厄介ごとはいつもいきなりやってくるものらしい――
「じゃあ、明日は五時に待ち合わせってことで」
「ええ、それでいいわ。明日は浴衣着て行くから楽しみにしててね」
 それはちょっと楽しみだ。
 明日は地域の夏祭りと花火大会があり、それを見に行こうということで、今、僕は司先
輩と電話で待ち合わせ時間の相談をしていた。
 昼下がりのひととき、エアコンの効いたリビングで好きな人と明日の予定を話す。きっ
とそれは考え得る限り二番目に贅沢な時間だろう。
 でも、そういうときに限ってわりと頻繁に邪魔が入ったりするもので。
「ごめん、那智くん。ちょっと待っててくれる?」
 そう断ると先輩はケータイを置いたようだった。
 そして、先輩の声が遠くなる。
「わたしがいつ、誰と話そうが勝手でしょ。お父さん、邪魔しないでっ」
 ぷち親子喧嘩?
 ケータイで話してるだけの行為に口を挟んでくる辺り、先輩のお父さんは子どもに干渉
したがるタイプのようだ。そこには父子家庭のひとり娘という条件も多少は影響している
のかもしれない。
 それにしても、「そんなわけのわからない奴に」とか「一度連れてこい。この拳でどん
な奴か確かめてやる」とか、いったい何の話をしてるのだろうな。
「ごめんね、那智くん。またかけ直すから」
 再び電話口に出た先輩はそう言うと、僕の返事も聞かず通話を切った。
 それから約一時間後――、
 インターホンの音が自室にいる僕の耳を打った。
 この家、広いくせにインターホンの受話器が一階のリビングにしかなく、二階にいると
いちいち下りてこないといけないので面倒だ。今度、父さんたちが帰ってきたら二階にも
つけてくれるように頼んでみよう。そんなことを思いながら階段を下りる。
 が、結果的にリビングまで行く必要はなかった。
 階段を下りたところにある玄関にもうその人物が立っていたのだ。
 その人物――司先輩は手に持っていたスポーツバッグをどさっと床に下ろし、むすっと
した表情で言った。
「家出してきた。一日泊めて」
 どうやらあれから大喧嘩に発展したようだ。
 
 
Simple Life
  #4 第四話 「苦悩 −昼−」
 
 
 僕の基本方針としては、司先輩には帰ってもらうのが最も望ましい。
 先輩が泊まることは、うん、たぶんオッケー。でも、家出っていうのは何か違う。しか
も、家出の末に泊まって挙げ句に……なんて流れはどうにもよろしくない。
 かと言って、玄関で追い返すわけにもいかず、ひとまずはリビングに通してよく冷えた
麦茶でもてなしたりしている。
「いつもなら円の家に泊めてもらうんだけどね」
 家出の常習犯かよ。
「円ったら今、友達の別荘に呼ばれてるらしいのよねぇ」
「へえ、別荘ですか」
 そう言えば一夜も夏休み中に一度別荘に行くって言ってたなあ。お坊ちゃん学校の聖嶺
では別荘なんて当たり前なんだろうな。
「参考までにお聞きしますが、家出はいつもどれくらいの期間を?」
「いつも決まって一日よ。一日経てばお互い頭を冷やして冷静に話ができるようになるか
ら」
 なるほど。要するにこれは問題解決のための手続きなのだ。距離と時間をおくことで互
いの考えをまとめる余裕を作っているのだろう。
(でも、そのたびに部屋に転がり込まれる円先輩は、さぞかし迷惑だろうな)
 大変だな、円先輩も。
「まあ、あれか。円先輩の部屋って面積広いし、先輩ひとり増えたくらいなら余裕なんで
しょうけど」
「那智くんさあ……」
 先輩がゆっくり言う。
 何だろうな、心なしか先輩の声と目が冷たい。悪い予感に背筋が緊張する。それを和ら
げるためか、僕は知らず麦茶に口をつけていた。
「円の部屋に入ったことあるんだ」
 ぶっ。
 危うく麦茶を吐き出しそうになった。
「ま、まさか……そんなことあるわけないじゃないですかっ」
「そう? それにしては円の部屋のこと詳しそうよ?」
「あー、え〜っと、それはですね……」
 確かにあのとき、相手が円先輩とは言え女の子の部屋に入るのはマズいんじゃないかな〜
なんて思った。僕自身ですらそんなことを思ったのだから、司先輩がそれをよく思うはず
がない。
「聞いたんですよ、円先輩から。ほ、ほら、前に先輩が円先輩の部屋は屋根裏部屋って言っ
てたから、いったいどんなのかなって……」
 そして、そこまでわかっていて正直に白状しない往生際の悪い僕。少しは少年時代のジョー
ジ・ワシントンを見習えっちゅーねん。
「あら、そうだったの。疑ってごめんなさい」
「いや、そんな、謝らなくても。信じてもらえたらそれでいいです」
「ええ、那智くんのこと信じてるわ。円とは何もなかったのよね?」
「もちろんです。時間つぶしのついでに部屋の中をちょっと見せてもらった程度……です、
か…ら……? はは、ははは……」
 乾いた笑いがリビングに虚しく響き渡る。
「ところで那智くん? 今日は泊めてもらっていいかしら?」
「……はい」
 今度、本屋さんに行ってワシントン大統領の伝記を買ってくるかな。
 基本方針変更。
 今日は何もしない。
 理由。
 この流れはよろしくないから。
 
「夕食はカレーにしようと思うの」
 そう言ったのは、当然、司先輩だ。
「それは先輩が作ってくれるという意味でしょうか?」
「ええ、もちろんよ。押しかけたんだからそれくらいはさせてもらうわ」
 それは大いに歓迎だ。先輩の作った料理は何度か食べたことがある。家に呼ばれたとき
のオムライスと、勉強会の夜に先輩が担当した数品。あとは先日のサンドウィッチか。こ
れら食べた限りでは味に問題はなかった。寧ろ小さいときから家事全般をやっていただけ
あって料理は得意なのだろうと思う。
「んー。これなら特に買い物に行かなくてもよさそうね」
 冷蔵庫の中身を見て先輩が言う。
 それはよかった。僕もわりと料理はするが、買い物に関してはけっこうその場の思いつ
きでやっているから冷蔵庫に何が残っているか把握していなかったのだ。
 ただ、同時に残念だとも思う。先輩と一緒にスーパーに買い物とかやってみたかったな
あ、とか何とか。
「では、さっそく取りかかるとしますか」
「えっと、じゃあ、僕は何を……」
「はいはい、ダンナ様は大人しくリビングで待っててね。それが仕事よ」
 速攻、追い出されました。
 でもって、それから二時間ほどして夕食が出来上がった――
 その間、僕はというとリビングで夏休みの課題をやったりしていた。何となく気になっ
てキッチンの様子を見に行くとやっぱり追い返され、先輩は先輩でキッチンに籠もりっき
りというわけでもなく、手が空くとリビングに来て他愛もない話をして。そんな感じでお
互い行ったり来たりした。
 ついでに言うと、キッチンから悲鳴が聞こえるとか、焦げ臭い匂いが漂ってくるとか、
そんな愉快なイベントも発生せず、やっぱり司先輩って料理が得意なんだろうなあと改め
て思った。
 そして、先輩に呼ばれて行ったキッチンで見たものは、綺麗に盛りつけられたカレーラ
イスとその他数品。
「いただきます」
 と、先輩への感謝も込めて行儀良く手を合わせる。
「はい、どうぞ」
 先輩の声を聞きながらぱくりとひと口。
「………」
「………」
「………」
「ねえ……」
「………」
「何で黙ってるの……?」
 いや、だって、黙るしかないから。
 最初のひと口をスプーンに乗せて口に放り込んだ瞬間、美味しいのかそうではないのか
判断がつかなかった。なので、そのまま不思議な感覚に首を傾げながら咀嚼し、嚥下する。
が、まだ白黒つかない。
「参考までにお聞きしますが――」
 本日二度目の台詞。
「先輩は、料理は得意ですか?」
「わたしはそのつもりよ」
 やはり家事を一手に担っているという自負があるのか、先輩は言葉は控えめながら自信
ありげに答えた。
「では、先輩の料理に対してお父さんの反応は?」
「いつも美味しいって言ってくれるわ」
 それがどうしたの、と先輩。
 うん、たぶん、ここまでは本当なのだろう。つまり、先輩は料理は得意でどんなものも
そつなく作れる。ただし、ある一品以外は。
「ちなみにカレーライスの感想は?」
「………」
 なぜ黙る。
「それがね、お父さんもさっきの那智くんみたいに黙ってしまうのよ」
 うん、その気持ちはよくわかる。
 僕の出した結論も『何となく黙り込んでしまう味』だから。
 僕も料理は多少できる。カレーも作ったことがあるので、それなりに知識はある。でも、
先輩がどこでどう間違えてこの不可解な味を誕生させたのかは想像がつかない。
「まあ、いいわ。那智くん、残さず食べてね」
「……はい」
 そして、僕らは食べる。
 美味しくないとも不味くないとも言えない、何となく黙り込んでしまう味をしたカレー
ライスを。
 時折首を傾げるのは僕だけ。
 司先輩は何とも思わないらしい。
 
 そして夜――、
 ………。
 ………。
 ………。
 夜だとぅ!?
 これからどんどん夜が更けていくんじゃないか。
 この前の夜はまだよかった。先輩が酔ってて、奇行の対処をしているうちに一日が終わっ
ていたから。
 でも、今回はふたりとも素面だ。何が起こるか予想がつかない。
「………」
 よし、基本方針変更。
 何も考えずとっとと寝てしまおう。
 理由。
 何度も言うようだけどこの流れはよくない。家出してきたときじゃなくて、そういう心
づもりのときに――と思うわけです、はい。
 
 // 続く。
 
 
2005年9月4日公開
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