パーティ会場。
ホールは見渡す限り外国人、外国人、外国人。そのほとんどが欧米人だ。つまり外国人はむしろ僕たちの方ということになる。
ここにいるのは皆、財界の有名人ばかりだ(と言っても、僕はさっぱりだけど)。なんで僕がこんなところにいるのかというと――、
「ここからは別行動な。テキトーに楽しんでこいよ」
僕をさんざんあちこちに紹介して回ってから、蒼司が言った。
要するにそんな人たちが集まるクリスマスパーティにむりやり連れてこられたのだ。
Simple Life
番外編5 異国の地にて
僕も蒼司もフォーマルなスーツ姿。蒼司はムカつくくらい似合っているが、僕はどうも服に着られている感じだ。
「おい、ちょっと待てよ。僕をひとりにする気か!?」
「当たり前だ。親子で、しかも男同士でずっと一緒なんて気持ち悪いだろうが」
「だって、周りガイジンばかりだぞ?」
「なに? お前まだ英会話もできねーの?」
うわ、恥ずかしー奴、と蒼司。ついでに、ぷっ、と吹き出しやがった。
これでも蒼司のところにきてから英会話の勉強はしている。嫌味なことに蒼司は英語が堪能で、直々に教えてくれるのだ。だけど、たいていの場合、はじまって20分くらいしたら互いの悪口を言いながら、手近なものを投げ合っている。なので、あまり上達していない。
「ばーか。こういうのは机の上でやってても埒が明かないんだよ。実践あるのみ」
「そりゃ一理あるけどさ……」
こんなところにひとりで放り出されるのはちょっと……
今まで何度かこういう場所につれてこられたけど、常に蒼司か奈っちゃんが一緒にいた。今日はその頼みの奈っちゃんもいない(彼女はあれで英語ペラペラだったりする)。
「その辺うろついて、いい女見つけてこいよ。そうしたら口説くのにも必死になるだろうよ」
「…………」
「必要なら部屋も取っていいぜ。後で俺がちゃんと払ってやるからよ」
「いらねーよっ」
まったく。蒼司じゃあるまいし、そんなことするかよ。
それに、僕が司先輩から逃げ出して丁度2年、もう戻らないつもりでいるけれど、それでも誰か女の子とつき合おうという気には未だになれないでいた。
気持ちの整理がつくのはまだ先っぽい。
そう思っていると、蒼司が僕のことを見つめていた。僕の前ではあまり見せることのない、真剣な顔だ。
「なんだよ」
「なんでもねーよ」
意外にも蒼司はつまらなさそうに返してきた。そして、僕に背を向ける。
「んじゃ、ま、頑張んな。ボーズ」
背中越しにひらひら手を振って去っていきやがった。
結局、僕はひとりにされるわけね。
OK、いいだろう。僕だってそれなりに勉強してきたんだ。それくらいやってみせるさ。アー・ユー・どこからカムフロム? よし、完璧だ。
と、意気込んだはいいけど――、
「あ あー あい きゃんと すぴーく じゃぱにーず そ そーりぃ」
全力で撤退。
話しかけられた途端びびりまくって、わけのわからないことを口走っていた。全部ひらがな。カタカナ英語にすらなっていない。
良くも悪くも僕は日本人なんだなと思った。教科書とノートでガチガチの文法と構文を学んで受験に挑む。英会話なんてできやしない。――と、まあ、日本の現行教育への問題提議はさておき、さしあたっては今をどう乗り切るかだ。いっそのこと外に逃げるか?
何となく周り見回してみる。気持ち的には索敵だ。
すると僕の目に東洋人らしき女の子の姿が映った。
日本人だろうか。斜め後ろから見ただけだけど、歳は僕と同じくらいに見える。ちょっと背伸びしたような大人っぽいドレスに身を包んでいた。こんなところにいるくらいだから英語ができるのだろう。一緒にいたらいろいろと助けてもらえそうだ。声をかけてみようか。
尤も、東洋人らしいというだけで、韓国人だったり中国人だったりする可能性もあるわけだけど、そのときは日本語で人違いっぽく謝ればいいか。
僕は彼女に歩み寄る。
冷静なって考えれば、なかなか大胆な行動だよな。外国で日本人をナンパする心境って、こんなのかもしれない。
「すみません。えっと、日本の方ですか?」
「え?」
彼女が振り返る。そして、初めてお互いの顔を正面から見た。
「…………」
「…………」
てゆーか、どこかで見たことある顔のような……。
「…………」
「…………」
「こんなところで会うとか奇遇ね、千秋那智。さてはようやく私と勝負する気になりましたのね?」
やっぱりお前か!
「Sorry. It was mistaken identity.」
なぜかこんなときだけ出てくる英語。とっととトンズラしよう。
「待ちなさい。それで誤魔化してるつもりですの?」
「ダメか?」
「ダメに決まってますわ」
彼女、姫崎さんはきっぱりと言った。
「というか、何で君がここにいるんだよ」
「お父様が招待されて、私も連れてこられましたの。本当は迷惑なんですけど」
「…………」
ああ、そうだったな。姫崎さんって嘘臭いけど、正真正銘のお嬢様なんだよな。
「貴方こそ。こんなところで会うとは思いませんでしたわ」
「僕は……まあ、ちょっとね」
詳しく語ったところで面白くない話になることは目に見えているので、テキトーに誤魔化しておく。
「ふうん……」
ありがたいことに姫崎さんはそう言っただけで、詮索はしてこなかった。
「もしかして姫崎さんって、英語ペラペラだったりするわけ?」
「当然ですわ、と言いたいのですけど、せいぜいこういう場での日常会話に困らない程度に、といったところですわね」
「むう……」
こうなったら不本意だけど彼女と一緒にいるか。
「その様子でしたら日常会話もろくにできないのに、ひとりで放り出されたといったところですわね」
「ぐ……」
ふふん、と勝ち誇ったように鼻を鳴らす姫崎さんに、僕は言い返す言葉がなかった。
「よかったら外に出ない?」
「へ? まあ、別にいいけど?」
「そう。実はさっきからどこかのボンボンが何度も声をかけてきて、うんざりしてましたの」
もの好きな奴だな、と言おうとして僕は言葉を飲み込んだ。実際、姫崎さんは性格は兎も角、美人ではある。しかも、この2年でさらに綺麗になっている。
「じゃ、行きましょ」
そう言うと姫崎さんは踵を返し、ホールの出口に向かって歩き出した。
僕もその後ろについていく。
彼女が着ているドレスは背中が大胆に開いていて、後ろにいる僕からは大きく露出した素肌が見えていた。
「…………」
服を着ているとはいえ、面積の広い素肌というのは目の毒だ。顔を背ける。でも気になる。
仕方なく僕は彼女の横に並んだ。
パーティは夕方からはじまったので、外はすっかり日が落ちていた。
会場となっているホテルの庭にはバスケットボールのコートが一面あった。他に目当ての場所があるわけでもない僕らは、ここに落ち着くことにした。
僕はコートの外周を歩く。
「何をしてますの?」
少し離れたところから姫崎さんの声。
「ちょっと、ね……」
曖昧に答えて僕は歩き続け……お、あったあった。植え込みの中に片づけ忘れたバスケットボール発見。
ボールをつきながら姫崎さんのところに戻る。
「やる?」
「やめておきますわ。さすがにこれでは無理ですもの」
彼女はドレスの胸元を摘んで言う。
背中同様、胸元も大きく開いたドレスの奥に、ささやかながら胸のふくらみが見えて、僕はどきっとした。
「下手すると脱皮しますわよ」
「そりゃ怖いな」
見てみたい気もするけど。
確かにボール遊びをするユニフォームではないな。僕はひとりでフリースローをすることにした。
軽く一本シュート……外れ。暗いな。照度が足りない。それとも単にブランクが長いだけか。
「姫崎さん、受験は?」
「推薦でひとつ合格を貰ってますわ」
「だろうね」
そうじゃないとクリスマス前のこの時期に外国で遊んでいる余裕なんてないだろう。
「…………」
「…………」
話が途切れる。
もともと特に話題はないのだから……いや、あるにはあるか。もっと聞きたいことが。でも、怖くて聞けないだけ。
僕は黙ってシューティングを続けた。
「…………」
「…………」
「……あのさ」
「何ですの?」
「司……片瀬先輩のこと、何か聞いてない?」
僕はようやくその質問を口にした。
「…………」
でも、返事はない。
知っているでもなく、知らないでもなく、無言。
「…………」
「…………」
そして――、
「知りませんわ。私、あの人とは接点がありませんもの」
ようやく発せられた言葉はこれだった。
「気になるのでしたら、自分で様子を見にいったらどうですの?」
少し冷たい声に聞こえた。
たぶんそれは欲している答えが得られなかったから、そう聞こえてしまうのだろう。
「確かにそうなんだけど、ね……」
思わず苦笑が漏れる。
僕が今さらどのツラ下げて司先輩に会いにいけるだろうか。そんなことできるはずもない。
「千秋君。貴方、運命って信じる?」
不意に姫崎さんが訊く。
「運命?」
思いがけない単語を聞いて、僕はシューティングをやめた。ボールを拾って、姫崎さんに向き直る。
「そう。運命。こう見えてもわたし、そういうのを信じる方なの。千秋君は?」
「さぁ、どうだろうな」
考えたこともない。
「わたしは思うの。運命の出会いとか再会とか、そういうのがあって、それにはどんなに抵抗しても無駄なんじゃないかって」
「…………」
「貴方と片瀬さんもそう。何があったかは知らないけど、貴方がどんなに片瀬さんから逃げても、きっといずれは捕まるわ」
「捕まるって……」
他に言い方はないんかい。
でも、まあ、面白い考えだとは思う。
「納得した?」
「そうだね。あの人と僕との間にもそういうのがあればいいなと思う程度には」
「……そう」
言って姫崎さんはわずかに視線を落とした。
運命の存在を説く彼女にとって、半信半疑の僕の返事は面白くなかったのかもしれないな。
「…………」
「…………」
「こんなところで会った貴方とわたしの――」
「ん?」
「何でもありませんわっ」
僕を睨みつけるように顔を上げる。
不機嫌な猫の目。
何でもないようには見えないんだけどな。
「そろそろお父様のところに戻りますわ」
「そっか。じゃあ、また」
「残念。私と貴方はそんな関係じゃありませんわ」
そう言って姫崎さんは振り向きもせずホテルに戻っていった。
そうか。だったら偶然にでも期待しようか。このまま別れてしまうには惜しいキャラクタだ。
「…………」
日本を離れて長いから少々感傷的になっているのだろうか。こんな感想が出てくるとはね。
そして、今度はその日本に思いを馳せる。
「運命か……」
近々日本に帰る予定だ。そのときひとつ自分を試してみるのもいいかもしれない――
2007年4月21日公開 |