タイトル未定


 4.
 
 それはある日の放課後、僕が研究室で執務机に向かっているときだった。
 不意にドアがノックされる音。
「どうぞ。開いてるよ」
 僕が返事をするとドアが開いて、少女の顔がひょっこり現れた。
「せーんぱい」
 そして、かわいらしい声。
「アリエルか。どうした?」
「おヒマ?」
「あいにくと僕にヒマなんてものはないよ」
 何せ研究や調べないといけないことが山ほどある。
「でも、後輩の話を聞く時間もないほど忙しくもないね。……どうぞ」
 そう返すと、彼女は嬉しそうに笑って中に這入ってきた。
 
 亜麻色の髪をした愛らしい少女だ。でも、ただ愛らしいだけではない。その中に凛としたものが伺える。
 名を、アリエル・アッシュフィールドという。
 今年エーデルシュタイン学院に入学したばかりの新入生で、所属は神学科だ。
 西の島国、リ・ブリタニア王国の平民の子で、教会の推薦を得て留学してきたと聞いている。休日はシスター見習いとして教会で奉仕活動をしているのだとか。
 
 アリエルに続いて、もうひとり少女が這入ってきた。初めて見る顔だ。
「そちらは?」
「わたしの友達です。先輩と同じ、魔術科の」
「ふうん」
 入学して半年もたっていないのにもう他学科の、しかも、異国人の友達を作ったあたり、実に彼女らしくて頬が緩む。
「初めまして、ララミス様。ローゼマリー・デュカーと申します。父はリンツの伯爵で――」
「いいよ。そういうのは」
 名乗る彼女の言葉を、僕は苦笑しながら遮った。
 何せそれはたどたどしくも正式な場での名乗り方だったからだ。僕をヴィエナ候ハウスホーファー家のひとり息子として見ているのだ。
「ここは学校で、僕も君も同じ一介の生徒でしかない。そういうのはしかるべき場所で、心の中で面倒くさいと思いながらやればいいさ。……どうぞ、座って」
 僕がソファを手で示して勧めると、ふたりは並んで腰を下ろした。それを待ってから僕は切り出す。
「察するに、僕を魔術科の先輩と見込んでの相談かな?」
「さすがララミス先輩。鋭いです」
 話が早いとばかりに、ぱっと顔を明るくするアリエル。
 と、そのとき、ローゼマリーと名乗った少女が、アリエルの肘に触れた。顔を寄せ、心配げに囁く。
「でも、あの噂……」
 残念ながら、こちらまでしっかり聞こえていた。が、まぁ、今さら気にするようなことでもない。
「うん。なんか魔術はダメな人みたいだけど、きっと大丈夫」
 こっちは気遣いの欠片もなかった。
 魔術の素養を失くすという前代未聞の事態を、『魔術はダメな人』のひと言で片づけるところがアリエルの性格を如実に表している気がする。
「まぁ、話を聞くくらいはできるよ」
 僕は椅子から立ち上がると、執務机の前に回った。机の上に軽く尻を載せ、体重を預ける。と、腰に何かが当たった。積んでいた資料だ。図書館で借りてきた本が、ドサドサと雪崩を起こす。
「おっと」
「もう、先輩。机の上、散らかりすぎです」
 笑っているような、怒っているような――総じて呆れたような声で言い、アリエルがソファを立った
「普段はちゃんとしてるよ。今ちょうど調べものをしていたんだ」
 そう言い訳をする僕を横目に、彼女が机の上を片づけはじめた。ほうっておけばいいのに。世話焼きな性格だ。
「じゃあ、話だけでも……」
 言ったのはローゼマリーだ。少し笑っている。今の僕とアリエルのやり取りが、彼女の口を軽くさせたのかもしれない。
「実はわたし、魔術がうまく使えないんです」
 ローゼマリーはそう告白した。
 実に単純で、本人にしたら深刻な悩みだ。そして、なるほど、魔術が使えなくなった僕にするには不向きな相談だ。
「まったく使えない?」
「いえ、そういうわけでは……」
 だろうな。そこまで才能皆無の人間は、このエーデルシュタイン学園には入れない。
「少しおさらいをしよう」
 僕はそう言って解説をはじめた。
 
 この世界にはエーテルと呼ばれる元素がある。
 エーテルは魔力によってのみ反応する元素で、様々な超常の現象を引き起こす。限定的、局所的に自然法則を書き換えたり、無から有を生み出したり。それが魔術と呼ばれるものの正体だ。
 では、それはどういう工程を経るか。
 まずは望む効果を引き出すための構文を正しく組み上げ、それをエーテルに記述する。そうすることで現象は発生されるのだ。
 構文の構築とエーテルへの記述は、どちらも才能と素質を要する。
 構文の構築は、刻一刻と変化するセカイを把握した上で、状況に合わせて組み上げなくてはいけない。例えば、極々簡単に『火を生み出す』という魔術ひとつとってみても、周囲に吹く風の強弱で構文は変わってくる。高い才能が必要だ。
 そして、エーテルへの記述。こちらはさらに素質の世界だ。
 先の構文をエーテルに記述する力を魔力と呼び、強い魔力をもつものは複雑な構文を記述、即ち強大な魔術を使えるし、弱い魔力しかもたないものは簡単な魔術しか行使できない。魔力が皆無ならエーテルに構文は記述できない――つまり魔術は使えないということになる。
 魔術を使うものには構文を素早く正しく組み上げる才能と、エーテルに記述する高い素養が求められるのである。
 
「ずっと漠然としか理解していませんでしたが、今のでよくわかりました」
 僕が噛み砕いて説明すると、ローゼマリーは納得した様子でうなずいた。
 その横では僕の机を片づけ終えたアリエルが、「へぇ、魔術ってそういうものなんですね」と感心している。彼女は神学科の所属だが、魔術にも興味があったようだ。
「さて、だ――」
 僕は尻を机から離すと、サイドボードに歩を進めた。アリエルたちもこちらの動きを目で追う。僕はコーヒーサイフォンを手に取ると、それを彼女たちの前にあるローテーブルの上に置いた。
「『火よ』」
 そして、そう言葉を口にすると、フラスコの下のアルコールランプに火がついた。
「「わ……」」
 ふたりの下級生が短く感嘆の声を上げる。
「で、でも、先輩、確か魔術が使えないって話じゃ……」
「こんなのは初歩の初歩だからね」
 誤魔化すように答えつつ、僕は指を鳴らした。途端、火が消える。
「やってみて」
「え? あ、はい……」
 僕が掌でサイフォンを示すと、ローゼマリーは緊張気味にうなずいた。
「い、いきます。……『火よ』」
 彼女が言葉を紡ぐと、半瞬遅れてランプに火がつく。
「なるほど」
 僕はそれを見て納得した。
 確かに火はついた。だが、勢いが強すぎる。これではコーヒーを抽出するどころか、肉でも焼きそうな勢いだ。
 僕は再び指を鳴らして、ローゼマリーが生み出した火を消した。
「つまり加減がうまくできない?」
「はい……」
 彼女は神妙にうなずく。
「なら簡単だ。詠唱を長くすればいい」
「で、でも、これくらいは高速魔術(シングルシークェンス)だって先生が……」
 ローゼマリーは切羽詰まったように訴えてくる。
 
 この世界の魔術に決まった詠唱はない。魔術発動時の発音は、エーテルへの構文記述の単なるトリガーでしかないからだ。
 単純な魔術は構文も単純になり、短い発音で発動させられる。特にひとつの単語で発動するようなものは高速魔術(シングルシークェンス)と呼ばれる。逆に複雑な魔術は長い詠唱が必要となる。これは詠唱による一種の瞑想状態や自己暗示と言えるかもしれない。
 才能があるものや高い集中力をもつもの、頭の切り替えが早いものは、この詠唱が短くてすむ。そうでないものは装飾過多な詠唱になりがちだ。
 
「確かにこれくらいは高速魔術(シングルシークェンス)でやれないといけないだろうね。でも、ローゼマリー、君はできていない」
「そ、それは……」
 ローゼマリーは項垂れる。
 狙ったところに火がついている以上、構文は間違っていないのだろう。後は加減の問題だ。先の例でいくと、『火をつける』にしても様々なものがある。同じ火でも蝋燭と暖炉では全く別ものだ。
 ならば、トリガーとなるところにその要素を盛り込んでやればいい。そうすれば狙いが定まる。
「試しにやってみて」
「わかりました。……『火よ、灯れ』」
 ローゼマリーがそう発音すると、半瞬の後、アルコールランプに火がついた。
「あ、ちょうどいい感じ」
 感嘆を口にしたのはアリエルだ。
「ほら、できた」
「でも……」
 と、視線を落とすローゼマリー。
 やはりどうしても腑に落ちないようだ。これくらいは高速魔術(シングルシークェンス)でやらなくてはいけなくて、それができない自分が落ちこぼれのような気がしているのかもしれない。
「僕も最初はそうだったよ」
「え、そうなんですか?」
 ローゼマリーが顔を上げる。
「まぁね。神童だ何だともてはやされていた僕も、最初はそういうところからはじまった」
 尤も、それは六歳のときだったのだが、そこは伏せておくことにする。
「実際のところ、そうやって成功を重ねていけばイメージが固まってくるから、だんだんと短い詠唱ですむようになってくる。そうだな……ローゼマリー、君なら二週間もあれば高速魔術(シングルシークェンス)でできるようになるよ」
「ほ、本当ですか!?」
「君が真面目にがんばればね」
 その点は彼女の様子を見れば心配はなさそうだ。
「ありがとうございます、ララミス様。わたし、がんばります!」
 そう言ってローゼマリーは深々とお辞儀をした。
 
          §§§
 
 ローゼマリー・デュカーが帰って、アリエル・アッシュフィールドが残った。今、この研究室には僕とアリエル、ふたりだけだ。
 アリエルはソファに座って、ミルク多めのコーヒーを飲んでいる。
「ロゼ、喜んでましたね。ありがとうございます、ララミス先輩」
「僕は先輩として後輩にアドバイスをしただけだよ。後は彼女の努力次第だ」
 尤も、こんなこともできない人間はそもそもエーデルシュタイン学院に入ることはできない。ならば、いずれは越えられる壁だろう。僕はただ、それを少しだけ早めただけにすぎない。
「それにしても先輩、魔術が使えたんですね」
「簡単なものはね。高度なものはもう使えない」
 僕もコーヒーを飲む。
「いったいどうしてそんなことになってるんですか?」
「さてね。目下、それを調べているところだ」
 人のことも大事だが、自分のことも同じくらい大事だ。このままではララミス・フォン・ハウスホーファーは魔術を使えなくなる。早く原因を突き止めないと。
「このコーヒー、美味しいですね」
 机の上の資料に目をやっていると、そんなアリエルの声が聞こえ、僕ははっと我に返った。
「だろ? そんなに安物でもないはずなんだけど、エカテリーナは文句を言うんだ」
 いや、文句を言っていたのはマーリャだったか。
「エカテリーナ先輩ですか。あの方は舌が肥えているんでしょうね」
「何せ公女様だからね」
 と、そこで僕はあることを思い出した。
「そうだ、アリエル。ひとつ面白い噂を聞いたんだが」
「何ですか?」
 コーヒーカップを両手に包み込んだまま、アリエルがこちらを向いた。
「今年入学した生徒の中に、リ・ブリタニアの王家の人間がいるっていうんだ」
 曰く、彼、もしくは、彼女は、その身分を隠して平民出身の生徒のように振る舞っているのだという。
「ええ、知ってます」
 と、アリエル。
 当然、彼女の耳にも入っているか。きっと直接聞きにきた生徒もいたのだろう。
「で、真偽のほどは」
「本当ですよ」
 アリエルがあまりにも自然に言うもので、僕も一瞬「ふうん」と納得しかけた。
 なるほど。全員かどうかは定かではないが、リ・ブリタニア王国出身の生徒には知らされているようだ。
「まさかとは思うが、誰かは――」
「知ってますよ」
「……」
 もう言葉もなかった。
 だが、考えてみれば当然か。相手は王族だ。何かあれば守らなくてはいけないし、誰かわからなければ守りようがない。
 僕はもう一度アリエルを見た。
「もちろん、誰かまでは言えません」
 先回りして言われてしまった。
「ララミス先輩だから、ここまで言ったんですよ。ほかの人には内緒ですからね」
 アリエル・アッシュフィールドはそう言って、いたずらっぽく笑うのだった。

 


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