雨ノ瀬がげっそりした顔で待ち合わせの場所に現れたのは、それから二十分後のことだった。
 開口一番。
「つ、疲れた……」
 しかし、それは僕が言いたい台詞だ。何せここまで雨ノ瀬を電話で誘導したのだから。尤も、それだけならこんなにも疲れはしない。問題は雨ノ瀬が勝手な判断で勝手な動きをすることだ。
『あれ? こっちのほうが近くない?』
『近くねぇよっ』
 くらいのやり取りならまだましなほう。早々にあらかじめ言うと僕に止められると学習したらしく、いつの間にか僕に内緒で違う道を進んでいたりするのだ。これだから決断力のある方向音痴は。
 しかも、初めて見る場所を、そのあふれる表現力で魅力たっぷりに説明してくれるので、何度か僕もそっちに行ってみたくなった。というか、これなら雨ノ瀬をその場に留まらせて、僕が迎えにいったほうが早かったかもしれない。
 そんなこんなで一年半ぶりの再会は、お互いの顔を見つけてまず疲労の色濃いため息を吐くところからはじまったのだった。
「改めて――久しぶり、雨ノ瀬」
「うん、久しぶり……って、ぎょっ! 何で藤間、制服!? もしかして補習?」
 雨ノ瀬は制服姿の僕を見て、盛大に驚いた。オーバーアクションなところは昔とぜんぜん変わっていない。懐かしい思いだった。
「違うって。僕のところは二期制だからね。普通の学校より夏休みが短いんだ。ちょうど今日からはじまったところ」
「ああ、それで待ち合わせがこんな時間だったんだ」
 納得した様子の雨ノ瀬。
 その彼女は、黒のトップスにデニムのカットオフショートパンツという実に夏らしい姿。ふたつ結びで下した髪は僕の記憶の中のままだ。ただ、とても大人っぽく、きれいになったと思う。中学のころからその素養はあったが、なかなかの変わりっぷり。見違えるようだ。
「さて、どうする?」
 僕は雨ノ瀬に尋ねた。
 どこかゆっくりできるところに移動したいところだ。が、実は僕はあまりこの付近のそういう店を知らない。人が聞けば地元なのにと思うかもしれないが、何せ高校に上がると同時にここを離れてしまったせいで、知っているところと言えば中学生でも立ち寄れるような場所ばかりだ。
 これは雨ノ瀬だのみかなと思っていると、
「あそこがいい!」
 その彼女が指さしたのは、駅前の大型スーパーだった。
 そこは最近できたお洒落なショッピングセンター……などではなく、僕が生まれる前からあるような古い大型スーパーだった。決してそんな山のてっぺんを目指すみたいに胸を張って指さすような場所ではない。
 ただ、そこの一階にはフードコートがあり、当時ちょくちょく雨ノ瀬と立ち寄っていたのだった。きっとそこに行こうというのだろう。
「いいのか、そんなところで」
「いいのいいの」
 むしろ彼女は、そこがいいくらいの勢いだ。
 雨ノ瀬がいいのなら、まぁ、いいか。僕としても懐かしくはある。
 
 フードコートは昔と変わらずチープな雰囲気で、今僕が住んでいるマンションの近所にあるサクラ・ヤーズのフードコートとは大違いだった。夏休みだからか、親子で買いものにきてソフトクリームやジュースで休憩をしている姿が目立つ。フードコートのすぐ向こうはスーパーのレジだ。
 僕らはバーガーショップのカウンタでドリンクを買い、空いている席に腰を下ろした。
「では、あたしたちの再会を祝して……かんぱーい」
「ん。乾杯」
 ひかえめにドリンクの容器を合わせる。
「一年半ぶり?」
「そんなものかな」
 中三の三月の卒業式以来なので、正確には一年と五ヵ月。一年半と言ってしまってもいいだろう。
「藤間が変わってなくてよかった。おまえ誰?とか言われたらどうしようかと思った」
「何でだよ。雨ノ瀬がそんな心配する必要ないだろ」
 この再会のきっかけとなるメールを送ったのは僕で、今日までに電話で話もしている。むしろその心配は僕のほうだった。実際、久しぶりのメールを送ったとき"こんなやつもいたな"感満載の反応も想定していた。
「いやぁ、ほら、"うわ、この女、メールだけのつもりだったのに、電話どころか会おうとか言い出しやがった!?"とか?」
「お前、どれだけ自分に自信がないんだよ……」
「だってさ……」
 雨ノ瀬は不貞腐れるみたいにしながら、ずずずとストローでジュースを吸い上げた。
 まぁ、雨ノ瀬が何を言いたいか、わからなくもないか。あからさまなかたちではないにしろ、僕は彼女を振っているのだから。
「僕はそこまで冷たくはないよ」
「優しくもないくせに」
 雨ノ瀬は過去を懐かしむように苦笑した。
 そこからお互いの近況報告に移る。
 雨ノ瀬は高校に入ってから部活で本格的にダンスをはじめたそうだ。それに加えて自転車も。このあたりのことは、前に電話で話したときに聞いていたが、それを詳しく話してくれた。
 相変わらず方向音痴なのはさっき見た通り。それで自転車なんて大丈夫なのかと心配になるが、話を聞く限りでは特に苦労はしていないようだ。普通の自転車と文字通りひと桁値段の違うロードバイクで迷子とか、贅沢すぎて笑うに笑えない。自転車に乗ると脳が切り替わるのだろうか。
「そっちは?」
「僕も相変わらずさ。電話でも話したけど、部活はやらずにイベントの運営にちょこちょこ首を突っ込んでるよ」
 尤も、それも去年の話で、今年はそれほどでもない。一年のときにやったものは避けているからというのもあるが、うっかり誰かさんにつかまって正直それどころではないのが現状だ。
「後期がはじまってすぐに学園祭があるから、今度はそれに携わってみようかと思ってる」
「そっか。学園祭が近いんだ」
 雨ノ瀬はしばし考え、
「遊びにいっていい?」
「学園祭か? きたければくればいいんじゃないか?」
 学校によってはチケットがないと入れないところもあるようだが、明慧にはその手の入場制限はなかったはずだ。誰でも自由に入れる。
「じゃなくてさ、藤間が案内してよってこと」
「ああ、そういうことか。いいよ。時間があればだけど」
 実行委員に入ったところで、そんな時間もとれないほど忙しくなるわけではないだろう。詳しいことは近くなってから詰めるとするか。
「明慧、明慧かぁ。明慧ってさ、確か上に大学があるんだよね?」
「附属の名の通りね。……ああ、言っておくけど、エスカレータ式じゃないぞ」
 何となく彼女の考えていることを察してしまってそう言い加えてやると、「あ、そうなんだ」と雨ノ瀬。案の定だったようだ。
「ま、普通に大学受験するよりはハードルが低いみたいだけど」
「藤間はどうするの?」
「僕は……」
 決まっている。高校を卒業したらアメリカの大学に入って、そのまま向こうで修士課程まで進むつもりだ。僕にはアメリカでやりたいことがある。だから、大学に入った時点で生活基盤を向こうに移すことになるだろう。
 ただ、そのことはほとんど誰にも話していない。両親に自分の考えを告げて、後は成り行きで切谷さんに言ったくらいか。つまり、まだ槙坂先輩には話していないということだ。
「まぁ、上に進むのが無難かなとは思ってる」
 結局、僕は迷った末に、ここで雨ノ瀬にも言わなかった。槙坂先輩の耳に届いてもややこしくなりそうだしな。
「そうだ。でさでさ、藤間藤間」
 と、雨ノ瀬はテーブルの向こうから、気持ち身を乗り出してくる。ここからが本題、といった感じだ。
「前に藤間が言ってた女の人、どんな人?」
 興味津々の様子で聞いてきた。
 そんなことか、と思ったが、雨ノ瀬には単に女の子特有の恋バナ好き以外にも、それを気にする理由が確かにあった。
「そうだな――」
 どう説明したものか考えて――やめた。口で説明するより百聞は一見にしかずだ。
「雨ノ瀬」
 僕は彼女の鼻の頭あたりを指さした。何ごとかと首を傾げる雨ノ瀬にかまわず、
「あっち向いて……ほい」
 指を右へと振ると、雨ノ瀬は反射的に反対方向へと首を向けた。……つられなかったか。ダンスをやっているだけあって、いい反射神経だな。じゃあ、もう一回だ。
「あっち向いて……ほい」
 雨ノ瀬の顔がこっちに向き直ったところで、今度は指を左に振る。と、やはり彼女は反対方向へと首を向けた。
「よし、そこでストップだ。そっちの方向に何かの冗談みたいな美人がいるだろ? あれがそうだ」
「うわ」
 雨ノ瀬が短く感嘆の声を上げた。
 そう。そこにいるのである。僕が中学時代に仲のよかった女の子と会うと知って様子を見にきたのか、はたまた冗談やいたずらの類なのか、どうやら本当に後をつけてきたようなのだ。ある意味有言実行。因みに、僕は見つけた瞬間から、もう見なかったことにしている。今もそうだ。彼女を見ない。
「確かに嘘みたいな美人……」
「それを言ったら雨ノ瀬だってそうだろ。普通に美人じゃないか」
 電話できれいになったと自己申告していたが、その言葉に偽りはなかったようだ。正直、「変わっていなくて安心した」は僕の台詞だった。こうして話してみれば、雨ノ瀬が見た目ほど変わっていなくて本当に安心した。
「ん? ナチュラルに口説こうとしてる?」
「素直な感想だよ」
「じゃあさ、あたしとあの人、どっちが美人?」
 雨ノ瀬は再び身を乗り出して聞いてくる。意地の悪い質問だと自覚してるのか、にやにやと笑っていた。
「そんなの答えられるはずがないだろ。どうしたって贔屓が入る」
「どっちに贔屓? 今つき合ってる彼女? それとも中学が一緒だった女の子?」
「もちろん、そのとき目の前にいるほうに決まってる」
「うわ、サイテー」
 呆れたふうの雨ノ瀬は、気持ちだけでなく体も引いて、イスの背もたれにもたれた。
 男の処世術だと言ってほしいものだな。普段から正解があるのか怪しいような難解な問いを投げかけられることが多いのだ。こういうときに点を稼がないと。解ける問題を落とさないのはテストでの鉄則だ。
「要するに、容姿なんて些末な問題ってこと。顔じゃなくて人を見てるのさ」
「きれいにまとめようとしちゃって」
 そこで雨ノ瀬は、槙坂先輩へちらと目をやった。
「でも――かわいいじゃない、あの人」
「そうか?」
 槙坂先輩は、どちらかと言えばどころか 明らかに美人系だろう。かわいいと評されているのなど、僕はついぞ見たことがない。
「うん。藤間が女の子と会うのを気にして、ここまでついてくるところが」
 ああ、なるほど、と思うが、実際はそんないいものではない気がする。すぐに見つかるような場所にいるあたり、オールコートマンツーマン並のプレッシャだ。
「じゃあ、あたしはそろそろ帰ろうかな」
 と、雨ノ瀬はやおら腰を浮かす。
「変な気を遣うなよ」
「そんなんじゃないけどね。お互い遠くにいるわけじゃないから、いつでも会えるし。学園祭だって見にいくし。……あ、もしかして学祭デートのお邪魔じゃない?」
 はっとそのことに気づき、聞いてくる。
「今のところ、その予定はないよ」
 というか、学園祭の話すらしたことがない。まだ先のことだし、その手前には学生の本分たる勉学の決算、前期試験が待ち構えているのだ。それを無視して気持ちを学園祭に向けるのは、なかなか難しい。
「仮にそうだとしても、ちゃんと雨ノ瀬の相手もするさ」
「やっぱり口説いてる? ごめんなさい。あたし二股かける男の子はちょっと。部活に気になる先輩もいるし」
 とても申し訳なさそうに言われてしまった。
「なんで僕が振られたみたいになってんだよ……」
「さぁねー。いつかのお返しじゃない?」
 笑顔で嘯く雨ノ瀬。……そうか。ああいうのって断ると仕返しされるものなのか。
「じゃあね、藤間。また連絡するから」
「ああ」
 雨ノ瀬は改めて立ち上がると、自分のドリンクの容器を持ってテーブルを離れていった。途中でダストボックスに容器を放り込み――そこで一度僕のほうに振り返ると、ぶんぶんと手を振った。仕方なく僕も軽く手を上げて応える。……もう少し落ち着いた立ち居振る舞いを覚えればいいのに。そうすれば文句なく美人系だ。
 ようやく去っていった。
「……」
 ところで、好きな先輩がいるというのは本当なのだろうか。本当だとしたら、どんな男なのだろうな。気になるところだ。
 さて、雨ノ瀬が帰って――残る問題はひとつ。
 槙坂先輩だ。
「仕方ない。いくか」
 僕はつぶやいてから席を立った。
 少し離れたテーブルに座る槙坂涼は、特に逃げ隠れする様子もなく、寄ってきた僕をよそ行きの笑顔で見上げた。……どうでもいいが、こんな安っぽいフードコートに華やかな彼女の姿は、どうしようもなく場違いだな。
「あら、奇遇ね。こんなところで会うなんて」
 何を白々しい。
「前、いいかな?」
「ええ、どうぞ」
 僕は残り少ないドリンクとともに、彼女の正面に座った。
 テーブルの上、彼女の前には小さなトレイがあった。ドリンクの容器に、プラスチック製のスプーンと空になったコーヒーフレッシュが載っている。コーヒーを飲んでいたようだ。
「どうしてここに?」
「偶然」
 嘘つけ。
「きれいな子ね」
 彼女はしれっと話を進め、ここにきた目的であろう僕の旧友をそう評した。
「中学のときはあそこまでじゃなかったんだけどな。少し会わないうちに変わるもんだ」
「でも、そのころから片鱗はあったんじゃない?」
「まぁね」
 十人が十人同じ感想を口にするほどではないものの、かわいいと思っていた男子はそこそこいたはずだ。ただ、あの騒がしい、よく言えば愛嬌のありすぎる性格のせいで、ぜんぶ台無しにしていたが。いや、そこは今もそうか。
「今ならつき合う?」
「そうしたい気持ちもなくはないが、あいにくと先約がいるものでね。これでも順番は守るほうなんだ」
 僕の言葉に、槙坂先輩はくすりと笑う。
「じゃあ、当時は? そういう気はなかったの? 仲がよかったのでしょう?」
「……」
 それこそ僕の中に勝手な先約ができていたからな。そんな一方的なものを理由に相手にされなかった雨ノ瀬が浮かばれない。悪いことをしたと思う。
 まぁ、そんなことを槙坂先輩に言えるわけはなく、
「……考えもしなかったよ。そういうのって中学じゃ、ひと握りのやつらだけだったからね」
 結局、僕はそんな言葉で誤魔化した。
「実はわたしも、前につき合っていた男の子がいるの」
「それは初耳だ。まぁ、人にはそれぞれ歩んできた道があるからね。そこを詮索する気は、僕にはないよ」
 こっちはぜんぜん気にならないな。尤も、それが嘘だとわかっているからなのだろうけれど。少しでも真実味があれば、僕だって気になっていたに違いない。
 僕の反応が面白くなかったのか、槙坂先輩が不満そうな顔を向けてくる。
「さて。じゃあ、僕は先に帰らせてもらうよ」
 飲み終わったドリンクの容器を手に、僕は立ち上がる。
「あら、つれて帰ってくれないの?」
「僕がつれてきたわけじゃないからね。責任も義務も負う気はないよ」
 ここで会ったのが偶然だというのなら、槙坂先輩は槙坂先輩の理由でここにいるのだろうから、僕の都合に合わせてもらうのは大変に申し訳ない――と付け加えておく。
「仕方ないわね。きたときと同じように、勝手についていこうかしら?」
 それは先に偶然と主張したことの否定で、勝手についてきたことを自白しているようなものではあるまいか。
 僕は嘆息ひとつ。
「わかったよ。場所が場所だし、勝手についてこられても困るのでつれていく」
 僕が諦め気味にそう告げると、槙坂先輩は嬉しそうに笑顔を見せた。たぶん彼女は最後にはこうなることをわかっていたのだろう。僕もそう。何となくこの流れになると思っていた。それでも彼女はそれを喜ぶ。
「でも、その言い方だと、真っ直ぐには帰らないのかしら?」
 槙坂先輩もイスから立ち上がり、ふたりでダストボックスへと足を向ける。
「母がまっとうな時間に帰ってこられそうなら、実家に寄っていこうと思ってる」
 母はそれなりのポジションを得ている人で、いつも忙しい身だ。僕が家を出てからは、さらに気兼ねなく仕事に打ち込んでいるようで、聞いた限りだと連日遅くに帰宅しているようだ。
「じゃあ、またお母様に会えるのね」
「そんなこと言ってると、夕食の準備を手伝わされたり、下手するとぜんぶ丸投げされるぞ」
「それって何か試されてるのかしら? 真くんの彼女として。だとしたら張り切らないといけないわね」
「……」
 タフなことだ。あと、真くんって言うな。
 とは言え、このまま母に引き合わせると、またいつぞやみたいに槙坂先輩の口から『お母様』と『真くん』が連呼されるのだろうな。あれは非常に落ち着かない気分になるのでやめてもらいたい。
 まず、槙坂先輩がコーヒーの容器その他をダストボックスに捨て、トレイをその上に置いた。続けて、僕が放り込み――その手で携帯電話を取る。
 今日も母が忙しければいいのだが、と胸に淡い期待があった。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2014年10月18日公開

 


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