槙坂さん、朝を迎える その日の朝の目覚めは、いつもより気怠かった。 頭が起ききらないまま目を開けると、そこには見慣れない天井があった。今わたしが身を沈めているベッドの感触もいつもと違っている。その理由を深く考えないまま体を横に向けると――、 「!?」 そこに藤間くんの顔があった。 びっくりした。 びっくりして――ようやく昨日のことを思い出した。 (ああ、そうだった。ついに藤間くんと"した"んだった……) 顔が赤くなるとともに、頬も緩む。そう、わたしは初めて本気で惹かれた男の子と初めての行為をした。それはとても幸せなことなのだろう。その幸せが体にくすぐったくて、小さく笑ってしまう。 わたしは彼の寝顔を見つめた。 よく整った顔で、まつ毛が思ったよりも長いことに気づく。起きているときはわたしに隙を見せまいとかまえているのに、寝ている今はとても無防備で、少し幼く見えた。 しばらくその顔を眺め――まったく目を覚ます様子がないので、わたしは先に起きることにした。今目を覚ましたら、このままベッドの上でいろいろからかってやろうと思っていたのに。 体を起こし――下腹部に感じる軽い違和感。 (昨日、いろいろされたものね……) お腹に手を当て、昨夜のことを振り返る。と、少しむっときた。 「よくもひどいことをしてくれたわね」 指で藤間くんのおでこを弾く。……彼はわずかに顔をしかめただけで、やはり目を覚ます様子はなかった。 行為がどういうものかわかっていたつもりだったけど、彼の指の動きひとつ、キスのひとつで、あんなにも反応してしまうものだとは思わなかった。おかげでずいぶんと乱れた姿を晒してしまったと思う。 「でも――」 彼ができるだけわたしを優しく扱おうとしてくれていたこともよくわかった。行為が佳境に入って、初めての痛みに耐えるわたしを見て、藤間くんが心配そうにしていたのを覚えている。 「嬉しかったわ」 その優しさが、そして、こうして一緒の朝を迎えられたことが嬉しい。 だから、わたしはそのお礼を込めて、眠る藤間くんの額にキスをした。 それから彼を起こさないよう気をつけながらベッドを降りた。脇に落ちていたバスタオルを拾って体に巻き、寝室を出る。 脱衣場で下着を身につけた。でも、シャツやスカートのほうはしわだらけで、先にアイロンをあてないとみっともないことになりそうだった。さて、着るものに困ったぞ、と。 「どうしようかしら……」 少し考え――、 「……エプロン?」 いったいどこで得た知識なのか、そんな発想が出てきてしまった。 (確か、そういうのが喜ばれるのよね……?) いずれ起きてくるであろう藤間くんをそんな恰好で迎える自分を想像し――ぼふん、と一気に顔が赤くなった。何か違う、とすぐに否定する。その場合、下は裸だったはずだし、どこかで得たというその知識ではそのままただ朝食を食べて終わりではなかったはずだし……。 「そんな、あ、朝からなんて……! じゃなくて、それ以前にエプロンがないわ」 すぐに否定の仕方が根本的に違うことに気づく。尤も、これにしたってエプロンがあればやるのかという話になってしまうのだけど。 とりあえず脱衣場を出る。さすがに下着姿でうろうろするのは抵抗があり、起きてきた藤間くんとその姿で鉢合わせでもしたら目も当てられないので、さり気なく体を隠すような感じでバスタオルは手に持ったままにした。 リビングで室内を見回し――藤間くんの私室のドアが目についた。やはり彼のもの借りるのがいちばん早そうだ。大きめTシャツ一枚あれば十分だろう。 「お邪魔するわね」 小声でひとこと言い、後ろめたさとともに部屋に這入った。 照明を点けて全体を見渡せば、勉強机に本棚、洋服ダンスなど、部屋自体が広いこと以外はごく普通の男子高校生の部屋だった。とは言っても、その普通の基準を、わたしは知らないのだけど。もしかしたらアイドルのポスターの一枚もあるのが普通なのかもしれない。仮にこの部屋にグラビアアイドルやセクシィなハリウッド女優のポスターがあったところでどうということはない。そんな触れられもしない女の子など、今のわたしの敵ではないのだから。 ただ、少し気になったのは、本好きの藤間くんにしては本棚が少ないこと。でも、これについては後で、ほかにもうひと部屋、書斎として使っている部屋があるとおしえられ、納得した。 藤間くんはこのマンションについて常々一介の高校生には過剰だと口にしている。それでも与えられたものを自分の生活を充実させるため最大限有効に利用する辺り、彼らしいと思った。 ふと部屋の壁にカッターシャツを吊るしたハンガーがかかっているのが目に入った。 「これを借りましょ」 さっそくハンガーから外し、袖を通す。 当然のように藤間くんのシャツはわたしには大きく、それが幸いして裾は太もも辺りにまで届いていた。ボタンを留めて改めて自分の姿を見てみれば、これはこれでまたあざとくて、男の子に喜ばれそうな格好だった。エプロンよりはマシだと思うけど。 藤間くんのシャツに身を包んでいると、何となく彼に抱きしめられているような感じがして、顔が熱くなった。 自然と昨夜のことが思い出される。 正直なところを言えば、思い描いていたのと違っていた。もっと甘い会話があったり、ちょっと意地悪なことを耳もとで囁かれたり。大人っぽい恰好で挑発して、それをひとつずつ脱いでいったり脱がされたり。 (そういうのをいつも想像してたのだけど……) あけてみれば行為に夢中で、そんな余裕はなかった。名前を呼ぶこともなかった。それも初めてだから仕方がないのかもしれない。 兎にも角にも、服を着たことで動きやすくなった。 「次は、朝ごはんかしらね」 藤間くんの部屋を出て、キッチンに立ってつぶやく。 考えてみれば、昨日は夕食も食べずにベッドに入ったのだった。それもわたしから誘って。藤間くんにはシャワーも浴びさせずに。 「……」 そんな昨日の自分を振り返り、思わずよろめいた。 (もしかしてわたし、ものすごく積極的な女の子だと思われてるんじゃ……?) ダイニングのテーブルに手をつき、考え込んでしまう。どこからか、今ごろ気づいたのかという声が聞こえてきそうだった。 なんだか昨日のことに対する思いが、どんどん複雑になっていくような気がする。思い出せばずいぶんと乱れた自分が恥ずかしくて、それ以外にももっと初めての女の子らしい振る舞いがあっただろうにと反省したくもある。でも――それでもやっぱり彼に抱かれたことが嬉しくて、油断すると頬が緩んでしまう。このままでは起きてきた藤間くんと顔を合わせた途端、挙動不審になってしまいそうだった。 これではダメだと気を取り直し、とにかく体を動かすことにする。 冷蔵庫の中を覗き、朝食に使えそうなものを確認。それをもとにメニューを決めた。いちおうモーニングプレートの体裁は整いそうだった。フライパンの具合を確かめるため、失敗しても自分で食べるつもりで試しにベーコンエッグをひとつ作ってみる。 そんな家でもやっていることをしていると、次第に気持ちが落ち着いてきた。 不意に寝室の扉が開き、中から藤間くんが顔を出す。 ドアの音が聞こえた瞬間、驚いて飛び上がりそうになったけど、どうにか堪えた。深呼吸ひとつ。そして、ゆっくりと振り返ると、学校で会ったときのように普段通りの朝の挨拶を投げかける。 「あら、おはよう」 わたしは起きてきた彼を笑顔で迎えた。 その女、小悪魔につき――。 2013年12月29日公開 |
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