着飾った街は、もう幻想――
 クリスマス一色。
 でも、街やショッピングモールがどんなに飾りつけられても、今僕がほてほて歩いている校内には特に変わったところはない。そりゃそうだ。クリスマスが近くなって飾りつけをする学校があれば見てみたい。
 しかし、視覚的には変化がなくとも、気持ちは確かにクリスマスに向かっている。終業式後にクリスマスパーティを企画しているクラスもあれば、特別な誰かと一緒に過ごそうと考えてるのもいる。
 かく言う僕もそのひとりだ。
 やはり司先輩といたい。クリスマスにデートなんて素敵だと思う。そんなわけで当日の約束を取りつけようと、今、僕は先輩を捜して彷徨っている。
 
 
Simple Life
  クリスマス特別SS 「聖なる夜に口付けを」
 
 
 この時間だと、教室か美術室だろうな――
 そう予測しつつ歩いていたら、何のことはない、正面からその司先輩がやってきた。涼やかな顔で、姿勢も正しく、超ミニのスカートを揺らしながら颯爽と歩いてくる。誰もが認める学園一の美少女は、すれ違う男子生徒の視線を奪いつつも、そんなことを気にした様子もない。
 目はわずかに僕の方がいいらしい。僕が先に先輩を見つけた。遅れて先輩が僕の姿を認め、柔らかく微笑んだ。
「先輩、こんにちは」
「ええ。こんにちは、那智くん」
 立ち止まり、挨拶を交わす。
「どこかへ行く途中?」
「あ、いや、実は先輩を捜してました」
「そうなの? 嬉しいわ」
 司先輩は大人っぽく、落ち着いた笑みを浮かべた。
 これだけのことで喜ぶなんて、先輩って意外と安上がりだな。まぁ、尤も、僕だってそれを見てちょっと嬉しくなっているのだから、人のことは言えないけど。
 そんなことをやっていたら、丁度そのタイミングでそばを通りかかった男子生徒が、忌々しげに舌打ちをしていった。
「それで、何の用かしら?」
「あ、えっと、ちょっと話がありまして」
「そう。じゃあ、歩きながら話しましょ」
 確かにその方がいいかもしれない。人に聞かれて困るような話をするつもりはないけど、わざわざ聞かせることもない。
 僕らはさっそく並んで歩き出した。
「先輩はどこに行くんですか?」
「わたしは職員室よ。美術科の先生に用があるの」
「そうでしたか」
 返事を聞いたところで、それに対する僕のコメントは特になかった。これは単に間合いとタイミングを測るための世間話でしかない。僕の気持ちはずっと当初の目的――先輩をデートに誘うこと、に向けられていた。
 軽く緊張。
 いちおうつき合っているのだから、別に緊張することもないのだけど、こればかりはどうしようもない。
 むん、と心の中で気合いを入れ、意を決して切り出す。
「先輩、もうすぐクリスマスですね」
「ええ。いわゆる聖夜だわ」
「……」
 なぜに夜?
 いきなり出鼻を挫かれ、続く言葉がどこかに飛んでいった。
「どうかしたの?」
 先輩は黙り込んだ撲に訊く。
「い、いえ、何でもないです……」
 よし、落ち着け、僕。体勢を立て直すんだ。
 自らに喝を入れる。
「クリスマスの話なんですが――」
「聖夜の話ね」
「……」
 いや、だから……
「すみません、先輩」
「何かしら?」
「さっきから話を夜の方へ夜の方へ持っていこうとしてませんか?」
 あなたのクリスマスは夜限定でぃすかー?
「あら、気のせいじゃない?」
「いや、絶対に――」
 気のせいじゃないです。そう言いかけて、僕は発音をやめる。
 実は自分でも気づかないうちに嫌らしい思いや期待を抱いてしまっていたらどうだろう? それで勝手に曲解しているだけだとしたら? 果たしてそうじゃないと言い切れるだろうか。
 むぅ、マズいぞ。自分で自分がわからなくなってきた。
 すると不意に、
「ふふっ」
 隣で笑い声。
「冗談よ。那智くんをちょっとからかってみただけ」
「うあ゛……」
 からかわれたー。
 思わずがっくしと項垂れる。
「戸惑ってる那智くん、かわいかったわ」
「……」
 そして、そのまま顔が上げられなくなった。
「でもね――」
 司先輩はぴたりと立ち止まった。数歩遅れて僕も足を止め、振り返る。
 そこではたと気づく。
 周りに誰もいなかった。廊下にはマイナーな特別教室が並ぶばかりで、人気はまったくない。つーか、ここどこっ?
「こんなところにのこのこついてくるなんて、何をされても文句は言えないと思わない?」
 司先輩はいたずらっぽい、と形容するにはあまりにも悪意を含んだ笑みを浮かべた。
 ちょっと身の危険を感じる。
 そのわりには、その台詞を女の子が言うと斬新だなぁ、なんて意識の一部で冷静に考えていたり。
「えっと……これも冗談、ですよね?」
「ええ、勿論よ」
 先輩は一転してあっけらかんと言った。
「こんなムードのないところじゃつまらないわ」
「……」
 半分くらいは本気だったっぽい。
「那智くんったら気もそぞろな感じだったから、ちょっと悪戯してみたくなったのよ。……戻りましょ。こっちじゃないわ」
 先輩は踵を返した。僕もその後について、きた道を引き返す。
 気もそぞろ?
 まぁ、気持ちは司先輩をデートに誘うことばかりにいっていたからな、傍目にはそう見えたかも。そして、僕はそのまま何の疑問も差し挟まず、ここまでついてきてしまったらしい。
「何か気になることでもあるの?」
 一度通った廊下を戻りながら、先輩が僕に尋ねる。
「ていうわけでは……」
 ないんだかあるんだか。実際、どう話を切り出そうか困っているわけだし。
「えっと、もうすぐクリスマスですね」
 でもって、またはじめに戻る僕。
 どうか先輩がまた聖夜とか言い出しませんように。
「ええ、そうね」
 幸い、それはなかった。だけど、代わりになぜかそこには笑いを堪えるような響きがあった。僕が融通の利かないマニュアル人間みたく、また一から話をはじめたからだろうか。
 とは言え、ここまできた以上、引き返せない。
「先輩、クリスマスは何か予定ありますか?」
「勿論、あいているわ」
 やはり先輩は含み笑いをしながら返事をした。
 なんでこんなにも笑われているのだろうな。さすがに僕もむっとくるぞ。
 が、そのとき――、
「ああ、やっぱりどうしても笑顔になるわ」
 急に司先輩は観念したように、そんなことを言い出した。
「わたしね、ずっと待っていたの。クリスマスに那智くんが誘ってくれるのを。だから、さっき那智くんが話があるって言ったとき、“ああ、ようやくきてくれた”って、嬉しかった。今すごく幸せ。自然に笑顔になるくらい」
「そ、そうでしたか……」
 要するに、僕の行動なんてお見通しだったわけだ。まぁ、そんなものか。僕が司先輩に敵うはずもないし。でも、ちょっと安心した。これなら話は早い、というか、終わったも同然だ。
「じゃあ、続きを聞かせて」
「う、うぇ!?」
 続き? 続きって何!?
 思わず足が止まる。遅れて先輩も立ち止まった。さっきとは立場が逆だ。
 司先輩は振り返って、無邪気に問うてくる。
「誘ってくれるんでしょ、クリスマス」
「え、ええ、まぁ、そうなんですが……」
「楽しみだわ。どんな言葉を聞かせてくれるのかしら」
 プレゼントを待つ少女の顔で言う。
 言わなければいけないらしい。もう話はまとまっているようなものなのに、それでも必要なのだそうだ。
「えっと、じゃあ……クリスマス・イブに僕とデートなんていかがでしょう?」
「ええ、喜んで」
 司先輩は嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。
 僕はほっと安堵のため息を吐く。これで一段落だ。
「でも、そうね。希望を言わせてもらえれば、もう少し素敵な言葉が聞きたかったわ」
「……」
 無茶をおっしゃる。
 司先輩は再び踵を返して歩き出した。僕もその後を追う。
「あ、そうだ、先輩。何か欲しいものありますか?」
「クリスマスプレゼント?」
「はい。俗にそう呼ばれるものですね」
「いらないわ」
 しかし、司先輩はさらりと言った。
「那智くんがいれば、それで充分よ」
「む、むぅ……」
 僕は気恥ずかしさから意味不明な唸り声を絞り出した。
 そう言ってもらえるのは嬉しいし、財布にも優しくていいのだけど、実際、クリスマスにプレゼントなしっていうのはどうなのだろう?
「じゃあ、ひとつおねだりしようかしら?」
「いいですよ。何ですか?」
 と気前よく引き受けながら心の中では、高価なものじゃありませんように、と軽く願ってしまう。所詮は高校生なのだ。
 しかし、発せられた要求はまったく予想外のものだった。
「デートのときは腕を組んで歩いて」
「へ? そんなことでいいんですか?」
 間抜けな声を上げてしまう。
 しかし、先輩は僕のこの反応がお気に召さなかったらしい。
「そんなこと!? 普段そんなふうに歩いたことがないからお願いしてるのに、それを“そんなこと”で片づけるんですか、那智くんは」
 司先輩は歩くのをやめ、素早く僕の前に回り込むと、詰め寄ってきた。僕は先輩の口から飛び出した丁寧語にたじろぎながらも、反論を試みた。
「いや、だって、単に腕を組むだけじゃ……」
「ふうん。じゃあ、その“そんなこと”を今ここでやってもいいわけね?」
「ぶっ。そ、それはちょっと……」
 さすがに校内でそんなことをやった日にゃ、あちこちからいろんなこと言われるぞ。……すごいアバウトな予測だけど。
 先輩は腰に手を当て、目顔を突き出して迫ってきた
「す、すみません、僕が間違ってました……」
「ん。よろしい」
 途端、先輩は満足げに笑み浮かべる。
「それじゃあ、もうひとつプレゼントをもらおうかしら」
「はいはい。何なりと」
 何が“それじゃあ”なのかさっぱりなのだけど、ここは素直に聞いておいた方がよさそうだ。
「ちゃんとキスもして」
「……まぁ、そういう雰囲気になったら……」
 なんかもう苦笑いしか出てこないな。
「大丈夫よ。ならないはずがないわ。だって、年に一度のクリスマスですもの」
 自信満々だ。
「クリスマスに腕を組んで歩いて、それからキスもするなんて、すごく素敵。想像しただけでドキドキするわ」
 司先輩は夢見心地に唄いながら歩き出す。僕はおいてけぼり。大丈夫か、先輩。気持ちだけひと足お先にクリスマスにいっちゃってないか?
「あぁ、早く聖夜にならないかしら?」
「……」
 で、結局また夜の話に戻るんですね……。
 
 
2007年12月15日公開
何か一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
コメントへのお返事は、後日、日記にて。