2月14日――、
 朝、学校にきて靴箱を見ると妙なものが入っていた。
「…………」
 ぱたん――
 思わず閉めた。
(なんだ……?)
 今見た光景を頭の中で再生し、考える。が、どうもその正体がピンとこないので、ここが自分の靴箱であることを確認してから、再度、開けてみた。
 上段に体育館用のシューズ。下段には数冊の教科書と、その下でぺちゃんこになっている上靴。そして、教科書の上には見覚えのない直方体の物体――。
 一度、辺りを見回してみる。まだ少し早い時間なので生徒の姿は疎らだ。
 再び靴箱に視線を戻し、その物体を手に取ってみた。それはやや平べったく、赤いファンシィな包装紙とピンクのリボンでラッピングされていた。
「おおっ」
 この外観と今日の日付から僕はひとつの結論を導き出した。
 つまりバレンタインというイベントを象徴する記号。
 これってチョコレートってやつ?
 そうわかった途端、何だか危険物を持っているような気分になって、僕は改めて周りを確認した後、すばやく鞄に放り込んだ。
 ……万引きかいな。
 
 
Simple Life
  02 ショコラ
 
 
「一夜、見てくれ。チョコレートもらっちゃったよ」
 教室に入り、席に着くなり後ろの一夜にだけ聞こえるように言った。
 一夜は例の如く読んでいた文庫本から顔を上げ、僕を一瞥すると温度の低い声で、
「そらよかったな」
 とだけ言った。
「よかった、のかな?」
「那智の心の持ち方次第やな。……で、誰や? お前と片瀬先パイがつき合ってんのは周知の事実やのに、それでもそんなもんをよこす女は」
「あ、それもそうだね」
 言われて初めて今までこれが誰からの贈りものなのか全然気にしてなかったことを思い出した。
 案外浮かれていたのかもしれない。
「ちょっと待って。今見てみる」
 一夜にそう言ってから、机の下で隠すように調べた。
 外から見えるところには何も書かれていない。
 実は手紙が添えられていて靴箱の中に残してきたという可能性も考えたが、思い返してみるにそれはなかったように思う。
 仕方ないのでこの場で開けさせてもらうことにした。
「ありゃ? どうしよう、何も書いてないぞ」
 しかし、中を開けても差出人がわかるようなものは何もなかった。お礼を言おうにもこれではどうしようもない。
 これは困ったぞ、と。
「因みに、一夜は?」
 きっと朝から幾つか貰ったんだろうな――そういう確信のもとに聞いてみた。
 すると一夜は学校指定のサブバッグを僕に突きつけてきた。中を覗いてみる。
「おおぅ」
 5、6個のチョコが放り込まれていた。
「那智と一緒で靴箱に入ってたり、誰かようわからんやつに押しつけられたり」
「さすが、一夜」
 と――、
「千秋、おっはよーん♪」
 ハイテンションな挨拶とともに現れたのは宮里晶(通称サトちゃん)だ。
「はい。これ、あげる」
「へ?」
 差し出されたそれはピンクの包装紙でラッピングされた物体。
「もしかして……チョコ?」
「そうに決まってるでしょ。あ、でも、カン違いしないでよ。義理だから、ぎーり」
「大丈夫だ。カン違いする要素がない」
 なにせ宮里の手には紙袋が提げられていて、その中には今僕に渡したものと同じものが大量に入っているのだ。
「お前は会社中の男の人にチョコを配り歩くOLの人か」
「いいでしょ、そんなの。……はい、遠矢も」
 一夜にも渡す。
「ホワイトディには3倍返しでよろしくっ。じゃあねぇ〜」
 そう言って次の男子のところに向かった。
 あの調子だと本当に作業的にクラスの男子全員に配っているようだ。本命はいないんかいな。
 それにしても3倍返しとは、ちゃっかりしてやがる。
 宮里(通称サトちゃん)の行き先を確認してから首を戻すと、目の前に今度は居内さんが立っていた。
「…………」
 彼女は無言のままそれを差し出してきた。
 それとは当然、宮里がくれたのと同種のもの。こちらの方がひと回りほど大きそうだ。
「えっと……チョコ?」
 僕が確認すると、居内さんは頷いて肯定した。やっぱりそうか。
 僕が司先輩とつき合っていることは知っているのだから、まあ、お中元とかお歳暮的な感覚なのだろう。居内さんには普段からお世話になっているから、2倍くらいのお返しなら喜んでするぞ。
「ありがとう」
 それを受け取ろうとした瞬間、急に居内さんの動きが止まった。チョコが僕の手に渡る直前で静止する。
 何かと思えば、その目は朝の謎チョコを捉え、じっと見ていた。
「ああ、それね。朝一番でもらったんだ」
 そう言うと、途端、居内さんの口がへの字に曲がった。
 チョコを差し出していた両手が頭上高く振り上げられ、
「え? ちょっ、待……ぐわっ」
 僕が何か言うよりも早く、力いっぱい振り下ろされた。僕の脳天に。
 目ン玉飛び出るかと思う衝撃。
 確かに聞いた、チョコが箱ごと砕ける音。
 そして、居内さんは改めてそれを無造作に僕に突きつけてきた。無残にひしゃげたチョコを受け取れということらしい。
 勿論、僕は黙ってそれを頂いた。拒否権はたぶんないと思うから。
「…………」
「…………」
「……いちおう訊くけど、やっぱり3倍返し?」
 ズキズキする頭の痛みに耐えながら問う。
 居内さんは不機嫌そうに、だけど、それでも力強く頷いて去っていった。
 それはつまりホワイトディには3発、真っ向唐竹割りを食らわしていいということだろうか。いや、冗談だけど。
「あ、あの……」
 と、また違う女の子の声。
 だけど、それは僕にではなく、一夜に向かって発せられたものだった。
 砂倉さんだ。
「と、遠矢君……これ……」
 自身なさげな声とともにチョコが差し出される。
 一夜は何秒かそれを見つめた後、手に取った。
「もろとく。悪いな」
「う、ううん。そ、それじゃあ……」
 砂倉さんは嬉しさ半分、恥ずかしさ半分といった表情で走り去っていった。
 ……いったいどこに行くつもりだろう。もうすぐ朝のホームルームがはじまるというのに。
「一夜、またひとつゲット」
「うるさいぞ」
 一夜は貰ったチョコを、今朝の収穫が入ったサブバッグに入れず、制鞄の方に丁寧に仕舞った。
「別にするんだな」
「いったいどこの誰かわからんやつからもらったもんと一緒にできるか」
 うわお。意外にそういう部分ではきちんとしてるんだな。
「砂倉さんにもそのこと言ってやればいいのに」
「……面倒くさい」
「…………」
 砂倉さん、気の毒……。
 
 昼休み――、
 いつものように弁当を食べはじめたときだった。
「千秋那智!」
「ぶ……っ」
 危うく口の中のものを吐き出しそうになった。
 振り返るとそこにはバスケットボールを持った姫崎さんが立っていた。
「私と勝負なさい! 見事私に勝つことができたら、チョコを差し上げますわ」
「いらんから帰れ!」
 どうしても勝負に結びつけたいらしいな。
 しかも、今日はボールまで持参とは用意のいいことだ。
「……って、なんかひと回り小さいな。なに、それ?」
「よくぞ聞いてくれましたわ。これは本場フランスからパティシエを呼んでつくらせた、バスケットボール型のチョコですわ」
「うわあ……」
 ついに出た、ギャグマンガ的なお嬢様発言。
「因みに、中までびっしりチョコですわよ」
「生チョコの塊かよ! 本場フランスのパティシエに荒っぽい仕事させてんじゃねぇぞっ!」
 あと、そのパティシエも断れ。
「さあ、これが欲しいのなら私に勝つことね」
「欲しくないっつーの……」
 誰が欲しいと思うんだ。見てるだけで気分が悪くなるわ。
「まったく。行事のたびにそれにかこつけて勝負をふっかけてきて。いいかげんにしてくれ」
「そ、そうね。確かに貴方の言う通りね……」
 思うところがあったのか、急にパワーダウンする姫崎さん。
「今日のところは勝負のことは忘れるわ」
 そして、今度は視線が落ち着きなく泳ぎはじめる。
「じゃあ、そ、その……せめてチョコだけでも受け取ってもらえないかしら? せっかくの、バ、バレンタインだし……」
 恥ずかしそうに小声で零す。最後の方はほとんど聞き取れない。
 姫崎さんのそんな珍しく女の子らしい仕草が、僕の目には妙にかわいらしく映り、不覚にもどきっとしてしまった。
「ま、まあ、それくらいならいい、かな」
「じゃ、じゃあ……」
 と、僕の手に乗せられるバスケットボールチョコ。
「うあ゛……」
 ああ、そうだった。そうだったよ。チョコってこれだったね。忘れてたよ。
 しかし、気づいたときにはもう姫崎さんは教室から飛び出していた。
 …………。
 …………。
 …………。
 ホワイトディには絶対バスケットボール型マシュマロを3個返してやる。
 
 弁当を食べ終わると、僕らはちょっと早いけど5時間目の教室移動のために席を立った。
 一夜とふたりで中庭を歩く。
 コの字型に配置された校舎の廊下に沿って移動すると遠回りになるので、中庭をショートカットする。もちろん上履きのままなので、ちょっと気を遣ってコンクリート部分や溝の蓋の上を通る。まあ、ただの自己欺瞞。上履きで外を歩いていることには変わりない。
「おーい、なっちー」
 聞き覚えのある声に呼ばれて上を見上げると、校舎の3階から円先輩が顔を出して手を振っていた。
「よっ。元気?」
「あ、円先輩。こんにちは」
「いいものあげる。ほら」
 僕が返事するよりも早く円先輩は何かを投げ落としてきた。いつぞやの五百円硬貨のような小さいものではなく、今回は少し大きめだった。
 キャッチしたそれを見てみると、薄いハート形のチョコレートだった。箱の上部が透明になっているので中が見える。
「アタシの気持ちだよ」
「……はい?」
「ってのは嘘。それ、クラブの後輩からもらったんだ。アタシひとりじゃ食べきれないから、遠矢っちとふたりで分けて食べな。じゃね〜」
 そうして円先輩は言いたいこと言って、押しつけるもの押しつけると、とっとと校舎の中に消えた。
 つーか、何で先輩がチョコもらってんだ? しかも、食べきれないからとか言ってなかったか?
 う〜む、わからん……
 
 放課後――、
 チョコレートがさらに増殖した。
 ひとつは休み時間に手渡され、ひとつは体育でグランドに出ようと思ったら靴箱に押し込まれていた。
 因みに、一夜のところには溢れるほど入っていて、少し蓋が浮いていた。あんな状態のところに後から更に詰め込む女の子ってどんな心理状態なんだろう?
「僕も知らない人からけっこう貰ったな」
 先の宮里(通称サトちゃん)、居内さん、姫崎さん以外に、実はゆこりん先輩からも貰ったりしている。休み時間にばったり会って、「こ、これチョコです。チョコなんです」となぜか2回言いながら勢いよく突き出してきて、強烈な地獄突きを喰らわせてくれた。
 それとは別に3個。
 問題はチョコレートが増えたことではなく、今以て差出人不明の第一号の扱いだ。
「どうしようか?」
「ほっとけ。名前書き忘れたのが悪い」
 一夜は冷たくぶった斬った。
 教室にはもう僕と一夜しか残っていない。そうでもなければこんなふうに机にもらったチョコレートを並べたりはしない。
「そうかもしれないけどさ、もらいっぱなしってのもなぁ……」
「しかし、現実問題としてそれの差出人を知る術がないやろ」
「そうだよなぁ。そこが問題なんだ」
 どうしたものかと思案しつつ、しげしげとチョコレートを眺める。
 と――、
「あらぁ? なかなか出てこないと思ったら今日の戦利品を確認していたのね?」
「い゛……っ!?」
 振り返ると司先輩が立っていた。
「い、いつの間に……。て言うか、先輩、何か怒ってたりします?」
 腰に手を当てて鬼のような形相で見下ろしているのを見るに、聞くまでもないような気もするが。
「さあ? 那智くんにはそう見えるのかしら?」
「…………」
 それ以外に見えないんですけど……。
「ふ〜ん。これが今日もらったチョコレートね。いっぱいもらってさぞ嬉しいでしょうねぇ?」
「いや、そういうわけでは……」
「何も言わなくていいわ。わたしも大人ですもの。那智くんが女の子から人気があって、今日、いっぱいチョコをもらうであろうことは予想していたわ。ええ、だからそんなことで怒ったりしないわ」
「…………」
 そりゃ絶対嘘だろ。
「わたしが許せないのは、わたしがあげたチョコと他の子のチョコを一緒にしてることよ」
「……へ?」
 これ以上ないくらい間抜けな声が僕の口から漏れた。
 僕は机の上に視線を移した。正確には差出人不明の第一号チョコレートに焦点が合っている。
「先輩のチョコというのは、これのことでしょうか……?」
 僕はそれを取り上げて、恐る恐る訊いた。
「ええ、そうよ」
「だったら名前くらい書いて下さいよっ」
「え……?」
 今度は先輩が素っ頓狂な声を上げる。
 一旦、僕から目を逸らし、斜め下を向いて考え込む先輩。それから僕に背を向けると、おもむろに鞄を開け、なにやらごそごそ探りはじめた。
 僕は静かに立ち上がって、こっそり後ろから覗き見た。
 先輩が鞄から取り出したのは一枚の紙だった。二つ折りになったそれは、僕の見間違いでなければメッセージカードに見えた。
 先輩はそれを再び鞄に戻すと、くるりとこちらに向き直った。僕も素早く椅子に座る。
「那智くんはわたしのカレシでしょ! 未来のダンナ様でしょ! それくらい名前がなくてもわかりなさい!」
「うわ、逆ギレした!?」
 思いもよらない先輩の行動に驚く僕の横で、一夜が呆れたように肩をすくめ、黙って教室を出て行った。
 僕も後に続いて帰りたかったが、先輩の怒りはもうしばらく収まりそうもなかった。
 
 //
「で、なに? 結局、司のポカだったわけ?」
「……みたいやな」
 学校から駅に向かう一夜の横で円がケラケラと笑った。
「遠矢っちはいくつもらったのよ、チョコ」
「……12」
「ちっ、負けたか。アタシ、丁度10個」
「それもようわからんけどな」
「まあ、そうは言っても、手作りチョコに挑戦したチャレンジャな後輩どもが余ったのをくれただけなんだけど。だから、失敗作ばかり」
 そう言うと円は歩きながら鞄を開け、中からひとつ取り出した。
「食べる?」
「いらん」
「あっそ」
 あっさり引っ込める。
 そして、今度は別のものを出してきた。カラフルな包装紙とリボンでラッピングされたものだ。
「こっちは遠矢っちにやろうと思って、アタシが持ってきたやつなんだけど。いる?」
「……いる」
「そっか」
 一夜は前を向いたままそれを受け取ると、ブレザーの内ポケットにしまった。
「それさ、開けたらわかるけど市販のやつなんだわ。悪いわね、手作りとかじゃなくて」
「そんなとこまで期待してへん」
「…………」
 そう言われると下手に出ていた円もさすがに少しむっとする。
「あーあ。アタシも来年は手作りに挑戦してみよっかなぁ」
「ま、頑張り」
「そうね。本命の男にあげて、その余りでよかったら遠矢っちにも分けてあげるわ」
「…………」
「…………」
「……そうか」
 いつもより時間のかかった一夜の返事が、円は可笑しかった。
 隣を歩く年下の少年がいったい何を考えているかはわからない。
 でも、自分の想像した通りなら面白いのにとは思う。
 
 
2005年10月23日初稿公開 / 2007年2月7日改稿・再掲載
何か一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
コメントへのお返事は、後日、日記にて。