第3話 02-春 「また明日」
 
scene1 春のドリームフラグメント 1日目
 
 時間は流れ――、
 季節は巡り――、
 年が変わって、年度が変わって――、
 五月病も吹き飛ばす勢いでやってきました、春のドリーム・フラグメント。
「こんにちは、南雲さん」
「どうも」
 丁度一年目。回数にして5回目。南雲さんとのこのやりとりも、ついにお馴染みとなってしまった。
「今日は遅かったんですね」
 時間はもう3時近い。閉会が4時なので、お祭り騒ぎは収束に向かいはじめている。売り物の在庫が尽きたのか、早くも撤収したサークルもあり、所々空きになったスペースが見られる。わたしは逆に最後までいるタイプだ。ここは数少ない交流の場。遅くなっても会いにきてくれる人もいるし、そういう人のために残っている。……別に本を売ろうとギリギリまで粘ってるわけじゃないわ。ええ、そんなことはないですとも。
「何かあったんですか?」
「少し個人的な用事で遅くなりました。……鈴子さんのところに顔を出す約束をしてたんですが、まだ残ってるか心配ですね」
「どうでしょうか? わたしに黙ってこっそり帰ったりしてなかったら、まだいると思いますけど?」
 と、南雲さんの疑問に答える。
(って、ん?)
 そこでふと気づく。
「もしかして鈴子さんよりも先に、ここにきてくれた……?」
「そうですけど?」
「嘘!?」
 何だか少し……、いや、かなり嬉しかった。
「あそこの入り口から入って鈴子さんのスペースに行こうと思ったら、ちょうどここが通り道になるんです」
「……ああ、さいですか」
 そして、一気に冷めた。
 単純に効率の問題らしい。いまいちズレた社交性を持ってる南雲さんが、約束もしていないのにわざわざ自分から遊びに、しかも、どこよりも先にここにきたから、成長したものだと感心してたのに。変に感激した自分がバカみたいだ。
「……まあ、いいですけど」
 ちょっとジト目で睨んでみる。
「鈴子さん、まだ帰ってないと思いますけど、こんな時間ですから、早く行った方がいいかもです」
「そうですね、行ってみます」
 そう言って南雲さんは「それじゃあ」と素っ気ない挨拶を残して去っていった。
「『それじゃあ』か……。ふん、だ。別にいいですけど」
 
 それから30分ほど後、
 いい加減サークル参加者だけでなく一般参加者までまばらになってきたので、わたしたちは撤収準備をはじめていた。
「お腹空いたよね」
「うん。ここに座りっぱなしで、結局、お昼食べずだから」
 本の売れ残りを箱に詰めながら彩ちゃんが応える。
「差し入れはわんさかあるけど、こうお菓子ばかりじゃ、ね」
 言いながらわたしは貰いもののお菓子をバッグに放り込んでいく。毎回のことだけど、遊びにくるついでに差し入れを持ってきてくれる人が多く、一日が終わる頃にはけっこうな数になっている。しかも、今回は、何日か前にサイトで「ホワイトチョコが好きです」なんて言ったばかりに大半がホワイトチョコだ。こんなのお腹が満足するまで食べたら、後でえらいことになってしまう。
「優希ちゃん、半端な時間だけど何か食べに行く?」
「そうね。そうしようか」
 そうと決まれば善は急げだ。ふたりしてテキパキと帰り支度を整えていく。
 と、そのとき、視界の隅に見知った姿が映った。
「あ、南雲さーん」
 呼びかけるとこっちに気づき、歩み寄ってきた。ていうか、帰るのなら一度ここに顔を出してもいいのではないだろうか。
「わたしたち、今から何か食べに行こうと思ってるんですけど、よかったら一緒にいきませんか?」
 と、提案したのは彩ちゃんだ。
 もしもし、彩ちゃん? よりによって南雲さんを誘う? ダメもとにも程がある気がするのだけど。
 なんて横で思っていたら、こともあろうに南雲さんは腕時計を見ながら少し考えて、
「いいですよ」
 と言った――。
「え!?」
 さすがにこれには驚いた。まさかすべての挨拶を「どうも」と「それじゃあ」ですませてしまう、クールとかあっさりとか言うよりも、コミュニケーション能力に致命的欠陥があるんじゃないかと疑わしくなってくる南雲さんが、こうも簡単に誘いを受けるとは夢にも思わなかった。
「何か?」
「え? い、いや、何でもないです。じゃ、じゃあ、すぐに荷物をまとめますから、ちょっと待っててくださいね」
 南雲さんとゆっくり時間がとれるなんてまたとない機会。何というか好奇心がくすぐられる。気が変わらないうちに事を運んでしまおう。
 
 それから10分ほどで帰り支度をすませ、アークの外へ出る。
 わたしはいろいろ詰め込んで目いっぱい膨らんだスポーツバッグを抱え、彩ちゃんは段ボール箱ふたつを載せたキャリアを引いていた。南雲さんは相変わらず同人誌など買った様子もなく、軽そうなデイバッグを肩に下げていた。
「すぐそこのショッピングモールでいいですよね?」
 ひとり先を歩いていたわたしは、南雲さんと彩ちゃんに訊きながら振り返る。
 と――、
「……っ!」
 そこにサングラスをかけた南雲さんがいた。
「どうかしましたか?」
「い、いえ!? 何でもないです何でもないですっ」
 手と首を力いっぱい振って応える。
(びっくりした……)
 サングラス装着状態の南雲さんは普段より格好良くて、心の準備もなく不意打ちで見ると心臓に悪い。ちょっとドキドキしてしまった。
 少しずつ歩く速度を落としてさり気なく隣に並ぶと、その横顔をこっそりと盗み見る。
 改めて南雲さんは素敵だと思った。シャープな感じに整った顔、男の人にしては綺麗な肌。髪は女でも羨む人がいそうなほど質が良くて艶がある。今日は今までよりも長めで、時々風に吹かれて流れるように揺れている。そろそろ切るのだろうか? 上手くセットすれば、長くしても似合いそう。
「……」
 でも、わたしがいちばん気になったのは別のところだった。
 南雲さんは真っ直ぐ前を見て歩く。ほとんど余所見をせず、ただ前にだけ向けられる深い色の瞳は、目の前の景色とは違う、とても遠い場所を映しているように見えた。
 神秘的で、
 とても危うい感じ。
 いったい何を見ているのだろう? わたしは南雲さんが見ているものがひどく気になった。
 不意に南雲さんが首をこちらに向け、片目でわたしを見て――、
 目が合う。
 彼を盗み見ていた後ろめたさがあるというのに、だけど、わたしは視線を逸らしたり誤魔化したりしなかった。たぶん、できなかったのだと思う。
 南雲さんが、かすかに微笑んだ。
「重そうですね。持ちますよ」
 次の瞬間、バッグを担いでいた肩がふっと軽くなった。南雲さんが持ってくれたのだ。
「い、いいです。それくらい持てますから」
「気にしないでください。ずっと持ってあげられるわけでもないですが、今くらい目の前にある厚意に甘えておいてください」
 結局、南雲さんはバッグを返してくれなかった。
「は、はい……」
 わたしは頷くと、なぜかそのまま顔を上げられなくなった。
「あら、わたしも大きな荷物を持ってるんですけど?」
「彩さんは車輪がついてるってことで」
「あは。冗談ですよ、冗談」
 横ではそんなやり取り。
 わたしは自分のつま先を見ながら歩き、そして、先のシーンを繰り返し再生していた。
 おそらく初めて見た南雲さんの笑顔。でも、わたしはあの微笑みに警告を告げられた気がした。
「人の心を勝手に覗くなよ」
 と――。
 
 飲み放題のドリンクバーがあるお店はさすがに混んでいて、テーブルにつくまでかなりの時間がかかった。みんな疲れていたのか、座ると同時に無口になることしばし。それから一服して注文したメニューがそろう頃には元気を取り戻して、また饒舌になっていた。
「彩ちゃんと知り合ったのが高校のときで――」
 まずは無難なところから話をはじめていく。熱心にとはいかないまでも、南雲さんはそれをよく聞いてくれた。
「最初に読んだ本の感想を探してて辿り着いたのが、鈴子さんのとこなんです」
「あの人の書評は面白いですからね」
 いつの間にか話は趣味の方向へ。趣味が同じで、同じサイトに出入りしているだけあって、この話題には南雲さんも受け答えをしてくれた。食事の誘いを受けてくれたことといい、今こうして話していることといい、意外と人付き合いがいい方なのかも知れない。認識を改めようと思う。
「あぁ、その本なら俺も持ってます。特装版のやつ」
「あ、いいなぁ。お金持ちさん。わたしもそれ以外ならぜんぶ持ってるんですけどね」
 気がつけば、気をよくしてどんどん喋ってしまうわたしがいた。
 そして、時計の針がそろそろ6時を差そうという頃、
「それから――」
「すみません、俺、そろそろ行かないといけないので」
 わたしの話を遮るように言った。
「え? あ、そうですか? じゃあ、仕方ないですね。……もしかして約束とかありました? 誘ったの、迷惑でしたか?」
「約束と言っても明日の打ち合わせです。時間は今から行けば充分ですね」
 そうか、明日の打ち合わせなのか。
(明日? 明日、明日。明日か……)
 わたしはふとあることを思いついて、試してみたくなった。
「これ、ここに置いときます」
 南雲さんは五千円札をテーブルの上に置いた。勿論、それは南雲さんひとり分にしては遙かに多い額だ。
「あ、ちょっと待ってくださいね。すぐに計算しますから」
「いいですよ。これでおふたりの分も一緒に。……それじゃあ」
 どうにかして断ろうとしている彩ちゃんだけど、南雲さんは取り合うつもりはないらしく、もうすでに立ち上がっていた。
 その南雲さんにわたしは言う。
「南雲さん。また明日、会いましょうね」
 すると、少し驚いた顔をした後、
「……また、明日」
 と、短く返した。
 言い慣れていないのか、たどたどしい口調だったけど、わたしは何だか嬉しくなった。
「ふふ♪」
『また明日』――
 すごくいい言葉だと思う。
 
 
scene2 春のドリームフラグメント 2日目
 
 午後3時50分――
 間もなく春の祭典が終わろうとしている。
 2日目の今日は例によって例の如く、わたしは屋上庭園で一日を過ごした。黒のゴスロリドレスはなかなか好評だったようで、けっこう人目を引くことができた。
 至極充実した気分で撤収準備をしていると南雲さんに会った。昼過ぎに一度顔を出してくれたので、本日二度目だ。
「あ、南雲さん。今帰りですか? だったら、昨日みたいに何か食べに行きません?」
「いえ、これから約束がありますから。……それじゃ」
 間髪入れず、というほどではないけど、即答だった。
「……あ、そ、そうですか? はい、それじゃあ……」
 少し冷たい感じの返事に呆気にとられ、そう言い返したときには、南雲さんは既にわたしの声など届かない位置にいた。先の反応は、らしいと言えばそうなのだけれど、昨日のこともあって少し意外だった。
「……」
 去っていく南雲さんの背中を見送る。
 わたしはそこに彼の『歪み』を見た気がした。
 いや――、
 後になって思えば、初めて逢ったときからそれはわたしの前に、それもあからさまなかたちで示されていたのだと思う。
 
 
 2008年12月11日公開

 

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