I'll have Sherbet!

 

 3(2).「信頼を裏切るようなことはしていないつもりです」

 

「迎えにきてもらうことになってたんですか?」
「ううん」
 佐伯さんは首を横に振った。
「でも、だいたいこれくらいの時間に行くって連絡はしておいたから、当たりをつけて待ってたんじゃない?」
 なるほど。
 僕らはロータリィで待つおじさんのもとへと足を向ける。
 佐伯さんのお父さん――佐伯トオル氏は、後ろに撫でつけた髪の、耳の上辺りに白いものが混じっているものの、十分に若々しい印象を受ける人だ。実際、そこまで年はいっていないのだろうと思う。今日はスラックスにTシャツ、その上にカッターシャツを羽織ったラフな格好。基本的に日本人は肩幅が狭くスーツの似合わない種族なのだが、その点、体格のいいおじさんは様になるだろうと容易に想像できる。
 どうでもいい話だが、前に矢神とスーツの似合う東洋人について話したとき、僕はハンマー投げの某選手を挙げ、矢神はブルース・リーを挙げた。
 たぶん矢神の中で、尊敬する人物としてブルース・リーがあるのだと思う。めったに見るのことのない彼のファイティングスタイルの中に、的確な打撃で素早く敵を斃す截拳道の教えが垣間見えるのだ。
「やあ、弓月君、2ヶ月ぶりになるかな」
「お久しぶりです」
 にこやかに迎えてくれたおじさんに、僕は頭を下げて応じる。
「今日はすまないな。君がきてくれると助かると思って言ったことなんだが、貴理華がむりに決めたのでなければいいが」
「いえ、そんなことは……」
 微妙に脅されたような気がしないでもない。……尤も、僕が悪いのだが。
「もう、お父さんったら。本当に弓月くんが気に入ってるのね。娘のわたしより先に声をかけて」
 隣では佐伯さんが、呆れるのと不貞腐れるのが入り混じったような顔をしていた。
「そういうわけではないんだがな。それにお前とはいつでも話せるだろう」
「そう言って後回しにされるのって、けっこう嫌なものなんですけど?」
「……」
 それは間接的に僕を責めているのだろうか。前に同じ理由で、宝龍さんを優先したからな。
「子どもじゃないんだ、くだらないことで拗ねるんじゃない。……さぁ、ふたりとも乗りなさい。こんな屋根もない日向で立ち話をしていても暑いだけだ」
 そう言っておじさんは運転席へと乗り込む。メタリックシルバーのボディをしたクーペだ。
 続けて僕らも乗ると、さっそく車は発進した。小さなロータリィをくるりと回り、駅を後にする。近くの高級スーパーの前を通ると、すぐに市街地へと入った。住宅地に囲まれた、商業機能の乏しい駅だったようだ。窓の外に見える家屋はどれも立派なものばかりで、歴史は古そうだ。
「え、なに? お父さん、学園祭にくるつもりなの?」
「当たり前だ。娘の通っている学校くらい、一度は見ておかないとな」
 前では親娘の会話が交わされていた。
 僕と佐伯さんが内緒でルームシェアをしているのが発覚した夏休み前の一件――あのときの険悪な雰囲気の印象が強いせいで、親娘の仲が悪いのではないかと思っていたが、特にそういうことはないようだ。今も佐伯さんは助手席に乗っているし、会話もスムーズに進んでいる。
「それに少しばかり会社のからみもあってな。まぁ、今ここで言うことではないが」
「ふうん」
 これ以上は人前でする話ではないということなのだろう。僕は外の景色に目を向けたまま、それを聞き流す。
 それから車は15分ほど走り、佐伯邸へと到着した。
 低い塀に囲まれた敷地は広いが、それに対して家のほうはやや小さめか。敷地の半分もないように見える。大きいだけの古い不便な家を取り壊し、建て直したのかもしれない。実際、周りに比べたら淡い色合いのモダンな造りで、洒落た出窓なんかも見える。面白いのは、車をしまうためのガレージがなくて、広く確保した前庭の一角に駐車スペースがあることだ。
 車は開いていた門から敷地内へと入り、玄関に横付けして僕らを降ろした。
「入って」
 レバー状の取っ手を回して玄関を入る佐伯さんに促されて、僕も彼女の後に続く。
「ただいまー。お母さーん?」
「はーい」
 すぐに返事が返ってきた。……さてさて、ついにご対面だ。いったいどんな人が出てくることやら。
「おかえりなさい。ようやく帰ってきたわね、この放蕩娘は」
 玄関を入っていちばん近くにあったドアから、佐伯さんのお母さんらしき人が姿を現した。そちらがリビングとダイニングキッチンになっているようだ。
 おばさんは少しタレ気味の目が特徴的な、とても上品で、愛らしい方だった。エプロンをしているところを見るに、掃除か片づけの最中だったのだろう。そのせいか今はパーマがかかって波打った髪をくくり、ポニーテールのようにしていた。さすがに佐伯さんのお姉さんというには苦しいが、それでも若く見えるし美人だ。
「誰が放蕩娘よ。帰るべきときにちゃんと帰ってきてるじゃない」
「そちらが弓月さんね?」
 娘の抗議はさておき、おばさんは僕へと顔を向ける。
「はい、弓月恭嗣といいます」
「何でも貴理華の学校の先輩で、家もすぐ近くだそうで。貴理華がお世話になっております」
 深々と頭を下げた。
 そうなのだ。おばさんに対しては、僕と佐伯さんはたまたま近所に住んでいる先輩後輩ということになっている。同居の事実はおじさんのところで止まっているのだ。
 それにしても、おばさんはごく普通の人だな。この母親と真面目な性格の父親の間に佐伯さんが生まれたわけだ。いったい彼女のあの性格を形成する遺伝子はどこからきたんだ? オリジナルか? 尤も、そろって美貌の持ち主だという点では、母娘なのは疑う余地もない。
「前には主人とも会ったと聞いてるわ。それなのにたった一度だけあった子にこんな手伝いを頼むなんて、困ったものね」
「いえ、これくらいたいしたことありませんから」
「そう? そう言ってもらえると助かるわ」
 おばさんは、目尻をさらに下げて微笑んだ。
 こっちはとっくに手伝う気になっているので、変に恐縮されるよりは素直に喜んでもらうほうが嬉しい。
「なんだ、まだこんなところで立ち話をしているのか」
 そこにそのおじさんが入ってきた。
「せっかくきてくれたんだ、お茶くらい出してあげなさい」
「そうは言いますけど、まだぜんぜん片づいてないんですよ? お買いものも行っていないから、何もありませんし」
「……む。それもそうか」
 おじさん、意外と奥さんには弱そうだな。
 事前に聞いていた話では、佐伯夫妻は今朝の便で帰国したようだ。荷物の類もすでに着いているらしく、この玄関から見える廊下にもいくつかの箱が置いてあった。通常の引越しほどではないが、それでも持って帰ってきたものは多く、そう簡単に片づけられるものではなさそうだ。
 おばさんの担当はキッチン回りというところか。食器類は置いていっただろうが、まさか2年放置したそれをすぐに使うわけにもいくまい。
「なら、先にできることをやりませんか?」
「そうだな。彼の言う通りだ」
 僕らは玄関を上がった。おばさんが出してくれたスリッパに足を突っ込む。
「じゃ、弓月くんはわたしの部屋に」
「何を言っているんだ。彼には私の手伝いのためにきてもらったんだろうが。だいたい男の彼にお前の部屋の何を手伝わせる気だ。……弓月君、すまないがこっちだ」
「はい」
 僕はおじさんに招かれ、正面の廊下を進む。
「あらあら、弓月さん、引っ張りだこね」
「もうっ」
 後ろではそんな声が聞こえてきたが、聞こえない振り。佐伯さんのふくれっ面が目に見えるようだ。
 
 つれてこられたそこは書斎のような部屋だった。木製のデスクがあり、扉つき本棚が並んでいる。ここが佐伯トオル氏の私室であり、仕事を家に持ち帰ったときの仕事場なのだろう。
 その部屋の隅に段ボール箱が4つ5つ置いてあった。
「それが持って帰ってきた荷物なんだ」
 僕がそれを見ているのに気づき、おじさんが言う。
「向こうに2年もいれば、けっこう増えるものでね」
「でしょうね」
 その後、何をどのようにして片づけていくかの説明があった。
 実際に箱を開けてみると中は書類の類が多かったが、それを収めた封筒にどういう種類のものかがきちんと書かれていたので、非常にわかりやすかった。トオル氏の几帳面な性格が窺える。僕はそれらを取り出し、ざっと分別して床に並べていった。そして、おじさんはそれをデスクや戸棚に納めたり、会社に持っていくものとしてさらに分けていく。
 ところで、多くの封筒には『F.E.トレーディング』なる名称とロゴが印刷されていた。それがおじさんの勤める会社の社名なのだろう。
「ときに、弓月君」
 淡々と作業を進める中で、おじさんが切り出してきた。
「貴理華とはどうなのかね」
「……」
 なんともアバウトな質問だ。
「おじさんの信頼を裏切るようなことはしていないつもりです」
 問いにはそう答える。……その言葉の中に少々後ろめたい部分がないわけでもない。僕は一度手を止めておじさんへと顔を向けて言ったのだが、おじさんのほうは作業を続けながら短く「そうか」と返しただけだった。
「それならいいんだ。高校生の間は分相応のつき合い方をしてほしい。本来、学生の本業は勉学で、君もそのために高校に進んだのだと思う」
「その通りです」
「だが、高校を出るころには人間としては一人前だ。後は貴理華と……君の好きなようにすればいい。そこまでは私も干渉するつもりはないよ」
「……」
 それにどう答えて言いかわからない僕は、ただ黙って聞いていた。おじさんだってはっきりした答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう、それ以上は特に何も言わず、言葉を求めてくることもなかった。
 再び沈黙の中で作業を進める。
 箱から中身を取り出し、分別、並べていく。またひとつ箱を空にした僕は、ガムテープを外し、畳んだ。そして、次の箱へと取りかかる。
 と、
「妻は――」
 仕事の手を止めず、またおじさんが口を開いた。
「ああ見えて由緒ある家の生まれでね」
「そうでしたか。でも、わかる気がします」
 ああ見えて、などと言っているが、十分にその雰囲気はあると思う。
「だけど、そのおかげで政略結婚のようなものに利用されそうになって――結局、それを断ち切るために少々思い切ったことをしなければならなかったんだ」
「……」
「親の都合を子に押しつけるような真似はしたくないものだな」
 想像するに、おばさんは家を飛び出すという手段を選んだのではないだろうか。つまりおじさんは、おばさんの経験を分かち合っている。きっとそのことが娘である佐伯さんを必要以上に縛りつけたくないという思いにつながっているのだろうな。
 
 
 2010年9月2日公開

 


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