暦が12月に変わって何日か経ったある日のこと。 「見て、藤間くん」 と、槙坂涼が示したのは彼女のスマートフォン。少し前に携帯電話から買い替えたものだ。僕は未だその必要性を感じないので、古きよき携帯端末のままだ。 僕のほうに向けてきた画面には、スケジュ−ラ機能らしいカレンダーが映っていた。 「今年は24日が土曜日よ」 「らしいね」 近年ワイドショー化の著しいニュース番組の特集コーナーで聞いた覚えがある。とは言え、社会人なら兎も角、そのころには冬休みを迎えている僕たち学生にはあまり関係のないことだ。 「次の日が日曜日だと思いっきり遊べるわね」 「普段の振る舞いを見るに、槙坂先輩がそんなことを気にしてるとは思えないんだが」 特に槙坂涼は翌日が平日で学校があろうとおかまいなしだ。 「ところで藤間くん、その日の予定は?」 「未定」 想定していた問いのひとつだったので、迷う様子を見せず素早く答える。 「念のために言っておくが、この場合誰と過ごすかの選定もしていないという意味の未定だ。ここ何年かは美沙希先輩と遊び倒すのが恒例だし、今年はこえだを巻き込むのもいいかもしれない。浮田たちと寂しく男同士って可能性もあるな」 「ずいぶんと多彩な選択肢ね」 「それなりの人間関係を築いてきたからね。……そっちは?」 後のことを考えて確認しておかないとな。 「未定ね。……わたしも念のために言っておくけど、誰と過ごすかは決めてるのよ? ただ、まだ誘ってくれないだけで」 「我らが槙坂涼を待たせるとはひどいやつだな」 「ええ、本当に。でも大丈夫よ。きっともうすぐ誘ってくれるわ。そうね、たぶんロッカーにつくころには」 「……」 今は午前中の休み時間。僕と槙坂先輩は授業が終わってロッカーへと向かっていた。 ここ明慧学院大学附属高校は単位制の学校だ。生徒はある程度好きな授業を選んで学べるが、おかげで大学ばりに教室を行き来することになる。12月に入ってめっきり寒くなり、4つの講義棟を行き交う生徒の多くは上着を羽織っていた。隣を歩く槙坂先輩も学校指定のオフホワイトのコートを着ているが、僕は寒さには強いほうなのでブレザーだけ。講義棟を移る程度なら充分に耐えられる。 教室の移動は各講義棟を結ぶ渡り廊下を伝ってできなくもないが、始点と終点によってはかなり遠回りになるので、雨が降っていない限り外に出る生徒のほうが多い。 因みに、防寒のための上着に関しては学校指定のコートが望ましいが、華美なものでなければ私物でも可との学校側からのお達しだ。普段制服を強いられている生徒たちは、ここぞとばかりに個性を主張している。勿論、女子なんかには結局流行のファッションという制服を脱げないでいるのも多いが。 さて次の手は――と考えて、 「……なんか面倒くさくなったな」 つぶやいた。 そして、何となくため息をひとつ。業腹だが仕方ない。 「クリスマス、よかったら僕とどこか行かないか?」 「残念、もう終わり? ロッカーはまだ先よ?」 楽しそうに笑いながら言う槙坂先輩。 「あなたが誘ってくれるのを待っているという、どこかの誰かより先にと思ってね」 「賢明な判断だわ」 本当のところは、さっきも言った通り面倒になっただけである。 「それで――返事を聞かせてくれないか?」 「ええ、もちろん。よろこんで」 満面の笑みで首を縦に振ってくれた。……まぁ、断られるとは思っていなかったが。 「さて、当日はどういうのをご所望で? 希望があれば聞くけど?」 「そうね。夜景の素敵なところで、ふたりでゆっくりディナーを楽しみたいわ」 「……たかだか高校生のクリスマスに何を期待してるんだ」 あまりの高望みに呆れる。槙坂涼ならそれも似合うのかもしれないけど、しかし、その相手が僕では役者不足というものだ。 尤も、どうにかならなくもない。有名な一流ホテルで働く母親に頼めば、レストランの予約くらい融通してくれるだろう。でも、僕としてはそんなことはしたくないし、実際そんなことをしなくてももっと安上がりなところがある。僕の部屋だ。むしろ槙坂先輩の言葉はそっちを指していると思われる。 「クリスマスといえばやっぱりクリスマスプレゼントか。ま、僕には喜んでくれそうなものを予め用意しておくなんて芸当はむりだから、当日どこかに買いにいくとしようか」 ひとつ目的ができて一石二鳥だ。 「ダメよ。わたしが藤間くんに買ってあげるんだから」 「そういうのって男が女にするものじゃないのか?」 「知らないわ、そんなの。あなたは忘れてるかもしれないけど、わたしのほうが年上なのよ?」 槙坂先輩は口では怒ったようにそう言いつつ、憧れの視線を向けてくる女子生徒に小さく手を振る。器用というべきか、よく訓練されているというべきか。それを受けて友達と感激し合う彼女たちは、その槙坂涼がこんな会話をしているとは夢にも思うまい。 「ああ、忘れてたな」 「気が合うわね。わたしも生意気な後輩を見てると、そのことを忘れそうになるわ」 うふふ、と悪魔が笑う。せっかくだから僕も一緒に笑っておくとしよう。 「結局、何も決まっていないも同然だな」 「いいじゃない。ぶらぶら歩いて街の雰囲気を楽しみましょ」 気楽だな。まぁ、僕もそこまでマニュアル人間じゃないし、そもそもきっちり計画を立てるようなイベントでもないだろう。 僕はなにげなく続ける。 「テキトーにぶらついて、夕方くらいに僕の部屋に帰ってくる感じか」 「えっ」 なぜか驚かれた。 ふたり同時に足を止め、顔を見合う。槙坂先輩は戸惑いの表情をしていた。たぶん僕も似たようなものだろう。 どこに齟齬があったのかすぐに気づいた。 「……そういう意味じゃなかったのか?」 「そ、そんなふうに、聞こえ、た……?」 さて、恥ずかしかったのはどちらだろうか。 勝手にそうだと思い込んでいた僕と、知らず知らずそうともとれる発言をしていた彼女。 答え。感情とは己のみのものであり、真の意味で他者と共有できない以上、観測者不在によりその大小を測れるものではない。――要するに、自分が世界でいちばん恥ずかしいわけだ。 どう自害したものか。 「……」 違ったのかよ。翌日が日曜だとか、夜景のきれいなところでとか、それらしいキィワードがあったと思うんだが。たぶんそのことに槙坂先輩も気がついたのだろう、見れば彼女は顔を赤くして視線を地面に落としていた。 「えっと、悪い。今のは忘れてくれ。それとクリスマスのことは考え直してくれてもかまわない」 さすがに自己嫌悪だ。クリスマスの約束もなかったことにされてもおかしくはない。 「じゃあ、僕は先に行くから」 すっかり気まずくなってしまったので、今日のところはここで別れたほうがベストだろう。どうせ次の授業は別々だ。何より僕が逃げたい。そう思って足を踏み出したところブレザーの端を引っ張られる。行かせてはくれなかった。 「とりあえず歩きながらで」 彼女が何かを切り出してくる前に僕は促した。行き交う生徒たちが、何ごとかと僕たちに目をやりながら通り過ぎていく。ここに立っていると見世物になるばかりだ。僕と槙坂先輩は再び歩き出した。 「考え直す必要はないわ」 「それは、うん、安心した」 お互い短く言葉を紡いでいく。 「それにもとからあなたの部屋には寄るつもりだったの」 「そう、か」 遅かれ早かれそこに落ち着く予定だったわけか。 少しの間、僕たちは無言で歩いた。それはリセットのための時間だ。要したのは深呼吸数回分。それで乱れたリズムを取り戻す。 程なく槙坂先輩が口を開いた。 「クリスマスだし夕食は外で食べようと思ってたんだけど、藤間くんはわたしの手料理をご希望ということでいいのかしら?」 「まぁ、そうなるかな。それこそせっかくのクリスマスだ。いつもより豪華だと嬉しいね」 「お安い御用だわ」 そして、閃いたように、 「だったら、やっぱりわたしが藤間くんにプレゼントを買うべきね。招待される身なんだから」 「どうしてそうなる。食事はそっちが作ってくれるんだろう? 何もしない僕がお礼をするのが筋だ」 「お安い御用と言ったわ。わたしにとってはそんなのお礼をされるようなことじゃないもの」 つんと突っ撥ねるように、それでいてどこか自慢げに言ってのける彼女。 なんというか、不毛な言い争いだ。要するにふたりとも相手のために何かしたいということなのだろうな。 そうして、僕が槙坂先輩に、彼女が僕に何か買うという結論に落ち着くのにいくらもかからなかった。……いつぞやみたいに同じものを買うことにならなければいいが。 去年まではクリスマスなんて騒げればいいと思っていたが、どうやら今年は少し違ったものになりそうだ。 その女、小悪魔につき――。 2011年12月26日公開 |
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