授業中――、
 わたしは先生のつまらない話を聞き流しながら、那智くんの顔を頭に思い浮かべていた。
 かわいらしい顔の特徴をいくつかピックアップして、それを必要以上に強調するようにしてノートの端に似顔絵を描いていく。
 いわゆるデフォルメ絵というやつだ。
 ここ数日、暇な授業のたびに試行錯誤を繰り返して、今ようやく完成した。
 我ながらよく描けていると思う。見ていると思わず頬が緩んでくるのは、ただ単に絵の出来がいいからだけではないだろう。
 
 
Simple“school”Life
  (7) bitter × sweet
 
 
 さて、次はどうしよう? 隣にわたしを並べて、いっそのことキスでもさせてしまうのも面白いかもしれない――なんて、そんな楽しい想像を巡らせていると、残念、チャイムが鳴ってしまった。まぁ、また別の授業で別のノートに描くだけだからいいけど。
 この分だとすべてのノートに那智くんの顔が描かれる日も近いかもしれない。
「起立」
「礼」
 心のこもっていない、かたちだけの儀式をもって授業が終わる。
 と――、
「なにこれ、なにこれっ!?」
「え?」
 わたしの前に座るクラスメイトが、例のラクガキを目ざとく見つけた。
「あーっ。これ、もしかして千秋くん? もしかして千秋くん!?」
「え、ええ……」
 すぐにバレてしまった。この繰り返しの多いクラスメイトが一発で言い当てたのも、それだけ絵の出来がよかったということなのだろう。
 とは言え、見られていいものでもない。わたしは余計な詮索をされないよう咄嗟の言い訳をする。
「ほ、ほら。千秋くんってかわいい系の顔してるでしょ? だから、こうしてデフォルメしたら面白いかなって」
「うんうん。なるほどなるほど。じゃあさ、じゃあさ、我らが遠矢君なんてどうよ?」
「と、遠矢君? え、えっと……」
 頭の中で彼の顔を思い浮かべてみる。
 確かに端整な、美少年というに相応しい顔だけど、わたしにとってはそれ以上でもそれ以下でもなく、何の感慨もない顔だ。
「こんな感じ?」
 手元にあったプリントの裏にペンを走らせ、似顔絵をひとつ描いてみる。
「う〜ん。似てるけど似てるけどぉ……。あたしならこうかな?」
 どうやらお気に召さなかったらしく、彼女は自らペンを取った。
 この後、他の子も寄ってきて、この休み時間は校内有名人似顔絵大会になってしまった。
 勿論、わたしは那智くん以外の絵はぜんぜん描けなかったけど。
 
 今日は土曜日。
 なので、授業は3時間。
 早く帰りたいところだけど、学生食堂で円と待ち合わせをしていた。
 というか、これは習慣だ。
 午後からの部活のためにお昼を食べる円につき合ってから帰るのが、いつの間にか習慣になっている。一緒に食べることもあれば、おしゃべりをするだけで家に帰ってから食べることもある。
 お昼で思い出したけど、そういえば先週は那智くんを家に誘って、一緒にお昼を食べたんだった。今はひとり暮らしらしいので、また誘ってみようか。そのときは腕によりをかけてもっといいものを作ってあげよう。
 そんなことを考えているうちに食堂に着く。
 土曜日で昼過ぎとは思えないほど空いている食堂。まだ円はきていなかった。
 でも、その代わりに思いがけない姿を見つけた。
 那智くんだ。
 彼の姿を見て、わたしの心臓がひとつだけ大きく鳴った。
 向かいには遠矢君も座っている。見た女の子が思わず歓声を上げそうなツーショット。
 遠目で見るに、何やら勉強をしている様子だった。教科書とノートをいくつか広げている。ただし、それは那智くんの前だけだった。
 わたしは弾むような足取りで近づき、声をかけた。
「こんにちは」
「あ、先輩。こんにちは」
 那智くんからだけ挨拶が返ってきた。……別にいいけど。
 わたしはさりげなく隣に座りながら尋ねる。
「お勉強?」
「ええ、まあ……」
 那智くんはばつが悪そうな様子で答えた。
「ちょっとわからないことがありまして、一夜に教えてもらってるんです」
「ふうん。そうなんだ。でも、どうしてこんなところで?」
 もっと勉強するに相応しい場所があるような気がする。例えば図書室とか。あそこな土曜の放課後でも開いている……と思う。ぜんぜん行かないから自信ないけど。
「や、勉強を教えてもらってる以上、どうしても話をしないといけないわけで。そうなると私語に煩い図書室は使えないんですよね」
 なるほど。確かにそうだ。
「それにこれ」
 と、テーブルの上に置いてあったチョコプレッツェル(いわゆるポッ○ー)を軽く持ち上げて示した。
「図書室じゃこんなもの食べられませんから」
 そして、子どものように笑う。
「いいの? 見つかっても知らないわよ?」
「大丈夫ですよ。先生、学食になんてきませんから。……先輩も食べます?」
「ううん。いいわ」
「そうですか。ま、昼ご飯前ですからね」
 那智くんはチョコプレッツェルを1本取り、口にくわえる。
 それからパリパリと噛み砕きながら口の中に押し込んでいく。リスとかハムスターを連想させる食べ方だ。
「…………」
 わたしは思わず那智くんに見とれる。
 もっと言えば、見つめていたのは、その唇。
 わたしは那智くんの唇を見ながら、ちょっとだけ悪戯で邪なことを考えていた。それはチョコプレッツェルのちょっと素敵な食べ方――。
 さすがに那智くんもわたしの視線が気になったらしい。
「どうかしたんですか?」
「う、ううん。何でもないわ」
 我ながら見事な慌てっぷりだ。
 那智くんは一度だけ首を傾げると、遠矢君に向き直った。
「一夜、古文ってすでに外国語だと思うんだが、いかがなものか?」
「知るか。ええからそこ訳せ。そこができたら後はどうとでもなるわ」
 投げやりな教え方だ。
 那智くんの意見には概ね同意しておく。漢文ならさしずめ暗号解読といったところか。
 あと、どうかこちらに聞いてきたりしませんように。わたしは所詮美術科なので、古文なんて触りの部分しかやっていない。そして、それ以上に赤点ギリギリの低空飛行をしているなんて、那智くんには知られたくない。
「とりあえず、ここと、ここと、ここと――」
 と言いながら遠矢君は反対向きのノートに器用に印をつけていく。
「ここは覚えとき。西川はアホやからマニュアル通りの教え方しかせんし、これで小テストなら充分やわ」
「な、なるほろ……」
「んじゃ、俺は先に帰らしてもらうわ」
「うぇ!? ノートは? 持って帰らなくていいのか?」
 ノートの一冊は遠矢君のだったらしい。
「月曜まで貸しとく。忘れたら殺す。……んじゃ」
 簡潔に言うだけ言うと、遠矢君は足早に去っていった。高校一年生にあるまじきクールさだ。
「…………」
「…………」
 わたしたちは黙ってその背を見送った。
「月曜、小テストなのに、ノート持って帰らなくていいんだろうか。……いいんだろうな。一夜だし」
 那智くんがぽつりと言った。
 それから何となくお互いの顔を見合って――那智くんは慌てた様子でノートに視線を落とした。
 まだ勉強を続けるつもりなのか、ノートと睨めっこ。
 わたしはその横顔をじっと見つめる。
 ここはわたしの特等席。
 わたしは、那智くんのかわいさに騒いで盛り上がっているだけの他の子とは違う。彼女たちよりも少しだけ那智くんをよく知っている。
 わたしが声をかければ、彼は笑顔で応えてくれる。
 こうして親しげに話すことができる。
 みんなより一歩前。そこから、ほんの少しだけ優越感を感じながら、那智くんを眺める。それでわたしは満足だった。
 でも――、
 今日は違っていた。
 思わず頬をふくらませそうになる。
 だって、那智くんはずっとノートを見ているから。
 すぐ横にわたしがいるのに、こっちを見ようともしない。
 ノートに向かったまま、時々落ち着かない様子でチョコプレッツェルを口に運ぶだけ。そんな那智くんの態度にわたしは頬をふくらませる。
 また1本、チョコプレッツェルを手に取った。口の端にくわえて、上下に動かしている。
 それを見て、わたしは決めた。
「那智くん」
「はい?」
 顔がこちらを向く。
「やっぱりわたしも食べるわ」
 そう言ってわたしは顔を寄せ、那智くんがくわえているチョコプレッツェルをかじった。
 パキッ、と小気味良い音がして、それは中ほどで折れた。
 那智くんは目を丸くしている。
 その顔は思わず抱きしめたくなるほどかわいくて、それでいてちょっとだけ嗜虐心を満たした。
「な、な、な、何を……!?」
「あら、失礼ね。そんなに驚かなくてもいいと思うわ」
 うん。チョコはビター。
 でも、残念。もう少し短くなってから食べればよかった。そのときはきっともっと甘かったに違いない。
 
 
2007年6月27日公開
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