キルスティン女学園、二年生のとある教室。
 その日はいつもと変わりない朝だった。
 八重垣茉莉花(やえがき・まつりか)の周りには、いつもの如く彼女を慕う生徒たちが集まっている。
 茉莉花は二年生にして女王級(クラス・クィーン)にまで登り詰め、のみならず《運命の三女神の現在(クローソー)》とも称される、キルスティンが誇る三女神(モイライ)の一角。しかも、華やかな面立ちや光の加減では金色にも見えるハニーブラウンの髪は、どちらも日本人離れしていて、その上おとなびた雰囲気があった。三女神は三者三様の美貌の持ち主だが、茉莉花が随一だと主張するものは多い。
 そんな茉莉花だから、周りには自然と生徒が集まってくるのだった。彼女自身はそれを煩わしく思ったことはない。むしろこんな自分を慕ってくれることを嬉しく思い、彼女たちの期待や想いにはできるだけ応えようとすら思うのである。
 いつものようにクラスメイトたちと他愛のない話をしていると、やがてこの日最初のチャイムが鳴った。朝のショートホームルームの時間。このクラスの担任である南郷は、まるで時計仕掛けのように時間に几帳面な性格で、そのチャイムの余韻の中、彼女は扉を開けて姿を現した。油断していた生徒たちが慌てて席に着く。
「あら?」
 茉莉花は小さく声を上げた。
 まるで女軍人の如き担任教師は、今日はひとりではなかった。一緒に入ってきたのは、長い髪をハーフアップにした凛とした美貌の女子生徒。茉莉花と同じく三女神のひとり、《運命の三女神の未来(アトロポス)》鳥海火煉だった。
「あれ、鳥海先輩よね? いったい何しにきたんだろ?」
「ここが茉莉花様のいる教室だとわかって乗り込んできたのかしら?」
 クラスメイトのひそひそ話が茉莉花の耳にも届いてくる。
 人知れずため息を吐いた。
 三女神にはそれぞれファンや信奉者とも呼べる生徒がいる。彼女たちは茉莉花派やアトロポス派などと呼ばれていて、やや対立気味だった。茉莉花としては機槍戦(トーナメント)の外でまで争いたくはなく、その意思を周りに伝えているので目立った対立は控えてくれている。だが、自分が慕う茉莉花がいちばんだという思いがあるので、こういうふとした拍子にそれが発露するのだった。今の彼女たちも茉莉花派だ。
(まるでわたくしたちまでいがみ合ってるみたい……)
 目下のところ、それが悩みの種だ。少なくとも茉莉花には、ほかのふたりと騎士乗り(ナイトヘッド)として競いはしても、権力闘争をするつもりはなかった。
 入ってきた南郷は教壇を素通りし、窓際まで下がった。代わりに教壇に立ったのは鳥海火煉。
「皆さん、おはようございます」
 火煉は笑顔も見せずに、そう挨拶をした。
 相変わらずだと茉莉花は心の中だけで苦笑する。彼女から見て鳥海火煉という先輩は、孤高という印象があった。自分と同じく彼女を慕う生徒がたくさんいるのに、あまり関心を向けている様子はなく、どこか一歩引いている感があるのだ。
「このたび我がキルスティンでは外部から研修生を迎えることになりました。今日からこのクラスで、皆さんと一緒に学んでもらいます。……マリア、入って」
 火煉は入口のほうに向かって呼びかけた。
 突然予想外に現れた火煉にばかり気を取られていたが、教室を出たすぐのところにひとりの少女が立っていたのだった。火煉の言葉と視線で、皆、ようやくそれに気がついた。
 少女が入ってくる。
 途端、
「うわあ」
「へー」
「すごーい」
 クラスメイトたちがひかえめに感嘆の声を上げた。
 マリアの名で招かれた少女は、キルスティンの制服を着てはいなかった。暗めの落ち着いた色合いでまとめられているが、ひざ丈のスカートの裾には白いレースがあしらわれている。また袖は少し広がった姫袖(フレアスリーブ)で、こちらにもレースがついていた。……本当に制服なのだろうか、これは。
 髪はショート。恥ずかしそうに顔を伏せ気味にしていてわかりにくいが、容姿は少し少年っぽいだろうか。
「マリア、自己紹介を」
 そう促され、少女は不安そうに火煉を見る。ようやく上げたその顔は、不安げな表情と相まってとても可憐だった。
「大丈夫」。声はここまで聞こえなかったが、火煉の唇がそう動き――少女は意を決したように正面、席に座る生徒たちに向き直った。
「久瀬マリアです。少しの間ですが、よろしくお願いします」
 その声は変声期前の少年の美しいボーイソプラノのようだった。見た目によく合っている。
「あら、あなたは」
 と、そこで茉莉花は思わず声を上げてしまった。しかも、それが思いがけず周囲に明晰に響き、教室中の生徒の目が彼女に集まった。
「あっ」
 そして、マリアもまた、彼女を見て驚きの声を上げる。
「茉莉花、どうかしたの?」
 火煉が問う。
「いえ、彼女と前に一度会っていたもので」
 そう。もう一週間以上前のことになるだろうか、夜、校門の前で立ち尽くしていた彼女を見つけたのだ。聞けば闘技場(アリーナ)に行きたいと言うので、その場所をおしえた。
「そうなの、マリア?」
「はい、ボクがここの闘技場(アリーナ)に行った日に」
 そう、と火煉はうなずくと、茉莉花へと顔を向けた。
「顔見知りならちょうどいいわ。茉莉花、マリアをお願いできる?」
「はい。もちろんです」
「ありがとう。マリアも何か困ったことがあれば彼女に聞きなさい。とても頼りになる子だから」
「わかりました」
 少し、不思議な感じがした茉莉花だった。
 先にも触れた通り、鳥海火煉は孤高の存在だった。《運命の三女神の過去(ラケシス)》碓氷愛理のように気の合う仲間と一緒にいるのが好きなわけでもなく、茉莉花のように自分を慕ってくれる生徒たちが周りに集まってくることを受け入れているわけでもない。積極的に人に関わりたがらず、火煉派を自称する生徒たちに囲まれているときでも、彼女たちと明らかな温度差があった。
 それがあんなふうに人を気遣い、やわらかい表情を見せるなんて。それに彼女の自分への評価も驚いた。『頼りになる子』なんて言葉が出てくるとは思わなかった。本音、だろうか? そうならば嬉しいのだが。
(火煉先輩、少し変わった……?)
 変わったとすれば、その要因はマリアなのだろう。茉莉花はこの突如現れた研修生に、少し興味をもった。
「では、皆さん、彼女をよろしくお願いします」
 火煉は少しだけ垣間見せた笑みはどこへやら、また人を寄せつけないような凛とした表情に戻ってそう言うと、南郷に頭を下げてから教室を出ていった。
 
 休み時間にマリアといくらか話をした。
 当然のように彼女に興味津々の何人かがここぞとばかりに殺到したが、いきなり大勢で囲んだらマリアが困るからと、やんわり言って引き下がらせた。そうしてから校内を案内するという名目で、教室を出て彼女と廊下を歩く。十分の休み時間で案内できるところなどたかが知れているのだが、これもひとまず学校の雰囲気を知ってもらうためと思い直した。
 しかし、それはすぐに失敗だったと気づく。教室にいると遠慮のないクラスメイトに取り囲まれると思い、こうして連れ出したのだが……どういうわけかもうすでに突然の研修生の話は広まりはじめているみたいで、逆に好奇の視線の中を連れ回す結果となってしまったのだった。
 ちらと隣を見れば、不安そうにうつむきながら歩いているマリアの姿があった。茉莉花は思わず、手でも握ったほうがいいのかと真面目に考えてしまった。
 視線を集めてしまうのは、その制服のせいもあるのかもしれない。横目で改めて彼女の姿を見る。
「その制服、よく似合いますね」
「え、あ……そうかな? ありがと」
 恥ずかしそうに顔を赤くするマリア。
「どこからこられたの?」
「関東の端のほうから」
「そう」
 と、一拍。
「みんな研修生なんて初めてのことで驚いてるわ。どういう経緯(いきさつ)でこちらに?」
「それは、」
 マリアは言葉を選ぶためか、そこで一度言葉を切った。
「ボクのことがたまたま火煉さんの目に留まって、それでぜひキルスティンで研修をって推薦を、ね」
「そうでしたの」
 これで納得した。いったいなぜ火煉が彼女をつれてきたのかと不思議に思っていたのだが、そういう経緯(けいい)があったから直々にマリアを教室まで案内し、挨拶までしたのだろう。
 あと、教室でも一度だけ耳にしたが、やっぱりマリアの一人称は『ボク』だった。このキルスティンにはそういう少女も、珍しいながらいないわけでもない。この少年のような少女が使うと、とてもよく似合っていた。
「じゃあ、もしかしてあの夜、闘技場で火煉先輩と戦って?」
 テストというわけではないだろうが、少なくとも闘技場を借りた以上、正式なルールに則って機槍戦(トーナメント)を行ったに違いない。
「あ、うん」
「やっぱり。……どうでした? あの人はお強いでしょう?」
 速さを追求しつつ、高い遠距離攻撃能力をも兼ね備えた、空戦騎"レイピア"の高機動カスタム『グラキエス』。茉莉花の空戦騎"ツヴァイハンダー"カスタム『アウロラ』とは性質が違いすぎて、戦えばいつも苦戦させられる。尤も、苦しい戦いを強いられるのは一方通行ではなく、火煉のほうも同じだ。今のところ戦績は五分五分といったところか。
「そう、だね。残念ながら負けてしまったかな。もうちょっとだったと思うんだけど」
「……」
 茉莉花は思わず立ち止まり、黙り込んでしまう。
 待て。今マリアは何と言った? もうちょっとだった? あの《運命の三女神の未来(アトロポス)》鳥海火煉を相手に、あと少しのところまで追いつめたというのだろうか。火煉は三女神(モイライ)の間でこそ実力は拮抗しているが、そのほかの生徒にはほぼ無敗だ。
 もしそれが本当なら、このキルスティンの中でも女王級(クラス・クィーン)に匹敵する力を持っていることになる。火煉が異例の研修生として引っ張ってきたのもうなずけるというものだ。
「え。な、なんだい、その沈黙。ボクの不安を煽って、楽しいかい?」
「いえ、そういうわけでは」
 マリアが振り返り、言葉通り不安げにこちらを見てくるのだが、その姿がかわいらしくて茉莉花は苦笑してしまった。
「そろそろ時間ですわね。戻りましょうか」
 そうしてここまできた道を戻りはじめる。
 ふらりとそのあたりを回ってみただけで、マリアも終始うつむいていたようだし、あまり意味はなかったかもしれない。だけど、茉莉花としては大きな収穫があった。
 茉莉花はこのマリアという少女に、さらなる興味をもったのだった。
 
 昼休みならもっとゆっくり話せるかと思ったのだが、火煉がやってきてマリアをつれていってしまった。
 少し残念に思うが、昼休みくらい見知った顔である火煉と一緒に過ごして、ひと息いれたほうがいいのかもしれない。
 ――そうして放課後、
「マリア、よかったらこのあと演習場に行きません? 一緒に予約を取っていた子がいけなくなってしまったんですの」
 機槍戦(トーナメント)用の演習場はふたつあるが、一度に使える人数に制限があり、予約制となっている。今日は演習科目もなく、未だマリアの騎体すら見ていない。ちょうどグループ内に欠員が出たため、茉莉花はマリアを誘ってみたのだが、
「え。あ、ごめん。今日は寮に荷物が届くことになってて、それを整理しなくちゃいけないから」
 あえなく振られてしまった。
「そうですか」
「あ、うん。悪いね」
 そうして見せた申し訳なさ交じりの笑顔はどこか儚げで。
 マリアは制鞄を背負うと、教室を出ていった。
 
 
 久瀬マリア、もとい、久瀬昴流は学生寮に向かいながら、周りに聞こえないようにつぶやいた。
「つっ、疲れた……」
 どうにか学校での初日をこなしたが、すこぶる消耗した。
 いちおう今日までに『久瀬マリア』の設定は詰めていたので、誰に何を説明しても不審がられることはなかった。
「ていうかさ、この制服、なに?」
 予想通り理事長はアンナが決めたことを、押し切られるかたちで渋々了承した。そして、すぐに頭を切り換えたのか、「るっくん、これを着ていきなさい」と、この制服を用意してきたのだった。先の設定の中でも、どこの学校からきたかきちんと決めてあるのだが、果たして本当にその学校はこんな制服なのだろうか。一度自分でも調べておいたほうがいいのかもしれない。
「まぁ、かわいいからいいけどさ」
 いいらしい。
 ひとりだけ違う制服(?)を着ているせいか、今も周りを歩く生徒がちらちらとこちらを見ている。
 実のところ、こうして遠巻きに注目される分には、昴流は大歓迎だった。昴流の女装趣味は文字通り以上の意味はない。女の子の服が好きで、着るのが好きなだけ。"女の子になること"までを含めた女装ではないのだ。時々女の子と勘違いして声をかけてくる男がいるが、そういうときはあっさり正体をばらしている。なので、女の子の振りをして騙し通すというのは初めての経験。疲れもする。しかも、これがずっと続くというのだから大変だ。
「寮に着けばひと息つけるかな」
 学生寮はキルスティン女学園の敷地にほど近いところにある。
 急ピッチで諸々の手続きを進めたが、結局、研修初日と学生寮への入居が同じ日になってしまったのだった。よって、昴流が寮に行くのはこれが初めて。今ごろは送った荷物が届いているはずだ。
「……寝たい。けど、荷解きが先だろうなぁ」
 今日は書籍館学院の学生寮からキルスティンまできた。朝早くに起きたことと緊張から解放されつつあることで、猛烈に眠たかった。しかし、いきなりバタンというわけにはいかない。まずは荷物をどうにかしないと。
 学校の敷地を出て少しばかり歩くと、程なくしてキルスティン女学園の学生寮へと辿り着いた。
 寮はイメージしていたのより数段清潔感のあるきれいな建物だった。この巨大人工島学園都市(メガフロートキャンパス)の中でもよく見られる、女子学生向けのお洒落なマンションのようだ。遠目に見ているときはわからなかったが、建物は真ん中で折れ曲がったデザインをしている。百二十度よりもさらに広い角度。その角の部分の一階が正面出入り口だった。
「……」
 昴流はいつぞやのときのように、ぴたりと足を止めてしまう。
 何せここは女の園の、さらにプライベートな部分。本当に入っていいものかどうか。感じる抵抗は、初めてキルスティンを訪れて校門の前に立ったとき以上だ。しかし、入らないわけにはいくまい。何せこれからしばらくは、ここが自分の住まいになるのだから。
 授業と終礼を終えて真っ直ぐここに向かったせいか、今はまだ周りに誰もいない。この前のときのように、不慣れな自分に声をかけてくれる人もいないのだ。ならば、むしろ今のうちに入ってしまうべきだろう。さっさと入って、寮長に挨拶をしてしまおう。
「……よし」
 今の自分は女だ。そう己に言い聞かせ、足を踏み出す。
 一枚目の自動ドアを這入ると、まずは左右に観葉植物の並んだ前室。さらにもうひとつの自動ドアを抜ければ、そこがエントランスだった。下駄箱と低い段差があるところを見ると、ここでスリッパなどに履き替えるのだろう。建物全体が土足厳禁のようだ。
 また、ここには人を待つためなのか、ソファが置かれていて――そこに鳥海火煉が座っていた。
「きたわね、マリア。待ってたわ」
 彼女は昴流の姿を認めると、読んでいた文庫本を閉じ、立ち上がった。かすかに笑みを見せる。どうやら誰よりも早く戻ってきて、ここで待ってくれていたようだ。まだ知り合ったばかりながらも、見知った顔を見てほっとする。
「とりあえず来客用のスリッパを使って」
「あ、はい」
 言われた通り、スリッパに履き替える。ここまで履いてきたローファーはひとまずそろえて置いておくことにした。
「部屋に案内するわ。ついてきて」
 火煉は踵を返し、先を歩き出す。昴流は寮長への挨拶はいいのだろうかと首を傾げたが、ここは火煉に任せることに決めた。
 まずはエントランスのそばにある一階の談話室(サロン)の前を通り、階段を上る。
「あなたの部屋は三階よ。ここ、エレベータがないから、上がるのも下りるのも階段になるわ」
 火煉はそう言って、苦笑する。
 まぁ、それくらいなら、と思う昴流だった。体が資本の騎士乗り(ナイトヘッド)である。よほど疲れていない限り階をふたつ上がる程度、苦にはならないだろう。
 三階に上がり、廊下をいくらも進まないうちにダンボール箱が積まれているのが見えてきた。見覚えがある。昴流が書籍館の学生寮から送ったものだ。どうやらあそこが昴流の部屋らしい。
「まずは入りましょ」
 火煉はそう言うと、扉を開けて先に中に這入った。昴流も後に続く。
 と、
「あれ、ここもう誰かが使ってるんじゃ?」
 見れば寮の備品ではない、明らかに私物と思われるものがたくさんあり、もう長く誰かがここを使っているとしか思えない生活感があった。
「この寮はすべて二人部屋よ」
 言われてみればベッドは二段ベッド、ライティングデスクはふたつある。部屋自体の広さも、ふたりで使っても手狭には感じないであろう広さがあった。
「そして、ルームメイトは私」
「はい?」
 いきなり突拍子もないことを言われ、昴流は間の抜けた声を上げる。
「まったく知らない子と一緒になるよりはましだと思って」
 確かにそうなると昼も夜も、学校でも寮でも、ずっと女の子の振りをしないといけないことになる。ならば、火煉の言う通り、昴流の秘密を知っている彼女と同じ部屋になるのがいちばんなのだろう。
 確かに理屈としては正しい。納得できるかと言えば、必ずしもそうではないのだが。
「……」
 しかし、どうやらこの状況を受け入れるしかないようだ。
 昴流は小さくため息を吐いた。
(僕の安らげる場所ってどこなんだろうな……?)
 もう無駄だろうから、もうこのあたりで『安らげる場所』とやらを探すことを諦めた。たぶん見つかるのは『現実』とかいうものだ。
 
 
2015年5月3日 公開

 


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