カレンダで改めて日付を確認する。 2月14日。 間違いない。 今日はバレンタインディ。 女の子が男の子にチョコを贈る日。 わたしは制鞄の中に藤間くんのために買ったチョコが入っているのを確認すると「よし」と頷き、部屋を出た。 我ながら出陣のようだと思った。 休み時間、友達と一緒に教室を移動している最中、遠目に前を歩く藤間くんの後ろ姿を見つけた。わたしの目は、多少の距離などものともせず彼を見つけてしまうらしい。 藤間くんは寒いからか、ブレザーの下にパーカーを着込んでいた。白いフードがブレザーの背中にかかっている。 ちょうどよかった。昼休みか放課後に会う約束を取りつけよう――そう思って友達と話しつつタイミングを伺っていると、行き交う生徒の間を抜け、わたしより先に彼に駆け寄っていく小動物の如き姿があった。 サエちゃん――三枝小枝(さえぐさ・さえだ)さんだった。 彼女は、まずはいきなり藤間くんに体当たりから入った。それに対し藤間くんは怒った様子もなく、ひと言ふた言文句を言っただけ。やがてサエちゃんは彼に赤い包装紙でラッピングされたもの――おそらくバレンタイン・チョコを手渡した。 (先を越されたわね……) わたしは思わず苦笑する。 そのままふたりは楽しそうに話しながら歩いている。そして、また藤間くんがよけなことを言ってからかったのだろう。最後にはサエちゃんが彼の足を蹴飛ばし、それぞれ別の方向へと別れていった。 よく目にする場面だ。 藤間くんは、サエちゃんのああいった反応を楽しんでいるらしい。 わたしも彼女に倣ってみたほうがいいのかもしれない。「藤間くーん」どーん、といった感じだろうか。 「……」 想像してみたけど、その直後にふたりの間に深刻な溝ができる可能性が高そうだった。 「槙坂さん、どうかした?」 「ううん。なんでも」 一緒に歩いていた友達に不審がられ、わたしは慌てて誤魔化した。最近、この手の想像で墓穴を掘ることが多い気がする。 そして、遅ればせながら、藤間くんをみすみす見逃してしまったことに気がついた。 そのまま昼休みになり――次に藤間くんを見かけたのは、その昼休みの最中だった。 校舎の2階の窓から何気なく見下ろした中庭に、彼はいた。今度は美沙希――古河美沙希(こが・みさき)と一緒だ。 美沙希はぶっきらぼうな調子で、まるで投げるようにして藤間くんへとバレンタイン・チョコを渡し――受け取った彼は、しばらく唖然としていた。ふたりは中学生のときからの先輩後輩であるらしいが、こういうのは初めてだったのかもしれない。 いきなり、藤間くんが美沙希に投げられ、芝生の上に組み伏せられた。それは流れるような動きで、美沙希のスカートはわずかも乱れない。むだに見事だった。……また藤間くんがよけいなひと言を言ったのか。それとも美沙希の過激な照れ隠しだろうか。 先に立ち上がった美沙希が赤い顔で、逃げるように去っていく。思いがけず彼女のかわいらしい一面を見た気がした。……やっていることは過激だけど。 そこにやってきたのは車椅子の女子生徒、伏見唯子(ふしみ・ゆいこ)。 彼女も一部始終を見ていたのか、可笑しそうに笑いながら近づいてきた。藤間くんは慌てた様子で、一度足を高く上げ、それを振り下ろす勢いで跳ね起きると(後で聞いたところ、ネックスプリングという技術らしい)、ばつが悪そうに頭をかいた。 ふたりはにこやかに言葉を交わし、そして、唯子から藤間くんへとバレンタインのチョコが手渡される。 藤間くんはずいぶんと恐縮しつつも、嬉しそうな様子だった。 わたしにはほとんど見せることのない姿。 基本的に彼は、唯子をはじめとする多く人の前では素直な性格で振る舞っているようで、人づき合いや人当たりみたいなものはいいのだろう。 (素直な性格の藤間くん、か……) わたしの前でもあんなふうだったら? 途端にかわいい後輩へと早変わりだけど、きっともの足りないだろう。それ以前に、そんな彼には惹かれなかったかもしれない。藤間真という少年は生意気で、言うことを聞かないからこそいいのだから。そして、だからこそわたしは『槙坂涼』ではなく、わたしでいられるのだ。 「……」 それは兎も角、図らずもわたしは、彼がチョコをもらうところを3回も目撃してしまったわけで……。 「で、人を呼びつけておいて、のっけから不機嫌気味とはどういうことなんだ? 僕が何かしたか?」 結局、わたしは藤間くんを放課後の掲示板前に、メールで呼び出した。 「……別に」 「別にって顔か、それが」 「どこかの誰かさんはとても女の子にモテるのねって思ったのよ」 わたしはそっぽを向くようにして踵を返し、歩き出した。自分がどんな顔をしているかくらいわかっている。そして、これが理不尽でわがままな感情に起因するものだということも。だから、こうして正面から見られないようにしているのだ。 「は?」 藤間くんも素っ頓狂な声を上げた後、すぐに追いついてきて横に並んだ。ふたりそろって校門を目指す。 「もらってたでしょ、チョコ。サエちゃんと美沙希と、それに唯子からも」 「なんだ、見てたのか」 そんなことかといったふうの彼。 「確かにもらったけど、いわゆる義理チョコってやつだ。ご丁寧に全員から念を押されてる」 「くるもの拒まずね。そんなに誰彼かまわず受け取ってたらわたしが怒って、もらえなくなるかもって心配はしなかったのかしら?」 「え? あ、いや、冗談抜きで考えもしなかったな」 「……」 軽く凹んだ。もう少し気にしてくれると思っていたのだけど。 「ていうか、槙坂先輩はこんな俗なイベントに興味ないと思ってた」 「そんなことないわよ。尤も、誰かにあげようと思ったのは、今年が初めてだけど」 おかげで朝からずっと緊張しっぱなしだった。3人にことごとく先を越されたのも、緊張が躊躇いとなって足踏みしていたからなのだろう。 「……」 「……」 様々な思い違いが錯綜して、お互い無言になってしまった。しばらく歩いたところで、藤間くんが遠慮がちに聞いてくる。 「えっと……もしかして、くれるのか?」 いつもの調子で「誰にあげるんだ?」などと言うほど野暮ではなかったらしい。 「ええ、そのつもりよ。……はい」 結局、わたしは用意してきたチョコを、顔も見ずに隣の彼へと差し出した。美沙希に負けず劣らずぶっきらぼうな渡し方だ。どんなふうに渡そうかと、いろいろと演出を思い描いていたというのに。わたしの人生初のバレンタインディはずいぶんと素っ気ないものになってしまった。 「……これは予想外で、うん、正直嬉しいな」 とは言え、どんな反応をするのかは気にはなる。横目で様子を窺っていると、藤間くんは受け取ったチョコを眺めながら頬を緩めていた。 わたしが見ていないと思ったのか、無防備な笑顔だ。 少し前の自分の言葉を撤回しよう。たまには素直な藤間くんもいいと思う。もとより理不尽でわがままだと自覚していた不機嫌は、急速にしぼんで消えてしまった。 「となると、ホワイトディには何か返さないとな。……ん?」 「何?」 お返しなんていいわよと言おうとした矢先、藤間くんは何かに引っかかったように首を傾げた。 「ホワイトディって 単なるバレンタインのお返しだよな?」 彼の言わんとしていることがわかった。つまり、バレンタイン同様、ホワイトディは好きな女の子にキャンディやホワイトチョコを贈る日だっただろうか――と、そう思ったのだろう。 「確かそうだったと思うわ」 本場欧米にはない習慣のようだけど。 「なんなら特別な想いを込めてくれてもいいわよ? わたしは大歓迎」 「そうか。じゃあ、このチョコと同じ程度には気持ちを添えさせてもらうよ」 今日の藤間くんはびっくりするほど素直で、いつも以上にからかいたくなる。 「あら、嬉しい。わたしは"世界でいちばんあなたが好き"ってつもりで――」 「すまないが返してもいいだろうか。僕にはどうにも重すぎるようだ」 「ダメに決まってるでしょ。食べるたびに私のことを思い出しなさい」 そうぴしゃりと言うと、彼は不貞腐れたような顔で、掌の上でチョコの箱を回転させた。くるくると。まるでペン回しのように。せっかくのプレゼントをぞんざいに扱うなと文句を言いたくなったが、それ以上にその鮮やかさに感心する。器用な子だ。 不意に藤間くんがつぶやく。 「これで5つか。いつの間に僕はこんな色男になったのやら」 それを聞いてわたしは小さく笑った。――最初からよ。少なくともわたしは、明慧に入ってきたあなたと再会してすぐに、そう思ってたんだから。 と、そこでふと気づく。 5つ? ひーふーみーと指折り数える。サエちゃんに美沙希に唯子。そして、わたし。あとひとりは……誰? 思わず藤間くんを見る。 だけど、彼はわたしの困惑など目に入らない様子で、身に余る幸運を嘆いていた。 その女、小悪魔につき――。 2013年2月14日公開 |
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