ひと組の男女が、まるで隠れ家のような喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
「昴流さんが『ハイペリオン』を起動させたようです」
 そう告げた女のほうは、名を梨音(りおん)と言う。
 二十代と言われても素直に納得してしまうような瑞々しい容姿で、特に桜色の唇の横にある艶ぼくろが目を惹くが、これで高校生になるふたりの子の親である。
 彼女はコーヒーを傍らに、端末を操作しながら空間(フロート)ウィンドウを見ている。
 向かいの席で同じようにコーヒーを飲んでいた男――伊織(いおり)は、梨音の言葉を聞いて、ぴくりとかすかに眉を動かした。こちらも梨音ほどではないにしろ、やはり実年齢よりも若々しく見える。十代、二十代のころはさぞかしモテたであろうことは想像に難くない。
 ふたりとも姓は久瀬。
 言うまでもなく久瀬昴流、久瀬奏音の父母である。
「相手は"クファンジャル"八騎……」
「わかるのか?」
「わかりますよ」
 機械仕掛けの騎士(マシンナリィ・ナイト)には、かつてタクティカルトルーパーと呼ばれていたころから一貫してブレイン・マシン・インターフェイス『ブレインズガイスト』が使用されている。梨音は昴流に預けた『ハイペリオン改』に、『ブレインズガイスト』を通して得た戦闘データを自分のもとに送るよう設定しておいたのである。尤も、これが初めての起動なので、データの取得も初めてだが。
「どれどれ」
「伊織君が見てもわからないでしょう」
 向かいから空間ウィンドウを覗き込もうとする伊織を、梨音は苦笑しつつあしらう。
 久瀬伊織はいちおう魔術の徒である。第一区分は『哲学(Philosophy)』、第二区分は『東洋哲学(Oriental thought)』に分類される。故に、タクティカルトルーパーや機械仕掛けの騎士に関しては門外漢だ。
 梨音は伊織と出会ったころから未だに彼のことを君づけで呼ぶ。その一方で、ふたりの子どもは「昴流さん」「奏音さん」だった。
「それにしてもなぜ、たかだか"クファンジャル"八騎に『ハイペリオン』を使ったのでしょう? 昴流さんならそんなものを持ち出さなくてもよかったでしょうに。そばには奏音さんもいたみたいだし。……『巴御前』を持っていなかった?」
 昴流の騎士乗り(ナイトヘッド)としての実力は梨音がいちばんよく知っている。だからこそ、安易に使うな、特に科学アカデミーには見せるな、と言っておいた『ハイペリオン改』を起動させたことが疑問でならなかった。
「男だからだろ」
 しかし、不思議そうに首を傾げる梨音に対し、伊織はあっさりと答えを口にしてみせた。
「どういう意味ですか?」
「あいつは男だからな。大きな『力』を使ってみたかったんだろうさ」
 力があれば使いたいと思うのが男だ。伊織はそう言いたいのだ。
 梨音は呆れたようにため息を吐いた。
「昴流さんは伊織君に似てますからね」
「似てないよ」
 伊織は思う。昴流は自分よりもよっぽど『男』で、見た目からは想像もつかないほど好戦的な性格をしている、と。
 自分は明日の平和を守りたくて力を身につけた。結局は自ら戦いに首を突っ込み、今もこうして見えない敵を追っているが、その部分はずっと変わっていない。だが、昴流は純粋に強くなりたくて力を求めた。そして、その力をどこかで使ってみたいとも思っているのだ。……今回はその好機だっただけのことだ。
「私には伊織君の真似ばかりしているように見えますが」
「確かにな」
 昴流は伊織の背を追って成長したようなものだ。幼い昴流にとって父親は力の象徴であり、憧れだったのだろう。八極拳や蟷螂拳を身につけたのも伊織の影響だ。そこは親として嬉しく思う。
 ただ、八極拳は小柄な昴流にはあまり向いておらず、伊織としてはよくジークンドーを薦めたものだった。
 ジークンドーは、かのブルース・リーの哲学であり、彼を創始者とする武術だ。
 ボクシングやサバット、フェンシングなど様々な格闘技を取り込み、型にとらわれない自由な戦術が武術としてのジークンドーの根幹だ。好きだからといって女ものの服を着てしまう昴流の柔軟な在り方に似ている。それに昴流は目がいい。相手の動きがよく見えている。敵の攻撃を截って、或いは、先制して、的確で効果的な打撃をもって素早く倒すジークンドーは昴流向きだと言えた。
「しかし、『ハイペリオン』の起動に呼応するかたちで、ほかの《エクス・マキナ》シリーズまで目覚める可能性があります」
「……」
《エクス・マキナシリーズ》――『ハイペリオン』を含む高性能タクティカルトルーパーの総称だ。
 これらにはすべて自壊回避プログラムが組み込まれていると予想され、全《エクス・マキナシリーズ》を破壊するのが伊織と梨音の目下の目的だ。
 なお、いったい何の皮肉か、『ハイペリオン』のコードネームが《ナイト・エクス・マキナ》だった。まるで今世界中で熱狂している機槍戦(トーナメント)で使用する機械仕掛けの騎士(マシンナリィ・ナイト)の頂点に立つかのような名称ではないか。尤も、機械仕掛けの騎士がタクティカルトルーパーのデッドコピーである以上、確かにそう言えるのかもしれない。
 伊織はコーヒーで喉を潤し、カップを置いてから口を開いた。
「いいさ。どうせ手詰まってたんだ。これで事態が動くかもしれない」
「……だといいのですが」
 ただ、どうしても手放しで喜べない要素でもあった。
 おそらく《エクス・マキナシリーズ》は互いに潰し合う。そうなれば狙われるのは昴流だろう。もちろん、密かに破壊するためにこうして伊織と梨音が陰で動いているわけだが、それでも息子を囮にするようで心苦しかった。
「にしても、アンナ先生もむちゃな方法を取ったな」
 その不安を振り払うように、伊織が努めて明るく言う。
 梨音が昴流に『ハイペリオン』を預けたのは、自分の身に何かあったとき、どこかの秘密結社の手にそれが渡ってしまうことを避けるためだった。その上で自分がそれを持っているように装っていたのだが、いっこうにそれを使う様子がなかったからだろうか、科学アカデミーは梨音の息子であり、現役の騎士乗りでもある昴流が持っている可能性を考え、目をつけたのだった。……実際、彼らの想像は当たりだったわけだが。
 そのため身を隠す場所として伊織の恩師、アンナ=バルバラ・ローゼンハインが選んだのが騎士乗りの養成学校を兼ねた女子高、キルスティン女学園だった。男である昴流を女子校に放り込む。可憐な少女と見紛うばかりの容姿をしている昴流にうってつけだとは言え、何ともアクロバットな手段である。
「それについてですが……」
 梨音が不安げな顔で言葉を紡ぎ、しかし、言い淀んだ。
「梨音?」
「……あそこには良子さんがいます」
 伊織が促して、ようやく彼女は次句を継ぐ。
「良子? 誰だ?」
 彼には聞き覚えのない名だった。
「南郷良子。南郷の娘さんです」
「……」
 答えを聞いて、伊織は黙した。瞑目する。
 南郷。
 梨音はかつて科学アカデミーのアクションサービスに所属していた。南郷はその当時の彼女の部下であり、伊織が初めて戦った相手でもある。彼は伊織に敗北し、追いつめられて自決した。伊織はその場面を見ていないし、ましてや自身で手を下したわけでもない。だが、それでも後味の悪さは残ったし、その名にいい思い出はない。梨音が言い淀んだのも伊織の心情を慮ってのことだったのだろう。
「その娘はやっぱりアカデミーの一員なのか?」
 伊織のその問いに、梨音は首を横に振った。
「わかりません。南郷が生きていたころはまた幼い子どもでしたから。いま機械仕掛けの騎士に関わっているあたり、もしかすると……」
「そうか」
 現時点では判断のつかないことのようだ。
 敵かもしれない、或いは、伊織のことを親の仇と思って憎んでいるかもしれない女が、昴流の担任教師だというのだ。さすがの『魔術師』、アンナ=バルバラ・ローゼンハインもそこまでは予想できなかったようだ。
「兎に角、自壊回避プログラム搭載型の所在を確かめて、『ハイペリオン』も含めてとっとと全部破壊する。それが親である俺たちができる唯一最大のことだ」
「そうですね」
 不安に表情を硬くしていた梨音は、伊織の言葉で少しだけ頬を緩めて笑みを見せた。
「そろそろ出るか。どうもキナ臭くなってきた」
「ええ」
 梨音が二重の意味で肯定する。
 伊織が伝票を手に取り、梨音は端末を片づけはじめた。
「アカデミーか?」
「『哲学者の試金石』ではないでしょうか」
『哲学者の試金石』も科学アカデミー同様、秘密結社のひとつだ。
 どうやら遅かったらしい。少し前に入ってきた二人組の男が席を立って、こちらに歩み寄ってきた。よかったら一緒に話でもしませんか、といった和やかな雰囲気ではない。
 伊織は先手必勝とばかりにテーブルをひっくり返した。
「ふっ」
 さらに、宙に浮いた卓を呼気とともに蹴飛ばす。ふたりの男はテーブルを叩きつけられるかたちで、いくつかの調度品を巻き込んで吹き飛んだ。客が少なかったことが幸いして、人的被害はない。もちろん、男ふたりは計算外だ。
「騒がせて悪いな、マスター。これで勘弁してくれ」
 伊織は何枚かの紙幣をカウンターに置くと、梨音とともに店を飛び出した。
「梨音!」
「はい!」
 梨音はうなずくと、左手の薬指にはめた指輪に触れた。
「『ユリシーズ』!」
 その名を呼ぶと同時、リングから光の粒子があふれ、梨音の体を包み込む。そうして実体化したのは、いま梨音が使っている機械仕掛けの騎士『ユリシーズ』だった。
 梨音は伊織を抱えると、すぐ近くの高層ビルの屋上を目指して飛翔した。
 
 
2015年7月21日 公開

 


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