I'll have Sherbet!

 

 2.「冗談じゃない。勘弁してください」

 

 朝。
 部屋のドアがノックされた。
「モーニンッ」
 と同時に佐伯さんが飛び込んでくる。元気があり余っているのがありありとわかる声だ。
「朝だよ、起きて」
 ギシ、とベッドのスプリングが軋む。佐伯さんがベッドの上に手をついたのだ。きっと僕の顔を覗き込んでいるのだろう。
 そこで僕は返事ができないことに気がついた。どうやら眠りが深いらしい。意識で外部からの刺激を認識しているわりには、体が自由に動かないから反応ができない。
「むー?」
 佐伯さんがうなった。普段ならこの辺りで返事のひとつも返している僕が、何の反応も示さないからだろう。
「せっかくこの前買った水着、着てるのに」
「ッ!?」
 起きた。
 それはもう一瞬で起きた。
 起きて、そして、逃げた。上半身を起こし、ベッドの端、壁際まで後退した。
 可能な限りの距離をおいて佐伯さんを見てみる。
 と、彼女はいつも通りのスタイルだった。制服の赤いチェックのスカートに、ブラウスをラフに着ている。リボンタイはなし。
「あ、やっと起きた」
 何ごともなかったかのようににっこり笑う佐伯さん。
「朝ごはんできてるから、できるだけ早くきてね」
 そして、そう言い残して部屋を出ていった。
 しばし呆然としてから、僕は再びベッドの上に倒れ込んだ。
「気分悪い……」
 眠りの深いところから一気に目が覚めたのだ。体だってこんな酷な労働を強いられたら、不機嫌にもなるだろう。
 そこで再びドアが開き、佐伯さんが顔を出した。
「期待した?」
「……」
 勿論、言い返す気力はなかった。
 
 朝食。
「今日はサンドウィッチにしてみました」
 得意げに胸を張る佐伯さん。
 確かに二人用のダイニングテーブルの中央には、大皿の上に山積みのサンドウィッチが乗っていた。
「実はお昼もサンドウィッチなの」
「別にかまいませんよ」
 作ってもらっている身で注文をつけるつもりはない。
 さっそく淹れたばかりのコーヒーとともに食べはじめる。サンドウィッチの中身は、ツナマヨネーズ、ハムレタス、タマゴなどなど。これはこれで手間がかかっている。
「ゴールデンウィークの合間の平日って、嫌になるよね」
 佐伯さんが最初のひと口を食べ、その出来栄えに自ら納得した後で、そう切り出した。
 彼女の言う通り、今日はゴールデンウィーク真っ只中の平日。連休中にぽっかりと一日だけあいた谷間だった。佐伯さんが弁当に手を抜きたくなるのも無理はない。
「そう言ってるわりには、朝から元気ですよね」
「わたし、朝は強い方だから」
 とは言うが、あれは強いなんてものを超えた元気に見える。むしろハイテンションだ。
「嫌なら休めばいいじゃないですか」
 少し突き放したような言い方になってしまった気がする。
「僕たちはお金を払って通ってるんですから」
「休むのも権利?」
「というよりは、自己責任でしょうね。勝手に休んだ日の授業はフォローしてくれませんから。……因みに、僕は休みたいからという理由で休んだことがあります」
「うわ。ツワモノ」
 佐伯さんがおかしそうに笑顔を見せる。
「でも、まぁ、やっぱり行く。なんだかんだ言って、学校は好きだから」
「それはいいことです」
 僕なんか学校に対しては、特に好きだとか嫌いだといった気持ちはない。きっとそれだからこそ、休みたいからという理由だけで休んでしまえるのだろう。
「変な上級生もいるしね」
「それは初耳です」
「なに言ってんだか。弓月くんに決まってるじゃない」
 ……まぁ、たぶんそうだろうとは思ったが。
 
 学校へと向かう。
 学園都市の駅と水の森高校を結ぶルートに合流すると、同じ制服の生徒の流れの中に見知った猫背を見つけた。矢神だ。
「おはようございます、矢神」
「え、あ、弓月君!? ……お、おはよう」
 後ろから追いつき声をかけると、彼は気を抜いていたのだろうか、非常に驚いた様子だった。ひとまず挨拶を返してくるが、なぜか気まずそうに目を逸らしながらだった。
 その後も言葉を発さず、ちらちらと眼鏡越しに僕の顔を窺っているようだった。
「どうかしましたか?」
「え? い、いや、何でもない。あの、僕、先に行ってるから」
 慌てて誤魔化しつつ、矢神は早足で逃げるように先に行ってしまった。
 後に残された僕は、さっぱりわけがわからなかった。顔に何かついているのだろうか。周りを見回しても、僕のことなど誰も気にした様子はない。ますますわからなくなった。
 程なく学校に着き、昇降口では滝沢と会った。
「おはようございます、滝沢。矢神、通っていきましたか?」
「うん? ああ、何か急いでるみたいだったな」
 すでに靴を履き替えている滝沢は、横で僕を待ってくれていた。
「逃げてるみたいですよ」
「お前か。何をやったんだ?」
「何もやってませんよ。僕の方が聞きたいくらいです」
 僕も靴を履き替え、滝沢と並んで教室に向かいながら続きを話す。
 ふと比較的重要なことを思い出した。
「休み中、妹がそっちに行ったんじゃないですか?」
「ああ、きたな。いきなり呼び出されて、喫茶店で奢らされたよ」
「すみません。もの静かなわりには、強引な性格をしているもので。きっと僕のことを、あることないこといろいろしゃべったんじゃないでしょうか」
 僕は探りを入れてみる。
 連休の初日、いきなり訪れた妹のゆーみに佐伯さんを見られてしまった。うちにきた後に滝沢のほうにも行ったはずなのだが、佐伯さんのことを彼に話したかが問題だ。もし話しているとしたら、どのように伝わっているのだろうか。
「お前にカノジョができたらしいな」
「……」
 話したらしい。
「具体的には何と?」
「1年の佐伯くんか」
「そんなことまで言ったんですか!?」
 最悪だ。
「いや、言ってない。俺が少しカマをかけてみただけだ」
「……」
 ……最悪だ。
「何かあるとは思っていたが、やっぱりそうだったか」
 ふむ、とひとり納得してる。
「滝沢……」
「安心しろ。誰かに言うつもりはないよ。これ以上お前の信頼を損ねたくないからな」
「いや、そうじゃなくて、たぶん大きな誤解があるような気が……」
 だいたいにして前提条件からして間違っているのだ。僕たちは彼氏彼女といった関係ではない。
「でも、まぁ、いいです。誰にも言わないのなら」
 必死になって否定しても泥沼だろう。
 諦め気味の僕の前に教室が見えてきた。滝沢とともにドアをくぐる。
 朝のショートホームルームまでにはまだ時間があった。登校するには早くもなく遅くもない。故に教室にいる生徒は全体の半数以下。特筆すべき光景としては、宝龍さんの席に彼女と雀さんともうひとりクラスメイトが、集まってしゃべっていることくらいだろうか。
 僕はそれを見て、おや――と思った。
 宝龍さんが教室に入ってきた僕に気づき、ちらとこちらを見たが、すぐにまた視線をもとに戻した。
 僕は滝沢と別れ、自分の席についた。制鞄を机の横の床の上に置く。
 と――、
「おはよう、恭嗣」
 宝龍美ゆきだった。
「あぁ、おはようございます」
 さっきまで席でしゃべっていた宝龍さんが、それを切り上げて僕のところにくるとは思っていなくて。不意を突かれた。
「どうだった?」
 あいていた前の席のイスをこちらに向け、腰を下ろしながら問う。
「何がですか?」
「彼女とのデート」
「別に。いたって普通でしたよ。それと、あれはデートなんてものではありませんから」
「ふうん。そう」
 彼女は笑みを含ませて相づちを打った。
「あの子が言ってたあれ、選んであげたの?」
「まさか。そんなわけないでしょう」
 嘆息ひとつ。
 確か彼女だって本気にしていないと言っていなかっただろうか。
「そう、残念。恭嗣ってそういうとき、きちんと選んであげるのかそれとも慌てるのか、それを想像したら少し楽しかったわ」
「楽しまないでください、そんなことで」
 因みに後者だったが。
「ところで、何か気がつかない?」
 そう言って宝龍さんは、机に両肘を突き、組んだ指の上に顎を乗せた構造で、僕を正面から見据えた。
「髪型を変えたことですか?」
 ボリュームをつけたハーフアップの髪。まるでファッション雑誌から抜け出してきたみたいだ。ここまで様になる高校生もそうはいないだろう。
「気づいていたのなら何か言ってくれてもよかったんじゃない? ……それで感想は?」
「よく似合ってますよ」
「嬉しいわ。でも、ありきたりね」
 宝龍さんは僕を睨んだ。たぶんそのつもりはないのだろうが、目つきがきついので自然とそう見えてしまう。
「それとね、少しずつ部活にも出るつもり」
「部活? 文芸部ですか?」
 そう言えば彼女は文芸部員の名簿に名を連ねているが、まったくと言っていいほど何もしていないことを思い出した。
「それはいいことだと思います」
「そういう女って、どう?」
「どう、とは?」
 質問の意味するところが理解できず、僕は思わず聞き返してしまった。
「見た目も悪くない、自分をコーディネイトすることも怠らない、成績もそこそこいい、加えて高校生らしくクラブにも出る。そういう女を恭嗣はどう思うのかしら、という意味よ」
「……」
 ずいぶんと控えめな表現を選んだものだ。水の森で知らないものはないというクールビューティは誰あろう目の前の彼女だし、成績は常にトップ。滝沢が万年二位だと嘆いていた。
 それは兎も角。
「……普通、でしょうか」
 僕の口から出る感想はそれしかなかった。
「普通? そう、これでやっと普通なのね。いったい何が足りないのかしら? 一緒にいる時間? 同じクラスなんだから、同棲してるあの子とだってそう変わらないはず――」
「ちょっと待ってください」
 かたちのよい顎を指でつまみ、視線を落として何やら考えはじめた宝龍さん。それがどうにも望まない方向に向かっている気がして、僕はそれを遮った。
「ひとつ確認させてください。……あなたは僕に興味などない」
 そして、僕も彼女の興味を持ったことなど一度もない。
「そうね。でも、それも過去形かもしれないわ」
 冗談を言っているふうではない――が、彼女の場合、目つきのせいで冗談を言っても、そう聞こえないことが多々ある。――そう言い聞かせて、今は判断を保留にしておこう。
「いっそのこと、私も恭嗣に下着でも選んでもらおうかしら?」
「ッ!?」
 これにはぎょっとした。
「冗談じゃない。勘弁してください」
 この前の佐伯さんのときに酷い目に遭ったばかりだというのに、また同じような目に遭わされてはたまったものではない。しかも宝龍さんだって? 確実に僕は死ぬ。
 悲鳴にも似た嘆願。
 すると、宝龍さんは突然くすくすと笑い出した。
「今わかった気がするわ。私が恭嗣を揺らすのに足りないのは、きっとこういう部分ね」
 そう言ってまたおかしそうに笑う。
 対する僕は、不貞腐れたように頬杖をつき、投げやりな気持ちで彼女を見ていた。
 
 
 2009年1月2日公開

 


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