一週間ほど槙坂涼と会わない日が続いた。
 母が盆休みとして3日ほど休みがとれたというので、僕はそれに合わせて家に帰っていた。とは言え、我ら母子には実家や田舎に帰るという行事がない。母は親類にその生き方を理解されていないため、交流は専ら電話や手紙のやり取りくらいで、もう何年も直接には会っていないのだそうだ。僕も母方の祖父や祖母の記憶はほとんどない。そして、父方のほうは言わずもがな。愛人やその息子が敷居を跨げるはずもない。
 そんなわけで僕はその三日間を生家である3LDKのマンションで過ごした。
 考えてみれば、僕が高校進学後にひとり暮らしをすると言って与えられたマンションも同レベル。つまるところ父は、愛人にマンションを買い与えるのと同じ感覚で、僕にあんな過剰なものを用意したのだろうな。愛人を3人もつくったり、金銭感覚がおかしかったりと、いろいろ飛び散っている人ではあるが、それでも僕の父親であり、おおいに感謝はしている。おかげで将来やりたいことに対し、僕は自分の努力と実力以外の心配をしないですむのだから。
 家にいる間、母とはいろんな話をし、買いものなどにもつき合った。おそらく僕は、この年ごろの男子高校生にしては母親と仲がいいほうだと思う。家には父親の影がなく、ずっと母子ふたりで生きてきたような連帯感があるからだろう。それに母はあまり母親らしくなく、どちらかと言えば友人に近かった。
「ハァーイ、放蕩息子」
「家に帰ってないだけで、居場所ははっきりしてるだろ」
 今回も帰るなりこれだった。
 尤も、母のそういう接し方に関しては、ほぼ母子家庭という環境だからか、意図的にそうしてきたのだろうとこの年になって思うのである。加えて、親が鬱陶しく感じはじめる今の時期にひとり暮らしをはじめて適度な距離をおいたのも、良好な関係を築く一因になっているのかもしれない。
 母のわずかばかりの休みが明けると、出勤する母と一緒に家を出て、僕は自分のマンションに戻ってきた。
 その翌日になってカレンダを見てみれば、前回槙坂先輩と会った日から一週間がたっていたのだった。間、家に戻っていたこともあって、当然僕から彼女に連絡はしなかったのだが、槙坂先輩から僕に対しても特にこれといったコンタクトはなかった。
 夏休みに入ってからこっち、なんだかんだで一週間と間を開けず顔を合わせていたのだが、だからと言って今の状況が異常事態だとは思わない。しかし、一度その事実を認識してしまうと妙に気になってしまうのも事実だった。
 昼食を食べた後、意を決して彼女に電話をしてみた。
「……」
 が、いっこうに出る様子はなかった。やがて留守番電話サービスに切り替わると、特に用件らしい用件もなかったこともあり、何もメッセージを残さず切った。
 あちらは両親がともにそれなりに地位のある立場にいる以外は普通の家庭のようだし、普通の家庭らしく田舎に帰っているのかもしれない。案外、外国へ家族旅行に行っているなんて線もありそうだ。結局、ひとつ行動を起こしたことで僕の気はすんでしまった。この前あんなことになったばかりなので、あまりしつこく連絡をとろうとするとあらぬ誤解を受けそうだ。この辺りで諦めておくか。
 代わりに、こえだに電話をしてみる。
『はいはーい。どしたのー?』
 こっちはすぐに出た。ややテンション高めの発音が僕の耳に飛び込んでくる。その後ろからはかすかに喧噪。どうやら外にいるようだ。
「ああ、こえだか? 僕だ。いや、暇かなと思ってさ」
『あー、ごめん。今……え? あっ』
 何やらこえだの慌てる声が聞こえ、そのまま途切れた。
 やがて一瞬の空白の後、
『ウソ。今のチャイです。ヤーズのフードコートにいるので、待ってまーす』
 そして、電話は切れた。
「……」
 最後の声と話し方、明らかにこえだじゃなかったな。というか、どうも以前に聞いたことがある気がする。誰だ? いや、まぁ、だいたい見当はついてしまったが。
 彼女の言ったヤーズとは、正式名称をサクラ・ヤーズといい、僕のこのマンションから駅をはさんで反対側にある大型ショッピングセンターのことだ。……あいつら、あの辺をホームグラウンドにして遊び回っているのか。
 まぁ、丁度いいと言えば丁度いい話ではある。場所も因縁めいているし、せっかくなので会いにいってみるとしようか。
 
 さっそく身支度を整え、家を出た。
 相変わらず今夏の陽射しが猛威を振るっているが、着くまでの辛抱と足を踏み出す。
 まずは駅へ行き、2階改札前のコンコースを通り、駅からの人の流れに乗ってヤーズ直結の連絡通路へと抜ける。2階の出入り口から入って1階へ降りれば、その一角にフードコートはあった。夏休みとは言え今日は平日なので、休日のような家族連れよりは子どもをつれた親子連れが目立つ。中には私服の中高生もいた。
 とりあえずこえだの顔を探していると、
「せーんぱいっ」
 いきなり腕をからめ取られ、引っ張られた。がくんと肩が落ちる。
 そちらを見ればツインテールの髪に、くりっとした大きな瞳の少女。皆が皆、口をそろえてかわいいと評するであろう女の子が、僕の腕に自分の腕をからめるようにしながらこちらを覗き込んでいた。
「やあ、加々宮さん」
 やはりいたか。
 加々宮きらりだった。愛称、きらりん。無論、僕は呼んだことはないが。
「驚きました? わたしがいて」
「何を驚くことがある。電話に出ておいて」
「声だけでわたしだってわかったんですね。嬉しいですっ」
 加々宮さんは胸の前で掌を打ち鳴らし、喜びを表現した。
「それは何よりだ」
 僕はテキトーな調子で言い、
「で、こえだは?」
「あっちの席にいますよ」
 ほら、と視線で示した方向には、テーブルのひとつに座るこえだがいた。何やら携帯電話を睨み、操作している。が、不意に、ぴくり、と何かに気づき、顔を上げてきょろきょろと辺りに目をやりはじめた。そして、僕を見つける。鋭く危険を察知した小動物のような挙動だな。こえだは両手を上げて、全力でアピールしてくる。
「わかった。僕も何か飲みものを買ってからいくよ」
「はーい」
 一旦加々宮さんと別れ、僕は近くのソフトクリーム屋でSサイズのジュースを買ってから席へと向かった。
「ほやほやー、真だー。いきなり電話なんかしてきて、どしたの?」
「ああ、ちょっと暇だったからさ……って、さっきも言ったか」
 僕は空いているイスに座りながら答えた。丸いテーブルには僕とこえだと加々宮さんとで三角形を描くかたちになる。こえだはもう携帯電話をしまっていた。
 ここにきたのは暇だったからというのも当然あるのだが、加々宮さんの声を聞いたのもきっかけとして大きい。尤も、くるまでもなかったような気もするが。
「先輩、思ったより早くきましたね。もしかして家、近いんですか?」
 加々宮さんが身を乗り出し、訊いてきた。
「実はすぐそこなんだ」
「どこですか!?」
 さらに身を乗り出してくる。
「それは内緒」
 おしえたら絶対に襲撃してくるだろ。不意打ちで強襲してくる人間なんざひとりで十分だ。
「何が暇だよぉ。この前は三人でプール行ったくせにー」
 ふと見ると、こえだが口をへの字に曲げてやさぐれていた。
 先日、バシャーンに行った際に仲間外れにされたことをまだ根にもっているようだ。あの日、夜には連絡がついて、そのときにさんざん文句を言われたのだが。恨みはまだ晴れていないのか、はたまた再燃か。
「仕方ないだろ。あの瞬発力の塊みたいな美沙希先輩が急に行くって言い出したんだから。お前と連絡が取れるか、ほぼ一発勝負だったんだよ」
 さすがに電話に出なかったお前が悪いとまで言うつもりはないが。
 こえだは拗ねたまま、まだ残っているらしいジュースをストローで吸い上げた。そんな彼女を見ながら僕は切り出す。
「じゃあ、今度、日にちを決めて行くか?」
「え? し、真と?」
 こえだは目を丸くして驚いてから、かすかに頬を赤くしながら戸惑った様子を見せた。流れからして、今度は自分もつれていけって話じゃなかったのかよ。
「あと、美沙希先輩も」
 改めてこえだの都合に合わせて日を設定し、つれていくことはやぶさかではない。どうせ埋め合わせをしないとと思っていたし。入場料と、向こうでの飲み喰いくらいは奢ってやるか。勝手に美沙希先輩がそこに乗っかってきそうで怖いが。
「涼さんは?」
「あの人には今回はパスしてもらおう」
 僕はきっぱりと言い切った。
「え? なんで? 真のことだから、どうせ涼さんの水着姿見て鼻の下伸ばしてたんでしょ。もう一度見たいんじゃないの?」
「お前ね、それは見てないから言えるんだ。実物見てみろ、破壊力ありすぎるから」
 何だあのグラビアアイドルも裸足で逃げ出すスタイル。あんなのを惜しげもなく堂々と晒されたら、逆にこっちが気後れしてまともに見れなくなる。もしかしたら今ならそれくらいでは動じないのかもしれないが、反対に意識しすぎる可能性もある。はっきり言って、何が起こるか予想もつかない。
「あ、あれ? あたしは!? あたしの破壊力は!?」
 突然、はっと何かに気づき、こえだは猛烈に問い詰めてくる。
「すまない。まことに遺憾ながら、こえだはいたって目に優しいほうだ。なにせ凹凸が緩やかだからな」
「し、しつれーな!」
 こえだ撃沈。
「はいっ。はいはい、先輩。そのときはぜひわたしも一緒に行きたいです!」
「は? 加々宮さんも?」
 また何か企んでいるのか、これを好機と見た加々宮さんがいきなり参加に名乗りを上げた。
 僕はぎょっとして彼女を見た。加々宮さんは再び身を乗り出して、僕とこえだを結ぶラインに顔を突っ込んできている。……いや、ちょっと待て――と、僕はその不敵な笑みを浮かべる顔から、清潔感のある白いキャミソールに包まれた体へと視線を移す。
「……」
 あ、これはこえだと同じ系統だ。たぶん殺傷力皆無。
「わかった。そのときは声をかけるよ」
「素直にオッケーされた。なんか複雑な気分……」
 続けて加々宮さんも轟沈。落胆して項垂れるように着席した。
 やけに自信たっぷりに言うから、その容姿通りに、あるいは容姿に似合わず、スタイルも自慢なのかと思えば……。よくそれで己を武器にしようと思ったな。意外と身の程知らずな娘だ。まぁ、対抗心を燃やしている相手が相手だからな、身の程知らずは今さらか。こえだよりは将来有望そうだが。
 閑話休題。僕はこえだに向き直る。
「そんなに槙坂先輩も誘いたいなら僕が話をつけてやろうか? その場合、僕は行かないが」
「うーん……」
 腕を組んで考え込むこえだ。ま、ゆっくり考えればいいさ。
 とは言え、本当に加々宮さんがくるのなら、そんな内輪のメンバーに彼女を放り込むわけにもいかないし、最悪、僕がこのふたりをつれていくことになりそうだな。
「……」
 何か言い訳を考えておいたほうがいいだろうか。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2014年1月2日公開

 


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