04.五十嵐優子
 
 五十嵐優子は時間と乖離した存在だ――と、周囲のものは思っている。
「3番のテーブルから注も〜ん。……えっとね、コーヒーと紅茶がひとつずつに、マフィ
ンがふたつで〜す」
 学園祭の最中、所属する家庭科部の喫茶店でウェイトレスをしていたりするのだが、客
が大入りで忙しいにも拘わらず、その声と動作はのんびりしている。……いちおう、気持
ちだけは急いでいるらしいが。
 そんな彼女に対して周りはというと、「ま、いいか。ゆこりんだし」と許されている。
要するに五十嵐優子というのはそういう種類の人間なのである。
「あ、ゆこりん。また来たよ、お客さん」
「わわっ。じゃ、じゃあ、いってくるねっ」
 そう言って優子は入り口に向かう。
「いらっしゃいま――」
「ゆこりーん!」
 が、いきなりその客に飛びつかれた。抱きつかれて、そのまま頬ずりまでされる。
「ゆこりん、ゆこりん! 私のコロポックルちゃーん!」
「ええ? ええっ!? 良子ちゃん!?」
 遅まきながらようやく相手の正体に気づく。
 郭良子。
 優子の親友のひとりで、バレーボール部に所属する女の子である。その長身のせいで優
子は上から覆い被さるように抱きつかれている。
「やめときなさいって、こんなところで。周りに迷惑だから」
「あ、翠ちゃん」
 第三の声に反応して、対象を飲み込もうとするアメーバのような抱擁から顔だけを出し
て優子が声を上げる。
 牧場翠。
 郭良子の向こうにいた彼女もまた優子の親友のひとりである。
「ごめんね、優子」
 翠は襟首を掴んで良子を優子から引き剥がした。
「おお、おお、いつもそうだけど、今日は特に可愛いのう」
 それでもあまり懲りていないらしい。
 カラフルでヒラヒラした派手な衣装に、頭にはカチューシャ。それがここのウェイトレ
スのユニフォームである。時間に関わりなくこの店が忙しいのは、半分はこの衣装が理由
と言える。
「うんうん。これなら“学園のアイドル”片瀬司にも負けてないわね」
「そ、そんなことないよぉ」
「いいや、今なら絶対に勝てる。奴にこの衣装が着れるか! 着れまい! 奴にファンク
ラブがあるか! あるまい!」
「……『コロポックルちゃんファンクラブ』。会員はカクひとり」
 横で翠がぼそっとつぶやく。
「つまり、我らがゆこりんの方が――」
「もうっ。他のお客さんに迷惑だからさっさと座って!」
「おぶっ」
 優子の手刀が良子の喉に炸裂する。
「ぐぉ……。私は今、ゆこりんの地獄突き(ヘルスタッブ)に愛を感じた……!」
 ここまで来ると完璧な変態である。
「優子、もうすぐここから出られるんでしょ? だったら一緒に回ろうよ。どこか行きた
いところある?」
 喉を押さえて蹲った良子は放って、翠が訊いてくる。
「えっと、1年7組のたこ焼き屋さんに行きたいかな?」
「うへぇ、あそこ行くの〜? あそこ、時間によっては人凄いよ? なんせ遠矢君と千秋
君がいるクラスなんだから」
「う、うん。さっき行ったから知ってる。並んでたのに弾き出されたの……」
「なにーーー!」
 復活の郭良子。
「ゆこりんに何てことしやがるか! 行って私が蹴散らしてくれるわー!」
 立ち上がった良子は頭上で腕をブンブン振って喚き散らす。それを見て優子は後でこっ
そりひとりだけで行こうと思った。
 と、そのとき三人の横をひとりの下級生が通った。彼女もやはり家庭科部で、優子と同
じユニフォームに身を包んでいる。
「あ、加代子ちゃん」
 優子の声に加代子と呼ばれた下級生は、ぴたり、と足を止めた。
「どこか行くの?」
 訊かれて加代子は黙って入り口を見つめる。
「クラスの方に戻るんだ?」
 優子が至った答えに加代子が肯く。
「終わったらまた戻ってきてね。こっちもまだまだ忙しいのが続きそうだから」
 しかし、今度は考え込むように斜め下を向いた。
「あ、そうか。そっちのたこ焼き屋さんも忙しいんだったね」
 よそが繁盛していても嬉しいのか、優子は綿菓子のようにふんわりとした笑顔で言った。
「でも、上手く様子を見て戻ってきてくれたら助かるかな」
 優子のひかえめなお願いに、加代子は頷いて応える。
「お、おい。翠」
「なに?」
「私の見てるものが正しければ、あの子、ひと言も喋ってない気がするんだけど」
「そう見えるわね。でも、会話が成立してる」
 横のふたりがそんなことを言っているうちに、加代子は優子に見送られながら行ってし
まった。
「なぁに、今の子? 無口とか無愛想とかいうレベルを超えてるんじゃない?」
「そう? 面白い子だよ?」
 はてな?と優子は首を傾げる。
「けっこう話が弾んだりするよ? ……まだ声を聞いたことないけど」
「そこがわからん……いや、意外とゆこりんなら波長が合うのか……?」
 今度は良子が首を傾げる番だった。
 不思議な磁場を持つ人間について常人が考えたところで、そうそう理解が及ぶものでは
ない。良子もそういう状態に陥っているようだ。
「あれ? 加代子ちゃん、あの格好のままクラスに戻るのかなぁ?」
「きらーん☆」
 優子がふと口にした疑問に、良子が即座に反応した。
「よし、ゆこりんもそのまま校内を練り歩こう! これで注目まちがいなし!」
「そんなの嫌〜〜〜」
 
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