結局その後、いくつかのアトラクションを回り、少し早めに遊園地を出た。
 朝に待ち合わせした駅に着いたのは、辺りが少し暗くなりはじめたころ。僕はそのまま電車に乗っていてもよかったのだが、涼を家まで送るべきかと思い、一緒に降りた。
「この前のカフェにでも寄る?」
 改札口を出たところで涼が提案してきた。
 それはいいな。確か『天使の演習』という名前だっただろうか。このまま彼女を送って終わりというのも少々もの足りないと思っていたところだし、今日の締めにも相応しいだろう。
 いい案だ――そう返事をしようとしたとき、僕たちの目の前に立ちふさがるやつらがいた。
「よぉ、また会ったな」
 それは朝のチャラい二人組だった。しかも、ご丁寧に3人ほど仲間を連れてきて、5人に増殖している。まさかここでずっと、また戻ってくるとも限らない僕らを待っていたのか?
「……暇なやつ」
「あぁ?」
 僕の冷ややかなひと言にカチンときたのか、ひとりが凄んできた。が、こいつらが行き交う一般人を睨みつけながら、ずっとここで待っていたかと思うと苦笑しか出ない。
「真……」
「大丈夫だ」
 僕の後ろに隠れるようにして不安げに囁く涼に、そう返す。
「朝はよくもやってくれたな」
 チャラ男その1だ。ひねり上げた肩はひとまず動くようになったらしい。
 この状況で今さら何の用か確認するまでもないだろう。
「さすがに僕でも5人はむりだな。3人くらいにしてくれないか」
 すると彼らは互いに視線を交わし、ぴったり3人がニヤニヤ笑いながら前に進み出た。ここまで言葉なし。見事なアイコンタクトだ。
 さて、じゃあ、降りかかる火の粉を払うとしようか。
 師曰く、先手必勝。
 僕も律儀に正当防衛が成立するのを待つ気はない。
 出てきた3人をそれぞれ素早く観察し――行動に出る。余裕と無防備を履き違えたままノコノコ近づいてきた馬鹿の腹に、遠慮なく拳をめり込ませた。腹を押さえて膝から崩れ落ちる。――まずはひとり。
 女性の声で悲鳴が上がった。突如としてはじまった喧嘩に驚いたのだろう。……まったく。僕だってこんなところで乱闘をする羽目になるとは思わなかった。
「てめぇ!」
 いきなりひとりがやられたのを見て、次のやつが向かってくる。チャラ男その2だ。朝と同じだな。お前は動くのがワンテンポ遅い。
 僕はそいつの顔面に、カウンタ気味にハイキックを決めた。ゴッ、と鈍い衝撃。男の足が止まり、上体が仰け反る。その顔は何が起こったのかわからないといった表情だ。そこに今度は逆足で、後ろ回し蹴りを脇腹に喰らわせる。それでふたり目は終わりだった。
 残る3人目に向き直れば、もう殴りかかってきていた。
「おっと」
 それを間一髪で避け、逆にこちらから顔に拳を叩き込んでやった。でも――まだ倒れるなよ。僕はそいつの服を掴んで引き寄せると、その腹に膝蹴りを撃ち込む。一発、二発、三発……。手を離すとそいつは、血でも吐きそうに咳き込みながら地面に転がった。
 これで3人。
 下がっていたふたりに目を向ければ、呆気にとられて一歩も動いていなかった。こちらの望み通りに3人でかかってきてくれたり、今まで待ってくれていたり、つくづく思い通りにしてくれる連中だ。ありがたいな。
「この野郎っ」
 やっと我に返り、チャラ男1が飛びかかってきた。
 マズいな。笑ってしまいそうだ。
「……お前、バカだろ? 3人を相手にした僕に、ふたりで勝てると思ってるのか?」
 
 そして――。
 
「大丈夫……?」
「痛っ」
 水に濡らしたハンカチが傷に染みる。涼は切れた僕の口の端を拭きながら、心配そうに顔を覗き込んできた。
「仕方ないさ。相手は5人なんだ。……1、2発はもらう」
 勿論、多少もらっても全員沈めたが。
 ただ、油断しているやつら3人よりも、その気になったふたりを相手にするほうが難度が高いのは自明の理だ。無傷というわけにはいかなかった。
 ――今、僕たちは駅の近くの公園にいた。
 ひと通り全員を倒したところで、涼の手を引っ張ってここまで逃げてきたのだ。今はベンチに座って、公園内の自販機で買った水で傷の手当ての最中だ。
 ふと、涼の手が止まった。
「……」
 何かを考えているふう。
 どうしたのだろう。――だが、僕は直感的にそれを問うのを避けた。
「ありがとう。後は自分でやるよ」
 彼女の手からハンカチを取り上げ、口もとの傷に当てる。
「ッ」
 やっぱり染みるな。
「本当に大丈夫?」
「ああ。これくらいたいしたことないさ。すぐに治る」
 さすがに明日にはきれいさっぱりというわけにはいかないだろうが。
「ごめんなさい。わたしのせいで」
「いや、涼は悪くないよ。どう見たってからんできたやつらが悪いし、後は穏便にすませられなかった僕のせいか」
 自嘲する。
 朝の時点で平和的にあしらっていればこんなことにはならなかっただろう。でも、思わずかっとなってしまったのだから仕方がないし、そうさせた連中が悪いということにしておくか。
「ねぇ、前から喧嘩はよくしてたの?」
「……そんなに好戦的に見えるか?」
 その質問に虚を突かれたが、すぐに問い返した。自分でもよく言うと思う。
「でも、慣れてるみたい」
「男なんて少なからずこんなものさ」
 そんなわけはないのだが、確かめるように訊いてくる涼にはそう答えておいた。
「さて、送るよ」
 話はこれまでとばかりに、僕はベンチから立ち上がった。残念だがカフェに行くのはやめだ。そんな雰囲気ではないし、それ以前にこんな顔で行ったら店も驚くだろう。
 涼はしばし僕を見上げていたが、すぐに自分も頭を切り替えたようだ。笑みを浮かべる。
「今日は両親がいるわよ?」
「何を聞いていたんだ? 送ると言ったんだ」
 よりにもよってそんな切り替え方か。まぁ、彼女らしいが。
 
 涼を家まで送り、上がっていけとバカなことを言うのを振り切り――玄関で別れて帰ってきた。
 すっかり暗くなった住宅街を歩きながら、僕は電話をかける。
『おう、どうした?』
 相手は美沙希先輩だ。
「ちょっと頼みたいことがありまして」
『あン?』
 訝しげな声。
「『猫目の狼』殿に潰してもらいたい連中がいるんですよ」
『……言ってみろよ、舎弟』
 が、それは一転して弾むような調子になった。
 僕は今日のことをかいつまんで話――そうと思ったら、涼の名前が出た瞬間、「ぜんぶだ。今日あったことぜんぶ話せ」と言われ、細大漏らさずすべて話す羽目になってしまった。
 朝の出来事からはじまり、先輩の好奇心を満たすためだけに遊園地でのこと、そして、ついさっきの乱闘の件――そこまで話し終えるころには、僕は駅に着いて、自動改札を通っていた。吐き出された通学定期を取り上げ、ホームへ向かう。
『んで、これ以上槙坂に手を出さないように、その連中を潰しといてくれというわけだ。このアタシに』
「そういうことですね」
 涼には言わないでおいたが、あの連中がこの辺りを主たる行動範囲にしていれば、また会ってしまう可能性がある。それを想定して彼女の安全を確保しておきたい。
「とは言え、ちょっと釘を刺すくらいで大丈夫だと思いますけどね」
 さっきは先輩の興味を引くために潰すという表現を使ったが、そこまですることはないだろう。一時期この界隈で暴れまわった、知る人ぞ知る『猫目の狼』の知り合いだとわかれば、二度と手出しをしようなどと思わないはずだ。
『わかったよ。お前の頼みだ。後でその連中の特徴をおしえろ。挨拶にいってやる』
「お手数をおかけします」
 これで安心だな。
『しっかし、お前、まんまと槙坂にハメられたな』
「は?」
 
『伏見に見つかったの。あれ一から十まであの女の計算通りだろ』
 
「……」
 そう、なのか?
 僕は振り返る。
 本当は先週だったのを土壇場で延期したのは、伏見先輩たちの予定を知ったからか。そして、行った遊園地で知り合いの姿を探し、ついに見つけるとそこで彼女は僕を見失った振りをした。僕はそうと知らず、彼女の名前を呼ぶ。涼、と――。
 そういうことなのか……?
『明日さっそく学校で妙な噂が流れたりしてな』
 電話の向こうからチェシャ猫の笑い声が聞こえてきた。
「まさか。いや、でも……」
 槙坂涼という人間は何よりも面白いことを好む。自分がどれだけ影響力があるかを熟知していて、その上で素知らぬ顔で周りを振り回す。そういう精神性の持ち主だ。
「……大丈夫ですよね?」
『知るか、ばーか。飛び散れ』
 かくして、通話は一方的に切られた。
 思わず呆然とする。たちの悪い冗談だ。そう思いたい。
 気がつけばいつの間にか電車がホームに入ってきていて、僕は慌てて飛び乗った。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2011年04月09日公開

 


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