球技大会が終わると、僕と槙坂涼は"天使の演習"へと足を運んだ。
 僕に卓球をおしえてくれたマスターに本日の報告をしておかないと。因みに結果は、あれからふたつ勝ち、準々決勝での敗退となった。自己分析を上回る好成績だったといえる。そして、それを聞いたマスターは「健闘しましたね。おしえたのが僕じゃなかったら、もっといい結果が出ていたんじゃないでしょうか」と笑っていた。
 今、僕たちはその"天使の演習"からの帰りだった。
 隣を槙坂先輩が歩いている。
 尚、彼女は出場したテニスでしっかり優勝していた。ずいぶん様になっていたので経験があったのかと問えば、小学校のころテニススクールに通っていたとのこと。経験者の参加はルール違反くさいが、だいたいその辺りが許容範囲のようだ。団体種目を見れば、ミニバスや少年野球、サッカークラブに所属していた生徒はわりとよくいる。
「さて、お待ちかね。ついに藤間くんの秘密をおしえてもらう時間ね」
「……」
 きたか。
 というか、いつの間にこのタイミングで言うことに決まったのだろう。初めて知ったな。
「どれにするかな……」
 この勝負、僕が負けるだろうと予想していたので、いくつかおしえても差し支えなさそうな話を用意しておいた。そのどれにするか、なのだが。
「迷うなら好きな女の子の名前でもいいわよ?」
「やめておく。あまりにもおしえたくなくて嘘を言ってしまいそうだ」
「相変わらず天邪鬼ね」
 槙坂先輩は呆れたように苦笑する。……嘘は言いたくないんだ。誠実な人間だと思ってほしいね。
 それは兎も角、
「じゃあ、これだ。――実は僕は左右の目の色が違っててね、右目だけ鳶色をしてるんだ」
「……本当なの?」
「らしい」
 濃い茶褐色なので微妙な違いだろうが。
『らしい』としか言えないのは、僕に実感がないからだ。だが、母がそう言うのだから本当なのだろう。時折、鏡の前にいるときに光の加減でそう見えるときがあるが、瞬きをした次の瞬間にはもう左右同じに見えている。僕としてはその程度だ。男と女で色に対する認識の細かさが違うというのは本当らしい。
「遺伝なんだ。父親じゃなくて、母親からの」
 それがどうやら片目だけに発現してしまったようなのだ。メンデルも驚く遺伝子の不思議である。
「見せて」
 槙坂先輩は好奇心いっぱいにねだってくる。
「今か?」
「今よ」
 そして、有無を言わさぬ調子で言い、僕を自分のほうに向かせた。
 僕らは住宅街の道の真ん中で向かい合う。
 槙坂先輩が僕の目を覗き込んできた。彼女の目がわずかに左右に揺れている。僕の目の右と左の違いを確かめているのだ。僕は微動だにせず、その視線を受け止めた。
 とても落ち着かない気分だった。距離は、普段彼女が僕のネクタイを直すときよりも近い。そういえば夏服になってネクタイから解放されたせいで、あれもしなくなったな――などと現実逃避気味に思考する。
 目を見るという行為であるが故に、こちらも目を逸らすわけにいかなかった。
 そして、気づく。彼女の瞳に映る自分の姿に。それは僕が槙坂涼の瞳の中に閉じ込められているようで、まるで何かの暗喩のようでもあった。
「本当ね。確かに右目だけ鳶色をしてるわ。素敵よ」
「そりゃどーも」
 わかったのならもういいだろう――僕は彼女から顔を背け、そのまま逃げるように歩き出そうとする。
 が、
「待って」
 だがしかし、僕は呼び止められ、あろうことか槙坂涼は僕の腰に手を回して、こちらの動きを制した。
 僕たちは再び向かい合う。
 否、見つめ合う。
 槙坂先輩が改めて僕の目を覗き込んできたのだ。その瞳に熱っぽいものが含まれているように見えるのは僕の気のせいだろうか。
「これってあなたの罠だった?」
「どういうことだ?」
 罠とはまた剣呑だな。
 
「キスがしたくなったわ」
 
「……」
 冗談、というわけではなさそうだ。それは僕を見つめる彼女の瞳が雄弁に物語っている。
 槙坂先輩がそっと目を閉じた。
 さすがに僕でも彼女が何を求めているかわかる。
「……やめよう」
 だが、僕はそれには応えなかった。
「どうして?」
 目を開けた彼女が、僕を不思議そうに見返す。
「相応しい相手がいるだろう」
 その瞬間、槙坂先輩は目に見えてむっとした。
「……それは、誰?」
「それは――」
 少し考えただけでも何人か思い浮かぶ。槙坂先輩に匹敵する秀才(実際には万年二位だが)で生徒会長もしている3年の彼や、運動部のいくつかにはエースと呼ばれて将来を嘱望されている生徒もいる。彼らなら槙坂涼につり合うだろう。
「いいわ、言わなくても。その代わり質問を変えるわ」
 
「今あなたが思い浮かべた中で、誰ならわたしとキスをしても納得できる?」
 
「……」
 誰だ?
 誰なら許せる?
 ……。
 ……。
 ……。
 だが、考えても答えは出ず――。
 
 答えの代わりに、僕は槙坂先輩に顔を寄せ、唇を重ねた。
 
 これでも答えが出なかった理由はわかっているつもりだ。考えるまでもなく。『ああ、そうか。僕は――』なんて、今ごろ気づいたようなことを言うつもりもない。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2013年4月23日公開

 


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