許されてても、単純な報復行為は許されてないわね」
「そう。法は徹底して人を傷つける行為を禁止している。だから、その法を犯したものは共同体から攻撃を受ける。罰金や懲役、禁固、果ては死だ。なぜなら他者への攻撃は、すなわち共同体そのものへの攻撃だからだ。むしろ共同体は法と秩序の維持のために、契約違反者へ攻撃する義務があると言える」
「じゃあ、契約をしない人間や破棄した人間は、人を殺してもいいということ?」
「そうなるね。勿論その場合、自分が殺されることも承認しなければならない。とは言え、そういう在り方のできる場所は世界中どこにもないと思うけど」
 と、
「……おい、サエ、あれ何の話だ?」
「わかんにゃい。ていうか、あのふたり本当に高校生?」
 そのとき一緒のテーブルで食べていた古河さんと三枝さんが、顔を突き合わせてひそひそと言葉を交わしていた。
 藤間くんはそのふたりをじっと見てから、おもむろに口を開く。
「わかった。わかりやすく話そう。まず最初に人間を定義しないといけない。この場合、単純に生物学上人間に分類されればいいというわけじゃない。歴史を紐解けば、スペイン人はインディオを虐殺しているし、オーストラリアの植民者はアボリジニを娯楽で狩り立てている。150年ほど前のアメリカでも黒人を奴隷として扱い、所有者が奴隷を殺しても殺人とは認められなかった。どれもこれも人間と見なしていなかったからだ。近代国家の戦争においては敵兵を殺せば、むしろ賞賛される。では、何を以って人間とするのか? それは同じ共同体に属することだ。同じ共同体内においてのみ法は殺人を禁じるわけで――」
「もうそこまでにしてあげたら」
 一気にまくし立てる藤間くんの横で、ふたりは白目をむいて頭をふらふらさせていた。
 
 
「ああ、見えてきたな」
 外を見ていた藤間くんがそう言うので、わたしも腰をひねって窓の外に目をやった。遊園地の敷地は線路に沿うようにして広がっているので、もうジェットコースターのレールなどが見えてきていた。角度を変えれば大観覧車なども見るのだろう。
「真はきたことがあるの?」
「いや、ない」
「案外女の子と一緒によくきてるんじゃないかと思ったわ」
 さりげなく女の子とつき合ったことがあるのか探りを入れてみる。
「まさか。ああ、でも、こえだをつれてくると楽しそうだな」
「あのね真、デートのときは他の女の子の話をするのはやめましょうね」
 わたしはにっこり笑って、ローファーを履いた足をそっと彼のスニーカーの上に置いた。勿論、次はないという意味を込めて。
 彼は黙って肩をすくめる。
 車内に到着を告げるアナウンスが流れた。
 
 先に触れた通り、ふたりそろって早く待ち合わせ場所にきたものだから、結果的に遊園地には開園と同時に入場することになった。
 開園直後の遊園地。
 ゲートをくぐったところでわたしは、同じく今日ここにきているはずの唯子たちをさがした――が、見当たらない。きていないはずはないし、彼女たちなら開園時間前から待ち構えていたことだろう。
 結局、見つけたのは午後になってから。
『槙坂涼』のスキャンダルの匂いをかぎつけた唯子は、当然のように根掘り葉掘り質問をぶつけてきた。
 そういえば、とわたしは思い出す。彼女は話好きだけど、少し誇張してしまう癖があった。今日のことを触れ回ってもらうには、少し不向きかもしれない。……この辺りの計画は後で修正することにしよう。
 
 そして、もうひとつ思いがけない収穫があった。
 
 帰りの駅でのこと。
 これから『天使の演習』に行こうと決めた矢先、朝わたしにしつこくつきまとったあのふたり組が待ち伏せしていたのだった。わざわざ仲間までつれて。
 朝も挑発的だったけど、今度は最初から剣呑な雰囲気だった。
 だけど、誰より好戦的だったのは藤間くんだったのかもしれない。なにせ先に手を出したのは彼だったのだから。
 隙を突くようにして、瞬く間にまずは3人を倒してしまった。それから今度は残りふたりを相手に立ち回る。わたしは最初は呆気に取られていたけど、彼が傷つきはじめるとただただおろおろするばかりだった。
「涼、走るぞ!」
「ぇ?」
 気づけば5人全員が倒れていた。
 藤間くんがわたしの手を掴んで引っ張る。わたしもすぐにその意図を理解し、一緒に走り出した。思えばこのとき手をつないでいるのだけど、もちろんそのことをどうこう思う余裕はなかった。
 駅前の人込みを縫うようにして走り、彼らが追いかけてこないことを確認してから、わたしたちは近くの公園に落ち着いた。
 ちょうど公園の中に自動販売機があったので、そこでミネラルウォーターを買った。その水でハンカチを濡らし、傷の手当てをする。
「悪い」
 彼はわたしの手からペットボトルを取り上げると、その水で口を漱ぎ、吐いた。
「口の中も切れてるな」
 手の甲で口を拭い、顔をしかめる。
「大丈夫……?」
 わたしはもう一度彼の顔の傷にハンカチを当て――そして、それは前触れもなくやってきた。
 
 思い出した。
 
 ようやく見つけた記憶の断片。
 小さな欠片。
 わたしはそれが正しいかどうかを確かめるために問う。
「ねぇ、前から喧嘩はよくしてたの?」
「……そんなに好戦的に見えるか?」
 肯定も否定もしない、まるではぐらかすような答え。
 見たところ彼の傷は口の端が切れていて、頬が少し腫れているくらいだった。ひとりで5人を相手に大立ち回りを演じてこの程度。きっと彼はこういうことに慣れている。
「……」
 確信した。
 やはりわたしたちは、彼が明慧に入学するよりも前に会っている。
 
 そう。藤間くんはあのときの子だ――。
 
 それは忘れていても仕方がないような、出会いとも言えない出会いだった。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2011年12月17日公開

 


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