槙坂さん、赤裸々(レッドカード)ガールズトーク(後編) 昨日キスをした藤間くんとどんな顔をして会えばいいかわからないまま、学校に着いてしまった。 ここまでは『槙坂涼』として振る舞うことでどうにか冷静を保つことができた。でも、それも藤間くんと会えばどうなるかわからない。 経験不足が祟っていると、我ながら情けなく思う。 一方、藤間くんはきっといつも通りに違いない。あの子は妙に落ち着いているところがあるから、キスなんて重大なイベントがあっても、いつもと同じ調子でわたしの前に現れる気がする。……ただ慣れてるだけだったら嫌だけど。 ここは何としても年上としての面子を保ちたいところ。 そのためにもこちらから打って出ることにした。いつ会うかわからないまま不意に遭遇するよりも、そのタイミングをこちらでコントロールしたほうが心の準備ができる。 ところが、電話をしても藤間くんは出ず、送ったメールの返信もないまま昼休みを迎えてしまった。あの子にしては珍しい。電話はたいてい出てくれるし、メールも遅くとも次の休み時間には返ってくるのに。今日は学校を休んでいるのだろうか。 連絡が取れないことに漠然とした不安を感じていると、 「涼さーん」 呼ぶ声のほうを見れば、大教室の机の間を泳ぐようにして寄ってくる小動物のような女の子。ちょっとおでこちゃんな一年生、サエちゃんこと三枝小枝さんだった。 「真から涼さんに伝ごーん」 サエちゃんは藤間くんのことを名前で呼び捨てにする。ちょっと羨ましいと思う。……いや、今はそこじゃなくて――どうやら彼は学校にはきているらしい。 「藤間くんが?」 「うん。今日はケータイ家に忘れてきたって」 「あ、そうなの? 藤間くんがケータイを忘れるなんて」 珍しいことの原因は、やっぱり珍しいことだった。 「真って案外ケータイなんてどうでもいいと思ってるんじゃないかなぁ?」 とは、サエちゃんの想像。 確かに。あれば便利、なければないでどうにでもなるくらいにしか思っていなさそうだ。 「それじゃ涼さん、またねー」とサエちゃんは友達のところに戻っていった。 兎も角、連絡が取れない理由はわかった。どうやら今日藤間くんに会うには、多かれ少なかれ偶然に頼らないといけないらしい。 「……」 携帯電話という、会いたいときに会える、或いは、そのための約束をするツールが無力になった途端、急に喪失感が襲ってきた。今朝までは初めての事態に直面して、頭を抱えていたというのに。 それでもわたしは彼に会いたかったのだと、ようやくわかった。 「涼さん、お昼食べに行こー?」 呆然とするわたしを我に返らせたのは、さっきまで一緒に授業を受けていた子たちの声だ。 「ごめんなさい。今日は約束があるの」 本当はそんなものはなく、今からするのだけど。 「さては、また藤間君かなー?」 「残念。今日は女の子よ」 茶化してるのだか応援してくれてるのだかわからない彼女たちと別れ、わたしは携帯電話を操作しながら教室を出た。 「そっちから誘ってくるなんて珍しいね」 そう言ったのは猫目にざっくりしたウルフカットの少女、美沙希だ。 場所は学生食堂。 今わたしたちは、そこのテーブルのひとつに向かい合わせで座っていた。わたしの前には自作のお弁当があり、美沙希の前にはパンやサンドイッチの入ったコンビニの袋が置かれている。お互いいつも通りの食生活だ。 「何かあったのか?」 美沙希は問うてくる。 きっと彼女は、わたしに何かあったからこんな珍しい行動に出たと思っているのだろう。 「そうね。あったと言えばあったけど、別に悪いことじゃないわ」 「へぇ、よかったじゃないのさ」 美沙希は問いを重ねてはこない。話したければ話すだろうくらいの感じだ。 だから、わたしは話す。 「昨日、藤間くんとキスしたわ」 途端、美沙希は食べる手を止めた。やきそばパンにかぶりつこうとした構造から、ゆっくりと私を見やる。 「……マジで?」 「ええ。これでも妄想をさも本当のことのように語るイタい女じゃないつもりよ」 「そりゃ悪かった」 それから美沙希は「ふうん」とか「へえぇ」とか「あの真がねぇ」などと、しきりに感心していた。 そして、 「テキトーに言いくるめて身動きできなくした後に、むりやりやったのか?」 「違うに決まってるでしょ」 どうしてそうなるのだろう? 「そんなに意外?」 「あいつ、中学ンときは女に興味がある感じじゃなかったからな」 美沙希はわたしの知らない中学生の藤間くんを知っている。藤間くんは彼女のことを人生の先輩だと言い、美沙希は彼のことを舎弟だと言う。それほどのつき合いだ。 「なにせ真のやつと2年近くツルんでたけど、アタシとはそんな素振りもなかった」 「美沙希だからじゃない?」 「……」 「……」 わたしたちはしばし無言で見合う。 「ああ、なるほど」 「納得するのね」 とは言え、女らしくなかった美沙希には感謝しないと。彼女が女らしかったらどうなっていたことやら。人生の先輩として藤間くんを導きながらも、やがて年ごろになってお互いを男女として意識するようになり……なかなかの浪漫だわ。 「藤間くん、中学のころからモテたんじゃないの?」 「んー、まぁ、そこそこ?」 何を思い出したのか、彼女はくつくつと笑った。気になるところだ。 ここでも美沙希に感謝しないといけないかもしれない。 女の子に言い寄られた藤間くんは、あくまでも同性の友達と同じ感覚で美沙希と一緒にいることを選んだのだろう。それを違う意味に捉えた子もいれば、美沙希に恐れをなして回れ右した子もいたに違いない。 「そうかそうか。お前たち、結局つき合うことになったか」 「つき合ってないわよ?」 わたしが即答気味にきっぱり言うと、美沙希の口から「は?」と発音がもれた。 「藤間くんに聞いてみたらいいわ。絶対に否定するから。わたしも何度かつき合ってって言ってるんだけど、ずっと袖にされてばかり」 「いや、だって昨日……」 「ええ」 そうよ、と意味を込めて、わたしはうなずく。 「でも、きっとあの子はどこまでいっても認めようとしないわ。そうしたら負けだと思ってるもの」 認めたら負け。自分からつき合ってくれと言い出そうものなら大惨敗だろう。 「わっかんねぇことしてるなぁ」 「ほんとね」 要するに、わたしたちの関係において掲げた看板などどうでもいいのだ。そんなものとは無関係に、わたしたちの関係の本質は構築されていくだろう。でも、一方ではその看板に拘っているとも言える。つき合ってと言っても藤間くんは断固として拒否するし、わたしはその彼の首をどうやって縦に振らせようかと日々考えている。もうキスまでしたというのに。 確かに傍目に見たら、わけのわからないことをしているのだろう。 「本気なんだろうな?」 美沙希がわたしに問う。藤間くんとのことだろう。 「もちろんよ。これでも藤間くんといやらしいことをしてる自分を想像して楽しむくらいには本気よ」 「……お前、もしかして今、危ないこと口走ってないか?」 「そう?」 わたしは知らない振りで笑ってみせる。 「参考までに聞くけど、お前の中のあいつってどんな感じ?」 「そうね。わたしがいたずら半分で挑発したら、彼が逆襲に出てくるの。それで口ではいじわるなことを言いながら、それとは裏腹に指はものすごく優しく丁寧にわたしを――」 「ぅぐあ……」 何やらうめき声が聞こえたと思ったら、美沙希が胸を掻き毟りながら突っ伏していた。 「聞いといてあれだけど、ごめん、アタシが悪かった。やっぱアカララガールズトークってガラじゃないわ、アタシ。許してくれ」 苦しそうに言葉を絞り出す。"アカララ"じゃなくて赤裸々――と指摘しようかと思ったけど、彼女のことだからわざとやっているのだろう。 「あら、藤間くんは許してって言っても簡単には許してくれないわよ」 「いや、もうそういうのいいから……」 美沙希は、「おそろしー女」とつぶやきながら体を起こした。 「んで、その真のやつはどーしたよ?」 「さぁ? 校内のどこかにはいると思うわ」 わたしは藤間くんと連絡が取れないこと、携帯電話を忘れたとサエちゃん経由で知ったことなど、今朝からの経緯を美沙希に説明した。 「ふうん。ケータイをねぇ。何やってんだか」 呆れる美沙希。スマートフォンを必携ツールとして生きている彼女には、携帯端末を家に忘れてくるなど考えられないのだろう。 「ていうか、お前らいつまでも後生大事にガラケー使ってんじゃねぇ。ふたりそろってとっととスマホに機種変してこい」 「そんなこと今は関係ないでしょう」 この情報社会の申し子は、なぜかこちらにも噛みついてきた。 美沙希に言われるまでもなく前向きに検討中だけど、大きなお世話だった。……ふたりそろって行ってこいという点は魅力的だけど。 それは兎も角。 気がつけば、彼女と同じように呆れ、ちょっと怒っている自分がいた。 それこそ美沙希じゃないけど――まったく、何をやっているのだろうか、藤間くんは。わたしがこんなにも会いたいと思っているというのに。ケータイを忘れたのなら忘れたで、そちらから会いにきてくれてもいいだろうに。 (明日会ったらどうしてやろうかしら) でも、やっぱり声だけでも聞きたいから、今夜にでも電話してみよう。 ……。 ……。 ……。 (って、まさかその電話にすら出てくれないとは思わなかったわ……) ほんと、どうしてくれようか。 その女、小悪魔につき――。 2013年7月3日公開 |
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