10月31日。 放課後の講堂に一歩足を踏み入れば、そこにはおもちゃ箱をひっくり返したような光景が広がっていた。 魔女にジャック・ランタンに、そのほか様々な仮装。 今日ここで行われているのはハロウィンパーティ。みんな思い思いの格好をしている。 一瞬、制服のままできたわたしは場違いだったかもと思ったけど、仮装が目立つだけで制服で参加している子も多かった。ただし、よく見れば制服に似ているだけのアイドル衣装だったりもするけれど。 中に這入って数歩進めば、さっそく何人かの生徒が声をかけてきた。 「槙坂先輩、これどうですか?」 まずは制服アイドルの下級生。 「ええ、かわいいわよ」 「ほんとですか!? 嬉しいです!」 わたしは素直に感想を返す。彼女は感激しながら飛び跳ねるように戻っていった。 「槙坂さん、見てくれよこれ。力作だろ?」 「いいんじゃないかしら」 今度はカボチャをかぶったジャック・ランタン。……誰? 声をかけてくる生徒に、二言三言、言葉を返しつつ、わたしは歩を進める。 「涼さーん」 その声はサエちゃんだった。 じゃれつく仔犬のように駆け寄ってきた彼女は、三角帽子にマント、黒と黄色のボーダーのハイソックスと、ハロウィンカラーの魔女の姿をしていた。 「サエちゃんも仮装してるのね。よく似合ってるわ」 「えへへ−」 照れながら喜ぶ姿もかわいらしい。 「涼さんはやらないの?」 「わたしはダメね。そういうのは似合わないから」 「そうかなぁ?」 首をひねるサエちゃん。 因みに、何日か前に藤間くんに相談したら、悪の組織の女幹部みたいになりそうだからやめてくれと言われた。すこぶる失礼だ。そりゃあサエちゃんみたいにかわいくはなりそうにないけど。 「藤間くんは?」 「真なら今日もせっせとのらしごと」 ほら、と視線で示すその先には、運営の腕章をつけて会場スタッフとして動き回る藤間くんの姿があった。 彼は中学生のころからこういう学校行事の運営委員や実行委員をするのが好きなのだそうだ。今回もこのハロウィンパーティの運営委員に名乗りを上げ、今日のために着々と準備を進めてきたのをわたしは横でずっと見ていた。 わたしも一緒にやりたかったけど、学校の方針として大学受験をひかえた三年生はこの手の行事に運営側として参加することは許可されていない。もし藤間くんのこの性質を去年のうちから知っていれば、彼をより近くで観察できただろう。もしかしたらもっと早くに今の関係が築けていたかもしれない。 わたしが見ているのにも気づかず、藤間くんは空のペットボトルや放置された紙コップを回収したり、開放感に任せて行き過ぎた写真撮影をしようとしている生徒を注意したりしている。とても雑用的ではあるが、てきぱきと仕事をこなし、楽しそうに見えた。 やがて今度は車椅子の女子生徒、伏見唯子に気づくと、彼女に声をかけにいった。膝を曲げ、覗き込むようにして目線を同じにして話す。自然な動きだった。これが膝をついて話したりしようものなら、ホストみたいで逆に鼻についていただろう。 (相変わらず、わたし以外には優しいんだから) 思わず口を尖らせる。 藤間くんはわたしの前では天邪鬼でひねくれているが、世間的には評判がいい。読書好きでサイレントな少年だけど、無口、無愛想、根暗といったネガティブなイメージは意外と少なく、人当たりがよくて気配りもできる子という評価が一般的だ。 藤間くんは唯子といくつか言葉を交わすと、彼女から離れ――そして、ようやくわたしに気づいた。胸の前で手を振って合図を送ると、彼は渋々ながらこちらに歩み寄ってきた。こちらからも近づいていく。 「お疲れさま、藤間くん」 「今、仕事中なんだ」 いつも通りの素っ気ない態度。 「いいじゃない、少しくらい話をしても」 「後でいくらでもできる」 「ええ、そうね」 わたしは思わず小さく笑った。 今日この後、藤間くんの部屋で過ごすことになっている。当然、朝までいることだろう。彼はなかなかガードが固い。たびたびそうしたいと言っているのだけど、なかなか首を縦に振ってくれない。今回だって今日はハロウィンパーティだからとか何とかむりやりなことを言って、強引に話をつけたくらいだ。……明日も学校という反論は却下した。 確かに後でいくらでも話はできるけど、いま無視しなくてはいけない理由にもならない。 「イベントは順調?」 「今のところはね」 わたしと藤間くんは改めて会場全体を見回す。皆それぞれに楽しんでいるようだ。あちこちで笑い声が聞こえる。いろんな行事を取り仕切ってきた藤間くんが準備をしたのだ。きっとこのまま何ごともなく成功裏に終わるに違いない。 「けっこうみんな仮装してるのね。わたしもしたほうがよかったかしら?」 「頼むからやめてくれ」 「わかってるわよ、もう」 そんなに嫌なのだろうか。 「でも、藤間くんの気に入った格好ならいいでしょう? 今夜一緒にいる間、あなたの好みに合わせてあげるわ。今まで見た中で、よく似合ってた服とか印象に残ってる服とかはないの?」 藤間くんとプライベートでも会うようになってから、ずいぶんと服には気を遣った。何着か新しいものも買ったし、着回すにしても一見してわからないように組み合わせを変えたりもした。そうやっていつでも新しい自分を演出しようと試みてきた。その努力も虚しいかな、いいね似合ってるねと褒めてくれたことはあまりない。でも、印象に残っているものくらいはあるはずだ。 「印象に、か」 藤間くんはしばし考え、 「い、いや、ないな」 「……」 一瞬言葉を詰まらせた。これは何かあるに違いない。 「あのね藤間くん、隠しごとはよくないわ。あるのなら素直に言いましょうね」 「隠しごとも何も、そんなものはないよ」 「ふうん」 そう。それならこっちにも考えがあるわ。 「そうだ。忘れてたわ。これを言わないとハロウィンじゃないわね。……Trick or Treat! お菓子をくれないとイタズラしちゃうわよ?」 「……言うと思ったよ。ほら」 そう言って藤間くんが出してきたのは、ひとつひとつ小分けされて袋に入っているタイプのクッキーだった。 「あら、ちゃんと用意してたのね。いい子ね。いい子は隠しごとなんてしないものよ? さぁ、思ったことを素直に言ってみて」 「罠かよ、まったく。しかも、微妙になまはげが混ざってないか?」 悪態をつく藤間くん。 でも、やがて観念したように切り出した。最後まで誤魔化しきればいいものを、この程度で抵抗をやめてしまうのがかわいい。基本的には素直でいい子なのだろう。 「夏の――」 夏の? 今の時期、夏ものは季節外れだけど、空調を効かせた室内ならそれほどむりはないだろう。夕食をつくって、一緒に食べて、その間くらい彼の気に入った服を着てあげるのもいい。 「……水着」 「は?」 思わず凍りついた。 「……」 「……」 沈黙。 やがて停止していた思考が回復すると、わたしはおもむろに藤間くんのほうに手を伸ばし、その脇腹をつねってやった。 「いつから藤間くんはそんないやらしい子になったのかしら?」 「痛ててて……。印象に残っているのを言えって言ったのはそっちだろ。どこまで罠だよ」 「だからってそれはないでしょ!?」 確かに藤間くんが褒めてくれた数少ない衣装ではあるし、あんなことがあったから印象には残っているのだろうけど。 「もう……」 さすが男の子と思うけど、果たして呆れるべきなのか感心するべきなのか。 それにしても水着って。いくらハロウィンの夜だから藤間くんの部屋だからと理由をつけても、まさか料理をしているときに水着を着るわけには……。 ……。 ……。 ……。 水着エプロン? 「……」 想像したら、ものすごくいやらしいビジュアルになってしまったわ。料理そっちのけになってしまいそうな感じの。 じゃあ、お風呂? 確かに前に一度、お互い水着で一緒にお風呂に入っているけど、あれはまったくのノーカウントだろうし、それに一緒にお風呂なんて夫婦とか同棲している恋人同士がするもので、今わざわざそうまでして踏まないといけないようなステップではないような気がする。 後は、ベッド? これじゃいよいよ"プレイ"っぽい。 「……」 ダメだ。どの段階でも水着はおかしい。 そう結論したわたしは、体ごと藤間くんに向き直ると、訴えた。 「む、むりだからっ」 「わかってるよっ」 そして、怒られた。 確かにそうだ。別にぜひ着てくれと言われたわけでもないのに。 思わず肩を落とすわたし。隣では藤間くんが呆れたようなため息を吐き――そして、話に区切りをつけるように切り出した。 「さて、僕はもう仕事に戻るよ」 「え、ええ。じゃあ、また後でね」 彼の言葉に応じ、そこではっと気づく。 「後でって言っても、後で着てあげるとかそういう意味じゃないからっ」 「だからわかってるって言ってるだろ!」 いいかげんにそこから離れろ、と藤間くんは歩調も荒く去っていった。 ……。 ……。 ……。 今日のわたしはちょっと変だ。 その女、小悪魔につき――。 2013年11月1日公開 |
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