午前最後の授業が終わり――テキストとノートをまとめていると、スラックスのポケットの中で携帯電話が振動した。
 こえだからだ。
「もしもし?」
『イベリコブタってどんな子豚ー!』
 そして、第一声がこれ。僕は思わず携帯電話から耳を離し、端末を見つめた。さてこれから学食というタイミングで、何の嫌がらせだ。普段の仕返しか?
「……こえだみたいな子豚だろ」
『こっ、子豚じゃないもん!』
 声を荒らげるこえだ。……お前、僕がどう返してくるかを予測してから言えよ。
「で、何の用だ。こぶた」
『こぶたって言うなっ』
 自分でやっておきながらあれだが、これじゃ話が進まないな。
「悪かった。それで、いったいどうしたんだ? お互いこれから昼メシだろ?」
『そーそー、それそれ。美沙希さんが一緒に食べようぜって』
「美沙希先輩が?」
 またか、と思った。別にうんざりしているわけではなく、素直に最近頻度が高いなと感じたのだ。
 気まぐれ発動中か?
 いや、原因はほかにありそうだな。
「そうか。美沙希先輩からじゃ断れないな」
 断る理由もないが。
「いつも通り学食の入り口でいいんだよな? わかった。今から向かうよ」
『おっけー』
 こえだの返事を聞いて電話を切る。そのまま端末を閉じず、浮田に今日は一緒に食べない旨のメールをしてから教室を出た。
 中庭の小道を歩き、学食へと向かう。
 と、その僕の視界に、後ろ方向から人影が滑り込んできた。
「はろー」
 伏見唯子先輩だった。
 車椅子に乗りながらもスポーツ少女然とした彼女は、文字通り滑って僕の横に並んだ。
「ああ、伏見先輩。こんにちは」
「今日も仲よく涼さんと一緒にお昼かな?」
 伏見先輩はにやにやと笑みを浮かべながら尋ねてくる。この人は車椅子バスケに打ち込むスポーツ少女でありながら、噂の好きな普通の女の子でもあるのだ。
「いえ、今日は美沙希先輩に呼ばれてますので」
 今与えられている情報では。
「あー、なるほどね」
 僕がよく美沙希先輩たちと一緒にいるのを思い出したのか、納得したらしい返事が戻ってくる。その上で、伏見先輩は聞いてきた。
「いつも思うんだけど、君と古河さんと……あと、あの一年の三枝さん? どういう関係なの? 不思議な組み合わせだよね」
「ですかね?」
 まぁ、確かに傍目に見たら奇異な3人組かもしれないな。
「僕と美沙希先輩は中学のときからのつき合いです。こえだは、美味そうな子豚だったので拾いました」
「は?」
「いえ、冗談です。気にしないでください」
 ついさっき発生したばかりのネタを伏見先輩に言ってどうする。
「かわいい一年生がいないか物色していたところ、あいつを見つけたんですよ」
「またまたー。藤間君ってけっこう軟派?」
 伏見先輩はけらけらと笑う。冗談と受け取ったらしい。
「一年生でかわいい子なら"きらりん"なんかどうよ?」
「……ああ、いましたね」
 加々宮きらりは、芸能人の芸名みたいな名前だが、もちろん本名だ。一年生の中では抜群にかわいいと噂の女の子だが、縁がないのだろうか、僕は遠目にしか見たことがない。しかも、顔を知らないので、「あの子がそうかな?」程度。確信をもっては見ていない。
「平和と退屈と本を愛する一介の高校生である僕には手に余りますよ」
「涼さんとつき合ってるくせに」
「つき合ってません」
 というか、その理屈でいくと、僕が槙坂先輩とつき合っているにも拘らず、ほかの女の子も勧めたことにならないだろうか。
「そう言えば、話が変わるような変わってないようなだけど、古河さんと言えば、彼女のおかげで学校生活がガラッとかわったんだよね、あたし」
「と言いますと?」
 僕たちは学生食堂に向かう生徒の流れに乗って歩く。伏見先輩は車椅子だが、決して進むスピードは遅くなく、僕はわざわざあわせる必要がなかった。
「1年のときに古河さんに頼まれたの。球技大会のイベントとして、車椅子バスケの試合をやってくれないかって」
「そんなことがありましたか」
 話をスムーズに進めるための合いの手を入れる。
「チームのほうにその話を持っていったら快く引き受けてくれてね、それでやったわけ。そしたら次の日から、みんなすっごい話しかけてきてくれるの。それまで、ほら、あたしってこんなだからさ」
 そこで伏見先輩は車椅子のハンドリムを叩いた。
「どう扱っていいかわからなかったんだろうね。あんまり声かけられることなかったんだ」
「いいじゃないですか。先輩みたいな人はみんなの中心にいるべきだと思いますよ」
「相変わらずお世辞がうまいよね、藤間君は。そつがないっていうかさ」
 笑いながら関心したように言う伏見先輩。
 僕はお世辞で言っているのではなく、本気でそう思っている。伏見先輩のように懸命に生きるている人、今の己にできることを見つけてそこに打ち込む姿は、人の中心にあるべきだ。それを見たものは、意識無意識に関わらず、きっと何かを感じ取るはずだから。彼女を初めて見たときから、僕はそう思っていた。周りに与える影響は槙坂涼よりも遥かに大きいに違いない。
「っと、あたしはこっちなんだけど」
 伏見先輩はハンドリムを回す手を止め、車椅子を停止させた。ロッカールームへ行くらしい。
「僕はこのまま学食に行きます」
 手にしたテキストとノートを持ち上げ、示してみせる。いつもなら僕もこれらをロッカーに置きにいくところだが。
「人を待たせていますので」
「そっか。じゃあ、まったねー、だね」
「失礼します」
 僕は軽く頭を下げ、伏見先輩がロッカールームのある棟へと車椅子を向けるをを見てから、僕も学食へと歩き出した。
 学生食堂は講義棟1と隣接しているが、独立したひとつの建物だ。その入り口は昼時ともなると、学務棟の掲示板前に並ぶ待ち合わせのメッカとなる。
 そこで僕は、耳の上辺りにヘアピンを刺し、額を大きく出したこえだの顔を見つけた。こえだは行き交う生徒、待ち合わせをする生徒の中で埋もれそうになりながら、手を上げて存在をアピールしてくる。逆の手には弁当箱の入った包みを握り締めていた。
「よう、こぶた」
「こぶたって言うなもんっ」
 狙い通りな上、アレンジが加わっていて嬉しい限りだ。
「中にいるのか?」
 こえだ以外の姿が見えないので訊いてみる。
「美沙希さん?」
「そうじゃないほう」
「なに名前言うの避けてんだか」
 呆れたように言うこえだ。
「ふたりとも先に入って席を取っとくってさ」
「ふたり、ね」
 やはりいるらしい。
 僕らもさっそく食堂に入った。
「悪い。これを頼む」
 と、テキスト類をこえだに預け、僕はカウンタへと向かった。
 足は自動的に日替わりランチのコーナーへと向く。選べるメニューの中にイベリコ豚の厚切りベーコンなるものがあったが、これ以上引っ張るのはやめにした。チキンソテーをチョイス。
 清算を終え、テーブル群を見回し――見つけた。陽あたりのいい全面窓のそばのテーブルに座る3人の女子生徒。ひとりはさっきまで一緒にいたこえだ。ひとりはざっくりウルフカットに猫目の美沙希先輩。そして、最後のひとりは、黒髪ロングのオトナ美人、槙坂涼だ。ここに僕が加わるのか。今さらながら普通に男女比がおかしいな。
「こんにちは、藤間くん」
「どーも」
 槙坂先輩の挨拶に、僕は投げやりに返事を返す。
 美沙希先輩が最近よく僕たちを呼び出す理由がこれだ。先日の一件以後、美沙希先輩は彼女を加えてランチタイムを気に入ってしまったようなのだ。端から見ていても、意外と気が合っているように見えた。
「先に食べてたらよかったのに」
 僕はトレイをテーブルに置き、イスに腰を下ろした。美沙希先輩の隣で、こえだの正面。槙坂先輩は斜め前になる。
 昼食はそれぞれ、槙坂先輩とこえだが弁当。美沙希先輩はいつも通りコンビニで買ってきたパンやら何やら。誰もまだ手をつけていない。僕を待っていたらしい。
「あら、藤間くんだってわたしがお弁当箱を開けるまで待ってくれるじゃない?」
「なに、お前、槙坂にはそんなに優しいの? アタシにはそんなことしないくせに」
 まぁ、確かに僕は美沙希先輩を待たずに食べはじめることが多いな。反対に美沙希先輩も僕を待たないが。
「はいはい。あたしもないあたしもない」
 正面でこえだがここぞとばかりに乗っかってくる。
「美沙希先輩もこえだも、そこまで気を遣う関係じゃないでしょうに」
「じゃあ、わたしは美沙希たちとは違って、まだ気を遣われてるってことかしら? いえ、違うわね。藤間くん、優しいから自然にそういうことができるのよね? それともわたしだけが特別?」
「……解釈は任せるさ」
 笑顔を向けてくる槙坂涼から、僕は不貞腐れたように顔を背ける。
「首をずばー」
「こえだ。それは介錯な」
 こうして昼食がはじまった。
 交わされる会話は僕にとってはアウェー感たっぷりで、己の身の安全のためにも参加は控えめにしておいた。
 雑食なのに肉食獣の勢いで買ってきたパンを平らげた美沙希先輩は、物足りなかったのか僕のランチにまで手をつけはじめた。とは言っても、チキンソテーに添えられたコーンをひと粒ひと粒食べているだけだが。単に口が寂しいだけなのだろう。
「美沙希、それ藤間くんのよ」
「ん。知ってる」
 それをたしなめる槙坂先輩と、どこ吹く風の美沙希先輩。
「もう。……仕方ないわね。盗られた分はわたしのをあげるわ」
「ああ、悪い……って、なぜ口に持ってくる」
 ありがたくもらうが、直接食べさせようとせず皿に置いてくれ。もしくは、そのアスパラガスのベーコン巻きは美沙希先輩に回すか。いちいち三角貿易みたいなことをしなくてすむ。
 正面を見ると、こえだが「ん? ん?」と首を左右に振っていた。
「どうした、こえだ」
「槙坂さん、美沙希さんのこと名前で呼んでる?」
 こえだの口から出た疑問。それは僕も気になっていたところだ。
「いつの間に?」
「あ? いつだっけ?」
 聞かれた美沙希先輩は、そのまま槙坂先輩へと流す。
「さっきでしょ」
 そして、呆れられた。
 どうやら僕とこえだの到着を待っている間に決まったらしい。にも拘らず、今までずっとそうしてきたかのように違和感がないのがすごいな。美沙希先輩の度量の深さ故か、それとも槙坂涼の資質のおかげか。
「ふうん」
 自分の疑問に100%答える回答が返ってきたにも拘らず、心ここにあらずなこえだ。何となく考えていることはわかる。そして、僕でもわかることを槙坂先輩にわからないはずがなく、
「じゃあ、三枝さんのことはサエちゃんって呼んだほうがいいのかしら?」
「え? あ、いや、あの……」
 まさか本当にそれを言われるとは思わなかったのか、わたわたとこえだが慌てる。
「こぶたでいいよ」
「ひ、引っ張るなよぉ」
 おかげで僕の茶々を怒る言葉にも迫力がない。もとからないが。
「もちろん、わたしのことは涼でいいわよ?」
「あ、はい……」
 恥ずかしそうに顔を伏せながらも、その表情はにへらにへらと緩み切っている。そりゃあ嬉しいだろうな。槙坂涼と名前で呼び合えるのだから。そんな新入生は今のところこえだだけのはずだ。
 ふと、槙坂先輩と目が合った。
「ああ、先に言っておくが、僕はこれまで通りでいいぞ」
「わかってるわよ」
 くすりと笑う槙坂涼。
 僕はその微笑に、どことなく不穏なものを感じなくもなかった。
 
 午後一発目の講義は槙坂先輩と一緒で、僕らは並んで教室へと向かう。
 だが僕は、美沙希先輩たちと別れてからこっち、ずっと口をつぐんでいた。そんな僕に槙坂涼は可笑しそうに微笑みながら言う。
「さっきからずいぶんと無口ね」
「……別に」
 校舎に囲まれた中庭を行く。
 ここにくるまでに一度ロッカーに寄って次の講義のテキストを取ってきたのだが、そこでテキトーな理由をつけて槙坂先輩と別れればよかったな。
「今藤間くんが考えてることを当ててあげましょうか」
「……けっこうだ」
 僕は努めてぶっきらぼうに言う。
 
「今みたいにふたりっきりのときは、藤間くんのことを真って呼ぼうかしら?」
 
「って、わたしが言い出すんじゃないかって思ってるでしょう?」
「……」
 当てなくていいと言ったはずなんだがな。
「言わないわよ」
「え?」
「だって、わたしが真って呼ぶときは、当然あなたもわたしを涼って呼ぶわけでしょう? 勿論、普段からそう呼び合うのもいいけど。でも、今はまだもっと素敵な時間のためにとっておいたほうがいいと思わない? 例えば、デートのときとか」
 槙坂涼は楽しそうに語る。
「あとは、耳もとで名前を囁いてもらえるときとかね。考えただけでどきどきしてくるわ。そんなことされたら、それだけで感じちゃうかも」
「……」
 くすくす笑っているが――笑えるか? 最近、言うことが日に日に過激になってきて、こっちは反応のしづらさに顔が引き攣るばかりなんだが。
「そうそう。次のデートはいつにする?」
「するという規定路線で話を進めないでくれ」
 結局、この後、行くや行かないやで押し問答し、教室に着くころにはいつの間にかどこに行くかという議論にシフトしていた。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2013年3月31日公開

 


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