幸いにして、十五分ほどで雨ノ瀬をつれて学校に戻ってくることができた。 「やー、ひどい目に遭った」 「うん。毎度のことながら、それは僕の台詞だからな」 僕は訂正しつつ、受付でもらってきたパンフレットを雨ノ瀬に手渡す。尤も、今回は時間の無駄こそあれ、疲労はなかった。 雨ノ瀬は方向音痴のくせして、自分のいる場所を説明させたら意外と的確に、且つ、表現力豊かに描写できるという謎の特技があることが前回わかったのだ。そのときの失敗で得た教訓と副産物を活かして、今回は僕が迎えにいくことにしたのである。 本日の雨ノ瀬は、ジーンズに裾の長いロングTシャツのような上着をゆったりと着ていた。何となくストリートで踊り出しそうなスタイルに見えないこともない。長い髪をふたつにまとめて首の後ろあたりで結んでいるのは相変わらずだ。 今日は昨日よりも気温が高いようで、今朝見てきた天気予報によると九月中ごろの暑さなのだそうだ。僕もブレザーは教室に置いてきていた。 さて、これからどうするか――と僕は考える。 「ん? 藤間、どうしたの?」 「いや、この出オチみたいな女をどこにつれていこうか考えてた」 「ひっど。その言い方ひどくない!?」 実際、僕は雨ノ瀬をどこに案内するか考えていなかった。考えたけど決まらなかった、というのが正しいか。 「雨ノ瀬、何か見たいものはあるか?」 「うーん……」 と、パンフレットをめくりながら今度は雨ノ瀬が考え込む番だった。……ま、当然そうなるだろうな。特にこれと言った特徴のない学園祭だし。 「藤間のオススメは?」 と、雨ノ瀬は逆に僕に聞いてくる。学内者の意見を参考にするというのは至極まっとうな流れだが、そんなものがあれば僕も悩んだりしないのである。 「受付が最恐のお化け屋敷」 「何それっ。どんな強面入り口に置いてんの!? 見たいっ」 「僕から言い出しといてなんだけど、やめとけ。ろくなことにならない」 主に僕が。 「とりあえず学校見物を兼ねて、ふらふら見て回るか」 「そだね」 意見がまとまったところで僕たちは足を踏み出した。 確かに学園祭に関してはこれと言って見るべきものはない。ただ、学校自体はそこそこ珍しい部類に入るのではないかと思う。 「藤間の教室は?」 まずは校舎内を歩き、屋内の出しものを見て回る。 「ない」 「ない!?」 雨ノ瀬が盛大に驚く。こういう感嘆の発音が大きいのはいつものことだ。 明慧学院大学附属高校は単位制を導入している関係で、生徒が教室を巡るスタイルとなっている。週に一度のホームルームを行う小教室は決められているが、クラスの掲示物が貼られているような普通の教室とは趣が異なるのだ。 「だから、こういう教室もあるわけだ」 学校見物をメインにすることにした僕は、最初に踏み入った校舎を抜け、別の講義棟へと向かった。そこは学園祭には利用していないので、自販機目当ての生徒がちらほらしている程度だった。 僕は手近なドアを開けた。 「おお、大学みたい」 大教室だった。後ろ半分が階段状になった構造は普通の高校にはないものだろう。 中では休んでいるのだかサボっているのだかわからない生徒たちが、すっかりやる気を失くした調子で駄弁っていた。僕としては実行委員という立場ではあっても、彼ら彼女らを注意するつもりはない。今は腕章をつけていない以前に、こういうイベントは人それぞれだからだ。乗り気の生徒もいればそうでないのもいる。楽しめない生徒をむりやり参加させる気はなかった。 「じゃあ、藤間のクラスはどこで何やってんの?」 「うちは喫茶店。実行委員に割り振られた教室でやっている。後でつれてくよ」 その割り振りをしたのが僕なのだが。 「戻ろうか」 雨ノ瀬が感動してくれたことで満足した僕は、ドアを閉め踵を返した。 次に入ったのは特別教室がある実習棟だった。 特別教室を活動場所にしている文化部が多いので、自然ここは文化部の出しものばかりとなる。クラスや運動部での参加の場合、店の類や何かしらの催しものが多いのに対し、文化部はどちらかと言えば活動内容に沿った展示が多い。美術部や書道部は作品の展示、機械工作やコンピュータ系のクラブなら成果物の披露。科学部や家庭科部などはちょっとした教室を開いている。 それらを覗き見ながら、僕と雨ノ瀬は廊下を歩く。 「んー? あたしたち、なんか注目されてない?」 言葉にはできないちょっとした違和感に気づくみたいにして、不意に雨ノ瀬はそんなことを言いながら首を傾げた。 「藤間、またカッコつけ過ぎて悪目立ちした?」 「……」 忘れたい過去を知っているやつがいることの、なんとやりにくいことか。 とは言え、確かにさっきからすれ違う生徒がちらちらとこちらを見ながら通り過ぎていくな。 「雨ノ瀬がかわいいからじゃない?」 ひとつの可能性。 「ごめん。藤間の気持ちは嬉しいけど、あたし、彼女持ちの男の子はちょっと……」 「うん。そういう意味じゃないから」 こちらにそのつもりもないのにお断りされてしまった。 「まぁ、雨ノ瀬が気にするようなことじゃないよ」 「そうなの?」 「ああ」 たぶん僕が槙坂先輩とは別の女の子をつれて歩いているのが理由だろう。こちらの可能性のほうが高そうだ。 「そう言えば、例の年上の彼女は?」 そんな僕の心情を鋭く読んだわけではないのだろうが、雨ノ瀬が聞いてくる。 「安心しろ。健在だよ」 「いや、まず生きてるか死んでるかを確認しないといけないほど年上じゃないでしょうが。うちのひいおばあちゃんじゃないんだから」 そっちの扱いもどうかと思うが。 「あたしとこうしてて大丈夫?」 「心配するな。後で時間を取ってあるよ」 さて、実習だの特別教室だの言っても、中身が違うだけで廊下から見える外観は一緒である。窓やドアがそれぞれ一定の間隔でコピィ&ペーストのように繰り返されているだけ。しかし、普段はそうでも学園祭開催中の今は違う。壁や窓には飾りつけがされ、催しものの案内やついでとばかりに部員募集のポスターが貼られている。実に賑やかだ。 その中にあってひときわ個性的な部屋がある。 礼法室と名づけられた和室だ。 授業でも使うことがあるし、放課後は筝曲部や茶華道部、日本舞踊部などの活動場所となっている。普段ならここには障子窓が嵌められているのだが、この学園祭中はすべて取っ払われ、廊下から中を見ることができた。 どうやら今は茶華道部による茶道体験教室の時間のようだ。歳も様々な一般参加者が並んで正座し、茶道具の説明を聞いたりお茶の点て方をおしえてもらっている。 「あ、見て見て、藤間、すっごいきれいな子」 と、雨ノ瀬がゴンゴン肘打ちでコンボ数を上げながら言うので、参加者の面々をよく見れば中にひとりやけに様になっている女の子がいた。 誰あろう切谷依々子だった。 もとより和風の面立ちで所作もきれいなので、こういうことをやらせるとよく似合う。今日はスキニーなボトムスに黒いチュニックブラウスというスタイルなのだが、こうなるとなぜか和服っぽく見えてくるから不思議だ。まぁ、それも黒なので喪服になってしまうが。 それは兎も角として、彼女の茶を点てる手つきが明らかに経験者のそれだった。おしえる側のはずの部員がため息交じりに見ている。 ふと、切谷さんは視線を感じたのか、ちらとこちらを見――そして、そこにいるのが僕だとわかるとかすかに目を丸くして驚き、それからむっとした様子で僕を睨んだ。しかし、それもわずかな時間のことで、すぐに手もとに視線を落とす。心なしか顔が少し赤かった。 程なく、切谷さんはきりのいいところで席を立ち、廊下に出てきた。 「いるんだったら言ってって言ったわ」 そして、改めて僕を睨めつける。 「声をかけていい状況じゃなかっただろ」 あんなときに声をかけたりしたら、お互い恥ずかしいと思うのだがな。小学生のころ、運動会で徒競走のスタートラインに立った僕に向かって、大声で名前を呼んだ母のことは未だにトラウマだ。早くその場を離れたくて一心不乱に走ったものである。 「それにしてもずいぶんと慣れた手つきだったね」 「茶道、華道、お箏。このあたりはひと通りできるから」 「さすが老舗料亭の娘」 「古いだけよ」 切谷さんはぶっきらぼうに言い返しながらも、まんざらでもなさそうだった。 じゃあ、なんで体験教室なんかに参加したんだって話になるのだが、案外テキトーなところのある彼女のことだから部員に誘われるまま入ったのだろうな。部員も部員で切谷さんの和風の見た目で誘ったに違いない。 「ねぇねぇ、藤間。誰さん?」 と、再び肘打ちの連打を決めてくる雨ノ瀬。 「……その人の妹」 しかし、それに答えたのは僕ではなく、当の切谷さんだった。 ちょっと驚いて、僕は彼女を見た。 「……何?」 「いや、別に」 前は自分から妹なんて言わなかったのにな、と思っただけである。口にするつもりはないが。 「妹なんていたの!?」 雨ノ瀬がびっくりするのもむりはない。僕の口から妹の話なんて、中学のころでも一度も出たことがなかったのだから。むしろ兄弟姉妹の話になってひとりっ子だと答えた記憶がある。 「いたんだ。今年になって初めて会ったけどね」 「何それ!?」 「そのへんややこしいから、また改めて説明するよ」 一昨日完成したばかりの妹とかではないのは確かで、それよりはましな関係だろうと思う。 「真、また新しい彼女?」 「僕は彼女を何人も作った覚えはないよ」 と、答える僕の横で、雨ノ瀬が「真?」と首を傾げている。 「前にいなかった? 駅の改札で、別れ話こじらせて揉めてるのを見たんだけど」 何のことかと思えば、夏休みに入ったばかりのころの話か。こえだ他二名と遊びにいく約束をしたら、現れたのが加々宮さんひとりだったあの日のことだ。そう言えば、あの場に切谷さんが通りかかったのだったな。 「ああ、あったね。そんなことも……って、雨ノ瀬、なに距離を取ろうとしてるんだ」 「あ、いや、やっぱ藤間ってモテるなぁって感心しちゃって……」 感心したら距離をあけるのかよ。 「念のために言っておくと、誤解だからな? まぁ、それは兎も角として、こっちは僕の中学時代のクラスメイトだ。僕たちもふらふら見て回ってるところなんだけど……切谷さん、どうする? 一緒に回る?」 僕の視界の端で、今度は「切谷さん?」とまたも首を傾げる雨ノ瀬。 「いい。ひとりのほうが気楽でいから」 しかし、切谷さんにはすげなく断られてしまった。最初にタイミングを逃したことで意固地になっているのだろうか。 「それにあの人ほったらかしで違う女の子ふたりもつれてると、なに言われるかわからないわよ」 「……それもそうか」 認めたくないが、雨ノ瀬ひとりをつれてるだけでも、どうにも雲行きが怪しいからな。 「ま、ふたり一緒につれて歩くか、次々と変えるかの違いだけって気もするけど」 「……」 切谷さんと別れた後、僕たちは校舎を抜けてグラウンドに出た。 グラウンドのメインは何と言っても野外ステージだろう。 ここではいろんな催しが、時間を空けずにいくつも行われる。今は生徒会主催による景品付きクイズ大会だ。果たしてどれほどの参加者ではじまったのかわからないが、もう大詰めに入っているようで、勝ち残った数名の参加者がステージ上の○と×を往ったり来たりしている。 「あ、午後からは飛び入り参加歓迎のパフォーマンス大会だって」 と、パンフレットを見ながら、雨ノ瀬。 野外ステージは毎年それでラストを飾るのが伝統となっている。要するに、最後は何でもありで、むりやり盛り上げようというわけだ。 「あたしも参加しよっかなー」 「いったい何するつもりだよ」 「もっちろん、ダンスで」 そう言えばこいつは昔から踊るのが好きで、高校に入ってから本格的にダンスをはじめたんだったな。 「おい、真。三味線弾け、三味線」 と、不意に浴びせかけられた命令口調の声に振り返れば、そこにいたのは美沙希先輩と―― 「あ、古河先輩!」 知らない仲ではない雨ノ瀬が、その懐かしい顔を見て嬉しそうに声を上げた。一方、美沙希先輩のほうは「よっ」と、調子は軽い。 「え、ぁ……」 そして、雨ノ瀬は美沙希先輩の横にいる人物を見て、わずかに戸惑う。 槙坂涼がいたのだ。 「こんにちは、藤間くん」 「どーも」 何がどうというわけではないが、よろしくないタイミングで会ってしまった気がする。 「それから、あなたは確か藤間くんの中学のころのお友達よね?」 しかし、僕の漠然とした不安をよそに、槙坂先輩は雨ノ瀬によそ行きの笑顔で微笑みかける。 「あ、はい。雨ノ瀬です。すみません。藤間、お借りしてます」 雨ノ瀬が彼女を見たのはこれが初めてではないが、間近で感じる完璧超人オーラに圧倒されているようだ。そのお辞儀は、果たして謝っているのか挨拶なのか。 「いいのよ。藤間くんからも聞いてるから。……女の子だとは言ってなかったように思うけど」 槙坂先輩が非難の色を含んだ眼差しをこちらに向けてくる。確かに友人が遊びにきて案内することになっているとは伝えていたが、それが雨ノ瀬であることは伏せていた。たぶん自衛のためだろう。 「槙坂。真の元カノだぞ、元カノ」 美沙希先輩が面白がって煽るようなこと言う。 雨ノ瀬が「せ、先輩っ」と悲鳴じみた声を出した。実際そうはならなかったとは言え、あまり穿り返してほしくない過去である。 「元でしょ、元。知ってるわよ」 呆れ調子の槙坂先輩。 「そこを面白がってるのは美沙希先輩だけですよ」 「ちっ。つまんねーやつらだな。おい、真、ステージ上がって三味線弾け」 「……」 とりあえず、この人はほっておこう。酔っ払いが酔った勢いで思いつきを口走ってるのと一緒だ。 そして、問題は僕をほっておいてくれない人がいることである。 「藤間くんは今は自由時間?」 槙坂先輩がすっと僕のそばにやってくる。 「ああ、朝から少し運営の仕事をやってたけど、今は何も入ってないよ。でも、午後から今度はクラスの手伝いだけど」 「忙しいのね、相変わらず」 「仕方ない。実行委員とはそういうものだ」 そこで槙坂先輩はさらに一歩近寄り、僕のネクタイに手を伸ばしてきた。 「ほら、ネクタイが緩んでるわ」 そう言いつつ直してくれる。心なしかいつもより距離が近い気がした。だからだろうか、「うわ、なんか夫婦みたい」と雨ノ瀬が思わず感嘆している。 「ところで、今日はお母様はこられないの?」 「……」 それは僕のお母様のことだろうか。自分の母親のことを僕に聞くのもおかしいしな。だからきっと僕のお母様のことなのだろう。尤も、お母様と言うほどたいそうなものではないが。というか、なぜ今その話を出した!? 「特にそういう話は聞いてないね」 今日も今日とて出勤していることだろう。 僕が小学生のときは学校行事もよく見にきていた。まぁ、きて徒競走の件のようなことをやらかしもしたわけだが。しかし、中学に上がったくらいからだろうか、普通の男なら親が学校に顔を出すのを嫌がるころから、むりに都合をつけるようなことはしなくなった。今回も母と学園祭の話はしたが、おそらく見にくることはないだろう。 「そう、残念ね。……はい、できたわ」 僕のネクタイをきゅっと締め、槙坂先輩は一歩下がる。それから改めてそれを眺め、 「ブレザーを着てないと、どうもネクタイのおさまりが悪いわね。わたしがネクタイピンでも買ってあげましょうか?」 「……いいよ、そんなもの」 確かに明慧の制服には大人がしているようタイピンはない。おかげで今みたいにブレザーを着ずに動いていると邪魔に感じることもあるが、誰もつけていないようなタイピンをしたいと思うほどではない。 「槙坂、そろそろ次いこうぜ」 酔っ払い、もとい、美沙希先輩は学園祭を満喫しているようで、槙坂先輩を急かす。 「そうね。じゃあ、藤間くん、また後でね。キャンプファイヤ、楽しみにしてるわ」 「ああ」 そうして槙坂先輩は美沙希先輩とともに去っていき、僕たちはそれを黙って見送った。 程なくして雨ノ瀬が口を開く。 「うわー、やっぱすごい美人……」 「まぁ、そこについては異論の余地がないな」 思わず嘆息感嘆するのもむりはない。 「しっかも、仲がいいし。……いつもあんな感じ? うっらやまっしー、藤間うっらやましー」 「……」 いや、あれは明らかにおかしい。ただ、それを素でやってるのかわざとなのかは判じがたいところではある。 「あ、そうだ。キャンプファイヤなんてあるんだ」 「後夜祭的にね。尤も、不要なものをとっとと燃やしてしまおうって意図もあるみたいだけど」 「ロマンがないなぁ」 雨ノ瀬が苦笑する。 「いちおうロマンらしきものはあるよ。『キャンプファイヤを一緒に見よう』って誘いが交際の申し込みだとか、」 その場合、誘いを受けることは交際の了承でもあるわけだ。 「カップルが一緒に見たら長続きするとか、ね」 いつからか定着した明慧の慣習と都市伝説だ。生徒にとってはこれも含めて学園祭と言える。去年一昨年と、いったい何人が槙坂涼をキャンプファイヤに誘い、玉砕したのだろうな。 「で、一緒に見にいく約束してんだ。やるじゃん、藤間」 と、雨ノ瀬は何やら僕の行動に感心しているふうだが、僕としてはそこに深い意味はなかった。今後の僕と槙坂先輩がどうありたいなどという願いや希望を乗せるつもりはない。 「さ、僕たちもいこうか」 僕は雨ノ瀬を促し、槙坂先輩たちとは別の方向に歩き出した。 時刻は十二時を回っている。そろそろクラスの手伝いに入らないといけない時間だ。 その女、小悪魔につき――。 2015年7月17日公開 |
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