「ぶっちゃけ、藤間って話しかけやすくなったんだよね」
 ある日の帰り、たまたま雨ノ瀬と一緒になり、僕の隣で彼女はそんなことを言った。
「そうか?」
「うん、そう」
 まぁ、去年の自分を振り返るに、確かにそう思わなくもない。
 二年の半ばまで、ろくに人づき合いをしてこなかった。その僕が美沙希先輩と出会い、大きく変わった。以前と比べたら、格段にとっつきやすいことだろう。
「なんていうのかな。カッコいいんだけど、どっか失敗してる感じなんだよね」
 え……?
「イキりミスっていうの?」
「……」
 なんか胸がえぐられるように痛いな。イタすぎる。
 おかしいと思っていたんだ。容姿はそう悪くないはずなのに、女子から目に見えて注目されるようになったのは、三年に上がってからだった。それこそとっつきやすさのせいだと思ってたのだが……そうか。周りからはそう見えていたのか。いつも斜に構えて、自分は人とは違うんだと思って――そんなスタイルが格好いいと思っていた節もあっただけに、今明かされる驚愕の真実に精神的ダメージが大だ。
「あまり触れてあげないほうがよさそう、みたいな?」
「……いや、もういいから」
 これ以上傷をえぐってくれるな。
「どうかした?」
「……なんでもない」
「チョコバー食べる?」
「……」
 差し出されたチョコのお菓子を無視し、僕は天を仰いだ。
「あ、そうだ。藤間、今度カラオケ行かない?」
「カラオケ?」
 唐突な話の転換に、僕は単語を鸚鵡返しにする。
「勉強勉強でストレスたまってんだー。思いっきり歌って踊りたい気分」
 中学三年生といえば受験生だ。でも、本番の試験一発で決まるわけでもなく、今現在の成績も多少なりとも影響してくる。いわゆる内申書というやつだ。それを考えれば、すでに受験ははじまっていると言えて、定期試験も気が抜けない。
「まぁ、いいけど」
 僕とて受験への重圧とは無縁ではない。
「で、どんなメンバー?」
「あー、えっと、あたしと藤間――」
 そこで雨ノ瀬の言葉が止まる。
「と?」
「……だけ」
 僕が続きを促すと、彼女は小さくひかえめにそうつけ加えた。
「……ダメ、かな?」
 そして、おっかなびっくり聞いてくる。
 僕は少し考えてから、
「別にいいんじゃないか。そういうのも」
「ほんと? なんか、ごめんね」
 雨ノ瀬は何かを誤魔化すみたいに苦笑いをした。
 まぁ、いいさ。女の子とふたりでカラオケにいくのも初めてじゃない。尤も、相手は美沙希先輩なので女の子の範疇に入れていいのか少々疑問だが。
「あ、じゃあ、この前のワンピ、着ていこうかな」
「この前のって……」
 あの夜に着ていた黒い、アイドルのステージ衣装っぽいやつか?
「お前、あれで思いっきり踊ったら大変なことにならないか?」
 美沙希先輩風に言えば「いいもんが見れるかもな」である。
「そこは大丈夫。下はアンダースコートだし」
「……」
 そういうものなのか? だったら最初から着てくるなよ、と思うのは男の論理なのだろうか。
「あ、何か想像した? いっやらしー、いっやらしー。藤間、いっやらしー♪」
「お前なぁ」
 からかうように言ってくる雨ノ瀬に、呆れる僕。
 彼女は笑いながら、逃げるように前へと駆けていった。
「よっし。思いっきり歌って踊るぞー」
 そして、両の握り拳を空へと突き上げ、宣言。
 僕はその背中を見ながら、妙な流れになってきたなと思った。
 
 実際、その後、本当に妙な流れになり――そして、僕はそれに一瞬で決着をつけたのである。
 それはある日の、やはり放課後のことだった。
「藤間、今日、一緒に帰っていい?」
 教室を出てしばらくしたところで、雨ノ瀬が後を追ってきて声をかけてきた。
 普段なら許可など求めたりしないのに、妙だなと思いつつも「いいよ」と返事をした。一緒に昇降口へと向かう。
「あ、あのさ……噂、聞いてる?」
「噂? 何の?」
 噂なんていくらでもある。体育の某先生はヌンチャクを振り回しながらスクータに乗っているなんていう荒唐無稽なものから、理科の某先生は若かりしころは国体選手だったなんていうほぼ事実なものまで。
「あたしと、藤間」
 雨ノ瀬は言いにくそうにそう切り出した。
「つき合ってるんじゃないかっていう」
 その声は周りを気にするように小さい。
 そんな話は初耳だった。
「どうも見られてたみたいなんだよね。この前一緒にカラオケ行ったの。でさ、ほら、あのとき黒のワンピ着てたでしょ? あれのせいで、あたしがすっごい気合入ったカッコでデートしてたとか、そんな感じの話になってて――」
 雨ノ瀬はまるで言い訳をするかのようにまくし立ててくる。
 なるほど。それでクラスメイトの目を気にして教室を離れてから声をかけてきたり、わざわざ一緒に帰っていいか尋ねたりしたのか。
「それは初めて聞いたな」
 こういうのは得てして女子のネットワークのほうが伝達が速いものだ。
「そ、そっか。……どう思う?」
「どうって?」
「迷惑とか……その反対、とか……」
 僕の反応を窺うような様子の雨ノ瀬。
「別に。あくまでも噂だからな。違うなら否定すればいい」
 僕はあえて一般論にまで落として答える。
 尤も、一方で『火のないところに煙は立たぬ』とも言い、今回のはそのいい例だとも言えた。
「そ、そうだよね。よし、じゃー、この話はこれでおしまいっ」
 そこでちょうど昇降口に着き、僕たちは上履きからスニーカーへと履き替えた。
「藤間は高校、どこ受けるの?」
 歩きながら他愛もない話をしていたが、校門を出たあたりで雨ノ瀬がそんな話を振ってきた。
「明慧、だろうな」
 明慧学院大学附属高校。
「もう決まってるんだ。あれ? それって古河先輩が行ったところじゃなかったっけ? やっぱり藤間と古河先輩って……」
「違うって言ってるだろ」
 僕は苦笑する。
「志望動機はちゃんとあるよ。たとえば、単位制だからある程度好きに講義を選べるとか」
 自由に講義を選べるということは、小学校、中学校みたいに一緒に授業を受けるメンバーが固定しないということだ。かつて群れるのが嫌いだった僕は、その反動だろうか、どういうわけかできるだけ多くの人をこの目で見てみたいと思っていた。そんな僕に単位制は都合がよかった。
「ほかにも附属の生徒なら大学図書館を使わせてもらえるとか。それに――」
 そこで言葉を切り、続きを言おうかどうか迷う。
「それに?」
 しかし、雨ノ瀬に促され、話すことに決めた。
「会いたい人がいるんだ。前に一度だけ会った人で、美沙希先輩と同じ明慧の制服を着ていた」
「女の人?」
 "美沙希先輩と同じ"という部分でピンときたのだろう。雨ノ瀬が聞いてくる。
「そう。とてもきれいな人で、強く印象に残ってる」
 僕の目には未だにその姿が焼きついている。できることならまた会いたいと思う。
「ふうん。それってひと目惚れ? 会えたら告白とかしちゃったりする?」
「さぁ? それは近くに行ってから考えるさ」
 軽い調子で聞いてくる雨ノ瀬に、僕も軽い調子で答える。
「こんなことで高校を決めるって、自分でもどうかしてると思うよ」
 そして、自嘲。
 それに対して雨ノ瀬からの言葉はなかった。彼女は視線を落とし気味にして、黙ってただ歩く。僕も、少なからずの申し訳なさがあり、呼吸を合わせるようにして影のように一緒に歩を進めた。
「前にさ、藤間が女子に人気あるって言ったでしょ?」
 やがてしばらく歩いたところで、雨ノ瀬が再び口を開く。
「でも、みんなそこまで本気じゃないと思うんだ。アイドルとか芸能人を見るような感じ?」
 
「だから、本気で好きなのはあたしだけだと思う」
 
「……」
「あーあ。あたし、どの子よりも藤間が好きな自信あったんだけどなぁ。藤間がそれじゃダメかぁ」
 何かを吹っ切るように、ボリュームを上げて言う雨ノ瀬。
「悪いな」
「嘘ばっかり。悪いとか思ってないくせに。わざと今その女の人の話、したでしょ?」
「悪いとは思ってるよ」
 "わざと"の部分には触れないでおいた。否定も肯定もしない。
「ね、ちょっと遠回りしない?」
「わかった」
 僕はうなずき、彼女とともに歩き続けた。いつもは曲がらない角を曲がり、馴染みのない住宅地を進む。
 その間、雨ノ瀬はひと言も発しなかった。
 僕は彼女の気がすむまでつき合うつもりでいた。
 やがて住宅地を抜けると河が見えてきた。たぶんここが僕たちの中学校の校区の端になるのだろう。この河の向こうの町名は何だっただろうか。
「こんなところに河があったんだね」
 雨ノ瀬は足を止め、夕暮れの河を眺める。
 僕はそのやや後ろで、彼女の背中と河を見ていた。
 不意に雨ノ瀬が体ごと僕へと振り返った。その顔は思いつめたような、切羽詰まったような表情をしている。
 地を蹴り、駆け寄ってきた。
 
「うわーん、藤間、ここどこーっ!?」
 
「……」
 抱きついてくる雨ノ瀬を、僕は河に投げ込んでやろうかとわりと本気で考えた。
 家の近所で迷うなよな。
 仕事しろ、方向感覚。帰巣本能でもいいからさ。
 
 
 
 僕は思わず鼻で笑ってしまった。
「どうしたの、急に笑い出して」
 僕の隣を歩くとてもきれいな悪魔が聞いてくる。
「あいつのことを思い出してた。本当に未確認動物(UMA)だったなと思って」
 おかしなやつだったけど、結局、僕と雨ノ瀬は卒業するまでよき友人だった。
「昔の彼女のことを思い出すのもけっこうだけど、今の彼女はわたしよ。そこを忘れないでね」
「わかってるよ」
 僕はテキトーな調子で返事をし――そこでふと思い出して、携帯電話を取り出した。確か僕も雨ノ瀬も高校への合格を決めた後、親に携帯電話を買ってもらい、卒業式の日にはアドレスの交換もしたはずだ。
 アドレス帳を開き――やはりあった。
 
 ――雨ノ瀬由真
 
 僕と同じように無難に高校生になったあいつは、まだダンスを踊っているのだろうか。それとも別の何かに打ち込んでいるのだろうか。今度、機会があったら連絡をとってみよう。そう思い、僕は端末を閉じた。
 隣を見ると、槙坂先輩が赤い顔で、それを隠すように視線を足もとに落としながら歩いていた。
「どうした?」
「な、なんでもないわ……」
 慌てた素振りで首を横に振れば、長い黒髪もそれに合わせて揺れた。
 なんでもないようには見えないのだが……まぁ、いい。本人が何でもないというのなら追求してもややこしいことになりそうなので、ほうっておくことにしよう。
「わかってるなら、いいの……」
「?」
 僕が何をわかっているというのだろう。
 首を傾げつつ顔を前に向ければ、ちょうど路側帯をオレンジのサイクリングウェアに身を包んだ女性の自転車便(メッセンジャー)が通り過ぎるところで、僕は何を思うともなくそれを見送った。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2013年10月13日公開

 


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