翌日、僕と槙坂先輩はこの付近で最も大きなターミナル駅近くにある大型書店の本店に足を運んだ。
 ふたりで店内をぶらぶら歩く。
「当時のコーヒーハウスは、具体的にはどんな本を置いてたの?」
「主に新聞や定期刊行物、それに新刊本なら何でも。……ま、あまり参考にはならないな」
 昨日帰ってから該当する資料を読み返してみたが、時代と価値の違いを再認識しただけだった。いまどき新聞を置いたくらいで客が増えるとも思えない。
 当時新聞は法外に高く、かなりの金持ちでなければ定期購読はできなかったようだ。それがコーヒーハウスに行けばコーヒー一杯の値段で読むことができるのだ。朝早くにスリッパとガウン姿で足を運んだり、ひとりが新聞を読み上げて周りが熱心に耳を傾けたりする姿がよく見られたらしい。
「たぶんイメージとしては美容院のようなサロンじゃないかと思うんだ」
「ああ、なるほど」
 ようやく具体的なビジョンを得たらしい槙坂先輩がうなずく。
「それなら大丈夫ね。わたしもそれなりのヘアサロンに行くもの」
「それなりの?」
「ええ、有名な読者モデルも通う高級ヘアサロンよ」
 さすが槙坂涼としか言いようがないな。
 それにしても。
「読者モデルねぇ……」
 これまた聞いたことはあってもイマイチ理解の及ばない職業が出てきたな。
「たまにその人と会うんだけど、そのたびに読者モデルをやらないかって誘われるわ」
「……そういうのに興味が?」
「そうね。ないわけではないけど……」
 と、槙坂先輩は曖昧な返事を口にする。
「あなたが自分の彼女に何かステータスをつけたいのだったらやってもいいわね」
「……」
 ちょうど雑誌コーナーを歩いていたこともあり、ファッション誌の雑誌架へと足を向けた。テキトーに一冊手に取り、ぱらぱらとめくってみる。
 僕にはどれが読者モデルという人種でどれが専属のモデルかは区別がつかない。でも、槙坂先輩がモデルをすれば、こういう雑誌の表紙やピンナップを飾ったりするのだろうか。何となく彼女にはそういう派手派手しいことは似つかわしくないように思うが、きっとやればできるのだろうな。そして、やることによって、明慧では知らない生徒はないという槙坂涼は、その知名度をさらに上げることになるだろう。
「まぁ、」
 僕は努めて平坦に発音する。
「やりたいのなら好きに――」
「冗談よ」
 が、しかし、言葉はすぐに遮られた。思わず僕は彼女を見る。
「……どこからだ?」
「『それなりの』からね。本当にそれなりのところ。高校生が行ける程度の普通の美容院よ」
 その普通の美容院とやらでこんな普通じゃない高校生が出来上がっているわけだが。まぁ、もとがいいからな。
「……無意味な嘘を吐いてくれるな」
 僕は少しだけ乱暴に、持っていた雑誌を置いた。
 実際のところ、彼女ならどこぞの通りを歩けば、本当にスカウトされそうだが。
「じゃあ、これは本当のこと。藤間くんの専属モデルならやってあげてもいいわ。どんなのがお好み? 水着? ランジェリー? それとも――」
「僕に写真の趣味はないよ。……さて、そろそろ本を選ぼうか」
 己の動揺に言葉をかぶせて覆い隠し、話を本題に戻した。しかし、あまり上手く隠せていなかったらしく、槙坂先輩はくすくすと笑っている。
「そっちは大人向けのファッション誌を選んでほしい。僕は経済誌と文芸誌、それと最近話題になったベストセラー小説を見繕ってくるつもりだ」
 男性、女性ともに時間の余っている中高年――狙うべき客層はだいたいそのあたりだろうと思う。品ぞろえでは図書館に劣るが、その差はコーヒーの味で埋めてもらうことにしよう。
 そうして僕たちは三十分ほどをかけて雑誌や書籍を選び、まとめてレジで購入した。当然ながら、それを抱えて持って帰るのもバカらしいので、『天使の演習』に着払いで送ってもらうことにしたのだった。
 
 店長に言われた仕事を終えたその帰りのこと。
「すみませーん」
 書店を出て駅へと向かう僕らに、誰かが声をかけてきた。
 女の人だ。それも大人の。
 彼女はラフなパンツルックに、肩からはごついカメラ一式でも入っていそうな大きく膨らんだ鞄を提げていた。
「はい?」
 応対したのは、警戒してまず相手を観察してしまった僕ではなく、槙坂先輩だった。
 女性は営業スマイル寄りの笑みを浮かべると、名刺を取り出した。
「私、こういうものでして」
 槙坂先輩が受け取ったそれを、僕は横から覗き込む。と、そこには有名なティーンズ誌の名前が印字されていた。今日の選書ではターゲットとする年齢層が違うので取り上げなかったが、雑誌架には並んでいた。発売日直後に学校で待ちもの検査をしたら、少なくない数の女子生徒の鞄からこの雑誌が見つかることだろう。
「何かご用でしょうか?」
「はい。できれば写真を撮らせていただきたいんです」
「写真、ですか?」
 槙赤先輩は怪訝な面持ちで問い返す。
 僕は、詳しい内容まではわからないまでも、ある程度の方向性は読めていた。こういうのは本人よりも周りのほうが鋭く察するのだろう。
「ええ。何枚か撮らせていただいて、いいものがあればぜひ紙面で使わせてもらいたいんです」
 予想通りだった。店内であんな話をした矢先にこれとは。狙いすましたようなタイミングだな。
 槙坂先輩は意見を求めるように僕を見た。
「……好きにすればいいさ」
 少しだけ険のある言い方になった気もするが、今回はすんなりと言えた。
 すぐに断りの言葉が出なかった以上、少なからず興味はあるのだろう。ならば僕から言うことはない。好きにすればいい。ついでだ、それこそこれを機に読者モデルデビューでもしてしまうのもありだろう。これで我らが槙坂涼も一躍全国区だ。
「いえ、そうじゃなくて」
 しかし、口をはさんできたのは雑誌社の女性だった。
 
「撮らせてほしいのは、ふたり一緒の写真なんです」
 
「……」
「おふたりは恋人同士なんですよね?」
「え、ええ……」
 うなずくのは槙坂先輩。僕はいつもの調子で否定したかったのだが、一気に先が読めなくなった話の続きが気になり、黙っていた。
「ですよね!」
 女性は破顔する。
「中にですね、街で見かけたカップルの写真を掲載するコーナーがあるんです」
 今度は僕が槙坂先輩を見た。……あるのか? 目で問うと、彼女はうなずいた。あるらしい。槙坂先輩もこの手の雑誌を読むんだな。
「そこでぜひおふたりの写真を使わせてもらいたいんです。絶対とは確約できませんが、おふたりならきっと大丈夫です!」
「けっこうです」
 僕は即答していた。
「いいじゃない。面白そう」
「僕はいやだ」
 何が悲しくて自ら晒しものになりにいくような真似をしなくてはならないのか。槙坂先輩ならさぞかし絵になることだろう。……僕はそんなもの見たくはないが。
「だいたい、午後には店に出ないといけないだろ」
「キリカさんなら事情を話せば納得してくれるわ」
「……いや、まぁ、そうだろうな」
 反対する材料として勝手に持ち出しておいてあれだが、あの人なら諸手を上げて喜んでくれるだろう。この手のイベントが好きそうだし。
「早く戻ろう」
 結局、僕は自分の感情以外に説得力ある反対材料を出せないまま踵を返した。
 槙坂先輩のため息が聞こえた。
「ダメみたいですね」
「そうですか、残念です……」
 言葉通り残念そうに発音する女性。
 当然だろう。僕は兎も角として、槙坂先輩ほどの被写体はそうはいまい。みすみす見逃したくはないはずだ。しかし、素人にお願いする手前、断られてしまえば無理強いはできないだろう。
 が、しかし、直後にまた話の流れが変わった。
「でも、わたしひとりならいいですよ。読者モデルっていうんですか? 実はああいうのに興味があるんです」
「え、ほんとに!?」
「ちょっと待て!」
 僕は、一度は背を向けたものの、再度向き直る。と、そこには僕の次の言葉を期待するかのような槙坂先輩の微笑があった。
「……わかった。ふたりでいこう」
 しばしの葛藤の末、僕はそこを妥協点としたのだった。
 
 
 その後、雑誌社の女性の車で近くの緑地公園へと移動し、そこで三十分ほどの時間をかけてスナップ写真を撮った。
 女性の鞄からは最初の印象通り本格的なフィルムカメラが出てきた。当然、撮影にはそれを使ったのだが、そうかと思えば片手で持てるくらいのデジタルカメラを使うこともあった。槙坂先輩はデジカメで撮った写真の中で気に入ったもののデータをもらっていたようだったが、僕は見返す気もしなかった。
 何か決まったことや相談があれば連絡するということで、その窓口を槙坂先輩に決めて僕たちは別れた。
「遅くなってすみません。いま戻りました」
『天使の演習』に着いたのは午後二時前だった。
「おかえりなさい。ずいぶんと時間がかかりましたね。もしかして本当にデートしてました?」
 迎えてくれたキリカさんの第一声は、しかし、遅くなった僕たちを怒ったり嗜めたりするようなものではなく、いつも通り少し茶化したような口調だった。
「というわけでもないんですけど、ちょっと面白い経験してきました」
「なんですか? ぜひ聞かせてください」
 むしろさっそく喰いついている。
 もちろん、僕はこの話題に積極的に加わる気はなかった。ふたりの横を素通りする。
「すぐに仕事に入ります」
「お疲れさま。少し休んでからでかまいませんよ」
 店長にそう言われ、改めて店内を見回してみれば、今はいつもに比べると落ち着いた様子だった。槙坂先輩狙いのリピータが、彼女の姿がないのを見て早々に帰ってしまったのだろうか。
 慣れないことをやった疲れもないわけでもないので、店長の言葉に甘えてあまり急がないことにした。奥の事務室兼控室に行き、急ぎはしないがひと休みもせず、身だしなみだけを確認して店に出る。
「あ、このベンチに座ってる写真、いいですね。藤間くんが横を向いちゃってますけど、完全には背を向けてない感じがいいです」
「ええ、わたしも気に入ってます」
 女性陣は頭を突き合わせて槙坂先輩の携帯電話を覗き込み、実に楽しげに盛り上がっていた。……仕事しようぜ。
「お疲れさま」
 そして、何があったか知ったであろう店長は、再度ねぎらいの言葉を僕にくれたのだった。
 
 
 翌日、『天使の演習』に行くと、見慣れないものが店内にあった。
 正確には、それ自体は決して見慣れないものではなく、見慣れた景色の中に昨日までなかったものがあった、というべきだろう。
 それは書架だった。
 たぶんインテリアショップで購入したのだろう、格子状のなかなか洒落た書架だ。それが店の奥の壁に設置されていたのだ。
「店長、何ですか、あれ?」
「昨日の午前中に手配して、閉店後に搬入してもらいました」
 なるほど。本や雑誌を並べるための書架か。見れば書籍を展示するための木製のイーゼルもある。よくこれに思い至ったな。店長はのんびりしているようでやることは速いし、意外に着眼点が鋭い。
「今日中には君たちが選んでくれた本が届くんですよね? よかったら今日は閉店後まで残って、一緒に本を並べてくれませんか?」
「わかりました」
 ちょうど今、僕ならどう並べるかを考えていたところだった。ディスプレィを一緒にやらせてもらえるなら僕としても願ってもないことだ。
 
 ――そうして閉店後。
 当然のようにそこには槙坂先輩もいて、現従業員四人全員でまずは日中に届いた本を箱から出し、近くのテーブル席に並べていった。
 文芸誌に経済誌、大人の女性向けのファッション誌、それにベストセラー小説がいくつか、である。
「なかなかうちの客層にあったチョイスですね」
「ありがとうございます」
 ほかにも週刊誌という選択肢もあったのだが、今回は避けさせてもらった。電車の吊り広告を見ていると、眉をひそめたくなるような文言が踊っていて、あまりにも低俗に思えたのだ。需要があるかは店長かキリカさんに判断してもらおう。
「うち、高校生はあまりこないもんねー」
 と、キリカさん。閉店後だからだろうか、今の彼女はどこか幼い感じの口調だった。
 ここ数日働いてみてわかったが、確かにこの店にはあまり僕たちと同じ年代の客はこない。もちろん、今が夏休みということもあるが、この付近に高校や大学の類がなくて学生御用達の店になりにくいのだ。だからこそ槙坂先輩は静かな時間を過ごせるここを気に入り、だからこそ僕たちは客を増やす策を練っているわけである。
 さっそく書架に本を並べていく。
 書架はそれほど大きなものではないが、そこに収める本も少ないのでどうしてもスペースが余り気味になってしまう。尤も、いっぱい詰めると図書館みたいになるので、これくらいがちょうどいいのだろう。
 中綴じの雑誌は寝かせて置き、背表紙があるような文芸誌は立てて置いた。書籍も立てるが、目を惹く表紙のものはイーゼルを使って展示する。……こんなものだろうか。もう少し大きいイーゼルなりスタンドがあれば、面積のある雑誌も表紙をこちらに向けておきたいところだ。
「あ、そうだ。今度槙坂さんたちの写真が載る雑誌も、出たらここに置かないと」
 これぞ名案とばかりにキリカさんが言い出す。僕らが昨日のような経験をしたことを誰よりも喜んでいるのは、冗談でも何でもなくこの人なのかもしれない。
「まだ載るとは決まってませんから」
「それにそれこそ高校生向けの雑誌ですよ」
 僕たちは言外にやめてくれと口々に頼むが、果たして聞いてくれるだろうか。さすがにそんなものを置かれては恥ずかしいのである。
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2016年4月14日公開

 


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