日曜日――、
 待ち合わせの場所は繁華街に近い駅前の、前衛的なオブジェの前。約束した時間は午前
十時。
 でも――、
「那智くん、来ないんですけど……」
 わたしは、自分でも怒っているのか悲しんでいるのかわからない複雑な気持ちを込めて
つぶやいた。
 午前十一時。
 未だ那智くんは現れない。来るのは中身が薄くて軽そうな男の子ばかり。それも十分お
きに。すぐ近くに交番があるからしつこくされなくていいけど。
 メール、返事なし。
 電話、応答なし。
 いったい那智くんは何をやっているのだろう?
 ここのところ那智くんは宇佐美さんとよく会っている。近々彼女の父親とも会う約束が
あるらしい。わたしの知らないところでいろんな話が進んでいるようで不安だ。
 だから、今日の誕生日デートはそんな不安を払拭するいい機会だと思っていた。
 だけど――、
 未だ那智くんは現れない。
(那智くんは今、誰と一緒にいるの……)
 そんな現状にまた不安だけがつのっていく。
 と、そのとき、いきなり後ろから声をかけられた。
「よぉ、片瀬センパイじゃん」
 振り返るとそこに後宮さんが立っていた。
 
 
Simple Life
  第13話(1) 「待ち人」
 
 
「こんなとこで何やってんの?」
 いつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて後宮さんが聞いてきた。
「もしかしてナンパ待ち? 意外とやるねぇ、片瀬センパイも」
「あなたと一緒にしないでもらえます? それとわたしのことを先輩というのもやめて」
 わたしがそういうと後宮さんは「へいへい」と悪びれる様子もなく言った。
「言っておきますが、わたしはこれからデートです」
「てことは、相手は那智の奴か?」
「当たり前でしょ? 他に誰がいるっていうのよ!?」
 そんなにわたしは気の多い女の子に見えるのだろうか? だんだん腹が立ってきて、わ
たしは知らず腕を組んで、そっぽを向いていた。
「で、その那智はどこよ?」
「う……」
 痛いところをついてくる。
「その様子じゃまだ来てないみたいだな。しかも、約束の時間はとっくに過ぎてる。……
違う?」
「ええ、そうよ。おっしゃる通り。那智くんはまだ来てないわよ。それが何か? 悪いで
すかっ?」
「キレるの早っ」
「最近よく言われるわ。そんなだから那智くんも愛想尽かしたんじゃないかしら? どう
せ今頃は他の可愛い女の子と一緒なんだわ」
 それは先程からずっと考えないようにしてきた想像だった。それを口にしたら何だか悲
しくなってきた。
 しかし、そんなわたしとは対照的に後宮さんは、途端、真顔になった。
「お前さぁ、うちの那智のこと、そんなふうに見てたの?」
「………」
「あいつをそのへん歩いてる軽い奴らと一緒にして。自分は被害者で。あいつが来る途中
で事故に遭って連絡もできないとか思わないわけ? 少しは心配になったりしないの?」
 後宮さんは腹立たしげな様子で一気に捲し立てた。
「だって……、仕方ないじゃない……っ」
 最近の那智くんはあの子と仲が良くて……わたしに内緒でいろんな約束をしてて……現
に那智くんは今ここにいなくて……
「わ、わたしだってそんなこと、思いたくないわよ……っ」
 ああ、もうっ。ホントに涙が出てきたじゃない。
 次第に自分の意志では涙を止められなくなりはじめているわたし。その前で後宮さんは
面倒そうに頭を掻いた
「あー、うざ。……なぁ、ちょっとつき合えよ」
「………」
「俺、男と待ち合わせしてんだけど、早く来すぎたんだよな。暇つぶしにつき合えよ」
「で、でも、那智くんが来るかもしれないし……」
 ここを離れるわけにはいかない。
「気にすんなよ。連絡もよこさずに女を待たせる奴なんかほっとけ。今度はこっちが倍返
しで待たしゃいいんだよ」
 さっきと言ってることが百七十度くらい違うのは気のせいだろうか。今度はかなり扱い
が酷い。前々から思っていたのだけど、後宮さんにとって那智くんはどんな位置を占めて
いるのだろう。那智くんは彼女のことを姉と慕っているようだけど。
 そんなことをぼうっと考えていたら、少し離れたところで声がした。
「ほら、行くよ」
 どうやらつき合わされることに決まったらしい。
 
 わたしたちは近くの喫茶店に移動した。
「いらっしゃいませ。お席は喫煙席と禁煙席がございますが、どちらに致しましょう?」
 それがマニュアルなのだろう、相手が高校生のふたり組でもオートマチックに対応する
らしい。ああ、そういえば後宮さんは煙草を吸うんだった。
「禁煙席でいいや」
 横であっさりと言う。
 そのままわたしたちは席に案内され、腰を下ろした。時間つぶしが目的なのでそれぞれ
コーヒーだけを注文する。
「てっきり喫煙席に行くものだと思ったわ」
「別に、俺、ヘビィスモーカってわけじゃないしな。吸わない奴の前でむりやり吸うつも
りないよ」
 ふん、と心外そうな顔で鼻を鳴らした。
「ふうん。そのわりには那智くんの前ではすぐに吸おうとするのね」
「あいつ、すぐ怒るんだぜ。あったまくるからさ、わざとやってんの」
 それが本当なら意地の悪い話だ。けれど、わたしが見る限り後宮さんにそういう意図は
感じられない。わたしはもっと別の仮説を持っている。
「お待たせしました」
 しかし、その仮説を提示する前に邪魔が入ってしまった。
 注文したコーヒーが置かれる間、何となく無言になってしまい、そうしているうちに真
偽を問う気も失せてしまっていた。
「何で那智なんだ?」
 店員が去った後、先に口を開いたのは後宮さんだった。
「どういう意味?」
 コーヒーに口をつけていたわたしは、カップをソーサに戻して質問の意図を問い返し
た。
「お前ってさ、見た目もいいし背も高い。男なんかいくらでも寄ってくるだろ? それが
何でよりによってガキでチビの那智なんだ?」
 那智くんも酷い言われようだ。そして、その那智くんはわたしのカレシである。……最
近、少し自信がなくなってきてますけど。
「さあ? 何でかしらね?」
「なんだよ、自分でもわかんないのかよ」
「もちろん、わかってるわ。ただあなたに言いたくないだけ」
「性格悪い奴」
 けっ、と悪態をつく後宮さん。
「それはお互い様」
 つんと澄まして軽く流すわたし。
 そうして互いに無言でコーヒーを飲む。もともと仲の良い関係ではないのだから会話な
ど弾むはずもない。
 しかし、沈黙を破ったのはまたも後宮さんの方だった。
「まあ、那智の奴もお前のことで頭がいっぱいみたいだしな」
 彼女はカップを見つめながら、ぼそっと言った。
「そうかしら……」
 わたしは力なく反論する。
 最近の那智くんを見ているとそうとは思えない。
「あいつさぁ、俺ンとこに電話かけてきやがんの。先輩へのプレゼントどうしようって」
「………」
「今月、俺の誕生日もあるのにさ。今まで毎年、一度も忘れたことないのに、今年はすっ
かり忘れてんのな。先輩先輩ってバッカじゃないのか?」
 吐き捨てるようにそう言ってから、後宮さんは残ったコーヒーを一気に飲み干した。
「………」
 わたしは何だか彼女に申し訳ないような気持ちになった。
 両親を亡くした彼女から弟も同然の那智くんを取り上げておきながら、その那智くんの
気持ちを信じ切れないで自分勝手なことばかり考えている。腹立たしく思うのも当たり前
だろう。
 彼女に対して何と言っていいのか迷っていると、携帯の着信メロディが鳴った。ただし、
残念ながらわたしのものではない。
 後宮さんが電話に出る。
「あいよー。つーか、そのキザな言い方やめてくれる? ……ああ、もうそんな時間か。
……近くにいるよー? ……わかった。すぐ行く」
 と、そこで思い出したようにわたしの顔を見た。
「……い、いや、ダメだっ。変更っ、待ち合わせ場所変更っ。アンタと一緒のところ見ら
れたくない奴がいるのっ」
「………」
 ……それはわたしのことだろうか?
 妙に慌てながらも後宮さんは通話を終えた。それからすぐに伝票を持って立ち上がる。
「じゃ、俺、先に出るわ」
「あ、待って。わたしの分……」
 わたしは財布を出そうとバッグに手をかける。
「あぁ? いいよ、そんなモン。お前、誕生日なんだろ? 俺が出しとくよ」
「それはあなただって……」
「だったら、今度どっかでばったり会ったら、そんとき何か奢ってくれよ。そんでチャラ」
 そう言って後宮さんはウィンクした。それは意外に愛嬌のある仕草だった。
「那智くんに何か伝えることある?」
「あー。じゃあ、お前なんて嫌いだっつといて。ついでに腹二、三発殴ってくれたらモア
ベター」
 ……それは無理です。
「んじゃな。あいつのこと頼むわ」
 そう言い残して後宮さんは早足で去っていった。
 
 わたしは、それから十分ほどして店から出た。
「あーあ、わたしも嫌いになりそう……」
 待ち合わせ場所に戻ったが、やはりまだ那智くんは来ていなかった――
 
 
2005年11月30日公開
何か一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
コメントへのお返事は、後日、日記にて。