タイトル未定


 0.
 
 あるときを境に、ここではない世界の記憶が甦ってくるようになった。
 
 最初は、夢。
 夢で見たものがいつまでも消えず、脳裏に残った。
 次は、現実。
 いま目にしている景色や状況が、ここではない世界のものと重なった。あのときはこうだった、このときはあいつがいた――と、ごく自然に考えてから、そんな自分にはっとした。
 
 記憶の断片を整理するに、その世界は西暦20XX年。僕は日本と呼ばれる国に住み、とあるエリート校に通う十七歳のようだった。
 名前は、降矢木由貴也という。
 この複雑な文字も、最初は無意識に書いたもので、初めて見たときは読み方もわからず、いったい何の紋章かと思ったものだ。
 
 そして、最後は――見上げた空から落ちてくる鉄骨だった。
 
 あいつと並んで歩いているとき、「危ない!」という叫び声に頭上を見上げれば、数本の鉄骨が落ちてくるところだった。
 それ以降の記憶はない。
 どうやら僕は、そこで死んだらしい。
 
 なるほど。つまりこれは僕の類稀な想像力が生み出した創作ではなく、ここではない世界の僕の記憶であり――その生まれ変わりが今の僕、ということなのだろう。
 前世だとか輪廻転生だとかは信じていなかったのだが。
 
 それはいい。
 問題は別のところにある。
 
 僕の名は、ララミス。
 ファーンハイト王国にある王立エーデルシュタイン学院に通う一介の生徒だ。
 エーデルシュタイン学院は、世界最高水準の教育を謳う教育機関である。
 実際、その謳い文句通りに世界中から将来有望な少年少女たちが国費留学生として集まり、多くを――科学や政治学といった高い教養科目であったり、魔術や神学であったりを学び、国に帰っていく。
 僕もその生徒のひとりだ。
 
 いや、そのひとりだったというべきか。
 
 ここで厚顔無恥にも自分のことを語ろうと思う。
 そもそも僕はファーンハイム王国の片田舎に生まれ、生活していた。魔術の才能や高い知能のおかげで、そこでは神童などと呼ばれていたのだが、ある日、その噂を聞きつけた貴族がやってきて――僕は養子として迎えられた。
 双方の両親の名誉のために言うが、僕は僕の意志を無視して無理矢理つれていかれたわけでも、人身売買のように養子に出されたわけでもない。
 貴族の両親は、子どもが産めない体であるが、それでも家のために才能ある子がほしいのだと、平民の両親に頭を下げた。
 生みの親は難しい顔をした。当然だ。血を分けた実の子なのだから。だが、こんな田舎にいてもたいした教育を受けさせることはできず、せっかくの才能も宝の持ち腐れになってしまうと考えたのだ。加えて、僕にも向上心があった。
 結果、僕は貴族の養子となり、名はララミス・フォン・ハウスホーファーとなった。
 
 ここまでは幸せだった。
 僕は貴族の子として高い教育を受けさせてもらえたし、十六になる年にエーデルシュタイン学院にも入学させてもらえた。生みの親と離れることは少なからず辛いことではあったが、好きなときに会いにいかせてもらえた。
 
 だが、学院に入学後、程なくして僕の才能は次第に失われていった。
 
 この世界の人間は魔術の素養をもって生まれることが珍しくない。それが大きいか小さいかは個人差があり、大きければそれは才能と呼ばれる。仮に小さくとも、学ぶことでいくらかの魔術を使えるようになる。仮に素質が皆無だったとしても、それによって蔑まれることはない。それは人の価値を量るものではないからだ。故に、魔術を学ばないという道も選択できる。
 僕はその魔術の素養が非常に高かった。いずれは高位の魔術師になるだろうと期待されたし、そのためにヴィエナ候フォン・ハウスホーファー家に迎えられたのだから。
 だが、それも今や人並みだ。
 原因は不明。ただ、振り返るに――力が衰えてきたのは、僕の前世の記憶が甦りはじめた時期と一致しているように思う。しかし、何がどう作用した結果なのかはわからない。今はただ事実を受け入れるしかないだろう。
 当然、それを周囲に隠すことはできず、学院の生徒や先生、皆が知ることとなった。
 大人たちはそろってため息を吐いて落胆し、生徒の間では一時期この噂で持ち切りだった。特に、僕が鳴り物入りで特待生として入学しただけに、その反動のように噂は面白おかしく脚色された。「早々に才能が枯れた」「そもそもそんな力などなかった」「凡才が金の力とヴィエナ候の名で特待生になった」などなど。
 
 おかげで今の僕の異名は『落ちた神童』である。
 
 
 1.
 
 現状、僕には三つの課題がある。
 
 1.魔術の素養を取り戻すこと
 2.魔術の素養が失われていく原因を突き止めること
 3.学院を卒業するまでの何らかの結果を出すこと
 
 もちろん、1が最大の課題だ。
 僕のアイデンティティは魔術の素養にこそあるのだから、これを取り戻すことが至上命題となる。
 2は、1を解決する上で必然的に通ることになるだろう。今のところ、前世の記憶と関係しているかもしれない、という漠然とした憶測はあるが、そこから進んでいない。ただ、極論、原因がわからずとも、力さえ取り戻せたらそれでいいとも言える。
 3は、1も2も解決できなかったときに備えてだ。
 養父母は僕が力を失くしつつあると知っても、ハウスホーファー家から放り出すようなことはしなかった。だからと言って、その優しさに甘えているわけにはいかない。魔術を学び、行使するものの頂点たる魔術師になれないのなら、せめて別の結果を出さなくてはならないだろう。
 
「と、僕は思っているわけだ」
 午前中の教養科目の講義を終え――今は昼休み。
 僕は、テーブルの向かいに座って一緒にランチを食べるシェスターに、自分の考えを語って聞かせ、そう締めくくった。
「まぁ、妥当なところだろうな」
 シェスターはそう同意する。
 
 シェスター――シェスター・フォン・ケーニヒスベルグは、ひと言で言えば『いいやつ』だ。
 ファーンハイト第二の都市リンツの領主、ケーニヒスベルグ侯爵の次男として生まれながら、貴族特有の選民思想や特権意識をもたない。
 だからだろうか。学院の特待生の僕を疎むことも、『落ちた神童』となった僕を見下すこともなく、こうして変わらず学友としてつき合ってくれている。前世云々のバカげた話も真面目に聞いてくれる、よき理解者だ。
 僕が彼を妬ましく思うことがあるとするなら、貴族らしい気品と、多少気障な仕草も似合ってしまう美貌だろうか。
 
「ただ、俺としてはそこまで躍起になる必要はないんじゃないかとは思う」
「というと?」
 僕はチェーン付きの眼鏡越しにシェスターを見据え、彼が後に付け加えたひと言のその先を促す。
「魔術の才能がすべてじゃない。力を失ったとしても、お前はお前で次期ハウスホーファー家の当主になればいい」
 一理ある意見だった。
 この世界において魔術は人の価値を量る絶対的なものさしというわけではない。代々騎士の家系もあれば、教皇庁(バチカン)に身をおく聖職者の家系もある。ハウスホーファー家は魔術師の家系だが、それに代わる身分になるなり、成果を出すなりすれば体面は保てるだろう。
「だけど、僕が納得しない」
 僕はきっぱりと答える。
 そう、それでは僕が納得しないのだ。
 養父母であるヴィエナ候夫妻は、僕の魔術の才能を見込んで養子にした。実の両親は、同じく僕の魔術の才能を伸ばし、いつの日か世に役立てるために、僕を養子に出した。ならば、僕はその期待に応え、そこで結果を出すべきだろう。少なくとも、まだ諦める時期ではない。
「お前のやりたいようにすればいいさ」
 シェスターはそう言って、苦笑した。
 もちろん、無駄な努力をする僕を嘲笑ったのではない。僕の諦めの悪さを肯定した上で、呆れたように笑ったのだ。
 程なくして、ふたりとも昼食を食べ終えた。
「さて、午後からは専門科目の講義だな」
 ここ、王立エーデルシュタイン学院にはいくつかの学科がある。
 例えば、僕やシェスターが在籍する魔術科、聖職者になるための神学科、法律や政治学を学ぶための法・政治学科、などなど。
 午前は教養科目の講義があり、午後から各学科の専門科目の講義や実習――というのが基本的な構成だ。
 ランチのトレイを持って席を立ちかけたそのときだった。
「なんだ、ララミス。性懲りもなく魔術の講義に出るつもりなのか?」
 寄ってきたのは数人の男子生徒だった。その顔には見下すような笑みを貼りつけていたり、不愉快そうであったり、様々だ。共通しているのは、すべて負の感情という点だろう。
(またこの手の連中か……)
 僕は内心でため息を吐いた。
「僕はこの学院の生徒だ。学ぶ自由はあると思うが?」
 立場によっては、自由や権利どころか義務ですらある。
 他国からきた生徒は国費留学生が多い。才能を見出され、貴族や教会の推薦を得て入学した生徒もいる。そういう生徒は、学び、知識を持ち帰ることが義務だ。
「無駄なことはやめろって忠告してやってるんだよ」
 ここにきたときから不機嫌顔だった生徒が、不快感も露わに言う。
 僕は素早く全員の顔を確認した。
 見知った顔はすべて魔術科の生徒だ。初めて見る生徒は、おそらく戦技科だろう。将来は市民を守ったり、教会に所属する高潔な騎士になるのかもしれないが、今はまだただの粗野な一生徒でしかないようだ。
 先ほどシェスターが言った通り、魔術の才能は人間の価値を決めるものではない。だが、ここは学校だ。できないものをバカにし、見下すような行いは往々にしてある。
「ありがたい忠告痛み入るけど……まぁ、そう言わないでくれよ。無駄かどうかはやってみないとわからないだろ?」
 なお、この場合『ありがたい』とは単なる枕詞であって、さほどありがたくはない。むしろよけいなお世話ですらある。
「はン。才能を失くしたやつが必死になって。哀れなことだな」
 リーダー格らしき生徒が鼻で笑うと、それを合図にほかの生徒たちも笑う。
 果たして、才能を失くした人間と、それをわざわざ笑いにくる人間。どちらが本当に哀れなのだろうな。
 僕は目だけを動かして、食堂内の様子を窺った。
 みんな大なり小なり注目していて、「またか」といった顔がほとんどだ。何せ、こんなふうにからまれるのは今にはじまったことではない。案外、積極的に参加しないだけで、彼らと同じように思っている生徒も多いかもしれない。
「さぁ、気がすんだのならどいてくれないか? 人並みは人並みで人一倍真面目に講義を受けないといけないんだ」
 これ以上つき合ってやるのもバカらしいので、僕は席を立とうとした。だが、それを制するようにリーダーの生徒が立ち塞がる。そうしてまるで親切心から言っているかのように告げた。
「なぁ、約束してくれよ。午後の講義には出ないってさ。見てられないんだよな、あまりにも情けない姿でさ」
「お前みたいなやつがいると目障りなんだよ!」
 不機嫌全開の生徒が後に続く。
「神童だか何だか知らないが、力を失くしたんなら日陰で大人しくしてろのがお似合いなんだよ」
 きっとこいつはそもそも神童ともてはやされていたころの僕が目障りで仕方なかったのだろう。そして、魔術の素養を失った今、ここぞとばかりに追い落としたいのに、未だに往生際悪くあがく僕が鬱陶しいのだ。
「こいつもこう言ってることだしな」
 と、再びリーダーの男。しかし、その顔はニヤニヤと笑っている。
 不意に、視界の隅でひとりの女子生徒が立ち上がるのが見えた。妖精(エルフ)の如き美貌の少女だ。
(まずいな……)
 僕は秘かに面倒なことになりそうな予感を覚える。
 と、そのときだった。
「ゼスト伯爵にギュンター子爵、アイヒベルガー男爵。それに、ヘス騎爵……」
 口を開いたのはシェスターだ。
「俺が次男だからかな。貴族社会のことに興味がなくてね。間違っていたら謝ろう。……君たちのお父上は元気かな?」
 シェスターの言葉に、連中は一様に黙り込んだ。明らかに怯んでいる。
 どうやら先に並べ上げた貴族の名前は、やつらの父親たちようだ。シェスターは、確かに貴族社会に興味のない男だが、頭脳は明晰で記憶力もいい。連中の様子からして、その名前に間違いはないのだろう。
 彼らにしてみれば、リンツ候フォン・ケーニヒスベルグ家の次男が自分たちのことを知っているとは思わなかったのだろう。特に最後の騎爵――騎士が大功を立てて騎士爵を得て、一代貴族になった家のことまで頭に入っているとは思いもよらなかったにちがいない。
 当然、シェスターが自分たちのことを知っているということは、父親であるケーニヒスベルグ侯爵に言いつける恐れがあるということで、自分たちの家の評判に返ってくるということでもある。……シェスターがそんなことをするような男かどうかは兎も角として。
「な、なんだよ、シェスター。こんなやつの味方をするのか」
 それでも喰い下がったあたり、無駄な矜持や根性があったということだろうか。
「逆に聞くが、お前たちは自分の友人をバカにされて黙っていられるのか?」
「ぐ……」
 シェスターが下から睨み上げ――連中は再び言葉に詰まる。
「わかったのなら俺の前でくだらないことをするな。……行こうか、ララミス」
「ああ」
 彼に促され、僕はトレイを持って立ち上がった。
 食器返却口に向かう僕たちの背中に声が投げかけられる。
「シェスター、もっとつき合う相手を考えるんだな」
 それが捨て台詞だったようだ。乱暴な足音が遠ざかっていき、程なくして食堂の中に喧騒が戻ってきた。
「くだらないことをしているのは俺も一緒か」
 貴族社会に興味のない男は、実に面白くなさそうにそう言った。
「でも、助かったよ、シェスター」
「ああいうやつらは上位の貴族に弱い」
 と、バカにしたように、シェスター。
「その点でいけば、お前にだってあんな態度を取らないはずなんだがな」
 確かに僕の養父、ハウスホーファー侯爵は首都ヴィエナを治める大貴族だ。ならば、僕にだって媚び諂いそうなものではある。……想像したらぞっとしない光景で、心底ご免被りたいが。
「それは僕が平民の生まれだからだろうさ」
 貴族は階級社会だ。上位の貴族には弱い。だが、それと同時に平民を見下す。
 確かに僕はヴィエナ候フォン・ハウスホーファー家の長男ではあるが、平民の生まれで養子に迎えられた身だ。そこは隠していないので、周知の事実である。それに貴族の家では、才能ある子を分家などから招くのはよくあることだ。
 僕が未だ魔術の素養を待ち続けていれば、またちがっていたのだろう。だが、知っての通り、その力は失われつつある。ハウスホーファー家はこのまま凋落すると見る向きが大方のようだ。
「我ながら味方が少ないな」
「安心しろ。その少ない味方でも、いざとなれば学院のそれ以外の生徒全員を敵に回せるだけの力はある」
 そんなものだろうか――と僕は、無条件に僕に味方をしてくれそうな面々を思い浮かべた。……確かにそうかもしれない。単純に武の力から権力、財力まで、なかなかのものだ。
「例えば、ベルゲングリューン伯爵のご令嬢とか、な」
「アラシャか」
 アラシャ――アラシャ・ベルゲングリューンは、僕がたった今思い浮かべた顔のひとりだ。ただし、すぐに保留にしたが。
 アラシャは、魔術科の生徒会長も務める実力の持ち主だが、あいにくと僕とはあまり相性がよくない。だが、何を隠そう、先ほど僕が因縁をつけられているときに席から立ち上がりかけた美貌の少女こそ、彼女だった。
 それはさておき、
(やっぱり気づいていたか。さすがだな、シェスター)
 僕は秘かに感心した。
 おそらくシェスターがあのタイミングで口をはさんできたのは、僕と同じくアラシャが立ち上がる姿を認めたからだろう。
 アラシャが介入してくるとややこうしいことになる。何せ、彼女の行動理念は正義である。先ほどの連中にように感情で動くやつらと、彼女の正論は水と油だ。ぶつかれば互いに折れることなく、ひたすら反発するだけだろう。
 食器返却口にトレイを置く。
 そうして体の向きを変えた際、さり気なく横目でアラシャの様子を窺えば――彼女も僕を見ていた。

 


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