僕が帰国して最初のクリスマス。
 本日は司先輩とデートの予定となっている。
 先輩と僕の現状というのは、基本的に以前とほとんど変わっていない。即ち、先輩は自宅通いの美大生、僕も両親が転勤したまま広い家でのひとり暮らし。週に2日くらいは先輩がやってきて、泊まっていくけど。春には僕も大学に入りたいと考えている。
 
 
Simple Life
  クリスマス特別SS 「雪が積もれば」
 
 
 さて、約束の時間に間に合うよう家を出たところで、かすかに猫の鳴き声が聞こえてきた。空耳かなと思いつつ耳を済ましてみると、さらにもうひと鳴き。やはりどこかに猫がいるらしい。
 辺りに目をやると――いた。門のすぐ横にある木の、僕の目線の高さくらい枝に三毛猫が一匹。ずいぶんと小さい。仔猫だ。
 仔猫は僕が気づいたとわかるや、さらににゃーにゃーと自己主張をはじめた。
「もしかして下りられないのか?」
 どうやらそうらしい。
 下ろしてやろうかと近づいたとき。ズボンのポケットに突っ込んだ携帯電話が着信メロディを奏で出した。サブディスプレィを見てみる。メールだ。
 差出人は、居内さん。
 居内さんは聖嶺を卒業した後、今は看護学校に通っている。看護学科を出た後は、そのまま助産科まで進むつもりだとも言っていた。彼女が看護師になった暁には、『白衣の悪魔』と呼んでやろう。
「ちょっと待ってろ」
 僕は仔猫にそう言ってから、先にメールを開いた。
 そこには、
『V-MAX(ぶい・まっくす)がいなくなった』
 とあった。
「……うぇ?」
 なんじゃそりゃ。
 理解不能。
 それは何だと返信する。すぐに返事が戻ってきた。
『V12(ぶい・じゅーに)の血を受け継いたV(ぶい)シリーズの最高ケッ作にょー』
「……」
 にょー、じゃねぇよ。
 要するに、V12の子どもなのだろう。妙な表現を使うんじゃない。……そうか。僕らが拾ったあの仔猫も、子どもを生むまでになったのか。
 と、しみじみ思っていたとき、頭にピンときた。
 僕は枝の上の仔猫を見た。目が合う。
「おい。お前、もしかしてV-MAXって名前じゃないか?」
 にゃー。
 返事はしてくれたけど、どういう意味かがわからない。千秋那智、生まれて18年。未だ猫語を解する気配なし。
 僕は思いついて携帯電話のカメラ機能を起ち上げ、それを仔猫に向けた。
「よし、V-MAX(仮)。撮るぞ」
 ピロリロリン。
 さっそく画像を見てみる。おー、よく撮れている。つぶらな目と小首を傾げた姿が愛らしい……って、なんでポーズとってんだ? さっきまで下ろしてくれって、にゃーにゃー鳴いていたくせに。けっこう余裕だな。
 とりあえずこの写真を居内さんに送ってみる。こいつだろうか?
『そう、それ。……なっちん、いる?』
 いや、いるって……。確かにかわいいし、あのV12の子どもがうちに迷い込んできた辺り妙な運命を感じるけど、本人の意思も確認せず勝手に決めるのもな。この件は後日V-MAXも交えて話し合うことにして、今は居内さんに返すことにしよう。
 僕は仔猫をジャンパーの中に入れて、自転車を漕ぎ出した。
 
 途中で居内さんのところに寄ったものの、司先輩との約束の時間にはちゃんと間に合った。
 待ち合わせの場所は先輩の家から最寄の駅の、駅前広場。中央にある噴水の前がお馴染みの場所だが、さすがに真冬に噴水の近くは寒そうなので、今日はそこから少し離れている。
「こんにちは、先輩」
「ええ、こんにちは」
 先にきていた先輩が笑顔で迎えてくれる。……むぅ、待たせるとは最低だな、僕。
「冬だから寒いけど、天気がよくてよかったわ」
「そうですね」
「ホワイトクリスマスというのもロマンチックだけど、外を歩くぶんにはこのほうがいいわ」
 僕らはさっそく駅の改札口へと歩き出した。
「きっと素敵な夜になるわね」
「ぶっ」
 僕は司先輩の不意打ちに、盛大に噴いた。
「よ、夜!? クリスマスだからってすぐにそういう方向にいくのはよくないっていうか、いや、今日はそんな予定じゃなくてっ」
 今日は、日中テキトーに繁華街のほうで遊び歩いた後、夕方から教会のクリスマス会に参加することになっている。これは予め先輩と決めていたはずなのだが。
「冗談よ」
 先輩はいたずらっぽく笑う。
「最近はクリスマスっていうと、すぐそういう発想になる風潮があるみたいね。嘆かわしいことだわ」
「……」
 どの口でそんなことをぬかしますか。
 司先輩は、今度は自分の腕を僕の腕にからめてきた。意外に力強く、がっちりホールド。僕がぎょっとすると、
「クリスマスには恋人は腕を組むって決まっているのよ。知らなかった?」
「知りませんよ、そんなの」
 でも、まぁ、確かに今日ほど腕を組んで歩くのが似合う日もないな。
 
 そこから電車に乗って繁華街へと繰り出した。
 一ヶ月も前からクリスマスの雰囲気を振りまいていた街は、今日はまさにその最高潮を迎え、どこもかしこもクリスマスカラーの飾りとイルミネーションばかりだ。
 僕らはそこでデパートを巡ったり、ただ単に話をするためだけに外をぶらぶら歩いてみたり、暖かいカフェでお茶をしたりして過ごした。
 そうこうしているうちに辺りは少しずつ暗くなりはじめた。
「先輩、そろそろ戻りましょうか。あまりギリギリに教会に駆け込むのもあれだし」
「そうね」
 まだ一日が終わるわけではないからか、司先輩は特に未練もない様子で同意した。
「じゃあ」
 と、駅のほうに足を向ける僕。だけど、なぜか先輩は立ち止まってしまった。何やら考えているふう。
「ねぇ、駅に行くならこっちを突っ切っていったほうが近いんじゃないかしら?」
 先輩が目を向けたのは、今僕らが立っているメインストリートから裏へと伸びる道だ。路地裏というほど狭いわけでもなく、歩道のない片側一車線ずつの道路。
「行ってみましょう」
「あ、先輩、そっちは……」
「大丈夫よ。わたし、方向感覚はかなりいいもの」
 先輩は頭に描いた地図にかなり自信があるらしく、僕の制止も聞かずそちらのほうへずんずん突き進んでいく。
 で、
 ……。
 ……。
 ……。
 そうしてその先にあったものはというと、
「だから言ったじゃないですか」
「そ、そうね……」
 ホテル街だった。
 メインストリートから覗いてもすぐにはわからないようになっているのだが、道を一本入ったそこはホテル街になっているのだ。そーゆー目的でもなく、ただ単に通り抜けるにはどうにも気まずい場所。
「……」
「……」
 先輩と僕は口数も少なく、肩を並べてただ駅を目指した。
 時折べったり寄り添った男女を見かける。えらく年配の男性と若い女の人の組み合わせなんか見てしまうと、妙な勘繰りをしたりなんかして。
 見上げれば普段から華美なライトアップがされているであろう建物も、今日はさらにクリスマス用のイルミネーションが加わっている。きれいだけど、のんびり眺める気にはなれなかった。
「ほ、本当に稼ぎどきなのね、この業界って」
「そ、そうみたいですね」
 交わす言葉もどこか空々しい。
 やがてホテル街を抜けて駅が近くなってくると、健全なクリスマスムードが戻ってきた。僕たちはようやく人心地つくことができた。
 
 電車で再び地元に戻ってきた。
 先輩とふたりで教会への道を歩く。
 辺りはすっかり暗くなっているが、それでもまだ時間は5時前。クリスマス会は5時からの予定になっている。
「ねぇ。あの教会って結婚式はやってないのかしら?」
「どうなんでしょう?」
 あそこで冠婚葬祭をやっているのを見たことがないし、そういう設備が整っているとも思えない。先生が力を入れているのは日曜学校と、事情があって親の手を離れた子どもの養育だ。
「頼めばやってくれないこともないと思うけど……」
 そういうのってどんな資格がいるのだろう。
「最悪、単なる真似事になるんじゃないかと」
「あら、それでもいいじゃない」
 司先輩はあっけらかんとして言った。
「わたしは、派手で立派な結婚式よりも、真似事でもいいから那智くんと縁の深いあの教会でするほうが素敵だと思うわ」
「確かに」
 と、そのとき、僕の鼻に冷たいものが当たった。雨かと思ったけど、街灯の光に映し出されたのは、雨よりももっとゆっくりと舞い落ちるものだった。
 雪だ。
 すぐに先輩もそれに気がついた。
「ほら。イブの空だってそれがいいって言ってるわ」
 先輩にとっては祝福の雪らしい。
「じゃあ、賭けましょうか。僕たちが帰るころ、雪が積もっていたらそうするってことで」
「ええ、いいわよ」
 笑顔で応じる先輩。
「それで、那智くんはどちらに賭けるの?」
「もちろん、積もるほうですよ」
 それじゃ賭けにならないけど。
 だって、せっかくのクリスマスなんだから、ホワイトクリスマスがいいに決まっている。
「そう。じゃあ、これで願いはふたり分。大丈夫、きっと積もるわ」
 司先輩はそう自信満々に言い切った。
 
 
2009年12月20日公開
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