中学二年のとき、僕は周りがみんなバカに見えていて、自分は違う、こんなやつらと混ざりたくない、という思いが強かった。
 そんなときに会ったのが、古河美沙希(こが・みさき)――美沙希先輩だった。
 彼女は言う。
 
「お前が思ってることは正しい。いいか、世の中ってのはホントに面白くないんだよ。くだらないんだよ。だったら、自分で面白くするしかないだろうが」
 
 それ以後、僕は美沙希先輩につき合わされ、様々な学校行事の運営委員や実行委員をやらされた。
 最初は渋々。
 だけど、次第にものごとを計画通りに進めたり、企画を成功させたりする楽しさを知ると、いつの間にか積極的にそういう役割に名乗り出るようになった。さらにはそれらを隠れ蓑に美沙希先輩と一緒に"悪さ"をするようになるころには、先の彼女の言葉もすっかり納得してしまい、それどころかありがたい師の言葉として心に刻みつけることすらしていた。――なるほど。世の中が面白くないなら、面白くコーディネイトすればいいわけだ。
 そんな経歴もあって、三年生に上がるころにはずいぶんと顔が広くなっていた。
 
「藤間、藤間ー」
 最近、その交友関係がひとり分増えた。
 このころの僕は読書魔の片鱗を開花させつつもあって、時折友人たちとくだらない話を繰り広げるよりも、読みかけの本を読み進めるほうを優先することも多かった。その日の昼休みもグラウンドに野球をしにいくというクラスメイトを見送った後、ひとり文庫本を読んでいた。
 名を呼ぶ声に顔を上げると、そこにはふたつ結びにしたお下げ髪のクラスメイトの顔。――雨ノ瀬だった。
 彼女は主不在で空いている前の席に腰を下ろす。
 雨ノ瀬はあの夜の出来事以降、よく僕にこうして話しかけてくるようになっていた。
「今日はなに読んでるのー?」
「……読むと必ず精神に異常をきたす本」
「ぎょっ!? 何それ!?」
 彼女は仰け反ってオーバーに驚いた後、人が読んでいるその本を指でつまんで表紙を覗き見ようとする。書店のブックカバーがついているから意味はないのだが。
「やめとけやめとけ。頭がおかしくなるぞ」
 何せ角川文庫版だからな。何を考えてこんな表紙にしたんだか。
「藤間って、もしかして本好き?」
 しかし、すぐに興味を失くしたようで、雨ノ瀬は問うてくる。
「まぁね」
「なるなる。藤間は本好き、と。……よし、つかみはオッケー」
 拳を握りしめる雨ノ瀬。
「と、ところでさ――あの夜のことなんだけど、藤間、古河先輩と一緒にいたでしょ? やっぱ藤間って古河先輩とつき合ってんの?」
「俺が美沙希先輩と?」
 寝耳に水。
「けっこう前からある噂なんだけどね。去年なんかいつも一緒にいたじゃない? だから。……知らなかった?」
「初めて聞いた」
 なるほど。世間的にはそう見えていたのか。
「でも、まぁ、ないな。あの人は俺の人生の大先輩だよ。そんなんじゃない」
「じゃあ、つき合ってない?」
「ない」
 雨ノ瀬の念押しに、僕はうなずく。
 何せ僕は美沙希先輩を女として見たことがない。中学生にして高校生の不良と平気で喧嘩をし、"猫目の狼"の通り名で畏怖されている人に、どうして女らしさや女としての魅力を感じられようか。
 女らしいといえば、やはりつい先日出会ったあの人だろう。
 はっとするほど整った面立ちに、長く艶やかな黒髪。清楚を絵に描いたような人だった。僕が明らかにまっとうではない傷を負っていたにも拘らず心配して声をかけてきてくれた彼女は、きっと心根の優しい人なのだろう。僕はひと目見て心を奪われたが、惜しむらくは彼女を路地裏の揉めごとに巻き込む恐れがあったため、逃げるようにその場を後にしたことだ。
「わかった。ちょっと待ってて」
 そう言うと雨ノ瀬は立ち上がり――どこへ行くのかと思えば、少し離れたところで固まっている女子のグループのところだった。彼女が輪に加わるなり「えー」「嘘ォ!?」などの声が上がる。
 程なく雨ノ瀬が再びこちらに戻ってきた。さっきと同じように前の席に腰を下ろす。
「じゃ、次」
 次?
「藤間、部活は? やってないの?」
「クラブなら二年の初めにやめたよ」
 わけがわからないまま僕は答える。
 確かに僕は中学に上がるとハンドボール部に入部した。が、先にも述べたように、当時の僕は集団行動には向かない精神性をしていたので、二年に上がると間もなく自主退部したのだ。
 今となっては、やめてよかったという思いと後悔とで半分半分といったところか。三年間ひとつのことに打ち込むのも健全な中学生の姿だが、部をやめていなければ今みたいに学校行事の実行委員を次々と渡り歩いたりはできなかっただろう。
「ふんふん。ハンド部だったんだ」
 僕がクラブの名前だけを告げると、雨ノ瀬はそう納得し――また立ち上がった。また女子のグループのところにいく。今度は「もったいなーい」「見たかったー」などの声。
 雨ノ瀬が戻ってきた。
「お前、さっきから何やってんだ?」
「ん? 情報収集ってところ?」
 彼女は誤魔化すように曖昧に笑う。
「何の?」
「藤間の?」
「俺の?」
 問答しているはずなのに雨ノ瀬の発音にまで疑問符がついているのはなぜなのだろうか。
「なんで俺?」
「ぶっちゃけ藤間、女子に人気あるから」
「ああ」
 なるほど――と納得した当時の僕。
 このころの僕はなかなかに自信家だったのだ。すでに自分がそこそこの容姿だと客観的に判断できていたし、周りからの評価も悪くはなかろうと思っていた。
 その僕に対し、先日の一件で話しかけるハードルが低くなった雨ノ瀬が強行偵察にきているわけだ。
 偵察隊員は一気にこちらの懐に飛び込んできた。
「藤間的にはどんな子がいいわけ?」
「さぁね。そういうのは考えたことがないよ」
 容姿の面では女子の受けは悪くないと思っているが、正直、誰かを好きになる側に自分を置いたことがないのだ。
 ふと、あの女(ひと)はどうだろうか、などと考えてみる。が、どうやら相手が悪かったようだ。中学生だった僕にとって、彼女はその辺の高校生よりも断然に大人っぽくて、どことなく高貴で――何もかもが違っていて、自分と並べて考えることができなかった。好きだとか恋愛だとか、そういう対象ではない気がする。
 そもそも僕と美沙希先輩が云々の話からしてそうだが、中学生では誰が誰を好きだという話はしても、実際に男女交際にまで至るのはひと握りだ。だからこそそういう話に敏感になるのだろうが。
「じゃあ、実弾でいこうかな。……小椋さんなんかはどう?」
 具体例を出してきたか。
 小椋さんはこのクラスいちばんの美人だ。やわらかい雰囲気が好ましくある。さりげなく彼女のほうを見ると、仲のよいクラスメイトと笑いながら話をしていた。
「うん。いいね」
「じゃあ、笠井さんは?」
「いいんじゃないか」
 笠井さんはショートカットに眼鏡の、ちょっと男っぽい雰囲気のある子だ。男女の話にも興味があるらしく、雨ノ瀬が情報を持ち帰っているグループの中にもいたはずだ。
「くりちゃん」
「栗本さんか。いいと思うな」
 栗本さんは小柄な見た目に反して意外にしっかりしていて、気の強い部分も持ち合わせている子だ。
「なんか藤間って、誰でもいいって感じー」
 むー、と口を尖らせる雨ノ瀬。
 そりゃあよっぽど個性的な好みをしていない限り、たいていの男がいいと言うであろう子の名前ばかり挙げているのだから、当然そういう返事にもなる。
「ああ」
 と、そこで僕は気づいた。
「雨ノ瀬も悪くないよな」
「え?」
 雨ノ瀬はきょとんとした表情で自分の鼻を指さし――、
 
「う、うはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
 
 顔を真っ赤にしながら壊れたように笑い出した。
「なんだよ、その笑い」
「い、いや、そこであたしの名前が出てくるとは思わなくて、想定外だったというか何というか……」
 雨ノ瀬の声は次第にしぼんでいく。どうやら照れていたようだ。面白い反応だな。
「えっと、そろそろ戻るね」
 逃げるみたいにして勢いよく立ち上がる雨ノ瀬。
「戻るのはいいけど、お前、睨まれてるぞ」
「う……」
 振り返った彼女が見たものは、固まっていた女子たちからの突き刺さるような視線だった。……情報も持ち帰らず話し込んでいたのだから仕方がない。
「や、まー、それでも戻らないわけにはいかないし。……じゃあね」
 僕にはそう言い――雨ノ瀬は両の掌を合わせながら、平身低頭グループに戻っていった。だがしかし、残念ながら赦してはもらえなかったらしく、程なくぼこすかという愉快な音と、袋叩きにされる雨ノ瀬の悲鳴が聞こえてきた。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2013年9月28日公開

 


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