Razor's Edge (後編)
 
 翌朝――、
 刃喰いがひとり暮らしの簡素なアパートを出ると、表では広いおでこがかわいらしい、眼鏡の少女――美作果林(みまさか・かりん)が待っていた。
「おはよー!」
 今日も朝から元気いっぱいだ。
「よォ」
 対する刃喰いは面倒くさそうにやる気を欠いた挨拶を返す。
 刃喰い、高校1年。果林、中学3年。当然学校は違うが、途中まで一緒に行くのが習慣だ。正確に言えば、去年まだ刃喰いが中学生だった頃からの惰性であり、ここにもうひとりを加えた3人がいつもの顔ぶれとなる。
「あいつは?」
 残るひとりの行方を問う。
「兄貴なら部活の朝練」
「ごくろーなこった」
 理解できんとばかりに言って、刃喰いは歩き出した。果林もすぐ後をついてくる。
「やればいいじゃない。運動神経はいいんだから」
「俺か? やだね、そんなこと。朝はギリギリまで寝てたいんだよ、俺は」
 そこで刃喰いは欠伸をひとつ。それを隣に並ぶ果林が呆れたように見ていた。
「眠そうねぇ」
「んー。まぁな」
 テキトーな返事をしつつ、刃喰いは昨夜のことを思い出していた。
《龍使い》と名乗る少女との邂逅と、戦い。
 その月下の戦いの中、刃喰いは初めての感覚を味わう。
 超常の異能を持って生まれた刃喰いにとって、その辺にたむろする不良やチンピラは敵ではない。だが、彼女はその刃喰いと互角以上の力を見せた。見た目は小柄な少女でも、明らかに死線ギリギリの戦いを幾多となく経験してきた闘士だ。彼女なら自分の持つ異能に意味を見出せない刃喰いに、何らかの答えを与えてくれる――そんな予感がしていた。
 結局、刃喰いは昨夜、家に帰った後も気持ちが昂ぶってあまり眠れていなかった。
「ああ、そうだ、果林」
 眠気を堪えながら刃喰いは話を振る。
「お前が見たっていう怪しいやつな、まだ見つかってないんだ、これがよ」
「あ、そうなんだ。もうどっかに行ったのかな?」
「だといいがな」
 だが、安易にその可能性を採用するつもりはない。確信が得られるまで、刃喰いは夜の探索を続けるつもりだった。
「そいつに限らず頭の悪そうなやつにからまれたら、俺の名前を出せ。出して俺の女だと言えば、誰も手を出してこないはずだからよ」
「だっ、誰があんたのカノジョよ!?」
 ドン、と果林は刃喰いに体当たりをした。
「痛ぇなっ。俺だって本気でそんなこと思ってねーよっ。お前のために――」
「思いなさいよっ」
 またもや肩からぶつかってくる果林。
「どっちだよ!?」
「ど、どっちでもいいわよっ」
 顔を赤くしながら叫ぶと、果林はどっすどっすと大股でひとり先へ行ってしまった。
 刃喰いはその背中を見ながら、肩をすくめた。
 
 そして、また夜がくる――。
 刃喰いは今夜も街へと探索にきていた。
 昨日と違って学習塾は経由せず、最初から直接山の方へ向かって歩き出した。すでに目的が変わっている。それは刃喰い自身も自覚していた。今さら誤魔化す気はない。彼は明らかに龍使いを探していた。
 夜11時、
 刃喰いは眠りに死んだ街を歩く。
 頭上には満月。人気も絶えた夜道を、街灯が暴き出す。
 ふと、視線を感じた。
 かすかに殺気を孕んだ視線。
 刃喰いは辺りを見回すが、それらしい姿はない。思いついて星空を見上げるように顔を上げ――、
 見つけた。
 信号機の上に立つ小柄なシルエット。黄色の信号の明滅にあわせて照らし出される姿は、まぎれもなく龍使いと名乗った少女だった。
「よォ、また会ったな」
 思わずもれてしまう薄い笑みは、思惑通りの再会を祝してか、それとも抑え切れない高揚感のせいか。
「ふん。驚いたわ。まさか昨日の今日で、またのこのこ出てくるとはね」
 対する龍使いは、生意気な棘つきの声。
「とりあえず下りてこいよ、そんなとこに立ってないでよ」
「言われなくてもっ」
 とん、と信号機を蹴り、龍使いは空中に身を躍らせる。そうして、まるで飛び込みの選手のように身体を回転させた。1回、2回、3回……。それはすぐに目では追えない速さへと変わった。
 そして――、
「轟!」
 薪を断ち割る斧か斬首のギロチンの如く、刃喰いの頭上に振り下ろされる右のかかと。しかし、そんな愚直な攻撃は、刃喰いが飛び退くだけで難なくかわせた。
 攻撃が空を切っても龍使いは猫のように足から危なげなく着地した。体を二つ折りにするようにして衝撃を殺す。だたし、振り抜いた右足は伸ばしたまま。そのかかとはアスファルトを砕いていた。
「は。あいかわらず凶器だな、その足は」
 刃喰いはその破壊力にうそ寒いものを感じながらも、笑いながら軽口を叩く。
 龍使いは黙って立ち上がり、身構えた。意志の強そうな表情。双眸は鋭く刃喰いを睨みつけている。
「殺る気満々ってことかよ。じゃあ、こっちもしょてっぱちから全力だ……!」
 
 ――目覚めて斬り裂け、第一の刃!
 
 心の中で唱えた言葉は、剣のイメージにつながり、刃喰いの内部より真に剣を抜かせる。右手は自然、手刀をつくっていた。
 それに反応した龍使いの表情が険しくなる。
「……あんた、なに隠し持ってんのよ?」
「さぁてね。当ててみな」
 ふたりの距離は10メートル弱。だが、彼女は昨日、これ以上の距離を一足飛びで越えている。この程度の間合いなら一瞬で詰めてくるだろう。そして、それを可能にする脚力こそが最大限に警戒すべき武器だ。
 先に動いたのは龍使いだった。
 たん、と――あまりにも軽いステップ。にも拘らず、次の瞬間には刃喰いの目の前にいた。
 まずは中段の回し蹴りと、逆足での後ろ回し蹴りの二連環。だが、これは心構えがあっただけに、身を引いて避けることができた。
 続いて繰り出されたのは、バク転しながらの蹴り上げだった。先の技の隙を突いて、刃喰いが前に出ようとしたところを見事に狙われた――が、真下からくる凶撃を鋭く察知して、間一髪避け切る。
(どんな体勢からでも飛んでくるな、あの足は)
 耳で風斬り音を聞き、風圧に髪をなびかせながら、刃喰いは龍使いの足技に心底脅威を感じる。
 だが、直後に訪れた反撃の好機。
 敵を前にしてバク転のような真似をすれば、一瞬であれ見失うべきでない敵の姿を視界から消してしまう。刃喰いはそこを見逃さなかった。踏み込み、左から右へ薙ぎ払うような手刀。
 龍使いが体勢を立て直すのに合わせるようにして手刀が迫る。回避は不能。仮に防御が間に合っても、刃喰いの手刀はそれをも――“斬る”!
 だが――、
「剛!」
 龍使いの卓越した反射神経が間に合わせた腕での受け。
 刃喰いはかまわず手刀を振り抜いた。
 刹那、その手に走った衝撃。それはまるで銅鑼を殴りつけたような感触だった。人体にあるまじき剛性。
「「なっ!?」」
 衝撃に驚いたのは防御側の龍使いも同じらしく、異口同音にふたりは驚嘆の言葉を発した。
 互いに硬直したのは一瞬。
「ちっ」
「くっ」
 すぐにそれぞれ己の迂闊さに舌打ちしつつ、飛び退って距離をとった。
「何しやがった!?」
「何よ、今の!?」
「……」
「……」
 問うたところで答えが返ってくるはずもないが、それでも問いを口にしてしまうだけの不可解さがあったのだろう。
 いかな技を使ったのか気になるところだが、刃喰いは頭を切り替えた。
(次は、やつより速く、やつの間合いの外から撃つ!)
 龍使いの小柄な少女の身体と比べるに、攻撃の間合いは明らかに刃喰いの方が長い。ならば、それをとことんまで利用する。
 
 ――目覚めて刺し穿て、第三の刃!
 
 刃喰いは次なる武器を、己の内より取り出す。
 右手の手刀を腰の辺りにギリギリまで引き、半身に構えた自分の体に隠すようにする。突きの構え。
 踏み込むか、迎撃か。
 一瞬考え――刃喰いは地を蹴った。
 ほぼ同時、龍使いも駆け出す。
 
 そのとき、夜闇に浮かび上がる人影があった。
 
 それは音もなくやってきたのか、闇より滲み出してきたのか。刃喰いと龍使い、駆けるふたりのちょうど真ん中に唐突に姿を現した。
 細身の長身。黒装束を纏い、首の回りに乱雑に巻かれた装束の延長のような黒い布切れで、顔は半ば見えない。一見して異様なのは、体に対して不釣合いに長い両腕だった。
「なんだ!?」
「ナタク!」
 怪人の突然の出現に驚きを露にする刃喰いに対して、龍使いはその正体を知っているようだった。
 黒装束の怪人が動く。
 怪人は左右の腕を、それぞれ刃喰いと龍使いへと向けた。それはまるで腕が伸びたかのように、一瞬で刃喰いの眼前へと迫る。
「うおっ」
 辛うじて刃喰いは身を投げ出し、地面に転がってそれを避けた。そして、見た。怪人の五指に凶悪な爪がついているのを。
 他方、龍使いは襲いくる爪腕を駆ける速度を落とすことなく、身を低くしてかわした。回避から攻撃へ。そのままスライディングして怪人の足元を強襲する。
 が、怪人はそれを跳躍して避ける。伸ばした腕を戻しつつ着地したのは龍使いの後方。彼女と位置を入れ替えたかたちだ。刃喰いと、軽やかに立ち上がったばかりの龍使いを交互に見――そして、身を翻して駆け出した。
「おい、逃げたぞ」
「わかってるわよっ」
 すぐさま龍使いも追って走り、半瞬遅れて刃喰いがそれに続いた。逃げる黒装束の怪人をふたりで追いかける。
「って、なんであんたまでついてくんのよ!?」
「俺にだって事情があんだよっ」
 ここにきて刃喰いは当初の目的へと立ち戻る。果林が見たという怪しい人物、それが今現れた怪人ならば放っておくわけにはいかない。あれは不良などとは比べものにならないくらい危険なものだ。
「ひとつ聞きたいんだけどさ――」
 と、龍使い。
「あんた、あのナタクの術師じゃないの?」
「なに言ってんのかわかんねぇけど、少なくとも俺はあんな変なやつの仲間じゃねぇよ」
「あ、そうなんだ」
「もっと早く気づけよ。昨日からぜんぜん話が噛み合ってなかっただろうが」
「そう言えばそうね」
「……」
 意外と何も考えていないんじゃないだろうか。刃喰いは認識を改める必要性を感じた。
「で、あれは何なんだ?」
 前方で身を低くして疾駆する黒い影を、刃喰いは顎で指し示した。返ってきた龍使いの答えは簡潔だった。
「……人造人間ナタク」
 と――。
「はぁ?」
「とある組織が使ってる人間兵器のことよ」
「さっぱりわかんねぇ。一から説明してくれ。お前のことも含めてよ」
「いいけどあんたのことも少しはおしえなさいよ」
「オーケーだ」
 刃喰いは快諾し、話はまとまった。
「まずはお前のことからだ。いったい何モンだ? なんであんなことができる?」
「別にものすごく特別なことをしてるわけじゃないわ。人間はね、体の中に龍がいるの。そう言われるとさっぱりだと思うけど、ただ単に呼び方が違うだけ。例えばいちばんメジャーなのが、気功で言うところの気の流れ」
「ああ、それなら聞いたことがあるな」
 続けて龍使いは語る。
 彼女のような能力の使い手たちはそれを龍に例え、その眠れる龍を呼び覚ますことで、様々な効果を得ている。身体能力の一時的な強化、体の一部の硬化、等々。
「あたしは特にその扱いに長けてるの」
 故の――《龍使い》。
「次はそっちの番よ」
「俺の方はそっちほどややこしくねぇよ。単にエモノを“喰う”んだ。喰うっつってもバリバリ喰うんじゃねぇぞ。その性質をいただくのさ。剣を喰えば、素手で同じだけの威力が出せる」
「ふうん。そういうことね」
 龍使いは昨日と今日のことを思い出していたのか、納得したような返事を返した。
「取り込めるのは最大で八つ」
 故に刃喰いはその異能を《八刃喰い》と名づけた。
「おい、離されてるぞ」
「マズいわね……」
 確かに黒衣の怪人――ナタクを追いはじめたときよりも距離が開いてきている。わずかに向こうの方が足が速いようだ。
「どうすんだ?」
「行き先は――たぶんわかってる」
 龍使いは厳しい口調で、神妙そうに言った。
「どこだ?」
「この先に高校があるのよ」
「知ってる。この春からそこの生徒だ」
「そうなの? あたしもそうよ。2年」
「ちょっと待て。俺より年上なのか!? こんなジュニアブラつけてるちびっ――うおっ!?」
 言葉の途中、龍使いから器用にも併走しながらの飛び蹴りが飛んできて、刃喰いは間一髪それを頭を下げてかわした。
「ジュニアブラじゃないわよっ。スポーツブラって言いなさいよっ!」
 顔が赤いのは怒っているからだけではなく、昨日の一件もあるのだろう。
「で、なんであの学校なんだ?」
 これ以上この話題に触れるのは不味いと察した刃喰いは、話を先に進めるよう促した。
「人の体に気の流れがあるように、大地の上にもそれがあるの。それが龍脈。そして、学校の裏にある山こそ、まさにそれなの」
「お前はそれを守り、あの怪人はそれを狙ってるってわけか」
「半分当たりで、半分はずれ。狙ってるのはナタクじゃなくて、とある組織よ。ナタクは単なる手先の人造人間。でも、真っ直ぐ学校に向かってるところを見ると、結界の起点を見つけられたのかもしれない……」
 そうこうしているうちに月明かりに照らし出された朧げな校舎の輪郭が見えてきた。
「よくわかんねぇけど、その説明は後で聞くとして――あいつが通りそうなルートは?」
「たぶんだけど、校門から入って、一旦校庭に出ると思う」
「わかった。グラウンドで挟み撃ちだ」
「そんなことできるの?」
「遅刻しそうなときに使ってる抜け道があんだよ。裏門に出られる。俺はそっちから回るから、お前はこのまま追え。いいな」
 手短に指示をして刃喰いは次の脇道を入った……が、なぜか龍使いも一緒についてきた。
「何でお前までこっちにくんだよ!?」
「ズルい。あたしも抜け道知りたい!」
「アホかーっ! そんなこと言ってる場合かよっ。ええぃ、後でおしえてやるから、今は兎に角あいつを追えっ」
「ちぇっ、わかったわよ。後でおしえなさいよ、絶対だからね」
 舌打ちしつつも不承々々了解し、龍使いは急停止。ズザザッ、とスニーカーがアスファルトを擦る音が消えるよりも早く反転し、きた道を駆けて戻っていく。
「大丈夫かよ、あいつ……」
 微妙に不安になるが、信じるしかない。
 刃喰いは加速した。細い路地を通り、家が壊されて空き地になった場所を抜ける。地図で見ているだけではわからない抜け道だ。程なく学校の裏門が見えてきた。なぜかこの学校は敷地を囲む塀が高く、同様に門扉も背が高い。門は当然のように閉まっていた。
 だが、そのまま速度を落とさず、門扉に飛びついた。中ほどに足をかけて跳び上がり、さらに最上段に手をかけて腕力だけで一気に体を引き上げる。そうやって淀みのない動作で、立ち塞がる障害を一瞬で乗り越えた。
 校庭へと出る。
 正面にナタク。ほとんど鉢合わせのような状態での再度の遭遇だった。その向こうからは龍使いの姿も見える。予定通りの挟撃だ。
「よーし、鬼ごっこは終わりにしようぜ」
「シャイアァァァッ!」
 奇っ怪な叫び声とともにナタクが爪腕を伸ばす。
「相変わらず気味悪ィことしやがって……!」
 しかし、一度見知ってしまえば、そんなものは単調に過ぎる攻撃。刃喰いは身を屈めながら腕をかいくぐり、ナタクへと迫った。
「目覚めて打ち砕け、第六の刃!」
 地よ砕けよばかりに踏み込み、その胸板に崩拳を突き込む。
 吹き飛ぶ黒衣の怪人。その勢いは長い滞空時間の末に地面に落ちても尚緩むことなく、ナタクの体は校庭の上を滑っていった。
「きゃっ」
 足もとに滑ってくる物体に驚き、龍使いがやけにかわいらしい悲鳴を上げて飛び退いた。
「なに今の?」
「戦鎚(ウォーハンマー)」
 右肩を回しつつ、刃喰いはニヤリと笑った。
「あんたが取り込めるものって、刃ものだけじゃないの?」
「別に。武器と呼べるものなら何でも。便宜上《八刃喰い》っつってるだけ」
 刃喰いはしれっと言ってのけた。
「……で、やったか?」
「まだね」
 見ればのそのそとナタクが起き上がろうとしているところだった。
 ふたりは同時に地を蹴った。
「おおっ!」
「破っ!」
 刃喰いと龍使いは裂帛の気合いとともに、寸分違わず同じタイミングで拳と蹴りを叩き込んだ。
 その破壊力は先ほどの刃喰いの比ではなく、ナタクの体はノーバウンドで校舎の外壁へと叩きつけられ、その威力を証明するようにコンクリート壁に張りついたままだった。
「……」
「……」
 ふたりはそれぞれ油断なく構えたまま、しばらくその不恰好な磔刑を見つめていたが、もう動き出す様子がないと見てとると、ようやくほっとひと息ついた。
「今度こそ終わりだな」
「こいつはね。でも、むしろこれからが本番」
 龍使いは再び否定した。その口調は今までで最も厳しかった。
「ナタクがいればそれを操る術師が必ずいる。それを叩くのがあたしの役目」
「居場所はわかってるのかよ」
「さあ? でも、わかっててもわかってなくても、あんたは連れていかない」
 龍使いは刃喰いの考えを先読みするようにして、冷たく突き放した。
「なんでだよ!? ここまできて、そりゃねぇだろっ」
「言っとくけど、術師との戦いは、こんな殴り合いみたいな愚直なものじゃないわ。大陸の長い歴史の闇で生まれた妖術師を舐めてると死ぬわよ」
「……」
 刃喰いは何も言えなくなった。
 龍使いの言葉の中に、彼女の“役目”の壮絶さを垣間見た気がした。そこに踏み込む覚悟はあるかと己に投げかける問いも、そう簡単に答えが出るものではない。
「じゃあね」
 龍使いは儚げな笑みを浮かべてから、背を向けた。
 刃喰いが思わず伸ばした手は、結局、何もつかめず、発する言葉も見つからず、去っていく少女をただ見送ることしかできなかった。
 
 まるで呪いか何かのように固まった体が動くようになったのは、龍使いの姿がとうに見えなくなってからだった。
 それから真夜中の街を、彼女を探してあてもなく駆けずり回り――見つけたのは東の空が明るくなりはじめた頃だった。
 道路を挟んで対岸の歩道を歩く龍使いは、最後に見たときよりもTシャツがいくぶんか汚れていたが、大きな怪我はないようだった。頭の後ろで手を組んでつまらなさそうに歩く姿は、遊び疲れた朝帰りの少女のように見えなくもない。
「おいっ」
 刃喰いが大声で呼びかけると、彼女は驚いたように「あ」の発音に口を開いた。
 ガードレールを飛び越えようとしたところにトラックが一台、走ってきた。こんな朝早くに走っているのは流通業のトラックだろうか。それが通り過ぎるのを待ってから、道路を横切って対岸へと渡った。
「なに、まだ帰ってなかったの?」
 ひと晩中走り回った疲れも忘れて刃喰いが駆け寄ると、龍使いは呆れ顔に変わって、生意気な口調でそんなことを言った。
「お前の説明、最後まで聞いてなかったからな。組織がどうとか龍脈がどうとか」
 言い訳がましい、取ってつけたような理由を口にする。かと言って、なぜここまで必死になって彼女を探し回っていたか、正直に説明しようとしたところでできはしないのだが。
「……」
「……」
 龍使いは刃喰いを訝しげに見つめ、
「いいわ。そういう約束だったような気もするから」
 諦めたように言ってから、止まっていた足を再び前へ運んだ。刃食いも横に並んで歩き出す。
「あたしはこの街の龍脈の守り人なの」
「その龍脈、とある組織が狙ってるとか言ってたよな」
「ええ。海を渡った大陸の組織よ」
 龍使いは声をひそめるような重苦しい口調で肯定した。
「龍脈って海を越えてはるばるやってきてまで欲しいものなのか?」
「龍脈は大地のエネルギィの流れそのものよ。手中に収めれば強力な力が手に入るし、運気をも左右できる。喉から手が出るほど欲しがる連中はいくらでもいるし、手にすればいくらでも使いようはある」
「それをお前が守ってるのか?」
「そう。うちはね、祖父の代で大陸から日本にやってきて、以来、ずっと守り人をやってるの。今までね。……以上よ。あんたには関係ない話だけど、約束だからね」
 語り終えた龍使いは、これ以上よけいなことを話すつもりはないらしく、口を閉ざした。
 刃喰いも黙り、今聞いた話を頭の中で咀嚼する。
「なぁ」
 しばらくの沈黙の後、刃喰いが先に口を開いた。
「ひとりでか? お前ひとりでそんなことやってんのか?」
「……そうよ」
「相手があんな化けものを使うような組織なら、こっちも味方を集めればいいじゃねぇか」
 刃喰いは足を止めた。遅れて龍使いも立ち止まり、振り返る。朝靄の立ち込める早朝の歩道で、ふたりは向かい合った。
 刃喰いの語調はさらに強くなる。
「あの山を守るってんなら、そうだな、学校を基点に動くってのはどうだ? こっちもそういう人間を揃えて――」
「あんたも手伝ってくれるって言うの?」
「……」
「……」
「……そのつもりだ」
 互いを行き来する言葉は唐突に途切れ、ふたりは押し黙って顔を見合った。龍使いの試すような視線と、それを受けて立つような刃喰いの視線。ふたつの視線が交錯する。
「気持ちは嬉しいんだけど――」
「……」
「あたし、誰かを巻き込むつもりはないから。これはあたしの“役目”」
 龍使いはきっぱりと言い切った。目には強い意志が窺える。
「じゃあね」
 そして、何時間か前と同じ言葉を――だけど少しだけ嬉しそうに再び口にして、踵を返した。そのまま早足で去っていく。
 またも刃喰いは呼び止めることができなかった。
「ああ、そうかよ、そうかよ」
 ひとり残され、吐き捨てるように言う。
「わかったよ。俺が強くなればいいんだろ。お前が俺を頼りたくなるくらいに」
 
 ついに見つけた。
 異能を持って生まれた理由。
 それを以って己が成すべきこと。
 
 俺がお前を支える。それが俺の“役目”だ――
 

 
 2008年11月8日公開
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