クリスマス・イブの前日――、
 12月23日。
 街はクリスマスムード一色。
 リビングのTVからはクリスマスや年末に向けた特別番組が流れ、否が応にも落ち着かない雰囲気にさせてくれる。
 周は、冬になって設置したこたつに足を突っ込んでTVを見ていた。
 そして、その周から90度写した位置には月子。いつものエプロンドレス姿で正座をし、膝の頭をこたつに入れている。……メイドとこたつというのも不思議な組み合わせだ。
「周様、もうすぐクリスマスですね」
 月子が平坦な声で言った。
「そうだな……」
 対する周も画面に目をやったまま、気のない返事をする。
「早いものです」
「だよなぁ」
 周は同意しながら、ようやく月子へと顔を向けた。
「ついこの間、夏休みに突入したばかりだと思ったけどな。俺、何があったかぜんぜん覚えてないぜ」
「そうですか? いろいろあったではありませんか。特に夏休みの最後の日なんて……」
 月子は頬に掌を当て、顔を赤くする。
「ちょっと待て。俺、何かやったっけ!?」
「いえ、何もやっていません」
 が、しかし、次の瞬間にはいつもの無表情に戻り、さらりと言った。いつの間にこんな技を覚えたのだろうか、このメイドさんは。
「強いて言えば、周様が夏休みの課題に追われて、切羽詰っていたくらいでしょうか」
「俺は小学生かよ……」
「それは兎も角、明日はクリスマス・イブです」
 話を戻す。
「どうせ周様のことですから、特に予定は入っていないと思いますので、私が――」
「あるぞ」
「……は?」
 決めつけるような台詞とともに半眼になっていた月子の目が、今度は点になった。
「いや、意外そうな顔をされても傷つくんだけどな。明日は翔子ちゃんと出かける」
「……」
「映画見て、ショッピングモールのイルミネーション見て、明日から2日間だけ立つって言う特大ツリー見てくる」
「そ、そうでしたか……」
 黙って周の話を聞いていた月子がようやく発音した。
「よもや周様に春がこようとは……」
 そうして出てきた皮肉は、しかし、どこか力弱く、精彩を欠いていた。
「クリスマスに春がどうとか言われてもな……。それに翔子ちゃんとはそんなんじゃないよ」
 周はそう主張するが、月子はそれには何も返さず、すっと静かに立ち上がった。
「あれ、月子さん、どうかしたの?」
「別に何でもありません。……夕食の用意をします」
「さっき食べた……」
「……夕食の後片づけをしてきます」
 短くそう訂正して、月子はキッチンへと向かった。
「……」
 周の目から見ても明らかに月子の様子はおかしかった。だが、声のかけ難い後姿だったため、そのまま黙って見送ることにした。
 
 間もなく日付が変わろうかという頃――、
「よしゃ」
 与えられた冬休みの課題の触りに一段落つけて、周が声を上げた。テキストとノートを次々と閉じていく。
「夏休みには最後の日に慌てたらしいからな」
 周としてはその記憶はまったくないのだが、月子が言うのだからそうなのだろう。同じ轍を踏むわけにはいかない。だから、こうして早々に課題に取りかかっていたのだ。
 机の上を軽く片づけ、勉強机から立ち上がった。自室を出て、リビングに足を向ける。
 と――、
「ん?」
 廊下の先、リビングにまだ煌煌と灯りがついていた。まだ月子が起きているらしい。先に寝てればいいのに――と周は思う。
「月子さん、まだ起きて――」
 言葉が思わず途切れた。
 確かにそこに月子はいた。ピンクのパジャマにクリーム色のカーディガンを羽織った格好。ダイニングのテーブルに両肘を突き、掌で顎を支えた構造で座っている。視線は宙へ。眠っているのではなさそうだ。しかし、考えごとをしているにしては、意識はどこか別の場所にあるように見えた。
 これくらいの時間にうとうとしかけた月子を何度か見たことがあるが、起きているのに心ここにあらずでぼんやりしている姿は初めてだった。
「えっと、月子さん?」
 そっと声をかけてみるが、反応はない。
「おーい、月子さーん」
「ふえ? あ、はい。なんでしょう?」
 ようやく覚醒。なにやら月子らしからぬ間の抜けた声が上がったような気もしたが、周は聞かなかったことにした。
「あ、いや、なんだ、寝る前に何か飲もうと思ってきたんだけどな」
 周はたどたどしく答える。ついさっきまでなら月子に何をぼんやりしていたのか尋ねようと思っていたが、先に問われてしまい、そのタイミングも逸してしまった。
 とりあえず冷蔵庫まで行き、扉を開けてみる。
「月子さん、まだ寝ないの?」
「私はメイドです。周様より先に休むわけにはいきません」
「律儀だな」
 既製品のストレートティーを取り出し、それをコップに注いで一気に飲み干した。
「俺はもう寝るから、月子さんも早く寝ろよ」
「わかりました。では、それを洗って今日の最後の仕事としましょう」
「頼んだ」
 コップは周の手から月子の手へと渡った。
 淡々と洗物をこなす月子は、もういつもの彼女に戻っていた。先ほどのは何だったのだろうか。
「……まぁ、いいか」
 小さくつぶやき、自室に引き返そうとした。
 と、そのとき――、
「くしゅ」
 背後でかわいらしいくしゃみ。周は振り返ってみた。が、月子に変わった様子もなく、同じ調子で洗いものを続けていたので、そのまま部屋に戻ることにした。
 
 そして、翌日――、
 クリスマス・イブ。
 月子はまたぼんやりしていた。
「ていうか、風邪?」
「……そのようです」
 熱があるのか、月子は赤い顔で首肯した。
 風邪を引きながらも職務は全うする気らしく、きちんとエプロンドレスに身を包んでいる。が、しかし、身体がふらふらと危なっかしく揺れていた。本人はきっと真っ直ぐ立っているつもりに違いない。
「昨夜、湯冷めしたのが原因かと」
「ぼうっとしていたもんな。いったい何やってたんだよ」
「……別に。何もしていません」
 そう言って月子は不機嫌そうに顔を背けた。その頬が心なしか膨らんで見える。
「しかし、まいったな。俺、もう出かけるんだけど」
 翔子との待ち合わせに遅れないためには、そろそろ家を出ないといけなかった。
「周様がまいるようなことはありません」
「いや、でも、風邪ひいてる月子さんをほったらかしっていうのもな」
「私の心配などせず、周様は予定通り出かけてください」
「と言われても……」
「……シュウ、うるさい」
 平行線を辿る言い争いを一気に終結させる殲滅兵器(アニヒレータ)が炸裂。
「むしろ、とっとと行け」
「……」
「……」
「……」
 メイドさんとは思えない敬意のすっ飛んだ発言に絶句する周と、特にそれを気にした様子のない月子。
 沈黙。
 後、こほん、と月子が小さく咳払いをした。
「周様がいない方が、私もゆっくり休めますので」
「……」
 改めて言ったことも、たいして内容は変わっていなかった。
 周は一瞬、何か言い返そうかと思ったが、すぐに思いとどまった。
「それもそうか」
 一理あると思ったのだ。
「実際、俺がいても何もできないしな。逆に仕事を増やすだけなんだよなぁ」
「……その通りです」
「悪い。じゃあ、遠慮なく行かせてもらうことにする」
 思い切ってそう決断し、玄関へと向かった。月子も見送りのためについていく。
 靴を履き替えて振り返ると、月子の熱に浮かされた赤い顔があった。
「家のことはいいから、とりあえずゆっくり寝ててくれ」
「そうします」
「んじゃ、いってくるから」
「いってらっしゃいませ」
 月子がお辞儀をして送り出す。
 いつもならドアが自然に閉まるのに任せている周も、今日は丁寧に閉じた。ドアが閉まるその直前まで月子を見ていた。
「……」
 そして、今は閉じ切った鉄扉を見つめている。
 まさかドアの向こうで倒れたりしてないだろうな――
 そう心配になるのだが、再び開けてみるのも躊躇われた。
「ま、大丈夫だろ」
 自分を納得させるように言って、ようやく周は歩き出した。
 
 翔子との待ち合わせは郊外型のシネコンの前だった。
 同じマンションの同じフロアに住む翔子と直接ここで待ち合わせることにしたのは、翔子が家以外のところからここにくることになっていたからだ。
 その翔子はまだきていない。
 待っている間、空を見上げてみる。どんよりと暗い。単に冬の空だからか、それともこれから崩れつつある天候がそうさせているのか。そう言えば冬の空がどんな色をしているか知らないな、と今さらながらに思う。
「……くん」
 月子は今頃、家で寝ているのだろうか。心配だが、かと言って周が帰ったところでできることなどたかがしれている。月子が周の世話をしようとして休めなくなるのがオチだ。
「……くんってばっ」
 軽い風邪なら明日には治っているだろうか。もし治っていたらショッピングモールの巨大ツリーを一緒に見にいくのも悪くはないかもしれない。なんと言っても今日明日限りなのだから。
「必殺どりるしょーてー」
「おぶすっ」
 いきなり腹に特大の衝撃。くの字に折れる周の身体。数歩後ろによろけて見てみれば、そこにはかめはめ波みたいなポーズを取っている小柄な美少女がいた。
「翔子ちゃん!?」
「みゅ?」
「いきなり何するんだよっ」
「だって、周くん、呼んでも気がついてくれないし?」
 だから必殺のドリル掌底。……いったいどこがドリルしていたのかは不明だが。
「待った?」
 そして、改めて翔子は片手を上げ、人懐っこい笑みを浮かべる。
「待った? あ、いや、どうだろうな?」
 周は、問われて初めて自分の時間感覚が欠落していることに気づいた。ここにきていったいどれくらい待ったのだろうか。正直、よく覚えていなかった。
「ふうん。ま、いっか。そんなに遅れてないはずだし。……ね、それより、これどうかな? 即席サンタさーん。……かわいい?」
 翔子は着ているものを見せつけるようにして、くるりと一回転してみせた。白いファーのついた赤いショート丈のコート。確かにサンタクロースのカラーリングだ。
「ん? あぁ、いいんじゃないか?」
 素直にかわいいと思う。
 しかし、翔子は周の感想を聞いた途端、リズミカルにステップを踏んでいた足をぴたりと止めた。
「周くん、何かあった?」
「何かって?」
「心配ごと、とか?」
「……」
 実に鋭い。
「心配ごとっていうか……今、月子さんが風邪でダウンしてるんだ」
「うわ……」
「なに?」
「普通、“何でもないよ”とか言わないかなって」
「……」
 そんなもんだろうか、と周。
 しかし、確かに家庭の事情なので、ここで口にすべきことではなかったかもしれない。周は心の中で反省する。
「帰ってあげたら?」
「え? あ、いや、月子さんなら大丈夫だから。軽い風邪みたいだし。……悪い。気を遣わせたかな」
「でも、心配なんでしょ。周くんが」
「……まぁ、ね」
 そこは認める部分だった。家を出たときから月子のことが気にかかって仕方がなかった。
 周はしばし考える。
 そして――、
「ごめん。今度埋め合わせする」
「高いんだから」
「覚悟しとく」
 そう返事して、周は駆け出した。
 
 月子の私室の前に立ち、まずはここまで走ってきて乱れた息を整えた。
 それから、ノック。
「月子さん?」
 返事はない。
「……入るよ」
 ドアをそっと開き、静かに踏み込む。
 中では月子がベッドで眠っていた。特に苦しそうな表情でもなく、穏やかで規則正しい寝息を立てている。周はほっと胸を撫で下ろした。
 そばに寄ってみる。
 と、そのとき、人の気配を察したのか、月子が目を覚ました。逃げようか隠れようかと思うよりも、月子が目覚めるそのシーンに見惚れてしまう。
「……シュウ?」
「お、おう」
 名を呼ばれてからようやくばつが悪い状況であることに気づいた。
「周様」
 そして、月子も意識をはっきりさせた。身体を起こそうとしたが、それを周が「いい。寝てろ」と制した。
「周様。出かけたのでは?」
 少し落ち着かない様子ながら、月子は布団に入ったまま周に尋ねた。
 問われている間、周は月子の勉強机から椅子を引っ張ってきて、それに座った。
「翔子ちゃんがさ、他の予定が入ったって、お流れになったんだ」
「……」
 しかし、月子は何も返さず、ベッドに横になった状態のまま、じっと周を見つめるだけだった。
 だんだん居心地が悪くなって、周の目が泳ぎ出す。
「あー……ごめん、嘘。月子さんが心配になって帰ってきた」
 ついに観念。
「……ウソツキですね」
「ごめん」
 もう一度謝る。
「最初からそう言ってください。相変わらず後一歩が届かない人ですね」
「よくわからないけど……ごめん」
 何を責めているかわからないが、呆れたようにため息を吐く月子はいつもの調子のようで、周は改めて安心した。この分だともうひと眠りすれば、きっと大丈夫だろう。
 次第に空気が柔らかいものに変わっていくのがわかった。
 わずかな無言の後、
「周様」
 今度は月子が先に口を開いた。
「今日は周様のためにケーキを作ろうと思っていました」
「そうか。じゃあ、明日頼む。明日だってクリスマスだ」
「わかりました」
 月子が笑みを含ませながら答える。
 周は椅子から立ち上がった。
「とりあえず今はゆっくり寝ろ」
「……はい。そうします」
 その返事を聞いて、部屋から出た。
「明日――」
 と、つぶやく。
 明日、月子が元気になっていたら、彼女を誘って出かけよう。ヒイラギのリースとキャンディケーン。飾り立てた、あの特大のツリーを見にいこう。
 リビングのテーブルに目をやる。そこにはクリスマス用の包装紙とリボンのついたプレゼントがあった。周が帰り道に思いついて買ってきたものだ。
「これも、明日だな」
 そう。プレゼントはまだ隠しておいて――
 12月25日。
 クリスマスは明日だ。
 
 
50%&50%
 クリスマスSS 「Christmas time for you and me」
 2007年12月22日公開
何か一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
コメントへのお返事は、後日、日記にて。