鬼子月下 〜Moonlit “K”night〜
 
/中編
 
 一日の授業が終わり、下校する生徒の集団の中に清十郎はいた。
 校門を出た生徒たちは最寄りの駅や目の前のバス停など、それぞれ通学に使う交通機関を
目指して散っていく。清十郎の場合、引っ越しの際学校に近い物件を選んだため通学は徒歩
である。
 清十郎のマンションがある方角は最寄りの駅とは逆にあたるらしく、すぐに生徒の姿は疎
らになった。
 と、そこで足を止める。
「何でついて来ますかね? 相葉さんは」
 振り向くと、自転車を押してついてくるクラスメイト――相葉香澄に問いかける。
「だって、昨日のこと聞かないと気になるじゃないの」
 ポニーテールの快活そうな少女は答えた。
「あんな化け物を見せられたっていうのに、あんたってば何も説明なしで、こーんな目吊り
上がった顔で――」
 そこまで言うと人差し指で自分の目尻を押し上げる。
「『暗くなってからはあまり出歩かない方がいい』って言ったきりじゃない」
 物真似のつもりなのか香澄は清十郎の言葉の部分だけ低い声で言った。
「今のすっとぼけた顔とは大違い」
「ほっとけ」
 苦笑いとともにそう言うと清十郎は再び自宅に向かって歩きはじめた。まだ諦めてないの
か、香澄も当然のように後をついてくる。その香澄に向かって清十郎は続ける。
「別に説明もないし、昨日言った通りだよ。相葉さん、君は狙われてるから、極力出歩かな
い方がいい。特に暗くなってからはね」
「狙われてるって、昨日のあれにってことよね? だから何でよ? それにあんたって何も
のなの? 私はそれが知りたい」
「質問多いね」
「そりゃ多くもなるわよ。だいたいね――」
「んなこと言ってるうちに俺ん家に着いたんだけど?」
 今にも愚痴り出しそうな香澄を制して清十郎が言う。ふたりの視界にはマンションが見え
はじめていて、もう間もなくそこに着こうとしていた。
「兎に角、相葉さんは早く家に――」
「上がらせて貰うわよ」
「いいっ!?」
 予想しなかった返事に清十郎が思わず振り向く。
「上がるってうちに?」
「当ったり前じゃないの。このまま引き下がれますかっての。それとも何? 家に入られちゃ
マズいわけ?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ……」
 困ったように髪を掻くと、まあいいか――とつぶやいた。
 
 ただいま、とひと言声をかけてから玄関を上がる。特に返事はなかったが鍵が開いていた
ことからジゼルが帰ってきているのは明らかだった。
 玄関から真っ直ぐ廊下を進み、リビングへと入る。案の定、ジゼルはいた。こちらに背を
向ける形でソファに座り、TVを見ている。テーブルにはスナック菓子と缶ジュース。
「ただいま、ジゼル」
「ん〜? おかえり〜」
 清十郎の帰宅の挨拶に応えながら、ジゼルは振り返る代わりにソファの背もたれに首を乗
せて清十郎を見上げた。顔が上下逆さまになった上、行儀の悪いことに口にはスナック菓子
をくわえていた。
「お客さん、なんだけど……」
 と、清十郎が言う前にジゼルはすでに香澄の姿を捉えていたらしく、五秒ほど固まった後
飛び跳ねるように立ち上がった。
「いらっしゃいマセ。セ、セイのお友達ですか?」
「お邪魔してます。あ、はい、クラスメイトの相葉香澄、です……」
 互いにその存在が予想外だったため、ふたりはしどろもどろになりながら挨拶を交わした。
が、そこから話が繋がらず、重苦しい空気が辺りを包み込む。
「え、え〜っと、ひとつ訊いてもいいかな? ……どういうご関係で?」
 当然と言えば当然の質問だった。同級生の家に行って、銀髪碧眼の明らかに日本人ではな
い少女がいればこういう反応にもなる。
 その質問に、今度は清十郎とジゼルが顔を見合わせる。そして――、
「「兄妹です」」
「オニイチャン!」
「妹よ!」
「待て」
 間髪入れず香澄から待ったがかかる。
「何か?」
「何か、じゃないわよ。どう見たって人種が違うじゃないの。誰が兄妹なんて言われて納得
するのよ」
「しませんか、やっぱり」
「するかっ!」
「それもそうか。……ジゼル、ごめん、コーヒーでも淹れて」
 
「詳しいこと話さなくて良かったの?」
 空になったコーヒーカップを片づけながらジゼルが言った。清十郎はリビングでソファに
座ってTVを見ている。
 結局、清十郎は香澄に何も話さなかった。香澄が巧い具合に清十郎の家庭の事情やジゼル
のことに興味を持ったので、当たり障りのない程度にそちらの話をして追い返したのだ。
「そりゃあね、マズいとこ見られたのは確かだけど、だからって詳しいことまで話すことは
ないよ。それに今回の件、解決はそう遠くないと思う」
「《目印》?」
 ジゼルがコーヒーカップをキッチンに置いて戻ってきた。
「ジゼルも気づいたか。……相葉さんは痣だって言ってたけど、多分、あれは《目印》だ」
「つまりカノジョを見張っていれば、いずれは捕まるってことネ?」
 ジゼルもソファに座る。そこで清十郎が険しい顔をしているのに気がついた。口調は努め
て普段通りに振る舞おうとしているが、話題が話題だけに表情が自然と厳しくなってくるの
だろう。
「そう。それにこっちも向こうに目印をつけてるし」
「どういうこと?」
「“鬼哭十蘭”で腕を斬り飛ばしてやった。これで再生は不可能。この上ない目印さ」
 話からして優位に立っているはずなのに、清十郎は面白くなさそうに言った。
「助かった人への聞き込みは?」
「いちおう、する。《発現》したのが誰か判れば、こちらから打って出られる。明日、相葉
さんがもう一度見舞いに行くらしいから、俺もそれについていくよ」
「デートだ、デート」
 ジゼルはわざと茶化すように言った。
「バーカ、くだらないことを……」
 突然、清十郎の言葉が途切れた。ジゼルがその視線を追う。どうやらその原因はTVのよ
うだ。
『またも通り魔事件です。本日未明――』
 ふたりとしてはあまり聞きたくないニュースだった。
「くそっ、やられた……」
 清十郎は掌に拳を叩きつけた。
 
◇               ◇
 
「面会謝絶?」
「ってわけでもないみたい」
 病棟の廊下を歩きながら清十郎と香澄が言葉を交わす。
 予定通り入院中のクラスメイトの見舞いに来て、病棟の看護士詰め所で病状を確認したと
ころ、妙な具合の返事が返ってきたのだ。
「何でも昨日の朝から目を覚まさないらしいわ」
「一日半くらい眠り続けてる計算になるのかな?」
「そうなるわね。別に意識不明とかじゃないから、病室には入ってもいいらしいわよ。仕方
ないから、この花置いてさっさと帰りましょ」
 そう言うと香澄は花束を持ち直した。なかなかに豪勢な花束はクラス全員でお金を出し合っ
て買ったものだ。
「案外テキトーだな。相葉さん、クラス委員でしょ?」
「は、好きでなったわけじゃないわよ。新しいクラスになって顔も名前もわからない状態で
投票なんてやってみなさい。みんな考えるのが面倒で出席番号一番に入れるんだから」
「なるほど。あ、い、ば……、ね」
 確かに五十音順に名前を並べた場合、香澄の前に来る姓は少なそうだ。と、そんなことを
考えているうちに目指す病室に辿り着いた。病室のナンバーが書かれたプレートの下には『武
内織人』と書かれていた。
 控えめなノックの後、香澄を先頭にして部屋へと入る。家族はいなかった。
 入院に至る事情が事情だけに個室に入ったらしい。かなり広く、居心地の良い空間になっ
ている。香澄はあいている花瓶に花束を活けるため、すぐに水を汲みに出て行った。
 待っている間、清十郎は通り魔事件の唯一の生存者、武内織人に目をやった。
 話に聞いた通り織人はベッドの上で眠っていた。誰かがそうさせたのか、腹の上で両手を
組み合わせ、静かに寝息を立てている。元々色白なのかも知れないが、今は血の気の失せた
ような顔の青白さが目立つ。組まれている手もまた白い。傷の類はなく、綺麗なものだった。
そういった病的な白さを抜きにすれば一見何の変哲のない寝姿だが、昨日の朝から眠り続け
ているという話だった。
(何か聞けたらと思ったんだが……)
 当初の目的が果たせそうもないことを知ると、清十郎は軽い落胆を覚えた。
 そこに花瓶を抱えた香澄が戻ってきた。
「一昨日来たときはこんなことなかったんだけどね」
 織人の様子を窺っていた清十郎を見て香澄が言う。
 前に香澄が見舞いに来たのは一昨日の夕方。清十郎と病院前でばったり会った日だ。その
ときの織人は意識はあったものの外部刺激に対して反応がなく、心ここにあらずといった状
態だったらしい。
「まあ、通り魔事件に巻き込まれて、友人が目の前で殺されたっていうんだから無理もない
か」
 清十郎が同情したように感想を漏らす。
(起きていても一緒ということか……)
 もう一度、織人に視線を移した。
「よしっ、できた。おー、きれいきれい。我ながら上出来だわ」
 香澄が花瓶に活けた花を眺めながら自画自賛する。
「さすが花束も三千円も出せば豪勢ね」
「ひとり当たり百円だけどね」
「それは言わない約束。それにこれくらいが丁度いいでしょうが。……さて、帰りましょう
かね」
 これ以上の長居は無駄と思い、清十郎は香澄に促されるままに病室を出た。
 
「あ、忘れてた」
 病院を出たところで香澄が言った。
「何を?」
「連絡事項をいろいろメモってきたんだけど、それ置いてくるの忘れてたわ。ちょっとひとっ
走り行ってくる」
 そう言うと香澄は清十郎の返事も聞かず、再び病院の中へと戻って行った。待っていろとも、
先に帰っていいとも言われなかった清十郎はどうしていいか迷った末、香澄が戻ってくるのを
待つことにした。
 時刻は午後六時を過ぎ、すっかり日が暮れている。清十郎は支配権が夜に移った空を見上げ
た。
(相葉さんは家まで送った方がいいな)
 そう思ったとき、頭上でガラスの割れる音が鳴り響いた。
 反射的に上方へと視線を移すと、ガラス片とともに人影が飛び降りてくるところだった。そ
の人物は接地と同時に身体を屈めて衝撃を殺すと、鮮やかに着地した。だが、突き破ったガラ
ス窓は三階。その高さから飛び降りて無傷であること自体とうてい人間業ではない。
 人々の悲鳴が飛び交う中、清十郎はその怪人の正体を見た。
「武内織人!」
 病院の寝間着のままの織人は、あろう事か人ひとりを担いでいた。見覚えのあるポニーテー
ルと制服――相葉香澄だった。香澄は気を失っているのか、力なくぐったりとしている。
 清十郎の姿を認めた織人が、ニタリ、と嗤った。その裂けた口から牙が覗く。
「武内織人、なぜお前が……」
 予想外の事態に戸惑う清十郎。
 だが、そんな清十郎をよそに織人は超人的な跳躍力を発揮して、近くの建物へと飛び移った。
さらに別の建物へと跳ぶ。
「ま、待てっ」
 はっと我に返ると、清十郎は慌ててその後を追った。
 
 
2004年9月9日公開

 



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