I'll have Sherbet!

 

 番外編2.小悪魔^2、あります!(中編)

 

 藤間真は人を観察するのが好きだった。
 普段から学校でも槙坂涼に群がる生徒を階段教室の上のほうから他人ごとのように眺めているし、ここ"天使の演習"でアルバイトをすることに決めたのも、多くの人と接する機会を得られるだろうからという理由が支配的だ。
「あのふたり、初めて見る顔だな」
 注文の品を運んで戻ってきた藤間が誰に言うともなく口にすると、カウンター付近から店内の様子を窺っていた槙坂先輩も気になってそちらを見た。
 そのテーブルには、自分たちよりも少しばかり年上らしい女性客がふたり。
 ひとりは褐色の肌をした女性。藍色がかったセミロングの黒髪に、ピンク色の唇が愛らしい。異国情緒を感じさせる魅力があった。もうひとりは、髪をツーサイドアップにまとめた、これまた目を見張るような美人だった。攻撃的な美貌に迫力を感じる。
「素敵なふたり。確かに初めて見るわね」
 なかなか目を惹くふたりだ。以前にきたことがあれば絶対に記憶に残っているはずだ。
「友達同士でふらっと寄ったって感じかな?」
「そうね」
 槙坂先輩も同意する。
 藤間は何気ない素振りを装いつつ、改めてそのふたりを眺めた。
 主に話しているのは褐色の女性のほう。大人っぽい美女は聞き役のようだが、その表情はやわらかく、姉がかわいい妹を見るような目をしていた。
「でも、」
 と、槙坂先輩。
「友達同士というよりは、恋人同士じゃないかしら?」
 藤間は思わず怪訝そうに隣の彼女を見る。
「……どっちも女だぞ?」
「それでもよ。……貴理華さん」
 槙坂先輩は不意に佐伯さんを呼んだ。カウンタの中にいた彼女は、そのままこちらに寄ってくる。カウンタ越しの会話。
「何ですか?」
「貴理華さん、あそこのふたりってどういう関係に見えます?」
 槙坂先輩は視線だけで例のふたり組の女性客を指し示した。佐伯さんは言われるがままにそちらを見、「うーん……」と真剣に考えている様子。
 そして、
「そうですねぇ……やっぱり恋人、じゃないでしょうか」
「ですよね。……ほら」
「……」
 唖然とする藤間。
 そんな彼をよそに、"天使の演習"の女性陣はそれぞれ仕事に戻っていく。
 藤間は再び件の彼女たちを見たが、佐伯さんや槙坂先輩が何を根拠にそう断言したのか、さっぱりわからず首を傾げるばかり。
 観察眼がまだまだなのか、それとも人生経験の差だろうか。
 
 飲食店の宿命で、休憩が取れるのはお昼の客が一段落した午後2時近く。
 弓月が奥の部屋で家庭用のコーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れていると、槙坂先輩が入ってきた。
「お待たせしました」
 手にはサンドイッチの盛り合わせ。
 店のほうは佐伯さんと藤間に任せ、弓月と槙坂先輩は先に休憩だった。部屋の隅では弓月家の愛猫が丸くなって眠っている。"V-C"とイニシャルが書かれたエサの皿には、少しだけ食べ残しが残っていた。この猫だけは時間通りに食事にありつけたようだ。
 ふたり分のコーヒーを入れ、弓月と槙坂先輩は簡素な応接セットで一緒に遅い昼食をはじめた。
「わたし、貴理華さんが作ったサンドイッチ、すごく好きですよ」
 食べながらそう感想を述べる槙坂先輩。今ふたりが食べているのは、"天使の演習"で客に出している佐伯さん製サンドイッチだった。
「それは嬉しいですね。この店の人気メニューですから。因みに、本家本元は彼女のお母さんです」
「あら、そうなんですか?」
 初めて聞く話に槙坂先輩は小さく驚く。
「わたし、何度か会ったことありますよ。時々こられますよね」
「そうですね。こんな僕を気に入ってくださっているようで、いろいろ手伝ってくれています」
 弓月の義母であり佐伯さんの母である佐伯冴子が店を手伝いにくるのは、佐伯さんやバイトのふたりがいないときだが、それ以外にくるときもある。そういうときはいつも店の奥――この部屋で経理などの事務仕事をしている。
「勤めに出た経験がないから大変だっていつもぼやいていますね」
 そう言いつつも、冴子はどこか楽しそうであったりもするのだが。
 事務デスクの上やキャビネットに目を移すと、経理関係の本がいくつも置かれていて、その奮闘の痕跡が見てとれる。しかも、それだけ苦労しながらも、夫であるトオル氏には絶対に口をはさませないのだった。その手の仕事は彼のほうが慣れているはずなのに。
「意外です。たまにお店のほうを手伝ってくださるときはテキパキと動いてらっしゃるのに」
「もともと要領はいいようですね。でも、あの人、高校を卒業と同時に家を飛び出してトオルさんのところに転がり込んで、そのまま結婚したらしいですから」
「さすが貴理華さんのお母様……」
 あのおっとりした性格に似合わないエピソードを聞いて、槙坂先輩が唖然とする。
「貴理華さん、自分のほうが勝ったなんて言ったんじゃないですか?」
「当たりです」
 ふたりは笑う。
 何せ、義母は高校を卒業してからだが、佐伯さんが弓月と同棲をはじめたのが高校入学と同時なのだ。尤も、そこが勝った負けたを論じるポイントかどうかという疑問はあるが。
 ふと槙坂先輩は、佐伯さんや佐伯冴子を羨ましく思った。
 果たして、自分は彼女たちと同じことができるだろうか。親の反対を押し切り、学校もやめて家を飛び出す――。そんな思い切ったことができたなら、と考えてしまう。
「どうかしましたか?」
 黙り込んだ槙坂先輩に、弓月が問いかける。
「あ、いえ、何でもないです」
 槙坂先輩は誤魔化すようにそう言い、コーヒーを飲んだ。
「弓月さんって昔からちょっと変わった方に好かれたでしょう?」
 そして、逆に訊き返す。
「それだと僕の知人が奇人変人ばかりみたいに聞こえますよ」
「すみません。そういうつもりはなかったんですけど、ちょっと言い方が悪かったですね。いい意味でっていうのも変ですが……」
「まぁ、言わんとしているところはわかりますよ」
 言葉を探す槙坂先輩に、弓月が助け舟を出す。
「実際、僕の周りはひと癖もふた癖もある人が多かったですから」
 思い返してみれば、特に高校時代。もしかしたらその最たるは佐伯さんなのかもしれない。
「勿論、わたしと藤間くんも、弓月さんや貴理華さんが好きですよ」
「話の流れ的に、それは自分が変わっていると認めていることになりませんか?」
「ええ、そうですよ。その自覚はありますから」
 槙坂先輩はしれっとそう言ってのけた。
「類は友を呼ぶ、でしょうか。……ん? そうなると僕も変な人間ってことですか?」
「あら、そうじゃないつもりだったんですか? 弓月さんも十分変わってますよ。自覚してください、自覚を」
 彼女はくすくす笑いながら、そんなことを言う。
「……」
 その昔、何度か同じことを言われた気がする。だとすると、この店は変わった人間ばかりでやっていることにならないだろうか。少し考え込んでしまう弓月だった。
 
 ふた組に分かれて遅い昼休憩をとった後も、夕方のピークまでにはまだ時間があった。
 カウンタの中では弓月が藤間にコーヒーの淹れ方をレクチャーしているが、藤間自身フロアで接客をしているほうが好きだし向いているので、今後もあまり活かす機会がないかもしれないと思っていた。弓月もそう思っているので、これは一種の暇つぶしのようなものだ。
 一方、女性陣はカウンタ席の隅のほうで、小声で話をしていた。その顔はやや神妙で、気楽な雑談というわけではないようだ。
「このお店が軌道に乗ったら、わたし、大学を辞めようと思ってるんですよね」
 そう言ったのは当然佐伯さん。
「そうなんですか。勿体ない」
「もともと進学したのは彼と父の希望によるところが大きかったので。とりあえず大学は出ておいたほうがいい、みたいな」
 彼女を説得するにあたっては、この店が早々に立ち行かなくなったときのため、などという不吉な仮定の話も出ていた。
「でも、ずっとお店が続くなら、それも意味がないですから。というか、まだ軌道に乗っていない今だからこそ、大学よりもこっちを集中するべきだと思うんですよ」
「確かにそれもひとつの考え方ですね」
 槙坂先輩は佐伯さんの考えにうなずく。
「でしょう!」
 肯定的な返事が返ってきたことで、佐伯さんの口から思わず大きな声が飛び出した。
 カウンタ内にいた弓月と藤間が何ごとかとこちらを見る。槙坂先輩は何でもないと目で伝え、ばつの悪い思いで軽く頭を下げた。
 そんな槙坂先輩に気づいた様子もなく、佐伯さんは話し続ける。
「でも、槙坂さんと藤間くんがいれば、その日もそう遠くないと思うんだ」
 佐伯さんが笑顔を見せ、槙坂先輩もつられて頬を緩めた。
 槙坂先輩が"天使の演習"に客として通うようになって、すぐにこの弓月貴理華という女性と出会い、仲よくなった。自分よりもひとつ年上で、年相応に大人でありながら、愛嬌のあるかわいらしい女性だと最初は思っていた。やがて今度はアルバイトとして働くようになると、彼女は時折子どもっぽい姿をも見せるようになった。先ほどのようなちょっと子どもっぽい口調もそのひとつだ。何となく年下の妹を見ているような気分になる。
 たぶんどちらが本当の彼女というのはなくて、どちらも本当の彼女なのだろうと槙坂先輩は思っていた。
「わたしはできるだけ長くこちらでお手伝いをさせてもらおうと思ってます。でも、藤間くんは案外早く辞めてしまうかもしれません」
「そうなんですか?」
「ええ。彼、高校を出たらアメリカの大学に行くつもりのようですから」
 槙坂先輩はどこか苦しげにその言葉を吐き出す。
 彼女自身、いずれ藤間がいなくなるということに、まだ気持ちの整理がついていないのだ。
「すごーい」
 一方で佐伯さんは素直に感嘆の声を上げた。
「あれ? でも、槙坂さんは?」
 が、ふとそこに気づく。
「わたしは当然日本の大学ですよ」
「ついていったりしないの?」
「ま、まさか……」
 とんでもない、と慌てて否定する槙坂先輩。
「ついていくなんてそんな……。わたしも藤間くんと同じように海外の大学に行こうと思えば行けないことはないと思うけど、英会話はそこまで堪能じゃないですから。それにお金だってかかるだろうし……」
 彼女にしては不明瞭に並べられる言葉を聞きながら、佐伯さんは「ふうん」と相槌を打ち、目を細める。
「その様子だと、考えたことがないこともない?」
「……ええ、まぁ」
 この聡明な女性の言う通りだった。そういうことを考えなかったわけでもない。しかし、何度考えても先ほどのような問題に当たるのだ。英語も机上での勉強なら兎も角、英語圏で生活なんて到底むりだろう。両親にいきなり海外に留学したいなんて言い出したところで、そんなお金を出してもらえるとも思えない。
「行ってから考えたら?」
「無茶を言わないでください」
「こういうのって行ってしまえば案外どうにかなるんじゃないかなぁ」
 思わず槙坂先輩の口からため息がもれる。
 彼女の母親のエピソードを聞いた後だと、さすがとしか言いようがない。さすが佐伯冴子の娘であり、自分も初対面の異性と勢いで同居をはじめただけのことはある。きっと自分には真似できない。つい先ほどもそう思ったばかりだった。
「でも、いちばん問題は藤間くんだと思います。わたしがむりやりついていったって、彼には迷惑なだけでしょうし」
 槙坂先輩はちらと藤間のほうを見る。今はコーヒーサイフォンを使ったコーヒーの淹れ方をおしえてもらっているようで、科学的イベントを利用してコーヒーを抽出しているサイフォンを彼は興味深げに眺めていた。
 実は藤間からその話をされた際、槙坂先輩は軽く取り乱した末に大揉めに揉めて、以来その話題は棚上げのままになっているのだ。果たして彼は今、どう考えているのだろうか。彼の中でもうこの話は終わっていて、このまま卒業と同時に日本を離れるつもりなのだろうか。
 一緒に男性陣を見つつ、佐伯さんは言う。
「それも含めて、時には思い切った行動も必要だと思いますよ」
「……」
 きっと押せ押せで生きてきたんだろうな、この人は――と槙坂先輩は思った。
 自分はどうだろうか。
 今まで周りが望む『槙坂涼』を演じてばかりだったように思う。それが自分に与えられた役目だと思ってここまできたが、そろそろ自分のために自分のやりたいことをやってもいいのではないだろうか。そう、例えば彼が卒業するまでまだ一年以上もある。その間を彼についていくための準備に費やすとか。
「……」
 人生の岐路という言葉が槙坂先輩の頭をよぎった。
 
 
 2012年9月18日公開

 


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