鳥海火煉との機槍戦(トーナメント)が終わった後、久瀬昴流は彼女とともにラウンジにきていた。
 ラウンジは試合の合間や試合後に騎士乗り(ナイトヘッド)たちが休憩や談笑をするためのスペースだ。あるのはいくつかのテーブルとチェア、背もたれのないタイプのベンチや壁際のソファなど。観葉植物も置かれていて、狭いがリラックスできる空間となっている。女子校内に作られた施設だからか、国立の闘技場(アリーナ)のそれと比べると幾分か女性的な雰囲気があった。
 もちろん、今はふたりだけだ。
 ふたりともそこで鎧下衣(アーミングダブレット)のまま、自販機で買ったスポーツドリンクを飲んでいる。
 ベンチの上で行儀悪くあぐらをかく昴流を、壁にもたれて立つ火煉が改めて確かめるように眺めた。
「マリア、あなたやっぱり男の子なのね」
 体にぴったりとした鎧下衣姿なので、そうしげしげと見られると少々恥ずかしいのだが、男が照れてもかわいくはあるまい。努めて気にしないようにする。
 一方、火煉の鎧下衣姿は機槍戦から離れるとそのスポーティな印象は薄れ、一転して露出度の高さだけが妙に目立ってくる。やはりスレンダーだが。当の本人にまるで気にした様子がないのは、女子校という環境故だろうか。おかげで昴流は、そんなふうに見てしまう自分が犯罪者か何かのように思えくるのだった。こちらも全力で気にしないようにする。
「今さらだけど、名前をおしえてもらえる?」
「久瀬昴流です」
 マリアは借りものの名前。名前の主は魔術庁公認の『魔術師』で、書籍館学院の理事長を務めつついくつかの国を飛び回っている。
「そう。久瀬昴流、ね」
 火煉は響きを確かめるように、その名を繰り返す。
「マリア」
 でも、やっぱりマリアだった。
「いくつか聞きたいことがあるの」
「何なりと。……まぁ、言えないこともあるけど」
 もしかすると彼女が聞きたい内容如何では、むしろ言えないことのほうが多くなる可能性もある。
「一昨日の夜のことよ」
「……」
 さっそく話せないことが多くなる予感がした。
「あの日、ここの校庭で機械仕掛けの騎士(マシンナリィ・ナイト)同士で戦っていたわね。私の見間違いでなければ、マリアの"小太刀"一騎に対して"クファンジャル"が三騎。場所も数もおかしいわ。……あれは、何?」
 火煉の声は厳しく、目は鋭い。テキトーな嘘で誤魔化せる感じではない。
「予期せぬ遭遇戦、かな?」
「それは襲われた、という解釈でいいのかしら?」
「まぁ」
 曖昧な返事は、即ち消極的な肯定。
「いったいマリアがなぜ襲われるの?」
「それは、言えない」
「相手は何もの?」
「それも言えない」
 嘘で誤魔化さないが、真実も話さない。
「……」
「……」
 そして、しばしの沈黙。
 やがてその沈黙を破って火煉がため息を吐いた。
「いいわ。どうやら何か人には知られたくない事情がありそうね。だから、私を見張っていた。女装までして。私があの夜見たことを誰かに話したりしないか」
「え? まさか!?」
「じゃあ、あの女装は何? 敵を欺くため?」
 どうやら誤解があるようだ。
 昴流は特に隠すことでもないので、それをあっさりと口にした。
「あれは趣味です」
「趣味?」
 火煉は思わず鸚鵡返し。
「僕、女の子の服が好きなんです。いいですよね、女の子の服って。男に比べて華やかだし。種類も多いし」
「……」
 笑顔で楽しげに語る昴流と、唖然とする火煉。
「ふっ、ふふふ、あははははは……」
 が、やがて彼女はこらえきれなくなったかのよう笑い出した。体を折り、腹を抱えて笑う。
「そう、趣味。趣味なのね。素敵な趣味だわ、マリア」
 ひとしきり笑い終えると、息も絶え絶えに、目許に涙まで浮かべつつそう口にする。
 昴流は、先ほどまでの険しい表情から一転、愉快そうに笑い出した火煉を見て、この人はこんなふうにも笑えるのだと少し感心した。機槍戦の最中は当然のこと、それが終わっても、昨日のデート(!)のときですら、彼女はこんな迷いのない笑みは見せなかった。
「ねぇ、マリアは魔法使いなの?」
 火煉は昴流の隣に腰を下ろし、聞いてくる。
 まるで面白いものに夢中になる子どものように、火煉がぐっと顔を寄せてくる。……この人は今自分がどんな格好をしているかわかっているのだろうか。少し心配になる。昴流は少しばかり仰け反りながら答えた。
「まぁ、世間ではそんなふうに呼ばれてるよね」
 普通の人間からすれば魔術の徒など、人間離れした魔法使いなのだろう。本当のところはそんな大それたものでもないのだが。しかし、その一方で書籍館学院自体が象牙の塔なのだから、あながち間違いでもないのかもしれない。
「それに、あの騎体」
 火煉は声を弾ませる。
「あんな設計思想(コンセプト)の騎体、初めて見たわ。あれはマリアのオリジナル?」
「ええ、まぁ」
 実のところ、こんなバカげた騎体もないのである。
 まず使い手を選ぶ。魔術騎という性質上、魔術の徒でなければまったく意味をなさない。その上、才能まで必要になる。『巴御前』はあくまでも知覚力を増幅し、構文構築を補助するのみなので、"タネも仕掛けもない手品師"や"ちょっとした特技の持ち主"程度では話にならない。ないものは増やせないし、補いもできないのである。その点、昴流は自慢ではないが書籍館学院高等部では上位の才能の持ち主。だからこそ、こんな騎体が可能だったのだ。
 と、ここまでくると誰にも扱えないのではなく、むしろ誰も扱わなくなる。なぜなら、昴流が稀有な例なのであって、魔術の徒は機槍戦や機械仕掛けの騎士などに興味はない。魔術の才能があればあるほど、その傾向は顕著になる。
 どんな騎体であれカスタム機は大なり小なり専用機になるのだが、結果、『巴御前』はまさしく昴流の専用機なのである。
「私、マリアがいれば今以上に強くなれる気がするわ。あなたもきっとそう」
「え?」
 突如繰り出された一方的な主張に少し驚く。
 しかし、感じるところはあった。これまで巨大人工島学園都市(メガフロートキャンパス)内の公営の演習場を借り、顔馴染みの騎士乗りを捕まえて演習をしてきた。彼らとは同程度の実力で、日々切磋琢磨している。だが、今日の火煉との戦いは、彼らとの演習や試合にはない刺激があった。協会のランキングにも名を連ねる実力者との戦いの中で、昴流はついに奥の手である魔術まで使った。そして、それでも勝てなかった。
 確かに彼女の言う通りかもしれない。火煉がいれば自分はさらなる高みを目指せるような気がする。
「また会ってもらえるかしら?」
「僕でよければ」
「そう。嬉しいわ」
 快く応じる昴流の返事に、火煉はやわらかく笑った。
「もうこんな時間ね。今日は帰りましょ」
「そうだね」
 ラウンジの壁にかかっている時計を見れば、もう九時を回っていた。
 一昨日から何やらバタバタしっぱなしだったが、どうやらこれでようやく落ち着きそうだ。それに得るものも多かったように思う昴流だった。
 
 
 週明け、月曜日。
 昴流は学院長室へと呼び出された。
 終礼が終わると教室に備えつけられた内線が鳴り、それに担任の先生が出た。先生は短いやり取りの後、空間(フロート)ウィンドゥを閉じると、
「久瀬。今すぐ学院長室に行きなさい」
 荷物をまとめていた昴流にそう告げたのだった。
 学院長室に行けと言うことは、つまり学院長から呼び出しである。はてアンナ先生が何の用だろうか、と首を傾げつつも言われた通りに学院長室へと向かう。
 そうして目的地に着くと、そのドアをノックした。
 学院内の教室はほとんどスライド式のドアだが、この学院長室だけはアンティークな木製の扉だった。格式みたいなものを重んじた結果、設立当初のデザインのままなのだ。おかげでノックの音もよく響く。
「久瀬ですね。入りなさい」
 中から先のノックに負けず劣らずよく通る声が返ってきた。
「失礼します」
 と、ドアノブを回して中に這入れば、まずは執務机に座る書籍館学院学院長、アンナ=バルバラ・ローゼンハインの姿が飛び込んできた。だが、そこにいたのは彼女ひとりではなかった。
「マリア」
 応接セットのソファから立ち上がって昴流を迎えたのは、鳥海火煉だった。キルスティン女学園の制服を隙なく着こなしている。
「まりあ? 巻島ですか?」
 火煉の向こうではアンナが首を傾げていた。
「まぁ、成り行きで使った偽名です。……えっと、どうしてここに?」
「ここの学院長にお願いがあってきたわ」
「ふたりとも座りなさい」
 アンナが促すと火煉は再びソファに腰を下ろし、昴流もその横に座った。アンナは執務机からふたりの向かいのソファと移動する。
 昴流がテーブルの上へ目をやると、火煉の前にはコーヒーがあった。来客としてもてなしを受けていたようだ。今日は自分の分は出てこないのだろうかと思う。
「学院長先生に改めてお願いします。彼を我がキルスティンにください」
「ふぁっ!?」
 昴流は飛び上がるほど驚き、思わず火煉を見た。もしここにコーヒーがあって、今まさに飲んでいる最中だったなら、きっと噴き出していたことだろう。
「な、何を……!?」
「言ったわ。私とマリアは、一緒にいれば今よりも強くなれるって。そのためにどうすればいいか、週末ずっと考えたの」
「いや、だからって……」
 そんなウルトラCの結論が出るとは予想だにしなかった。昴流としてはお互い都合のつく放課後に一緒に演習をするくらいだと思っていたのだが。
「彼には機槍戦(トーナメント)の才能があります。その才能をキルスティンで伸ばすべきです」
 火煉は熱のこもった口調で言葉を継ぐ。
 昴流は助けを求めるような思いで正面へと顔を戻した。
 向かいではアンナが沈思黙考している。先の火煉の切り出し方からもわかることだが、彼女のこの様子を見るに、すでに一度この嘆願を聞いていたのだろう。
 やがて彼女は口を開いた。
「……むりがあります」
「そ、そうなるよねー」
 魔術の徒として国費で教育を受けさせている生徒を、あろうことか騎士乗り(ナイトヘッド)の養成機関に移すなどあり得るはずがない。それ以前に昴流は男で、キルスティンは女子校だ。それこそむりがある、である。
 しかし、昴流がほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、
「ですが、短期の研修生としてならかまいません」
「本当ですか!?」
 火煉が喜色満面で身を乗り出す。
 本当ですかは昴流も同じ気持ちだった。まったく正反対の意味だが。むしろ、本気ですか、だ。或いは、正気ですか、だろうか。
「そんな無茶な……」
「現場レベルの決定権は私にあります。多少の無茶なら押し通しますよ」
「や、でも、そんなこと勝手に決めていいんですか?」
「巻島理事長には後で私から話して了解を得ます」
 昴流は絶望的な気持ちになった。たぶん、これは理事長が押し切られる。その図が想像できた。何せ理事長はアンナの元教え子。今の社会的地位が上でも、理事長は学院長に頭が上がらないのである。
 では、なぜ年齢的にも上のアンナが理事長ではないのか? それは日本という島国の排他的精神の現れであろう。アンナは帰化して日本国籍を取得したとは言え、もともとはドイツ人である。そんな外国人に、日本の将来を担う人材を育成する国立の教育機関の理事長という重責を任せたくなかったのだ。それでも最初は日本政府の招聘に応じて同等以上の魔術大国であったドイツからきてくれた、日本魔術会の貢献者。書籍館学院の学院長のポストが妥協できるギリギリのラインだったわけである。
「ただし、条件があります」
 アンナはそう切り出してきた。
「見ての通り、これはまるで少女のようです」
「これ?」と釈然としない様子で首を傾げる昴流。
「ですから、これを女子生徒としてそちらに通わせてください。それが条件です」
「え? 何その条件?」
 目を丸くする昴流の横で、火煉が真面目な顔で問う。
「それは彼が何ものかに狙われているからでしょうか?」
「少しは聞いているようですね。いえ、その程度しか聞いていないというべきでしょうか。……ええ、その通りです」
 そこでアンナは昴流へと顔を向けた。
「前に言いましたね、久瀬。あなたを一度どこかに隠してしまいたいと。これはいい機会です。研修の名目で、しばらくここを出なさい」
 確かに女子生徒としてキルスティン女学園に潜り込んでしまえば、科学アカデミーの追跡が途切れる可能性は十分にあるだろう。
 アンナは心持ち居住まいを正し、火煉へと向き直った。
「私からもお願いします、鳥海。しばらく久瀬をそちらで預かってください」
「わかりました。お預かりしたいと思います」
 そして、火煉も背筋を伸ばし、頭を下げた。
 どうやら話はまとまったようだ。
(そこに僕の意志ってないのだろうか……?)
 それを不貞腐れたように眺める昴流。
 もしやと思って周りを探してみたが、"僕の意志"とやらはこのあたりには落ちていないようだった。
(あ、『現実』が落ちてる……)
 
 
2015年5月2日 公開

 


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