「マリア、朝よ。起きなさい」 昴流はそんな声で目が覚めた。 「う、ん……」 瞼を通して光を感じる。 でも、久瀬昴流の意識はなかなか覚醒しない。昴流は優れた拳法家(フィジカル・アデプト)である故か、短い睡眠時間でも疲労を回復させる術を身につけている。朝も弱くはない。しかし、今日に限ってはなかなか意識がはっきりしなかった。昨日の愛理との機槍戦(トーナメント)の疲れが残っているのか、それとも機械仕掛けの騎士(マシンナリィ・ナイト)で魔術を行使したせいか。或いは、その後の歓迎会が原因の可能性もある。 それでも重い体を起こす。 と、二段ベッドの足元では火煉がこちらを見上げていた。 「おはようございます、火煉さん」 「おはよう、マリア」 火煉がキルスティン女学園での昴流の偽名を呼ぶ。 「すぐに着替えます」 昴流はそのまま昨日のうちに枕元に用意していた部屋着に着替えた。ゆったりしたロングパンツにTシャツ。まるっきり少年のスタイルだが、疑う寮生は今やひとりもいない。完全に女の子だと認識されているようだ。 案外そこには火煉もひと役買っているのかもしれないと昴流は思う。 火煉は、学校や人前では当然のこと、ふたりしかいない寮の自室の中でも昴流のことを久瀬マリアという少女として扱っている。結果、その裏表のない態度が周りをうまく騙すことにつながっているのだろう。「人が見ていないときこそちゃんとしないさい」と母親にはよく言われたものだ。 着替えを終えると、昴流は梯子も使わず二段ベッドの上段から飛び降り、洗面所へと向かった。そこで顔を洗い、髪にブラシを通す。 「お待たせしました」 「じゃあ、行きましょうか」 ふたりして部屋を出る。 向かう先は、もちろん食堂だ。 朝食や夕食、学校が休みの日の昼食――食事の時間はどれもきっちりと時間が決まっているわけではなく、ある程度幅がとられている。その中で好きな時間に食べにいけばいいことになっているのだ。もちろん朝食は、その後に登校することを考えれば、みんなだいたい似たり寄ったりの時間にはなる。廊下を見れば、今もちらほらと食堂へ向かう寮生の姿があった。 昴流と火煉は階段を下りる。食堂は一階だ。 ひとつ階を降りたところで見知った二人組と顔を合わせた。昨日槍を交えた碓氷愛理と、キルスティン女学園の生徒会長である六花=ヴァシュタールだ。 「おや」 愛理が嬉しそうに声を上げる。 彼女も昴流と同様、男っぽい部屋着に身を包んでいた。目もとにはトレードマークのタトゥーシールが、もうさっそく貼られている。 「おはよう、ふたりとも」 「ええ、おはよう」 「おはようございます、愛理先輩」 朝の挨拶をかわす三人。六花だけは笑顔でその様子を窺っている。 「マリア、疲れはとれたかい?」 「まだ少し残ってる感じはありますね」 「私もだよ」 愛理は愉快そうに笑って答えた。 「火煉も茉莉花も一筋縄ではいかないが、昨日のマリアはそれ以上だったな」 いい刺激になった、と微笑。 「今から朝食かい? なら一緒に行こうか」 「そうね」 火煉は愛理の提案を当たり前にように受け入れる。 と、そこでこれまで黙っていた六花がようやく口を開いた。 「ずいぶんと仲がいいね?」 その言葉に火煉と愛理が顔を見合わせる。 「ま、私たちは競い合いはしても、いがみ合ってるわけじゃないからね」 「そういうことね」 と、ふたり。 しかし、寮生の認識はどちらかと言えば六花のものに近かったようで、《運命の三女神の未来(アトロポス)》鳥海火煉と《運命の三女神の過去(ラケシス)》碓氷愛理が肩を並べて食堂に入ってくると、居合わせた生徒たちからはかすかにどよめきが上がった。 「みんな、どんな目で私たちを見ているのだろうな」 愛理が苦笑。 これが火煉と茉莉花、愛理と茉莉花ならみんな理解できるのだ。《運命の三女神の現在(クローソー)》八重垣茉莉花は争いが嫌いな性格で、三女神(モイライ)の中ではひとりだけ学年が下でもある。 「これというのもマリアのおかげかな?」 「ボク?」 六花の言葉に昴流は首を傾げる。 火煉と愛理、そして、昴流は当事者でありすぎてわからないのだろう。しかし、それを端から見ている六花やほかの生徒にしてみれば驚きの連続なのだ。 孤高の女神(モイラ)である火煉が研修生をつれてきて、あまつさえルームメイトとして受け入れたこと。 茉莉花とマリアの模擬戦。茉莉花の辛勝。 そして、今朝の火煉と愛理。 それらのすべてに久瀬マリアが関わっているのだから、六花がそう思うのも当然だろう。 「この調子だと、もう少ししたらもっと面白いことになるかもね」 六花はひとり唄うようにそんなことを言うのだった。 四人の朝食はそろいもそろって洋風だった。トーストにオムレツ、サラダ、そこにコーヒーや紅茶など、飲みものは人それぞれ。 これが茉莉花様だったらどうだろう、と昴流は考える。彼女は外国の血が入っているのか、華やかな容姿をしている。ならば、やはり洋風のほうが似合いそうだ。 と、そこまで考えたときだった。 「え?」 「嘘!?」 「そんな……!」 食堂のあちこちで、かすかな驚愕の声が上がった。彼女たちに共通しているのは、携帯端末を手にしているという点だ。横からのぞき込んでいる生徒もいる。 「みんなさっそく気がついたみたいだよ?」 「何のことですか? わけ知り顔の六花に昴流が尋ねる。 「時計を見てごらん」 そう言われて昴流は食堂の壁掛け時計に目をやった。八時ジャストだ。 「八時はね、キルスティンのサイトが更新される時間なんだよ」 「あ……」 「そうだった」 火煉と愛理が何かに気づいたように、「ああ」と納得する。一方、昴流はやっぱりまだわからなかった。 「つまりネ――」 と、キルスティン女学園生徒会長、六花=ヴァシュタールは説明してくれる。 学校からの連絡事項で特に緊急でないものは、ネットワーク上のサイトで告知される。学校行事に関することや新たに決定した休講の報せなどである。その一括更新の時間が朝の八時なのだ。真面目な生徒はその時間に合わせてチェックしているのである。 その更新項目の中には、生徒同士の模擬戦の結果も含まれている。昨日の授業の中でルールに則った模擬戦が行われた場合、ここにその結果が知らされる。 さて、昨日は何があっただろうか? もちろん、《悪夢姫(ナイトメア・マリア)》久瀬マリアと《運命の三女神の過去(ラケシス)》碓氷愛理の模擬戦である。その結果を愛理は昨夜のうちに登録してあり、それがたった今、反映されたのだ。もちろん、六花はすでに彼女から直接結果を聞いていた。 寮生の何人かが互いに顔を見合わせると、うなずき合ったのを合図にして一気にこちらのテーブルに押し寄せてきた。 「これって本当なんですか!?」 「愛理様が、その……」 「何かの間違いですよね!?」 突きつけられる携帯端末。そこから飛び出した無数の空間(フロート)ウィンドウが昴流たちの視界を埋め尽くす。もちろん、そこに表示されているのは昨日の試合結果のページだ。半透明のウィンドウの向こうには、少女たちの様々な表情が見えた。好奇心に満ちた顔や信じられないといった様子の顔。後者は愛理派の生徒だろう。 「そんなにいっぱい見せなくてもわかる」 ええぃ、邪魔だ! と、愛理は苦笑しながら無数の空間ウィンドウを手で払う、飛び散ったウィンドウは端末からある程度離れると自動で消滅した。 「私を応援してくれるみんなには申し訳ないが、そこに書かれていることは本当だよ」 その瞬間、「愛理様が負けた……」「そんな……」と口々に嘆息がもれた。 だが、審判(ジャッジメント)AIを利用して試合をした以上、嘘は申告できない。よって、彼女たちも心のどこかでは真実であるとわかっていたはずだ。 愛理は衝撃を受ける彼女たちに語りかける。 「でも、ひとつの試合結果に過ぎない。私はマリアに、次こそは勝つと言ってある」 と、そこで昴流を見た。 「このままでは気がすまないからね」 彼女は少し冗談っぽく言うが、昴流はそれが本心であることを知っている。自分が愛理の立場なら同じことを思ったに違いない。それは機槍戦(トーナメント)にかける騎士乗り(ナイトヘッド)の性だと言っていいもいいだろう。 「みんなもそうあってほしいと、私は思ってる。負けてもまた挑んでほしい。勝っても次もまた勝てると思わないでほしい。ひとつの試合の勝敗に拘らず、でも、一戦一戦を大事にして――そうやって互いに切磋琢磨することがこのキルスティンの強さだと私は思う」 それこそがキルスティン女学園が導入している位階制度の本質であり、少女ばかりのこの学園から異性に負けない騎士乗り(ナイトヘッド)が育つ理由でもある。 先ほどまで昨夜の試合結果に驚嘆、落胆していた少女たちは、今は《運命の三女神の過去(ラケシス)》の言葉に、感銘を受けたように神妙にうなずいていた。愛理は、みんな素直だと頬を緩める。 「さぁ、食べよう。寮にいるのに遅刻したら恥ずかしい」 愛理がそう声をかけると、彼女たちはそれぞれもとの席に戻っていった。 自分も朝食の続きをと思ったが、ふと正面を見ると向かいに座っている火煉がくすくすと笑っていた。 「笑うなよ。みんな見てる」 すぐ近くにいた少女数人がいったい何事かと、火煉と愛理を交互に見ていた。火煉がなぜ笑っているのかわからなかったし、火煉が笑う姿に驚いたのだ。 「どうせ君は、どの口でそんなことを言うのか、と思っているのだろうな」 愛理は不貞腐れたように、そう口にする。 むりもない。何せ愛理自身が昨日まで目の前の一勝に拘り、学園最強の座に固執していたのだから。そんな己を振り返れば、自分でも失笑したくなる。 「悪かったわ、笑って。……でも、変わるのでしょう?」 「ああ、そのつもりだよ」 だけど、昨日の一戦で気づかされた。 マリアには自分が井の中の蛙だったということを。 火煉には自分の本当の役割を。 ならば、後は信頼できる仲間とともに、大きな目標に向かって邁進するだけだ。 「我々も早く食べよう。それでも女王級(クラス・クィーン)として、ほかの生徒には模範でありたいからね」 愛理はさっそく止まっていた手を動かし、朝食を再開した。 その彼女の横で、愛理の親友でありルームメイトである六花=ヴァシュタールは、ひとり満足げに微笑む。 どうやら愛理は大事なものを失くさずにすんだようだ、と――。 2017年3月13日 公開 |
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