せっかく交際を申し込んできてくれた人を振るのは、気分のいいものではない。
 なら、振らなければいいと言われるかもしれないけど、相手のことを知りもしないのに
申し出を受けるのは、僕の主義に反する。
 そんなわけで二年の五十嵐優子先輩を振ってしまった胸の痛みをまだ少し引きずりつつ、
今日も登校する。
 校門をくぐり、昇降口で靴を履き替え、廊下を進んで教室に入って……と、そこで僕は
足を止めた。
 自分の席の数歩手前。
「…………」
 机の上に人形がおいてあった。
 エボニーデビルと日銀総裁を足して2で割ったような人形が、あたかも遺棄された惨殺
死体の如く、無造作に置かれてある。
「…………」
 シュールだ。
 そして、むやみやたらと不安を煽る。
 次はお前の番だとか、これがお前の未来の姿だとか、そんな感じの……いわゆる、殺人
予告?
 いったい誰が置いたんだ――と思っていると、横から居内さんがとことこやってきて、
回収して帰っていった。
 …………。
 …………。
 …………。
 あなたが蜘蛛だったのでぃすねー。
 居内さんは隣の席なので、回収といっても人形はふたつの席の間の床に置かれただけな
んだけど、しかし、まあ、どこに置いても馴染まない人形だ。どうして遺棄死体の感が拭
えない。
 この、捨てても自力で戻ってきそうな人形は、いったい何なのだろう?
 居内さんに訊いてもよかったのだけど、それは殺人鬼に殺人予告の意味を尋ねるようで、
何となく怖かった。なので、居内さんが席を離れた隙に砂倉さんに訊いてみた。
「家庭科部で作った腹話術人形だって……」
 そう教えてくれた砂倉さんは、普段から気の弱そうな子だけど、今日はそれに加えて顔
が青かった。
 
 
Simple“school”Life
  (5) ろくでもない日?
 
 
 2限目終了後の休み時間――、
 いつも通り一夜は本を読んでいて、僕はその一夜に他愛もない話をしていた。
 と、そこにトモダチがやってきた。
「今、砂倉さんが気分悪そうな顔して出て行ったんだけど、あれ、どうしたんだ?」
「ん。ぜんぶそいつのせい」
 僕は人形を指さして教えてやった。
 居内さんの後ろの席にいる砂倉さんからは、授業中、床に置かれた人形がどうしても視
界に入ってしまうらしい。何とか2時間は耐えたものの、ついに正気度チェックに失敗。
保健室に旅立ってしまった。
 で、その人形はというと、今は主不在となった砂倉さんの席に置かれている。砂倉さん
が帰ってきたら、今度は卒倒するんじゃなかろうか。
「気の毒に……」
 トモダチは心底同情したように言った。
「それは兎も角、本題だ。いい話を持ってきた」
「……何だよ、言ってみろ。何となくろくでもない話のような予感がするけど、とりあえ
ず、聞いてやるから」
 するとトモダチは内緒話なのか、ぐっと顔を寄せてきた。巻き込まれた一夜が至極迷惑
そうに顔を歪めた。
「実はな、クラブハウスの女子シャワー室を覗けるスポットがあるんだ」
「ばかか、お前は」
 僕は間髪入れずに言った。
「バ、バカって、おま……」
「そんな話を持ってくるところからして根本的にバカだけど、まあ、それはおいておくと
する。きっとどーしょーもないことだろうから」
「容赦ないね、お前」
「でも、その話って無理がないか? そもそもそんな都合のいい場所があるとは思えない
んだけど」
「ほら。うちの学校って三年前に大規模な増改築があっただろ? あのときに夜ごと工事
現場に忍び込んで、せっせとそういう観賞ポイントをつくった奴がいたんだと。猛者だよ
なぁ」
 いや、単なるバカだろ。
 しっかし、金持ちの成り上がり校で知られる聖嶺にそんな生徒がいたんだな。きっと目
の前のトモダチのような奴に違いない。
「仮にそれが本当だとして、シャワー室を使う女子にそれがバレてないというのも信じが
たい……」
「それはあれだ。男子限定の情報として伝わってるんだよ」
「そういうものなのかなぁ」
 どうも要所要所に疑問符のつきまとう話だな。
「そんなわけで今度一緒に行かないか?」
「パス」
 即答した。
「なぁんでだよぉ!?」
「いや、普通に考えてあまりにもリスキィだろう」
「はン。そうやってお前は興味のない振りをして、いい格好するつもりだな!」
 話聞いてないな、こいつ。
「わかったわかった。見張りくらいならやってやるから」
「あ〜っ。まさかてめぇ!」
 うるさいな。今度は何だよ。
「最近急に仲良くなった片瀬先輩と、実はもう……!」
「やかましい! お前、もう黙れ!」
「ふてぇ野郎だ! 許せねぇ!」
 怒れる大魔神の如く立ち上がるイカれたトモダチ。
 だが――、
「おぶすっ」
 そのバカの姿が目の前から消えた。
 代わりにその場所にいるのは、正拳突きを放った構造のままで立っている居内さんだっ
た。「通り道に変なのがいたので崩拳くれてみましたが何か?」と言葉なく身体で語る。
 一方、トモダチは教壇まで転がっていって、実に芸術的な死体となっている。
 おそるべし居内さん。
 でも、うるさいのを黙らせてくれたのでよしとしよう。
「あまりバカなことに首突っ込むなよ」
 と、一夜。
 さっきの覗き云々のことだろう。
「大丈夫だよ。そもそも実行するとも思えないしね。話すだけならタダさ。それに友達と
バカバナシをするのも、たまには必要だよ」
 しかし、一夜は理解できないという顔で肩をすくめただけだった。
「アイツが見つかって、那智が捕まるってオチやな」
「…………」
 ……嫌な予想をしてくれる。
 
 4限目終了、昼休み――、
「まったく。先生も面倒なことをやらせるよなぁ」
 弁当を食べ終えた僕はぼやいた。
 尾崎先生から授業で使った百科辞典を図書室に返しておくようにと、名指しで言われた
のだ。
 この前は社会科資料室の地図だったな。
「先生、絶対僕のこと嫌ってるよ」
 教卓の上に置かれている辞典は六冊。バカでかくてぜんぶ持ったらなかなか重そうだ。
 いざそれを持とうとしたとき、横から伸びてきた手が、軽々と4冊を取り上げた。
「手伝うわ」
 一夜だった。
「いいの?」
「かまわん。他にやることもないし、図書室にも行ってみたい」
「そっか、ありがとう。助かるよ」
 でも、そう言った僕に特に何も返事をせず、一夜は歩き出した。僕も残った二冊を持っ
て後を追いかけた。
「一夜、あれだろ? 僕があまり力ないと思ってるだろ?」
 廊下を歩きながら訊いてみる。
「僕はこれでも中学三年間、バスケ部でやってきたからね。けっこう力はあるんだぞ。や
りはじめてすぐにそういう部分で人より劣っていることがわかったから、けっこう鍛えた
んだ。例えばさ、風呂に浸かりながら湯船の中で、こう、自分で自分の手首を掴むだろ」
 言いながら僕は二冊の辞典を胸で抱えるように持って、空いた手で実践する。
「で、こうやって手首を動かす」
 そして、それを魚の尾ひれのように動かした。
「これを左右百回、二セットずつくらいを習慣にすれば、かなり力がつくんだ。おかげで
手首のスナップだけでけっこうボールが投げれるぞ」
「でも、背は伸びんかったんやな」
「そうなんだよ。バスケやってたら背が伸びると思ったんだけどな」
 残念ながらこればかりは努力ではどうしようもなかった。
「ジャンプしたときに伸びて、着地したときに縮んでるんじゃないかと思ったな」
「そらまた非科学的な」
「でも、最近わかったんだ。バスケやってたら背が高くなるんじゃなくて、背の高い奴が
バスケをやってるんだって」
 そんな面白くないアメリカンジョークみたいな話をしているうちに図書室に辿り着いた。
 図書室は静かだった。
 床に絨毯が敷かれていて足音が吸収されるとか、みんなマナーがよくて話をしないとか、
そういう以前に単純に利用者が少なかった。貸出カウンタにいる図書委員を含めても二十
人弱くらいか。本を読んでいたり、勉強をしていたり。
 で、図書室を入ったすぐ近くにある閲覧席に、どこかで見たことのある後姿があった。
 女の子だ。
 彼女は勉強をしていたらしいが、不意にその顔を上げた。
 何かを探すように右を見る。
 左を見る。
 そして、最後に振り返ってこちらを見た。
「千秋那智! あなただったのね!」
 何がだ!?
 そして、僕はいったい何のセンサーに引っかかったんだ!?
 その女の子は言うまでもなく姫崎さんだった。どうやら昼休みの図書室で勉強中だった
らしい。そのせいか今は眼鏡をかけている。
「図書室では静かにお願いします」
 しかし、間髪入れずカウンタの向こうから図書委員の声が飛んできた。文字にしたら丁
寧だけど、響きは明らかに命令口調だ。
 姫崎さんは叱られた飼い猫のように首をすくめた。
「まさかこんなところで会うとは思いませんでしたわ」
 そして、先ほどより幾分かトーンダウンした声で続けた。
「うん。それはこちらも同じだ。おかげで珍しいものを見せてもらったよ。姫崎さんって
普段は眼鏡かけてたんだ」
「!?」
 自分でもようやく気がついたように、姫崎さんは慌てて眼鏡を外した。
「べ、勉強のときや授業のときだけですわ」
 なんだか恥ずかしがってる。
「それは兎も角……勝負よ! 今日こそは――」
「静かに!」
 また叱られて首をすくめる。
「結局そうなるのだな。冗談。僕は逃げるよ。一夜、後は任せた」
 勝負なんて言っているが、勝っても負けてもろくなことにはならないんだ。姫崎さんが
怯んでいる隙に逃げてしまおう。
 持っていた辞書を一夜に押しつけ、回れ右して図書室を飛び出す。
「あっ! 待ちなさい、千秋那智!」
 追ってくるようだ。どこまで執念深いんだ、化けネコめ。
 走る僕の脳裏に、今朝見た殺人予告で惨殺死体な感じの人形の姿がよぎった。
「…………」
 ううむ。まさか捕まったらあんなことになる、なんてことはないよな、さすがに。
 
 何となく体育館に来てみた。
 ここまで逃げれば大丈夫だろうと思うが、どうもオーバーテクノロジィなセンサーを搭
載してるっぽいので、一度ロックオンされてしまっている以上、安心はできない。
 体育館の中を見回してみる。
 八つあるゴールはすべて使われている。そのひとつに宮里(通称サトちゃん)の姿があっ
た。男女込みのクラスメイト何人かで遊んでいるみたいだ。
 近寄っていくと、みんなもこっちに気がついた。手を上げたり挨拶代わりの短い声を投
げかけてくる。僕もそれに片手を上げて応えた。
「何してんの? 千秋も入る?」
 代表して宮里(通称サトちゃん)が出てきた。コートではゲームが続いていて、宮里と
交代で別の奴が入った。
「いや、今日はやめとくよ。シューズ持ってきてないし。ちょっとそれどころじゃないか
もしれない」
「なに? どゆこと?」
「ぶっちゃけ追われてるんだ。化けネコに」
「ああ、あれね」
 宮里(通称サトちゃん)もすぐに何のことか察したらしい。
「懲りないわね、千秋も」
「それを僕に言うか。姫崎さんに言ってくれ」
 と、そのとき――、
「見つけたわ、千秋那智!」
「い゛!?」
「まさか先に戦場で待ってくれているとは思いませんでしたわ」
 やっぱりロックオンは外れていなかったらしい。
「いけ、宮里! 相手になってやれ!」
「なんであたしよっ」
 こうなったら潰しあってもらうのがベストだ。
「遠慮するな。ゾウはネコを倒すときも全力を尽くすというぞ。そのゾウみたいな足で踏
んづけてやれ」
「あんたが先に死ねっ」
「うおっ」
 宮里の足が唸りを上げる。
 さっきまで僕がいた場所を蹴りが通過した。僕は飛び退いた流れでそのまま退散するこ
とにした。
「こらあ、千秋!」
「待ちなさい!」
 ふたりの声を聞きながら、どうも敵を増やしたっぽいと思った。
 また頭に例の人形の姿がよぎった。
 やっぱりあれは僕の運命を表していたのだろうか。
 
 逃げ回っているうちに美術科のクラスにきてしまった。
 片瀬先輩、いるかな?
 尤も、いたとしてもこんな人目の多いところで声をかける勇気はないけど。
 でも、ちょっと姿を見るだけならいいかな、とさり気なく通りすがりに横目で中を窺っ
てみる。
「あっ、千秋君だっ。どうしたのどうしたの? 何か用? 何か用?」
 失敗。
 いきなり捕まった。
 やけにリピートの多い先輩が駆け寄ってくる。何だろうな、その好奇心に満ちた目は。
「い、いや、何でもないです……」
「んん? 本当? 本当〜? もしかして司に――」
「本当に何でもないですっ。ちょっと通りかかっただけですから。失礼しますっ」
 僕はそそくさとその場を後にした。
 ま、仕方ないか。わざわざ会いにきたなんて周りに変な誤解を受けかねないし、そうなっ
たら先輩に迷惑がかかるものな。
 さてさて、それよりも逃亡逃亡。
 ん? 妙なリピート癖がうつったか?
 
 結局、一ヶ所に留まらずあちこち移動しながら時間を稼ぎ、昼休み終了の予鈴とともに
教室に戻ってきた。
「あ、千秋君」
 入るなり砂倉さんが僕を呼んだ。保健室から帰ってきていたらしい。
「さっき三年の片瀬さんが来たよ。捜してたみたい」
「先輩が?」
「あ、体育館にも来たわよ。あの後すぐだったかな?」
 続けて言ったのは宮里(通称サトちゃん)だ。
 一瞬身構えたが、蹴ってくるような様子はなかった。言葉ひとつに根に持ったりしない
のが宮里(通称サトちゃん)のいいところだ。
 それにしても片瀬先輩がここに? 何の用だったのだろう? 先輩がわざわざ僕の教室
までくる理由に心当たりがない。5限目が終わったら先輩のところにちょっと行ってみよ
うか。
 考えながら席に戻ると――、
「…………」
 また机の上に人形が置いてあった。
 今度は首がもげている。
 これが僕の末路? だとしたら嫌すぎるな……
 やがて今朝と同じように居内さんが回収にきた。まるで僕にこれを見せつけるのが目的
だったかのようなタイミングだ。
 そして、その居内さんは少し機嫌が悪そうだった。
 いつかあの崩拳(スタン効果つき、即死判定あり)がこっちに向けられるときがくるの
じゃないだろうか。
 
 6限目が終わった。
 5限目の休み時間に先輩の教室に行こうと思っていたのに、授業が延長してそれも叶わ
なかった。
 美術科はうちと違って6限目で授業は終わりで、今ごろ終礼やって帰っているだろうし、
こうなると明日まで持ち越しか。
 なんかすごいがっくりきている自分がいるな。
 頭を切り替えるためにちょっと学食で何か飲んでこよう。
 ついでに一夜にも何か買ってこようかと声をかけてみたが、今はいらないそうだ。欲し
いときは何の遠慮もなく使いっ走りさせるくせに。
 しかし、今日はさんざんな一日だな。
 朝から不吉の顕現みたいな人形が待ってるわ、姫崎さんと遭遇して追われるわ、行く先々
で片瀬先輩とすれ違ってたみたいだわ。いざ会いに行こうとしたら時間がないわ……。何な
んだろうな、今日は。
 ぼんやりしたまま学食に到着する。
 学食は基本的に昼休みしかやっていないので、今働いているのは24時間営業年中無休、
勤労意欲の塊である自動販売機だけだ。尤も、今の僕にはそれで充分だけど。
 百円玉を握って自販機に突撃。
 と、そのとき、誰かの手にぶつかった。
 しまった。ぼんやりしすぎて他に人がいるのに気がつかなかった。
「す、すみませんっ」
「あ、ごめんなさいっ」
 れ……? この声は……
「「 あ…… 」」
 同時に互いの顔を見合う。
「那っ……千秋くん!」
「先輩!?」
 明日まで会えないと思っていた先輩が目の前にいた。
「…………」
「…………」
 ど、どうする? 何を言えばいい?
 心の準備もなしに先輩と会うとやっぱり心臓がばくばくいって、咄嗟に言葉が出てこな
い。
 そうだ!
「「 ど、どうぞ…… 」」
 ……またかぶってしまった。
「じゃ、じゃあ、僕から……」
「え、ええ、どうぞ……」
 譲り合っていても仕方がないので、ちょっと図々しいかと思いながらも、先にいかせて
もらうことにした。
 自販機に向かい、一旦先輩に背を向けたことで僕はほっと胸を撫で下ろす。先輩に気づ
かれないように、深呼吸で早くなった心臓を落ち着かせた。
 そうしてようやく頭が回りはじめる。
「那智くん、昼休みにわたしのクラスにきたって聞いたけど、何か用だったの?」
 背中越しに先輩に訊かれた。
「えっと、特に用があったわけではなくてですね……。ちょっと怪人に追いかけられてい
るうちに辿り着いただけなんです」
「そ、そう……」
 そう言って先輩は考え込む。
 あ、なんか納得されてないっぽい。実際その通りなんだけど、変に勘繰られたらマズい
な。
「先輩の方こそ、なんか僕を捜してたって聞いたんですけど、何かあったんですか?」
 何か言われる前にこちらから質問しよう。
「え? ああ、そうだったわね。円がね――」
 と、そこで先輩は一度言葉を切った。
「どうしたんですか?」
「ううん。何でもないの。ちょっと那智くんに会いたかっただけ」
「え……?」
 思いがけない言葉に動きが止まってしまう。
「あ、れ……?」
 そして、なぜか先輩も動きを止めた。目が泳いでいる。
 時間が止まったようにふたりで硬直する。
「えっとね、深い意味はないのよ?」
「あ、はい。大丈夫です。わかってます!」
 僕は激しく頷く。
 ダメだな、僕。先輩とちょっと仲良くなっただけなのに、先輩の言葉に特別な意味を見
出そうとしてしまう。
 勘違いするなよ、と自分に言い聞かせる。
 と、そこでチャイムが鳴った。
「わ。授業が! じゃあ、僕、戻ります」
「ええ。またね」
 先輩はくすりと笑って、胸の前で小さく手を振った。
 むう。まったく、なんて日だ。せっかく先輩と会えたというのに。やっぱり今日はろく
でもない日らしい。
「…………」
 ……あ、いや、先輩に会えたからそうでもない、のかな?
 
 
2006年9月6日公開
何か一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
コメントへのお返事は、後日、日記にて。