その日はいつもと変わらず平穏な日だった。
 朝、電車を降りて学校へ向かう途中、前方に円先輩に姿を発見した。女子では学園で一、
二を争うくらいに背が高いのでとても目立つ。
「円先輩、おはようございます!」
「あぁ、なっち。おはよう。今日も元気ね」
 追いついて隣りに並ぶと背の高さがさらによくわかる。僕よりも十センチ以上も高い。
少し分けて欲しいものだ。
「そう言えば、先輩、夏休みは友達の別荘に行ってたんですよね?」
「………。
 ………。
 ……そ、そうだけど?」
「………」
 今、返事するまでに妙な間があったよな。しかも、どもってるし。
「一夜の奴がですね――」
「遠矢っちが何か言ったの!?」
「い、いえ、何も言ってませんが……?」
「そ、そう……」
「………」
 なんか、めちゃくちゃ動揺してないか?
「いや、一夜も夏に別荘に行ったとか言ってたから、この学校って別荘所有率が高いのか
なぁと思って。先輩は誰のところに遊びに行ったんですか?」
「ア、アタシの友達。なっちの知らない子よ」
「そ、そうですか……」
「………」
「………」
 だんだん気の毒になってきたので、これ以上聞くのはよそう。
 
 
Simple Life
  第十話 「平穏」
 
 
 秋晴れの空の下、円先輩と並んで学校へと向かう。
「クラブを引退して二ヶ月。ようやく普通の時間の登校にも慣れてきたわ」
 感慨深げに円先輩が言った。
 その気持ちは僕もわかる。僕も中学の時、総体(総合体育大会)の前は朝練ばかりだっ
たので、引退した後しばらくは違和感を感じて仕方なかった。
「僕もようやく先輩の制服姿に慣れてきましたよ」
「え? アタシってそんなに制服似合わない?」
 そう言って先輩は改めて自分の姿を見ている。
「いや、似合わないとか変だとかじゃなくてですね。先輩って、その、スタイルがいいか
ら、男の僕から見ると目の保養になりそうでいて、その実、物凄く目の毒だったりするわ
けですよ」
 あまり詳しく言うといやらしくなるから、この辺りで止めておくべきだろうな。
「ふんふん。……例えば?」
「そうですね。長い脚とか、制服のブレザーを着て尚わかる身体の曲線とか……、ぁ……?」
「………」
「あ〜あ……」
 ため息が出た。
「………」
「………」
 あー……、前から薄々感じてたんだけどさ。この手の誘導尋問とも呼べないような尋問
に弱くない、僕?
「そ、そう言えば、僕、日直だったんだ。じゃあ、先に行きますね」
「ちょい待ち」
「ぅぐえっ!」
 逃げようと思って歩速を早めたが、襟を掴まれて、速攻、とっ捕まった。
「離してください! 死んだおじいさんの遺言でバベルの塔みたいな先輩とは一緒に登校
するなって言われてるんです!」
「突っ込みにくい嘘ツイてるんじゃないわよ。アンタの生い立ち考えたら、素直に突っ込
めんわ」
 そりゃそうだろうな。じい様どころか両親の顔も見たことないもの。
 で、結局、僕は力ずくで引き戻されてしまった。
「そっかそっか。なっちも男の子だねぇ」
 先輩はにやにやと笑いながら言う。
「あう。申し訳ないです……」
 男であることは、まあ、自覚してるからいいんだけど、“男の子” は嫌だなあ。
「別にいいよ。なっちが言うとそんなにいやらしくないからね。……それにしても、なっ
ちってそんなふうにアタシを見てたんだ。ふうん……」
「………」
 あ、今、すっごい嫌な予感がした。最後の「ふうん……」なんか、こっち見てる目が光っ
てたぞ。
「やっぱり、僕、早く学校に行きたくなりました。逃げます。追わないで下さい」
 が、しかし、僕が駆け出すよりも先に先輩の手が伸びてきて、僕の首に巻きついた。そ
のまま頭を、ぐい、と引き寄せられる。
「逃げるなよ〜。ほらほら〜」
「い〜や〜っ!」
 頭は引っ張られても身体は辛うじてその場に留まっている。これで身体まで持っていか
れたら大変だ。えらいことになってしまう。
「は、離して下さいっ」
「遠慮するなよ〜」
「してない。遠慮してないっ。周りに迷惑だからっ」
 実際、ふざけながら歩いているものだから、すっかり速度が遅くなっている。狭い歩道
で騒いでいる僕らに白い目を向けながら、同じ制服を着た生徒が何人も追い抜かしていっ
た。
 そして、ついに恐怖の大王にも追いつかれてしまった――
「おはよう。朝から仲がいいのね、ふたりとも」
 その声が誰のものか頭が認識するよりも先に身体が反応していた。
 僕も円先輩も、一瞬にして右と左に飛び退いて、後ろを振り返る。
「つ、司先輩!?」
「司!?」
 そこには口元に微笑みをたたえた――ただし目はぜんぜん笑っていない、司先輩が立っ
ていた。
「 「え〜っと……」 」
 足を止めて歩道の真ん中で仁王立ちの司先輩と、それに睨まれながらも何とか言い訳
を探そうとする円先輩と僕。
 と――、
「なっち!」
 ずびしっ、と円先輩が僕を指さす。
「なっちが悪い!」
「う、うぇ?」
「なっちが面白いから、思わずからかいたくなったのよっ」
 うわ、信じられねぇ。我が身かわいさに後輩売りやがった、この人。
「ええ、円、その気持ちはよくわかるわ」
 わかるのかよ……。
 司先輩は神妙な顔つきで円先輩に同意し、肯いてみせた。
「でも、那智くんは返してもらっていくわ。……さ、行きましょ、那智くん」
 そうして司先輩は僕の腕をがっしりホールドすると問答無用で連行していく。
「先輩! 逆、逆! 僕、後ろ向きです!」
 右腕同士を絡めているものだから、僕が引きずられる形になる。しかし、司先輩はそん
なのお構いなしに歩いていく。
 て言うか、円先輩、何で哀れむような目で手振って見送ってるんだよ? 誰のせいでこ
んな目に遭ってると思ってんだ?
 あー、周りの視線が痛い。絶対また不名誉な評判が立つな。
(まあ、それでも……)
 世の中、今日も実に平穏だなぁ……
 
 昼休み――、
 教室で一夜と弁当を食べた後、ふたりで学食へと向かった。これも最近では半ば習慣と
化している。
「那智くんのクラス、今日は七時間授業の日よね?」
 向かいに座る司先輩が訊いてくる。隣には円先輩もいる。そして、僕の隣には一夜。こ
れがいつものフォーメーションだ。
「ええ、そうですよ」
 僕は答える。
 特進クラスは月・火・木・金曜日は七時間授業だ。午前中に四時間やって、昼休みの後
にまだ三時間も残っているのだから大変だ。それもいいかげん慣れてきたけど。
「ふうん。そっか……」
 そう納得するように頷くと、司先輩は何か考え込みはじめた。
「アタシら特進クラスに知り合いがいないからよくわからないけど、七時間も授業やって
何してんの?」
「一年の間は他のクラスと一緒ですよ。ただ単に授業の時間が多いだけ。でも、二年になっ
たら文系理系に分かれるから、科目そのものが多くなるんです」
 例えば理系に進んだ場合、数学ひとつとっても、二年には数学IIと数学B、三年には数
学IIIと数学C。そして、それとは別に数学演習という科目もある。理科もわんさか分化し
ていく。
「那智くんはどっちに進むか決めてるの?」
「ん〜? たぶん……、と言うか、ほぼ確実に理系」
 この辺りは紗弥加姉の影響だな。あの人間計算機みたいな紗弥加姉が理数系が好きでい
ろいろ話を聞かせてくれるので、僕もそっちの勉強をしてみたくなったのだ。
「じゃさ、遠矢っちは?」
「……俺?」
 今まで感心のなさそうな顔で話を聞くだけだった一夜が、いきなり話を振られてぴくり
と跳ねた。
「あら、遠矢君は文系よね?」
「あ、僕もそう思う。一夜って一日中、本読んでるし」
 普段の一夜を考えれば満場一致で文系となるかと思いきや、ひとり円先輩が反対意見を
挙げた。
「いーや、アタシは理系に進むと見た」
「……む」
 何が気に喰わなかったのか、一夜の眉が不機嫌に吊り上がる。
「で、本当のところ、一夜は決めてるの?」
「俺は……」
 と、言い淀む一夜。
 何やら葛藤があるらしい。進路を決めていないから言葉に詰まっているんじゃなくて、
言葉にするのを躊躇っているようだ。
 やがて苦々しげに口を開いた。
「……理系」
 正解は円先輩。
 なるほど。だから言いにくかったんだな。一夜は出会った当初から円先輩のことを嫌っ
てるっぽいので、その円先輩に言い当てられたのが悔しかったのだろう。
 それはさておき……
「一夜〜」
 横から、がば、と抱きつく。
「やっぱり君は親友だ〜。これで三年間一緒のクラスだよ〜」
「あ、ああ、そうやな……」
 僕の喜びとは対照的に、一夜は迷惑そうな響きの、引きつった声だった。……そんなに
嫌なんかい。
 と、そこで昼休みの終了を告げる予鈴が鳴った。
「ん……。行こか」
 途端、僕の手を振り解き、すっと立ち上がる。
「えらく急ぐね。もっとゆっくりしようよ」
「中馬の授業に遅れていく勇気があるんなら、思う存分ゆっくりしていけ。俺は先に行か
してもらうわ」
「げ。そうだった」
 数学の中馬先生はチャイムが鳴ると同時に授業をはじめ、その時点で教室にいないと問
答無用で平常点を減点するという厳しい先生だ。
「あー、そりゃマズいわね」
 同じく中馬先生の授業を受けている円先輩が言う。
 僕らの教室はここ学食から遠い位置にあるので、あまりのんびりしていられない。
「じゃあ、先輩、また」
「ええ、じゃあね。遅れないようにね」
 挨拶もそこそこに僕と一夜は駆け足で教室へと戻った。
 
 放課後――、
 七時間に及ぶ授業と終礼を終え、昇降口で靴を履き替えて外へ出る。一夜はまだ本を読
んでいたので、ほったらかしにしてきた。
 この時間に下校する生徒は少ない。七限間目まで授業をやっているのは各学年にひとク
ラスずつある特進クラスだけ。つまりは全校でも三クラスだけだからだ。
 う〜ん。秋晴れの空の下、実に平穏――
「なっち先ぱ〜い!」
 ……でもなかった――
 
 /the other side
(意外と時間かかっちゃった……)
 わたしは小走りで昇降口を目指した。
 ついさっきまでわたしはクラス委員の子に頼まれてアンケートの集計を手伝っていた。
七限目が終わるまでに片づけて、那智くんと一緒に帰ろうと思っていたのだけど、これが
思いの外時間がかかってしまい、その結果がこの状況だ。
 七限目終了のチャイムは十分ほど前に鳴った。もう帰ってしまっていなければいいのだ
けど……。
 やがて昇降口に着き、靴を履き替える。
 出たところで待っていようと身体を出入り口に向けたとき、ガラス扉の向こうにすでに
那智くんの姿があった。
 そして、そばにはこの学園のものではない制服を着た女の子――
「………」
 頭は特徴的なツインテール。小柄で那智くんよりも小さく、年下で、悔しいけど私より
も那智くんにお似合いな女の子――
 名前は確か、そう、宇佐美奈津といっただろうか。
 わたしが見ている前で那智くんは、最初、迷惑そうな顔で対応していたけど、次第にそ
の表情を和らげていく。
 急に――、
 身体が重く感じられた。
 那智くんと知り合ってから、わたしは自分がヤキモチ妬きだったり独占欲が強いことを
思い知った。最初は戸惑ったけど、このごろはそんな自分にも折り合いをつけて、彼が女
の子と一緒にいても少しは落ち着いていられるようになった。
 だいたい那智くんからしてあの通り男女問わず仲良くなってしまう性質なのだから、い
ちいち気にしていたら身が保たない。
 でも――、
 でも、なぜその子なの?
 その子はわたしたちを引っかき回した子じゃない。
 那智くんがその子と一緒にいたら、わたしが嫌だってわかってよ。
「………」
 何と声をかけようか迷っているうちに、ついに那智くんは彼女に笑顔を見せ、ふたり一
緒に校門の外に向かって歩き出す。
 結局、那智くんはわたしに気がつかず行ってしまった。
 わたしが、こんなに近くにいるのに――
 
 
2005年11月18日・20日公開/同22日統合
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コメントへのお返事は、後日、日記にて。