当初の予定では混雑を避けるため開園のちょっと後に行くつもりだったのだが、この調子では開園時間ぴったりに着きそうだ。それもこれもお互い待ち合わせ場所に早くきてしまったせいだ。
 おかげで今乗っている電車も家族連れで混み合っている。
 目指すは遊園地前の駅だが、ひとつ前の駅を出た辺りでもう巨大観覧車が窓の外に見えていた。
 電車を降りて駅を出、前の広い道路を横断歩道で渡ればそこはもう遊園地だ。観覧車はさらに大きく見え、うねるようにして走るジェットコースターのレールまでもが窺えた。
 入場の列に並びながらふたりでアトラクションの一部を見上げていたが、僕は先に視線を戻し、彼女を見た。
 白いワンピースに、肩にはショールをかけた大人っぽい、おとなしい出で立ち。淡い色でまとめた服は、長い黒髪によく似合っていた。
 対する僕は、ジーンズにロングTシャツ姿。
 と、僕の視線に気づき、槙坂先輩が僕を見た。目だけで「どうしたの?」と尋ねてくる。
「いや、僕は槙坂先輩に釣り合うのだろうかと思ってさ」
 思わず考えていたことを馬鹿正直に口走ってしまった。
 すると彼女はくすりと笑みをひとつこぼす。
「あら、そんなこと?」
 そして、僕のロンTの両肩を指でつまみ、崩れていた着こなしを整えてくれた。これが学校ならネクタイを直してくれていたことだろう。
「誰がどう見てもお似合いの恋人同士よ」
「それはそれで僕としては不本意だな」
「口の減らない子ね。……大丈夫よ。誰も気がつかないだけで、あなたは本当はどんな女の子だって振り向く男の子よ。ずっと見ていたわたしが保証するわ」
「……」
 ずっと、ね。
「それと――涼、よ」
「うん?」
「今日は涼って呼ぶこと。そう約束したでしょ、真」
 わざわざ最後の『真』の部分をはっきりと発音する彼女。……ここまでどうとも呼ばないようにしていたんだけどな。
「気をつけるよ、涼」
「よろしい」
 槙坂先輩、もとい、涼はできのいい弟を見る姉のように、嬉しそうに笑った。
 気がつけば前との間隔が開いていて、僕らは急いでそこを詰めた。
 
 程なくゲートをくぐり、園内へと入場することができた。
 所詮は地方の遊園地なので、どこかの世界的に有名な施設とは比べるべくもないが、それでもなかなかに立派だった。
 まずはインフォメーションセンターやグッズショップ、自販機コーナーなどが立ち並ぶ一角だが、そこで涼は足を止め、辺りを見回していた。
「どうした?」
「初めてきたから目移りしちゃって」
 そう言って苦笑。
「どこから回る?」
「僕はどこでも」
「じゃあ、やっぱりここの目玉のあれかしら?」
 見上げた視線は巨大観覧車……ではなく、ジェットコースターをフォーカスしている。確かにテレビで見るCMでもこれをメインに宣言していたな。
「……目玉なら最後にとっておけばいい」
 願わくばそのまま忘れてくれ。
「こういうのは最初に乗って、気に入ったらまだ乗るものよ。……もしかして真、怖い?」
 そこでこちらの様子の変化に鋭く気づいた涼は、首を傾げながら顔を覗き込んでくる。長い髪が重力に従い、鉛直方向下向きに垂れた。
「……まさか」
 と答える僕は、なぜだろうか彼女と視線が合わない。
「そう。じゃあ、行きましょう」
 こういうときに限って悪魔は人の心の奥底を読んだりせず、言葉を額面通りにとらえる。……わざとなのだろうけど。
 彼女は腕に腕をからめてしっかりと僕を捕まえると、そのままジェットコースターの列へと向かっていく。
 僕の中にありあまるほどあった抵抗の意思は、肘に感じるふくよかな感触によって根こそぎ奪われていた。……これはわざとじゃないのだろうな。天然の悪魔め。
 
 かくして、僕は立て続けに、いわゆる絶叫系につき合わされた。
 
 まずはジェットコースター。
 さすがここの目玉。宙返りしたくらいから、何がなんだかよくわからなくなった。
 
 次に、巨大な船型の乗りものが振り子運動をするアトラクション。
 振り子の最高点での、内臓が浮き上がるような感覚がなんとも気持ちが悪かった。
 
 そして、フリーフォール。
 自由落下の時間が永遠にも思えて、気が遠くなりかけた。
 
 結果。
 僕はベンチに座り込み、背もたれに首を乗せて青空を見上げていた。
「……わかった。僕が悪かった。僕はあの手の乗りものは苦手なんだ」
 わざわざ白状せずとも、この姿を見れば誰でもわかることだろうが。……あー、気分が悪い。このまましばらく風に当たっていよう。
 そんな僕を見下ろし、涼はおかしそうに笑っている。彼女はまったく平気な様子だ。こういうのは女性のほうが強いというのは本当だろうか。
「最初からそう言えばよかったのに」
「言ったところで勘弁してもらえたとは思えないけどね」
「そうね。最後のフリーフォールくらいはやめてあげたかも」
「……」
 ありがたくて涙が出るね。文句のひとつも出ない。
「だらしないわね。女より先に果てる男は嫌われるわよ」
「何の話だよ……」
 もうまともにつき合う気も起こらない。
「……知りもしないのに知ったふうなことを言う」
「い、いいでしょ。知識はあるんです」
 僕が不機嫌に任せて少しばかり棘のついた言葉を返すと、それが涼にとっては思いのほかクリティカルだったらしく、不貞腐れたように早口でまくし立ててきた。
 それから彼女は、すっと僕の隣に座り、
「前から聞きたかったのだけど――」
 と、改まった口調で切り出してきた。
「……真は、あるの?」
「何を?」
「その……したこと」
「は?」
 遅まきながら質問の内容を理解し、僕は頭を跳ね上げた。涼を見る。彼女もまた僕のほうへとゆっくりと顔を向けた。
「……」
「……」
 しばらく見つめ合い、
「勘弁してくれ。こんなとこでそんなこと聞くかよ」
 僕はもう一度背もたれへ首を倒した。
「わ、わたしにはわりと大事なことなのよ」
「わりと、だろ」
「おおいに」
「そうかい。でも、ノーコメントだ」
 僕は涼の言葉を無視し、ベンチから立ち上がった。
「さて、じゃあ、そろそろ次に行くか」
「もぅ」
 遅れて彼女も腰を上げ、後を追ってくる。何が悲しくて遊園地でそんな話をせねばならないのか。
 
 さすがに涼も引っ張るような話題でもないという自覚があったらしく、いつまでもしつこく聞いてくるようなことはなかった。
 その後、おとなしめのアトラクションをいくつか回り――、
 昼。
 なのだが、時間が悪かったようで、昼食を取ろうと入ったレストランはうんざりするほど込んでいて、結局、僕らは先にグッズショップを見てみることにした。
「ねぇ、これなんてどうかしら?」
 何を買うという目的もなく店内を見て回っている最中、そう言って涼が手に取ったのはケータイのベルトストラップだった。特にどうということもない、この遊園地のマスコットキャラがついただけの代物。
「いいんじゃないか」
「……」
 と、じっと僕の顔を見る涼。
「どうでもよさそうな返事ね」
「この状況下で正しい解答をした男がいたらつれてきてほしいね」
 どう答えても不満そうな顔をするのが女の子だ。個人的にはこの場合、名作スペースオペラから台詞を拝借して「模範解答の表があったら見せてもらえませんか」と答えるのがいちばん皮肉が利いていていいと思っている。
「実際、悪くないんじゃないか。ベルトの赤もそんなに安っぽい色じゃないし。シンプルでいい」
「そう? 真がそう言うなら、これにしようかな」
 彼女は気に入った様子で、改めてそれを眺めた。
「欲しいのか? だったら僕が買うよ」
「ほんと? いいの?」
「いいからいいと言ってる。ま、多少責任もあるけどさ」
 僕が背中を押して決心させたみたいでどうにも、ね。
 彼女の手からそのストラップを抜き取り、僕はレジへと向かった。遊園地という付加価値(ブランド)のおかげでこの手のアイテムにしては少々高かったが、かと言って目が飛び出るほどというわけでもなく、まぁ、これくらいなら許容範囲だろう。
 清算をすませて戻り、小物用の袋に入れられたそれを涼に渡す。
「ありがとう。真からの初めてのプレゼントね。嬉しいわ」
 そう言って彼女は笑った。相手が誰であれ、喜ぶ顔を見るというのはいいものだ。
「わたしもあなたに何か返さないと」
「いいよ、そんなの。こっちはそんなつもりでやったわけじゃないんだ」
「実はもう決めてあるの。これよ」
 と、差し出してきたのは、先ほど僕が涼に買ったのと同じ携帯ストラップだった。こっちはベルトの色が黒。シックにまとまっていていい感じではある。
「どう?」
「いいとは思うけど、でも、それじゃおんなじじゃないか? 結局、自分で自分に買ってるようなものだ」
 だからと言って、値段が違えばいいというものでもないだろうけど。
「あら、ぜんぜん違うわ。わたしのは真がプレゼントしてくれたもの。これはわたしが真に買ってあげるもの。大事なことだわ」
「そういうものか?」
「そういうものよ」
 そこでウインクひとつ。それだけで何となく納得してしまった。……単純だな僕は。
 
 客の少なくなりはじめたころを見計らってレストランに入った。
 少し遅めの昼食。
 注文したものがくるまでの間、涼は早速先ほどのストラップを自分の携帯電話に取りつけようとしていた。
「こんな感じね」
 手先が器用なのか、特に手間取ることもなく今まで着けていたものを外し、新しいものへと着け替える。
「ケータイが赤だからよく合うな」
「わたしもそう思うわ」
 彼女は端末を、ストラップがよく見えるようにして、そっとテーブルの上に置いた。
「真のも貸して。つけてあげる」
 今度は僕のらしい。手を差し出してくる。
 言われた通りポケットから端末を出して――そこで僕は手を止めた。
「中は見るなよ?」
 先に釘を刺す。
「どうして?」
「待ち受けを見られたくない」
「真のってプリインストールされてたような画像じゃなかった?」
 よく知ってるな……って、思い出した。彼女はケータイ誘拐の犯人だったな。
「変えたんだよ。見られたくない」
 もし涼に見られたら、僕はここで舌を噛んで死ななくてはならない。……わりと本気で。
「いったいどんなのに変えたのかしら? そう言われるとよけいに見たくなるけど――約束するわ。見ない」
「……」
 一瞬どうしようかと迷ったが、涼を信じて渡すことにした。
 5秒前の約束など簡単に反故にして今にも開けるんじゃないかとはらはらしたが、彼女はそんな素振りなど微塵もなく、すぐにつけ替えはじめた。特に思い入れがあるわけでもない輪っか状の紐がついただけのストラップが外され、新しいベルトストラップへと交換される。
「はい、できたわ」
 程なく作業終了。
 赤に赤だった彼女のものと同じく、黒い僕の端末にも黒のベルトストラップがよく似合っていた。
 テーブルの上にふたつの携帯電話が並べて置かれ、
 瞬間、
 ああ……――と、僕は心の中でうめいていた。
 今ごろやっと気がついた。これじゃ色が違うだけのおそろいじゃないか。
「どうかした?」
「いや、別に」
 こちらの微妙な変化に気がついて涼が聞いてきたが、僕は短い言葉で誤魔化す。
 丁度そこで頼んだ料理が運ばれてきた。
 
 天を仰げば、青空のキャンバスにはひと筋の飛行機雲が描かれていた。
 午後はさらにおとなしい、というか、むしろのんびりしたアトラクションばかり回っていたのだが、観覧車を降りた後、涼がまたジェットコースターの乗りたいと言い出し、むりやりつき合わされる羽目になった。
 その結果として、また僕はベンチでぐったりしているわけだ。
 涼は何か冷たい飲みものを買ってくると言って、今はここにはいない。そろそろ戻ってくるころだろうかと背もたれに乗せていた頭を起こした。
「ん?」
 確かに戻ってきてはいたが、僕の正面少し先で両手に缶ジュースを持った涼がきょろきょろしていた。見失ってしまったのだろうか。
「涼!」
 呼んでやる。
「真!」
 するとすぐに彼女もこちらに気づき、背伸びしながら笑顔で答えた。
 と、そのときだった。
 
「あっれー。涼さんじゃーん」
 
 今のやり取りに反応した人物がいた。
 車椅子に乗ったスポーツ少女風の女の子。着ている服を明慧の服に置き換えなくても、すぐに誰かわかった。名前は前に涼からおしえてもらったばかり。伏見唯子(ふしみ・ゆいこ)先輩だ。
 ふたりはほぼ同時くらいに僕の座るベンチへと寄ってきた。車椅子を滑らせてやってくる伏見先輩を、僕は立って迎える。
「奇遇ね、唯子」
「ほんとほんと。……で、君は確か藤間くん」
 彼女は僕を見上げ、確認した。
「ふうん。そっかそっか。そういうことかぁ」
 何やらひとり納得している。
「涼さんが珍しくお誘いを断ったと思ったら、こういうことだったんだぁ」
「……」
 その様子は実に楽しげだ。
 もしかしたらマズい人にマズいところを見られたんじゃないだろうか。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2011年03月13日公開

 


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