翌日、久瀬昴流は午後六時前に学生寮を出た。 まず向かうのは港湾地区(ベイエリア)にある駅だ。そこから巨大人工島学園都市(メガフロートキャンパス)へと、海にかかる高架橋を通ってリニア鉄道――通称、洋上リニアが出ているのだ。 あたりはもう暗くなりはじめていた。 たぶん洋上リニアに乗るころには完全に日が沈み、夜の海の上を行くことになるだろう。 遅く帰ってくることは確実なので、寮には外泊届を提出してきた。届の外泊先欄には、中学のときの友人宅を記入してある。 今日は金曜日。週休二日制の書籍館学院では週末の外泊を希望する寮生も少なくはなく、学校側としても書類に書かれていることが正しいか裏を取ってまで確認したりはしない。こうしてとりあえず外泊届を出し、予定が変わったので帰ってきました、というかたちにする計画だった。 最寄りの駅から電車で港湾地区を目指す。 二十一世紀もすでに三分の一が過ぎているが、首都圏の鉄道網はここ十数年ほとんど変わっていない。もとより狭い人口密集地に張り巡らせた交通インフラ。すでに限界近くまで過密で、手のつけようがないのだ。 地下も状況は似たようなものである。 地下を通る鉄道は、線ごとに同じ深度を走っているわけではない。十以上の地下路線が複雑に張り巡らされ、それらが互いを避け、ライフラインを避けて、針の穴を通すようにして絡んでいるため、想像以上に上下しているのだ。場所によっては路線同士がわずか十数センチの差で交差している。やはり地上同様、これ以上の拡張のしようがない。 確かに車両自体に組み込まれる技術は進化している。特に静音化の恩恵は都市部では絶大だ。高速化もしているが、過密状態の首都圏には縁がなく、そちらは日本を縦断するような長距離鉄道に活かされている。 結局、街中には最先端の技術があふれ返ってはいるが、線路の上は先鋭的なデザインの車両が走るにとどまり、二十一世紀初頭から首都圏の路線図に大きな変化は見られないのだった。 音も揺れも小さい電車に揺られて港湾地区の駅へ。そこから洋上リニアに乗り換えて、巨大人工島学園都市へ渡る。洋上リニアは学園都市内にいくつか点在する駅を回って、また本土の港湾地区に戻ってくるだけの単純なルートだ。それが右回りと左回りで、計二本の複線。 昴流は駅のひとつに降り立った。 さすが学生の街と言うべきか、金曜の夜ともなれば不夜城と化して、まだまだ賑やかだ。むしろこれからなのかもしれない。 なので、 「ねぇ、キミ。ひとり?」 その雰囲気に浮かれた男子学生が、昴流を女の子だと間違えて声をかけてきたりする。尤も、それもむりからぬこと。何せ昴流は今日も例の白ワンピースを着ているのだから。最近買ったばかりのお気に入りなのだ。 「ん、僕? 僕、男だけど?」 「は?」 「それでもよかったら……って言いたいところだけど、急いでるんだ。ゴメンね」 その姿はまるで男扱いの上手い少女が、興味のない異性をあしらうが如く。昴流は手をひらひら振って、呆ける男子学生の前を横切っていった。 駅を出て向かった先はキルスティン女学園ではない。そもそもキルスティンの最寄駅は別だ。それより先に寄るべきは、この駅から少し離れたところに借りている工房(ガレージ)だった。 工房は自動車の車庫を想像するとわかりやすい。ただし、高さは車のそれとは比べものにならない。機械仕掛けの騎士(マシンナリィ・ナイト)の標準的な大きさは全高三メートルで、大型の機械仕掛けの騎士を置くことを想定した最も大きい工房で五メートルのものがある。 昴流は工房に辿り着くと、シャッターの横にある小さな鉄扉を開けた。照明を点ける。 騎体を大型化させる予定のない昴流が借りているのは、高さに関しては平均的な大きさのものだ。しかし、広さはこの手の工房にしてはかなりあるほうで、昴流はその空間を自分好みにデザインしていた。 工房の備品としては、騎体ハンガーと整備用の二本のマニピュレータ、そして、それを操作したりデータ上の調整をするための端末がそうである。 それ以外に昴流は畳を三枚ほど持ち込んで隅に敷き、そこに服を掛けるためのカバー付きハンガーラックや小さな書架を置いている。壁際には買い出しなどに使う移動用のマウンテンバイクが置いてあった。空きスペースで体を動かして、軽い運動をすることもある。 ここは昴流の自宅、学生寮に次ぐ第三の私室。言うなれば、騎士乗り(ナイトヘッド)・久瀬昴流の部屋なのである。 工房ですることは主に騎体の構築(アッセンブリ)と、騎体を量子化して圧縮格納するための情報解析作業だ。起動や装着は、普通、工房では試し程度にしかしない。そういうのは別に演習場を借りてするものだ。 今日の目的は組み立てでも情報解析でもない。昴流は端末を起ち上げると、ひとつのデータを呼び出した。 ファイル名――『巴御前』。 「『巴御前』、君に決めた!」 勢いよく腕を振り上げ、 「ナンチャッテ。……決めるも何も、まともに使えるのはこれしかないんだけどね」 しかし、振り上げたときの勢いとは裏腹に、軽やかに弾むようにキィを叩く。 空戦騎"刀-Katana-"カスタム。 騎名『巴御前』。 開いたのはそのデータ。 昴流は愛機の最終チェックを行うためにここに立ち寄ったのだ。 貸し工房にデータを置きっぱなしにしていて不用心だと思うかもしれないが、所詮データはデータでしかない。騎体自体はたいてい持ち歩いている。データも別段秘匿するほどのものでもないので、見られようが盗られようが困ることはない。勝手に改竄された上に、それに気づかず騎体にインストールしてしまったら別だが、自分以外には書き換えられないようロックはしてある。 それにもっと大事な"機体"は、ちゃんと外部記憶媒体でデータを管理していた。 再確認が終わると、端末の電源を落とし――今度はハンガーラックへと足を向ける。 カバーのファスナーを開けると、まず目に入ってくるのは白衣。作業用に使うものだが、今は用はない。白衣には目もくれず、取り出したのは男ものの服だ。ワンピースを脱ぎ、それに着替える。尤も、それもフード付きのパーカーなので、相変わらず少年っぽい女の子に見えてしまうのだが。 さらにラック部分にたたんで置いていた鎧下衣(アーミングダブレット)をバッグに詰め込んだ。 これで準備完了だ。 昴流がキルスティン女学園に着いたのは、七時半少し前だった。 校門はまだ開いていて、すんなりと入れそうなのだが――昴流はその門のレールの上で、ぴたりと足を止めていた。 「どうにも入りにくいなぁ」 昴流は男だ。女の園である女子校というのは足を踏み入れにくい。 ここにくるまでは入口に警備員でも立っているのだろうと思っていたが、そんなものはどこにも見当たらない。昼間はちゃんと立っていて、今は生徒も帰ってしまっているような時間だからその必要がないだけなのかもしれない。 だが、こうもオープンにされると、むしろ「何用だ」「約束があってきました」「よし、通れ」みたいなやり取りがあったほうが入りやすかったと思うのだった。 「うー……」 「何かご用でも?」 「うぅ?」 腕を組んで思案していると、不意に声をかけられた。 見ればひとりの女子生徒が立っていた。こんな時間だがこれから帰るところのようだ。 暗くて街灯くらいしか明かりがないのでわかりにくいが、彼女の長い髪は明るい色をしていて、光を受けて輝いているように見えた。容姿も日本人にはあまりない華やかな造作だ。加えて、すらりと長い手足を見るに、西洋人の血が混じっているのかもしれない。 「あ、えっと、人と約束があって闘技場(アリーナ)にきたんですけど……」 「ああ、闘技場でしたら――」 彼女は、昴流が闘技場への行き方がわからなくて立ち往生していると思ったのだろう。親切にも丁寧に場所をおしえてくれた。思わず聞き入ってしまいそうな、穏やかで旋律的な声音だった。 「ありがとうございます。助かりました」 実のところ、場所はわかっていた。だけど、これで中に入ってもいいと許可を得られたようで、気持ちが楽になった。助かったことには違いない。 昴流は頭を下げ、お礼を言ってから闘技場へと歩き出した。 彼女はその"少女"が間違いなく闘技場(アリーナ)のほうへと歩いていったのを見送ってから、小さく首を傾げた。 「これから誰か闘技場を使うのかしら? もうこんな時間なのに」 彼女の名は八重垣茉莉花(やえがき・まつりか)。 このキルスティン女学園においては『運命の三女神の現在(クローソー)』とも呼ばれる少女だった。 先の少女におしえられた通りに進めば、やがて闘技場(アリーナ)らしき建造物が見えてきた。 ドーム状の建物で、両翼は一キロメートル近くある。バカげた大きさのように思うかもしれないが、機槍戦(トーナメント)となれば場合によっては高速で飛行しながら火器を撃ち合うのである。これくらいは必要になる。よって、巨大人工島学園都市(メガフロートキャンパス)内の騎士乗り(ナイトヘッド)養成機関ならどこもこれくらいは敷地内に保有しているし、規模にもよるがそれとは別に演習場を最低ふたつは用意している。 また、巨大人工島学園都市の中央には、二キロメートルはあろうかという国立の闘技場がみっつもある。 闘技場に近づいていくと、その入り口に人影があった。遠目でよくわからないが、どうにもそわそわしているように見える。 (小さいころ、僕の帰りが遅くなったときの母さんがあんな感じだったなぁ) 暗闇の中、家の前で何をするわけでもなく帰りを待っていた母親の姿を思い出した。思わず苦笑がもれる。 すぐに向こうもこちらに気づき、互いの顔が見える距離まできた。 長い髪をハーフアップにした、制服姿の見目麗しい少女。まさしく鳥海火煉(とりうみ・かれん)だった。彼女は昴流の顔を見るなり声を上げた。 「マリア」 その名を聞いて、ああ、そう言えば、と思い出す。昨日火煉に名前を尋ねられたとき、咄嗟にそう名乗ったのだった。引用元は父の昔馴染みで、昴流もよく世話になっている人の名だ。 「きてくれたのね」 「ええ、まぁ、約束ですから」 真面目に答えたのだが、次の瞬間、火煉ははっとして言い直す。 「じゃなくて――ちゃんと逃げずにきたようね」 「えっと……まぁ、約束ですから?」 なぜかいきなり挑発的なもの言いをされ、昴流は何か敵対心を煽るようなことをしただろうかと首を傾げた。発音も思わず疑問形。 「早くきてくれて助かるわ。八時にははじめられそうね」 火煉は感情を殺すかのように事務的にそう告げると、くるりと背を向けた。鍵を開けておいたらしい扉へと入っていく。昴流もすぐに後を追った。 中は薄暗い廊下が続いている。 しかし、夜間の節電モードだったのか、人感センサーがはたらいて、ふたりが歩くに従って少し先の照明が次々と点いていく。左右に扉があったが、すべて素通り。 黙って歩く。 人気(ひとけ)のない施設の中、静寂の内に響くのは硬質な床を踏む二人分の足音だけ。一歩一歩、歩を進めるごとに、次第に空気が張りつめていくのを昴流は肌で感じた。 しばらく行ったところで火煉が立ち止まり、振り返った。 そこにあったのは戦いに赴く騎士乗りの顔。完全にスイッチが切り替わったようだ。昴流の背に緊張が走り、否が応でも戦意が高揚してくる。 思わず、笑みがこぼれそうだった。 「更衣室よ。あなたはそちらを使って。どれくらいで準備できる? 中の端末は自由に使っていいわ」 「着替えたらすぐにでも」 そのために自分の工房(ガレージ)で用意をしてきたのだから。 「わたしは少し闘技場のセッティングがあるけど、そう待たせることはないと思うわ」 昴流が無言でうなずいた。 目が合う。 しばし互いの顔を見合い――やがてどちらからともなく踵を返し、それぞれの更衣室へと消えていった。 2015年4月27日 公開 |
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