事情聴取は僕と美沙希先輩、別々の部屋で行われることになった。夏休み前の槙坂先輩とのときと同じだ。そういうマニュアルでもあるのだろうか。
 僕がつれてこられたのは会議室。奇しくも、これも前回と同じだ。
 乱闘の場に駆けつけた先生によってここにつれてこられ、しばらくひとりで待たされているとしばらくして八頭司先生が入ってきた。
「職員室で吸うとうるさいんでね」
 八頭司先生は煙草をくわえながらやってきたが、まだ火は点いていないかったようで、ドアを閉めるなりライタを取り出した。しかし、ここなら堂々と吸えるわけでもないのか、或いは、生徒への影響を考えてか、窓を少し開けてそのそばにもたれて立つ。
「いちおー聞き取りってことになってるけど、お前が悪くないことはわかってる。その場にいた生徒にざくっと聞いた感じじゃ、先に手を出したのは向こうらしいしな。なんで、実際はお説教だ」
 悪くないのにお説教とはこれ如何に、と思っている僕の前で、八頭司先生はまるでため息みたいに紫煙を吐き出した。
「藤間、お前なにやってんの? 厄介ごとに首を突っ込むなって言ってあったよな?」
「仕方ないでしょう。サメが出たんですから」
「だからライフセーバーはサメと戦わねーっつってんだろうが」
 呆れ半分で苦笑する我が担任教師。
「お前ならもっと穏便にやれたんじゃないのか?」
「……」
 それは僕を買いかぶりすぎだと思うが……どうだろうか。確かに言われてみれば、別に乱闘をせずとも収められた気がしないでもない。いや、美沙希先輩もいたし、むりだな。
「それとも中学のときの血が騒いだか?」
「!?」
 思わず僕は八頭司先生の顔をまじまじと見てしまう。
「そんなに驚くことか? これでも教師なんだ。生徒が夜遅くに出歩いてないか見回ったりしてりゃ、中学生のくせに高校生だろうが何だろうおかまいなしに喧嘩を吹っかけてるのがいるなんて話も耳に入ってくるんだよ」
 明慧には基本的に素行の悪い生徒はいないので、夜に徘徊したり喧嘩に巻き込まれたりするような生徒はいないだろう。それでも繁華街の見回りをしなくてはいけないのだから、教師というのはつくづく大変である。しかし、その暴れ回っている中学生が立て続けに入学してきたときには頭を抱えたに違いない。
「お前さ、なんかイラついてない?」
「……」
「……」
「……そんなことありませんよ」
 少しの間の後、僕はどうにかそれだけを絞り出した。たぶんそんなことはないはずだ。自分の精神状態を確認する。
「まぁ、いい。せっかくの学園祭に何時間もここに閉じ込めておくのもかわいそうだ。もう行け。今度また改めて話を聞く。呼ばれたら素直にこいよ」
「わかりました。失礼します」
 しっしっと手を振って面倒くさそうに追い払う八頭司先生。僕は椅子から立ち上がると、一礼して会議室を後にした。
 
 すでに夕方。
 僕は実行委員としての仕事が入っていて、すぐにそちらに取りかかった。また見回りだ。
 特に誰にも連絡はしなかった。きっとこえだは心配しているだろうから、夜にでもメールを送っておこう。槙坂先輩の顔もよぎったが、それでも僕は連絡する気にはならなかった。
 携帯電話には雨ノ瀬からメールが届いていて、もう帰る、また連絡すると書いてあった。せっかくステージに上がってくれたのにいやな思いをさせ、挙げ句に僕自身が乱闘騒ぎ。彼女にはいよいよ悪いことをしたと思う。
 もう一時間もすれば今年の学園祭も閉幕だ。片づけに時間がかかる模擬店や催しものをしていたところはぼちぼちその準備に入っていて、喧騒の種類も日中とは違ったもののように感じた。皆、祭りの終わりの気配を感じ、それを振り払うように気持ちを盛り上げているのかもしれない。
 その中を僕は歩く。
「いったい何やってるんですかね、真先輩は」
 そして、横にはなぜか加々宮さんもいた。
 警察のパトロールみたいに二人一組で回らないといけないという決まりはないはずなのだが、さっきからずっとついて回っているのだった。
「何の話?」
「とぼけてもむだですよ。野外ステージで嫌がらせをしてきた部外者をひとりでぶっ飛ばしたって、LINEやツイッタで話題になってます」
「……」
 情報伝達が早いのも考えものだな。しかも、そのどちらも僕には馴染みのないツールときている。まさしく噂のひとり歩きだな。
 それにしても、なぜ僕ひとりで撃退したことになっているのだろう。伝言ゲームの末に情報が正確性を欠いたのか、面白おかしく脚色されたのか。
「まったく。連日話題に事欠かない人なんですから」
 呆れたように、加々宮さん。
「待て。昨日は何もしてないはずだ」
「知らないなら知らないでいいです。そのほうがいいです」
 と、ついには突き放されてしまった。
 はて、昨日は何かやらかしただろうか。特に自覚はないのだが。だとしたら槙坂先輩のほうか。何せただ歩いているだけで話題になる人だ。一緒にいればこっちまで渦中の人である。
「先輩ってそうやってずっと周りを騒がせて生きてきたんですか?」
 加々宮さんからどことなく失礼な質問が飛んできた。
「まさか。これでも僕は平和と退屈と本を愛する一介の高校生だよ」
「本当ですかぁ?」
 そこには明らかに疑いの響きがこもっていた。
「本当。上級生に知り合いがいるなら聞いてみるといい。少なくとも去年の僕は目立たない一生徒だったから」
 正確には、目立つような下手は打っていない、だが。
「それが何で今年はこんなことになってるんですか……」
「そりゃあ何かに憑りつかれたからだろね」
 思わず苦笑する。
 ちょうど渡り廊下に差しかかっていた僕はそこで立ち止まり、窓から中庭を見下ろした。学園祭の閉幕が見えてきた中でも、まだ賑やかに生徒や一般参加者が行き交っている。本当なら僕もクラスと実行委員を行ったりきたりしつつ、ごく普通の生徒としてごく普通に学園祭を楽しんでいたはずなのだがな。槙坂先輩と関わってしまったばかりに、同じことをやってもどうにも目立って仕方がない。
「……」
 不意に僕の顔から笑みが消える。彼女のことを思い出してしまったのだ。どうしているのだろうか。僕が言い訳の言葉を持ち合わせていなかったこともあり、ろくに話をしないまま別れてしまった。後でキャンプファイアで会ったときにでももう少しちゃんと話をするべきだろうな。
「し、真先輩っ」
 と、加々宮さんの妙に力のこもった声が耳に飛び込んできた。
「わたし、真先輩のことが好きです」
「そう? それは嬉しいね」
 僕は少し面食らいつつ、そう返事をした。
「ち、違いますっ」
 しかし、どこか焦燥感漂う彼女の否定。
「わ、わたしは本気です。真剣に真先輩のことが好きなんです」
「……」
 僕はそこでようやく加々宮さんと向き合った。
 渡り廊下には僕たち以外にも生徒が行き交っているが、皆、自分のことやクラスのことで手いっぱいなのだろう。誰も僕らのことは見向きもしない。
 僕は改めて加々宮きらりという女の子を見た。彼女は自分のほうがかわいいという槙坂涼への対抗心から、僕をリトマス試験紙にするべく近寄ってきたはずだ――というのは、人の心が変わらないという前提に立っての話だろう。実際には人の心は変わるし、何が出会いのきっかけになるかわからないのは身をもって知っている。
 彼女が本気なのは耳まで赤くなった顔と、逃げ出したいのを堪えてその場に踏みとどまっているようなその姿を見ればよくわかった。もっと言えば、ひと言めからそんな気がしていたのだ。
「嬉しいよ。僕も加々宮さんのことはけっこう好きだからね」
「それだけ、ですか……?」
 おそるおそる問いを重ねてくる。
「うん。君には悪いが、それだけだ」
「……」
「……」
 しばらく黙って互いの顔を見合う。
「やっぱり、槙坂さんですか……?」
「……」
 そして、先に彼女が言葉を発しても、僕はまだ何も言えないままだった。
 渡り廊下の窓にもたれる。
 彼女か、槙坂涼か。その二択である必要はないはずだ。だけど、加々宮さんはそんな曖昧な答えは望んでいないだろう。もしそのふたつ以外を選ぶなら、それに勝る誠実で真剣な答えでなくてはならない。
「そうだね。僕は槙坂先輩が好きだ」
 だから、彼女の望み通りに、そして、彼女の期待には応えられない返事を僕は口にする。
「人前じゃなんだかんだと潔くないことを言ってるけど、それが嘘偽りない僕の気持ちだろうね」
 普段のやり取りを思い出して、自然と笑みがこぼれる。結局のところ、僕は彼女とああやっているのが楽しいのだろうな。駆け引きみたいな会話。うっかり相手のペースに飲み込まれたら、気がついたときには手持ちのカードをすべてオープンにしてしまっていそうな、そんなスリルのある言葉の応酬だ。
「そう、ですか……」
 加々宮さんは一度、項垂れるようにして顔を伏せると、
「ちょとだけ……もしかしたらって思ったんですけど、やっぱりダメでしたね」
 次に顔を上げたときには、もうそこには微笑みが浮かんでいた。……もちろん、むりをしているのは明らかで、その姿にとても申し訳なく思う。
「じゃあ、わたし、自分の仕事に戻りますね」
「ああ」
 そうして加々宮さんはぱたぱたと走り去っていった。
「……」
 僕は彼女を見送り――そして、見えなくなると、自分の後ろ頭を軽く窓ガラスに打ちつけた。
 ため息をひとつ。
 このタイミングでの加々宮さんの告白に、僕は誠実に返事をすればするほど自分を最低な気分にさせた。
 
 午後六時にはすっかり日は暮れ、
 校庭の真ん中では沈んでしまった太陽の代わりに、キャンプファイヤがあたりを煌々と照らし出していた。
 火の付近には何人かの実行委員がいて、持ち込まれる不用品を見て燃やしていいものかどうかを判断している。このチェックに通れば火に放り込まれるのだ。今のところこえだが担いで運ばれてきた様子はない。
 さらにその周りにはキャンプファイアを眺める生徒たち。高校にもなってフォークダンスもないので、ただ見たり騒いだりしているだけだ。異性とふたりきりで見ているものもいれば、同性同士でわいわいやっているのもいる。
 火は案外ずっと見ていても飽きないものだし、心が落ち着くものである。雪山で遭難したとき、安全が確保されて後は救助を待つだけといった状況なら、ロウソクに火を灯して見ているといいなんて話も聞く。また、ノルウェーの公共放送では十二時間ひたすら燃える薪の映像を放送したところ、二十パーセントの視聴率を記録したそうだ。火を起こすことによって文明を築いた人間が火に惹かれるのは当然のことなのかもしれない。
 僕も火を眺めている生徒のひとりで、立っている場所は校舎にほど近いところ。おそらく火を見ている生徒の中では僕が最も遠い位置にいるに違いない。
 そして今、僕の隣には誰もいなかった。
 ここで槙坂先輩と待ち合わせになっているのだが、彼女はまだきていない。尤も、『まだ』ならいいほうで、きっともうこないのではないかと思っていた。
「すっぽかされたか。むりもない」
 思わず苦笑がもれる。まぁ、間が悪かったと言うよりほかはないだろう。
 明慧祭のキャンプファイヤにはいろいろと伝統や迷信みたいなものがある。「一緒にキャンプファイヤを見よう」が交際の申し込みだったり、カップルで一緒に見ると長続きすると言われていたりだとか。
 僕としてはそのどちらも気にしていない。誰と見ようがそこに何か意味をもたせるつもりはないし、一緒に見た相手とどうこうなりたいという期待も込めていない。同じ理由で、逆もまた然り。誰かと一緒に見れなかったとしても仕方がないと思うだけ。何ひとつ気負う必要がないので気楽なものである。
「あ、真先輩……」
 と、そこで校舎から出てきた加々宮さんとばったり会ってしまった。どうやら僕と違ってまだ仕事があったらしく、実行委員として東奔西走しているようだ。
「どうしたんですか、こんなところで」
 戸惑いを見せたのは一瞬、しかし、すぐに先ほどのことなどなかったかのように、何気ない調子で世間話を振ってきた。強い子だ。
「キャンプファイヤを見てた」
「ひとりでですか?」
「まぁね」
 我知らず自嘲とも苦笑ともつかないような笑みが零れ落ちる。こうなったのは当然の帰結、むりからぬことと思ってはいても、約束をすっぽかされたと人にまで言うのは抵抗がある。
 そんな僕の返事と様子に何かを感じ取ったのか、加々宮さんは怪訝そうな顔をした後、
「じゃあ、わたしもちょっと休憩です。せっかくだからもっと近くに寄って見ませんか?」
「……」
 思わず僕は黙り込み――そして、彼女は「あ」と短く発音。
「えっと、そういう意味じゃなくてですね……」
「いや、今日はもう帰ることにするよ」
 僕は慌てる彼女の言葉に自分の言葉をかぶせた。
 きっとひとりぼんやり火を眺めている僕につき合ってくれようとしたのだろう。だけど、加々宮さんには悪いが、今はそんな気分ではなかった。
「そうですか」と残念そうにつぶやく彼女に背を向ける。
 これで学園祭も終わりだ。二日間あったが、終わってみればあっという間。実行委員なんてものをやっていれば尚更だ。それでもいつもならバタバタしたが楽しかった、やり遂げたと思えるのだが……。
「……」
 今年の感想は保留だな。もう少し後で振り返ってみることにしよう。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2015年10月30日公開

 


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