タイトル未定
2. 夢を見た。 例の如く、ここではない世界の僕――前世の僕の夢。 あいつと一緒の、学校帰り。 不意に耳に飛び込んできた危険を告げる叫び声。 見上げれば落ちてくる鉄骨が目に映り――そして、『オレ』は何もできずに死んだ。 「くそっ」 翌朝、学生寮の自室で目が覚めた僕は、やるせなさとやり場のない怒りで、汚い言葉を吐き出した。 「よりによって僕が死んだときの場面かよ……」 もっとほかにあるだろうに。 まぁ、何となくそんな予感はあったけど。 僕はベッドの横のサイドテーブルに手を伸ばすと、そこに置いてあったチェーン付きの眼鏡を手に取った。それをかけ、時計を見てみる。特に早くも遅くもなく、いつも通りの時間だった。 ならば、僕もいつも通りに行動するまでだ。 このあと僕は、手早く着替えると寮の食堂に下り、朝食をとってから学院へと登校した。 午前の一般教養、午後の専門科目の講義を終え――放課後。 僕は学院の図書館へと足を運んだ。 魔術の素養の喪失についての調査や研究を進めるためにも図書館は非常に都合がよく――結果、エーデルシュタイン学院に入学して二年目、図書館は僕の放課後の居場所のひとつとなっていた。 エーデルシュタイン学院の図書館は充実している。 当然と言えば当然だろう。世界最高水準の教育を謳い、それを求めて国外からも留学生が集まってくるのだ。図書館が貧弱ではお話にならない。 だから、この学院が創設されるにあたって国内外から学術書をかき集め、蔵書の質と量、建物の外観、すべてにおいて立派な図書館を用意したのだった。学術書や学会誌に関しては、首都の中央図書館よりも充実しているくらいだ。 僕はどこに行っても好奇の目に晒される。まぁ、王国の片田舎から首都ヴィエナの統治の一角を担う大貴族、ハウスホーファー侯爵の養子に迎えられ、特待生としてこのエーデルシュタイン学院に入学しておきながら、今や凡才になり果てつつあるのだからむりからぬことだろう。 だが、図書館は比較的ましなほうだ。僕を含め利用者がある程度固定されているので、見るほうも見られるほうも目新しさがないのだ。僕がいつも同じ席で学術書を広げているのは、もうすでにお馴染みの景色と化している。 とは言え、たまに五月蠅いのもやってくる。……今日みたいに。 「おっと、図書館にきてみたら、そこにいるのは我がエーデルシュタイン学院が誇る神童サマじゃないか」 顔を見ずとも声だけでわかる。ヘルムート・アッカーマンだ。定期的に僕にからみにくるのだ。しかし、廊下や昼休みの食堂なら兎も角、放課後にわざわざこんなところまでくるとは珍しい。機嫌がいいか悪いかのどちらかだろう。 「いや、『落ちた神童』サマか」 いったい何が可笑しいのか、そう言ってヘルムートは大笑いする。どうやら機嫌がいいらしい。ならば、いつもは適当にあしらっているところだが、少しばかり相手をしてやらなくてはな。今日の僕は機嫌が悪い。 僕はチェーン付きの眼鏡をはずし、顔を上げた。 そこにはいかにも貴族のおぼっちゃま然とした容姿のヘルムートと、その取り巻きがふたり。いつもはおともを三、四人つれているのに、今日はひかえめだ。場所柄、大勢つれてくるのは遠慮したのだろうか。 「で、その『落ちた神童』サマのララミスが、こんなところで何をやってるんだ?」 「普段図書館に足を運ばない君は知らないだろうが、僕はよくここで勉強しているのさ」 「なるほど。もと天才とは言え、凡才にまで落ちちまったから大変だな」 僕の答えにおおいに満足したように、再びヘルムートは笑った。 どうやら皮肉を言ったのに伝わらなかったようだ。大丈夫か、こいつ。おとものひとりは気がついたようで、ひやひやした顔でヘルムートの様子を窺っている。 「ああ、おかげさまで学業では君よりいい成績を維持できているよ」 「あ?」 瞬間、ぴしり、と彼の顔が凍りついた。 「知らなかったか? 単純に座学の成績なら君より僕のほうが上だよ」 力を失いつつあっても、習得した知識は失わない。当たり前の話だ。 「はっ。平民の出のくせに」 「その通り。なら、その庶民に劣る貴族サマはたかがしれているということになるな」 貴族が優れているというのは、この世界の貴族にはよくある選民思想だ。もちろん、実際はそんなことはない。 僕がそう指摘すると、ヘルムートはみるみるうちに顔を赤くしていった。 この程度で激高してどうする。人をバカにするときは冷静にやるべきだ。そう、僕のように。 「お前えっ!」 ヘルムートは叫ぶと同時、掌をこちらに向けてきた。 手が淡い光を帯びている。魔方陣もうっすらと描かれつつあった。魔術を使うつもりなのだ。 僕は落ちついて、自分の手で彼の手を払い上げた。 パンッ 次の瞬間、小さな破裂音とともにヘルムートの手の光が消滅した。魔方陣もかき消える。もちろん、僕が相殺したのだ。図書館を荒らされてはかなわない。 「は……?」 ヘルムートは間の抜けた声を上げて、手を跳ね上げられたままの構造で己の掌を見つめた。 「ヘルムート、たまたま生まれた貴族の家でおそわらなかったか? なら、オレ……僕がおしえてやろう。――図書館で静かに、だ」」 「ララミス、お前、魔術が使えないんじゃ……!?」 ヘルムートは、僕の嫌味も耳に入らないほど、呆然としながら聞いてくる。 「少しずつ力が衰えているのであって、使えないわけじゃないさ」 「それで魔術の相殺とか、どういうことだよ!?」 「腐っても神童にして特待生だ。それだけもとがケタ外れということだろうね」 仮に力が十分の一に落ちたとしても、もとが千ならそれでも百。簡単な話だ。 (まぁ、尤も、この力の由来はそこではないんだけど) 僕は心の中だけで自嘲気味に苦笑する。 「化け物かよ……」 信じられないとばかりに、ヘルムートはつぶやく。 そう言えば、まともに相手をするのは初めてだったな。自分がちょくちょくバカにしてちょっかいを出していた相手が、こんな化け物だとは思いもしなかったことだろう。 「ありがとう。僕が生まれた小さな町では、そう言う大人もいたよ。……信じられないなら試してみるか?」 「試されては困ります」 と、そこに凛とした声が割って入ってくる。 現れたのは、妖精(エルフ)の如く美しい少女だった。 名を、アラシャ・ベルゲングリューンという。 このエーデルシュタイン学院においては僕と同学年であるが、最上級生を差し置いて魔術科の生徒会長を務めている。 「ララミス・フォン・ハウスホーファー、これはいったい何の騒ぎですか」 「僕に聞くかよ……」 問い質されるべきはヘルムートのほうだろうに。彼女もまた、ヘルムートとは別の意味で僕によく突っかかってくるのだ。 「説明を」 「単なる喧嘩だよ。僕と彼の仲がよくないことは知っているだろう?」 彼女に鋭い口調で促され、僕は眼鏡をかけ直しながら答える。 「魔術を使って?」 「そこは大事に至らなかったので勘弁していただきたいね。挑発に挑発で返した僕も悪いが」 さらにそう続けると、アラシャはじっと僕の顔を見た。 そうしてからため息をひとつ。 「わかりました。あなたがそう言うなら、見なかったことにします」 「助かるよ」 きっとヘルムートも内心ほっとしていることだろう。何せ人に魔術を向けることは禁止されているので、最悪、退学もあり得る。放校処分となっては、彼も家に帰るに帰れまい。 アラシャは、今度はヘルムートに向き直った。 「はいはい。すいませんでした。反省してまーす」 彼はアラシャに睨まれるが、それもどこ吹く風で、悪態をつきながら心のこもっていない謝罪を口にした。 「はっ。わざわざこんなところで勉強して、がんばってますってアピールかよ。自分の研究室があるんだろ。だったら、そっちにこもってろよ」 これは僕へだ。 そんなつもりはないんだがな。ここを利用しているのは、単に大量の資料を漁るのに都合がいいからというだけで。 「ああ、その研究室なんだが――」 また別の声がした。 声の主は男子生徒。それも怜悧な雰囲気の、見事な美少年――シェスター・フォン・ケーニヒスベルクだ。 「シェスター、何かあったのか?」 「忍び込もうとしていたやつらがいたよ」 そう言ったところで、彼はちらとヘルムートを見た。 なるほど。そういうことか。どうりで今日は取り巻きが少ないわけだ。彼の言う通り研究室に戻ってみたら部屋が荒らされていて僕は途方に暮れる、といったところか。 「で、そいつらは?」 「残念ながら逃げられた」 シェスターは肩をすくめた。こんな気障な仕草も、彼なら嫌味なく似合う。 「ヘルムート・アッカーマン」 同じく彼の言わんとするところを察したアラシャが、再びヘルムートに顔を向けた。 「何かご存知かしら?」 「知るわけないだろ。……おい、行くぞ。こんなところにいても時間の無駄だ」 ヘルムートは取り巻きを引き連れ、逃げるように去っていく。 そして、アラシャの横をすり抜けるときだった。 「成り上がり貴族が」 吐き捨てるようにそう言った。 僕とアラシャ、シェスターは、ヘルムートの後ろ姿を黙って見送る。 「なに、あれ?」 程なくして、アラシャが口を開いた。 まぁ、ヘルムートの気持ちもわからなくはない。もちろん、理解できるという意味ではなく、トレースできるという意味でだ。 このファーンハイト王国はいくつかの州にわかれていて、各州の統治を中央政府から任命された貴族が任されている。ただし、リンツやアルトシュタットといった大都市、首都であるヴィエナはそこから切り離されて、州と同等の独立した行政区となっている。 ヘルムートのアッカーマン家もまた、ここバルトールを含むファイアールマルク州の統治を任された貴族だ。 だが、十数年前に学術都市構想が持ち上がったことから状況が変わった。 地方の一都市だったバルトールにエーデルシュタイン学院が開校されると、街は一気に活性化。税収と人口が一定数を超えたことで大都市として扱われることとなったのだ。 結果、バルトールはファイアールマルク州から切り離され――そこの領主として任命されたのがアラシャの父親、ベルゲングリューン伯爵だった。 一方、面白くないのはアッカーマン辺境伯である。本来ならば伯爵家であるベルゲングリューン家よりも格は上。にも拘らず、大都市の統治を任され、実質的な力関係が逆転したのだ。 ヘルムート曰く、『成り上がり貴族』である。 僕のほうは言わずもがな。庶民の生まれの僕が貴族を差し置いて特待生など、彼には到底容認できないことなのだ。しかも、有無を言わせぬ実力があるのならまだしも、今や凡才とあってはよけいに腹が立つにちがいない。 では、生粋の貴族であるシェスターになら敬意を払えるかと言えば、きっと彼の性格では難しいだろう。格上の貴族も、やはり彼にとっては敵なのだ。 つくづく生きづらい性格をしている。 「ララミス・フォン・ハウスホーファー」 我らが魔術科の生徒会長にしてバルトール伯ベルゲングリューン家のご息女、アラシャ・ベルゲングリューンが僕の前に立つ。 「挑発されたからって挑発し返すとは何ごとですか」 どうやら怒っていらっしゃるようだ。 「では、僕に言われるがまま黙って耐えていろと?」 「そうは言っていません」 間髪入れず、ぴしゃりと言われた。 「あなたならどうとでもやりようはあったでしょうと言っているのです」 ほかにやりようがあったかは兎も角として、挑発するのが愚策だったことは確かだ。そこは反省しよう。 「でも、あいにくとそこまで人間ができていないものでね。知っての通り、僕は平民の生まれでもある」 「わたしもです」 アラシャは、それがどうしたとばかりに、堂々と言い切る。 あぁ、そうだった。彼女もまた、僕と同じく貴族の家に養子として迎えられた身なのだった。この国ではほかに見ない名前も、僕とよく似ている。やはりどこか地方の生まれだろうか。 「貴族のほうが平民より優秀で人間ができているですって? そんなわけあるものですか。そんなこと彼を見ていればよくわかるわ」 アラシャは貴族にありがちな選民思想を鼻で笑う。 そして、もちろん彼女の言う『彼』とは、名前こそ出さなかったが、つい先ほどこの図書館を出ていった貴族サマのことを言っているのだ。辛辣である。 「兎に角、学業や魔術の力と、人間の価値は関係ないわ。ましてや家柄や血など、なおさらだわ」 「ヘルムートにも見習ってほしい考えだ」 「だいたいあなたは――」 どうやらまだ続くようだ。しかも、その矛先はまた僕に向きつつある。うんざりしかけたところに、シェスターが助け舟を出してきた。 「ララミス、いちおう研究室を見ておいたほうがいいんじゃないか?」 「あぁ、そうだね。そうしよう」 もちろん、僕はそれに飛び乗った。手早くペンやノート、資料をまとめる。そして、資料はアラシャに押しつけた。 「悪いね。それ、書架に返しといて」 「え? あ、待ちなさい、ララミス・フォン・ハウスホーファー。話はまだ終わってないわ」 残念ながら、こっちは話を終わらせたくて仕方がないのだ。 僕は生徒会長殿を残して図書館を出た。 |
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