ひとつのハンバーガを両手で持って食べるさまは、リスかハムスターのようだと思った。 口いっぱいに頬ばっているわりには、さっきからぜんぜん減っていない。ぜんぶ食べたとしても、いちばん小さなハンバーガひとつ、プラス、Sサイズのオレンジジュース。男の僕からすれば、そんなので足りるのだろうかと心配してしまう。 「ん? なに?」 「いや、何でも」 こちらの視線に気づいて首を傾げるこえだに、僕はそう答えた。止まっていた手を動かし、僕も食事を再開する。 ――夏休みに入ったばかりのある日。 僕はこえだに呼び出され、こうしてファーストフード店で昼食を一緒に食べていた。 「で、何の用なんだよ」 僕はアイスコーヒーを飲んでから問う。時間的にも丁度よかったため、会うなりとりあえず先に昼食ということになり、まだ用件は聞いていないのだ。 「あ、うん、そうだった。……にしても、真、夏休みに入っても実家に帰ったりしてなかったんだ」 「帰っててくれたほうがよかったような言い方だな。……帰ってもたいして変わらないんだよ」 母親はターミナル駅の駅前一等地にある有名シティホテルの女フロントマネージャ。ゆっくり家事をする暇もないほど忙しい身だ。僕が家に帰ったところで、結局のところ、自分のことは自分でやることになるだろう。あるいは――久しぶりに帰ってきた息子のために母が張り切ってしまうか、もしくは、これ幸いと息子に家事を押しつけるか。どちらにせよあまりよい状況になりそうにない。母の休みに合わせて帰って、顔を見せるのがいちばんよさそうだ。 「ていうか、家に帰っていようがいまいが関係ないだろ。こえだが用があるって言うんなら、僕はどこからだって出てくるんだから」 「……真ってさ、時々こっちがどきっとするようなこと、さらっと言うよね」 「そうか?」 変なことを言うやつだ。何か大事な用があるからこそ呼び出すのだろうから、僕はたとえどこにいようと駆けつけるつもりだ。……勿論、これが浮田あたりなら、必死に助けてくれと訴えかけてきても出ていかないが。 「いいから用件」 「い、今から言うから」 改めて先を促せば、こえだは居住まいを正してから言いにくそうに切り出した。 「あ、あのさ、真、一緒に映画見に行かない?」 「映画?」 思わず鸚鵡返しに聞き返せば、こえだは神妙に「そう」とうなずいた。 ジャスト5秒の沈黙。 なるほど。理解した。 「別にいいぞ」 僕はあっさり快諾する。 「なんだ、お前、僕とデートしたかったのか。それならそうと、もったいつけずにさっさと言えよ」 「ち、違うもん!」 顔を真っ赤にして怒り出すこえだ。が、狭い店内で発した大声に周囲の視線が集まり、彼女は恥ずかしさに身を縮こまらせた。基本、小動物なのである。 「ま、そうだろうな」 それくらいわかっているさ。 「いったいどういう事情と経緯だ?」 「わかってんなら、からかうなよぉ」 こえだは口を尖らせ――ずずっとオレンジジュースをストローで吸い上げた。 「えっと、知り合い三人で映画を見にいこうってことになったんだけど、チケットが四枚あって一枚余ったから、だったら真を誘おうって」 「ふうん」 つまり、おもりか。 「なんで僕なんだよ?」 「ほら、真って今、時の人だから?」 「……」 皆まで言ってくれるな。どうせ槙坂涼がらみなのだろう。我らが槙坂先輩がご執心の僕がどんな人間なのか知りたいといったところか。おもりなんて生ぬるいものじゃないな。……まさかとは思うが、夏休み直前、そろって生徒指導室に厄介になった件じゃないだろうな。あれはそれほど知られていないはずだ。 「だと思うんだけど……」 しかし、こえだは自信なさげに言い加えた。 「どうした? 今日は歯切れが悪いな」 「別に」 そして、今度は不貞腐れ。 「真のくせになんでモテるんだろうと思って」 「お前なぁ。なんて言い草だよ。それに別にそういうわけじゃなくて、ただ単にチケットが余っただけだろ」 ついでに根掘り葉掘り聞こうという魂胆がミエミエだ。 そこで僕はふと、こえだ以外はどんな顔ぶれなのだろうと思った。しかし、言われたところで知らない名前が出てくるだけだろうし、あえて聞かないことにした。 結局、詳しいことは決まり次第連絡するということで、今日は昼を一緒に食べただけでこえだとは別れた。 そして、当日。 こえだと会ったあの日の夜には待ち合わせの日時が知らされ、僕は今、その場所に立っていた。 駅の改札口前。 この駅の周辺は一昨年から再開発がはじまり、商業施設が次々とできている。そして、去年ついにシネコンをも備えた大型ショッピングセンターがオープンし、この駅の2階コンコースから直結しているという親切設計。おかげで改札前は待ち合わせには最適なのだ。 ぶっちゃけ、僕の最寄駅である。 こえだは知らなかったのだろう、駅に降りてショッピングセンターとは反対側に行けば、僕の住む高層マンションがある。待ち合わせの時間15分前に家を出て、ここまで歩いてきた。 腕時計を見れば、針はもう間もなく11時を指そうとしている。 こえだは時間に遅れてくるようなやつじゃないし、絶望的にルーズな子が混じっていない限り、責任をもって牽引してくることだろう。 と――、 「お待たせしました、藤間先輩」 「え?」 不意の声。 振り返れば髪をツーサイドアップにした女の子が立っていた。おそらくよほどのひねくれものでない限り、皆が皆口をそろえてかわいいと評するであろう彼女を、僕は知らなかった。だが、どこかで見たような気もする。 「はじめまして、加々宮(かがみや)きらりです」 「ああ」 そのやけにまぶしい名前には聞き覚えがあったし、どこかで見たと思ったのもそのはず、今年の新入生の中で抜群にかわいいと評判の子だった。僕も噂を耳にすることもあれば、何度か遠目に見たこともある。こえだのやつ、こんな子と知り合いだったのか。 「君、ひとり?」 てっきり三人一緒にくるものだと思っていたのだが、特にそういうわけでもなかったようだ。 「悪いけど、まだ残りふたりがきてないんだ。もう少し待っててくれるかな」 「きませんよ」 「は?」 邪気のない笑顔で言われ、僕の口から間の抜けた音がもれた。 「あとのふたりは急用でこれなくなったそうです。わたしと先輩ふたりだけですけど、別にいいですよね?」 「いや、待て」 今日は女の子三人を相手できると聞いていたのに、それがひとりだけというのは話が違いすぎるだろ。……いや、違うのは僕の表現のほうだな。言い方がやけに不道徳(インモラル)だ。状況に対応できてなくて、頭が混乱しているのかもしれない。 「僕は何も聞いてない」 「だから、わたしが託(ことづか)ってきました」 「……」 確かにいちおう筋は通っている。が、全員が全員知った仲であるなら兎も角、この場合、橋渡し役であるこえだからその連絡がないというのもまたおかしな話である。 「悪い。一度こえだに確かめさせてくれ」 「えー、そんな、わたしが信用できないんですかぁ?」 ポケットから携帯電話を取り出した僕のその腕を、加々宮さんがそれ以上の動きを阻止するかのように抑え込んだ。訴えかけるように、顔を覗き込んでくる。 と、そのとき、手の中の端末が鳴り、すぐに止まった。メールが着信したようだ。 「メールくらい確認させてくれ」 言ってから僕は腕を振りほどき、メールを開く。 こえだからだ。 ――罠だった。真、逃げてー。 思わず脱力して倒れそうになった。遅ぇよ。 続けて加々宮さんを見れば、彼女は「あ、もうバレた?」といたずらっぽい笑みとともに、小さくつぶやいた。 「こえだはどうしてるんだ? まさか監禁してるとかじゃないだろうな?」 「三枝さんはもうひとりの子に、ちょっと足止めをお願いしてるだけです」 なるほど。最初からそういう魂胆だったか。こえだも何となく話の流れに不自然なものを感じていたから、あの日どことなく歯切れが悪かったのだろうな。 まいったな。さて、どうしたものか。 迷っていると、改札口から出てくる人の流れの中に見知った顔を見つけた。さすがに今日は黒のセーラー服ではなく、夏らしいオレンジのキャミソールに七分丈の白のパンツ姿。――切谷依々子だ。 彼女も僕に気づき、そして、ついでに僕の窮状も正確に理解し――嘲笑うように口の端を吊り上げ、ショッピングセンター方面へと通り過ぎていった。 「……」 あの様子じゃ助けてもらうのはむりそうだ。まぁ、誤解されるよりはいいか。 しかし、わからないのは加々宮さんがこんなことをした動機なのだが……。 「最初の予定とちょっと変わってしまったけど、いいですよね。大丈夫、きっと楽しんでもらえると思いますよ。槙坂さんより」 「……」 氷解した。 どうやら彼女の策謀の原動力は槙坂涼への対抗心だったようだ。ターゲットが純粋に僕でなくてほっとしたが、しかし、ややこしい状況であることには変わりないな。……どうするか。リトマス試験紙にされているのは癪だが、当初の約束通り映画につき合ってやるのもひとつの手ではある。 しかし、そこに僕の思案をすべて無にしてしまうような闖入者が現れた。 「ああ、まだここにいたのね」 槙坂涼だった。 肩出しの黒のカットソーに白のティアードスカートという、オトナ美人の彼女にしてはずいぶんとガーリーな装いだ。 まさかこの場に槙坂涼が現れるとは思いもよらず、言葉を失くす僕。隣では加々宮さんが「げ、槙坂さん……」と小さく焦りの声を発していた。 「……どうしてここに?」 「サエちゃんから連絡をもらってね。ちょうど電車に乗っていたからきてみたの」 そう笑って言うと、彼女は加々宮さんへと向き直った。 「あなたが加々宮さんね?」 「そ、そうよ。それが何か?」 加々宮さんは精一杯胸を張って槙坂先輩を正面から迎え撃つが、しかし、ぷいとそっぽを向いた姿は余裕綽々でつんと澄ましているというよりは、目が合わせられないといったほうが正確そうだ。 「人の彼氏を横から取ろうなんていい度胸ね。どういうつもり?」 槙坂涼はたじろぐ彼女をさらに追い込もうと、冷たく鋭い口調で問い詰める。その迫力に加々宮さんの口から「ひっ」と悲鳴らしき声がもれた。 「おい、何もそんなに――」 「真は黙ってて。今、女同士の話し合いの最中よ」 「……」 加々宮さんがかわいそうになって割って入ろうとしたが、ぴしゃりと遮られてしまった。……できれば『彼氏』という単語にも異議を唱えたかったのだが、どうやらここは黙っておいたほうがよさそうだ。 「ふ、ふん。どういうつもりかって? おしえてあげるわ。わたしのほうがいい女だって証明するためよ」 それでも加々宮さんはどうにかこうにか踏ん張ろうとしている。 「面白いわね。それってどうやってやるのかしら?」 「勿論、これから藤間先輩とデートして、わたしのほうが槙坂先輩より――」 「あら、ずいぶんと子どもなのね」 しかし、槙坂先輩は彼女の言葉を鼻で笑い飛ばす。 「私はてっきり、自分のほうがセックスが上手だくらいのことは言ってくるのだと思ってたわ」 「セッ……!」 加々宮さんは思わずその単語を発しかけ――慌てて両手で自分の口を覆った。隙間から「むぐぐ……」とくぐもった音がもれる。頬に朱が差し、顔が真っ赤になっていた。 彼女は知らなかったようだ。槙坂涼という人間が平気でそういう単語と、そして、はったりを口にできるということを、 僕も加々宮さんと同じく口を手で覆っていた。ついでに顔も彼女たちから背ける。……ここで笑ったらマズいのだろうな。槙坂先輩がそれを言うかよ。 「あ、う、ううぅ……」 じりじりと後退りする加々宮さん。 そして、 「お、覚えてなさい。まだ負けたわけじゃないからあぁぁぁ!」 ついに背を向け、走り去ってしまった。ICカード乗車券が入っているらしき財布を改札機に叩きつけ、プラットホームへと消えていく。 僕はその後ろ姿を見送り、ほっとひと息ついた。とりあえず今日のところは一件落着か。 ばしん 不意に肩を叩かれた。槙坂先輩だ。 「痛いな。なんだよ」 だが、彼女はそれには答えず、もう一発。さらに続けて二発、三発、四発……。次第に最初のような快音は聞こえなくなり、ただごんごんと叩いてくる。 「だから何なんだ」 「うまく言えないわ」 ようやく叩くのやめて言ったのがそれ。 とりあえず何かに怒っているのだけは確かだ。生意気な下級生にか、それとも隙が多い僕とか少しくらいつき合ってやってもいいかと思った僕とか、僕とか僕とか僕とか。 だから――、 「あら、まだお昼前なのね。せっかくだからこのままデートといきましょ」 「……」 僕はその言葉に逆らえなかった。 その女、小悪魔につき――。 2013年9月15日公開 |
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