11月11日。 「ようやく季節通りの気温になった感じね」 そう言ったのは槙坂先輩だ。 場所は『天使の演習』。そろってホットのブレンドを頼んだ直後の台詞だった。ついこの間までは僕か彼女、どちらかがアイスコーヒーを頼んでいた。さらに遡れば、ふたりともアイスだ。 やがて美味しい上にリーズナブルで速いのが自慢のブレンドコーヒーが、店長夫人キリカさんの手によって運ばれてきた。「お待たせしました」とカップがそれぞれの前に差し出され、最後にスティックタイプのチョコ菓子が数本入ったグラスが真ん中に置かれた。 「なんですか、これ?」 「あら、知りません? ポッキーっていうんですよ。ひとつ利口になりましたね?」 と、にこやかにキリカさん。 そう、ポッキーの商品名で有名な、万人に愛されているお菓子だ。 「いや、そういう意味じゃなくて、どうしてこれが? わたしたち、頼んでませんけど」 槙坂先輩が僕の言いたいことを引き継ぐ。 頼んでいない以前に、こんなものがメニューにあることすら知らなかったし、おそらくなかったと記憶している。 「今日はポッキーの日らしいので、サービスです」 「ああ」 そう言えば数日前からテレビのCMでやっていたな。見た覚えがある。 「これで500円くらい取るとか?」 「どこのぼったくりですか。サービスって言ってるじゃないですか」 かわいらしく怒ってみせるキリカさん。 「これで好評ならバレンタインにはチョコを出そうと思うんです。小さいのをふたつみっつ。まぁ、男性限定になっちゃいますけど」 その情報が事前にもれたら、当日は男どもが殺到しそうだな。夏休み、キリカさんが毎日いるってだけで客が3割増しになったというのに。 「では、ここでカップル限定サービス。ポッキーゲームをやってくれたおふたりには本日無料とさせていただきます。……では、どうぞ」 「やりませんよ」 どうしてやる前提で話が進んでいるのだろう。 「え、でも、槙坂さんはやる気みたいですよ」 「さぁ、藤間くん。無料よ」 「やらないと言っている」 コーヒー代が無料になるとしてもだ。尤も、この人はそんなのと関係なく、ただやりたいだけだろうが。 「残念ね」 ポッキーをくわえてスタンバっていた槙坂先輩は不満げにつぶやいた。 「あんまり変なことおしえないでください」 ただでさえ妙なことを口走って勝手に自爆する癖があるというのに。 「え?」 「え?」 唐突にキリカさんが疑問符付きの発音をするものだから、僕も驚いて彼女を見る。と、キリカさんは明らかに目を泳がせていた。……出所はここかよ。 「じゃ、じゃー、ゆっくりしていってくださいね」 そして、コーヒーを運んできたトレイを胸に抱え、ぱたぱたと去っていった。逃げたな……。 僕はコーヒーにフレッシュを垂らしながら、向かいに座る槙坂先輩の様子を窺う。 彼女がここ以外でキリカさんと交流を持っていたことには驚くに値しない。まぁ、そういうこともあるだろう。しかし、いったい普段どんな話をしているのだろうか? 気になるところであり、しかし、気になりはしてもさすがに聞けはしなかった。 「残念だけど、男の子には話せないガールズトークよ」 そして、こういうとき槙坂先輩の察しのよさに助かる。聞きたいことを先回りしてくれるのだから。尤も、今はおしえてもらえなかったが。 「そういう点では美沙希はダメね。あの子、煽ったり期待したりするわりには、この手の話題に耐性がないもの」 「あの人がねぇ……」 普段からわりと平気の平左で下世話な話をしているくせに。 「気になる?」 槙坂先輩はこちらの心を見透かすような視線を投げかけてくる。 「まぁ、少しは」 「素直ね。じゃあ、帰りにこれを買って帰りましょうか」 言いながら、グラスに入っているポッキーを指で弾いた。 「これを食べながら話してあげるわ。正確には食べさせてあげながら、だけど」 そして、槙坂涼は意味ありげに微笑むのだった。 その女、小悪魔につき――。 2015年11月11日公開 |
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