I'll have Sherbet!

 

 番外編2.小悪魔^2、あります!(完結編)

 

 バイトの帰り、僕は槙坂涼と一緒に駅へと歩く。
 "天使の演習"でバイトをはじめて以降、今やお馴染みとなった風景だ。
 "天使の演習"は住宅街の入り口にあるため、行き来には賑やかな道は通らない。特に帰りは夜ということもあって、人の姿がほとんどない。時々思い出したようにすれ違う程度だ。
「弓月さんとお母様、これで仲直りするきっかけになるかしら?」
 槙坂先輩が口にしたのは、閉店間際の一件。彼女は弓月さんと彼の母親が不仲だと思っているらしい。
 確かに不仲なのは不仲なのだろうが、僕としてはもっと込み入った事情があるのではないかと踏んでいる。弓月さんという人は誰とでも諍いを起こさずやれる人だ。その彼がああいう態度を取り続け、あまつさえ他人にまでそうさせようとするのだ。よほどの理由があるのだろう。
「男の子ってああいうものなの?」
「さてね。うちもたいがい普通じゃない家庭だから」
 何となくその質問は、うちの家庭について問われたような気がして、僕はそう答えた。
 うちは特殊な家庭環境にあって、ほとんど母子家庭のようなものだ。しかしながら、経済的には恵まれていたので、互いに支え合って生きてきたみたいな必死さはなかった。だけど、それなりに連帯感はあるように思う。彼女の質問に答えるには、あまりサンプルにならない家庭だ。
 一般的には、男はむしろ父親と衝突するもののようだが。
「そっちは?」
 僕は槙坂先輩に問う。
「うち? うちはよく言えば放任主義ね。だって、ほら、たびたび外泊しても何も言われないでしょう?」
「……なるほどね」
 人の家をセカンドハウスにしないでもらいたいものだ。
「友達の家としか言ってないんだろ?」
「勿論よ。正直に男の子の家に泊まるなんて言ったら、さすがにあの親でも驚くでしょうね。……どんな反応をするのか見てみたいところではあるけど」
 彼女はやや皮肉っぽく微笑する。
 優等生らしからぬ、まるで親を試すような発言だ。槙坂涼なら家に帰っても絵に描いたような仲のよい母娘、円満家庭だと思っていたのだが、案外そうでもないのかもしれない。
「うちはね、自立した人間が3人集まってるような感じなの」
 僕の疑問を察したわけではないのだろうが、槙坂先輩は語り出す。
「父は会社でそれなりの地位を得てるし、母も絵画教室を開いていてなかなかの人気よ。わたしは、藤間くんも知っての通り、成績優秀、眉目秀麗、明慧では知らぬものなしの『槙坂涼』」
「自分で言うかよ……」
 とは言え、実際にそうだから困る。
「それぞれ自分の世界を持っていて、支え合わないでも生きていけるから、お互い干渉もしないのよ」
「……」
 なるほど。そりゃあ試してみたくもなるか。別に愛情に飢えているわけではないのだろうけど、そこまでいくと逆にどこまで無関心でいられるか見てみたくなるのだろうな。
「まぁ、世間体は気にするようだから、進学さえすれば何も言わないんじゃないかしら」
 どこか自嘲気味の発音。
 僕にはそれに対して返す言葉はなく、しばらくはふたり黙って夜道を歩き続ける。
 間、僕は黙考していた。
 少し前から何度も考えては却下を繰り返してきたこと。それがまた鎌首をもたげてきて、僕は無責任な思考に落ち入る。
 末に。
 気がつけば思わず聞いてしまっていた。
「進学は……海外でも、か?」
「え?」
 疑問符つきの発音を返してくる槙坂先輩。はっとしてこちらを見た。
「……」
「……」
「いや、何でもない」
 しかし、僕は静かに先の発言を取り下げる。
「そう」
 それで納得したわけではないだろうが、幸いにして彼女は問いを重ねることはなかった。
 程なく駅へと辿り着く。
「じゃあ、僕はここで」
 僕は逃げるように改札口へと体を向けた。
「待って。わたしも行くわ」
「いや、そっちこそ待て」
 なんでそうなる。
「あら、さっきお店でそう言ったわ。知ってる? 外を歩く距離だけなら、藤間くんちのほうが短いのよ? うちはここからまだ10分ほどかかるけど、そっちは駅前だし」
「……」
 また屁理屈を。
「わかった。家まで送ろう」
「けっこうよ」
 槙坂先輩は僕の申し出をあっさり断ると、パスケースから定期券を取り出しつつ改札口へと向かっていった。……家からバイト先に行くだけなら定期なんて必要ないのに、なぜパスケースを持っているのだろうな。
 迷いもなく改札口へと向かう彼女の背中を見て、僕はため息をひとつ。
「まぁ、話したいことがないわけでもないし」
 こういう状況で説得して、槙坂涼が諦めてくれた例は過去にない。ならば、今日も諦めるのは僕のほうなのだろう。
 仕方なく僕もパスケースからICカードを取り出し、彼女の後を追った。
 
 
 
 今日も無事に一日が終わり、店の戸締りをして、彼女とともに家路につく。
 僕が高校を卒業して、店をもつようになって一年半。幾度となく繰り返した光景だ。
 あと100年は完成しないといわれるスペインのサグラダ・ファミリア。そこでレリーフを刻む彫刻家たちは、生涯をかけても終わらない大仕事に挑んでいながら、そのことに生き甲斐を感じているという。僕も似たようなもので、こうして同じ毎日を繰り返しているのが性に合っているのかもしれない。勿論、口で言うほどのん気な毎日ではないが。
 隣を歩く佐伯さんは、鼻歌交じりの弾むような足取り。手には我が家の愛猫の入ったキャリーバッグを持っている。
「佐伯さん」
「む」
 僕が呼びかけると、彼女は不機嫌そうな顔をこちらに向けた。
「もとい、貴理華さん」
「なに、ユキくん?」
 そして、言い直すと一転して笑顔になる。
「あんまり振り回すとヴィーが目を回しますよ」
「あ、そだね」
 尤も、静かにしてる辺り、ぐっすり寝ていたりするのだろう。うちの猫は豪胆な性格なのか、多少揺らされたくらいで動じたりはしないのだ。
「ね、お義母さん、何か言ってた?」
「特には」
 僕はあっさりとそう答える。
 実際、これといって特別な会話はしていない。母は昔から何も変わっていないのだ。あの日から。そして、もっと前から。親としての愛情を、変わらず僕に注ぎ続けてくれた。変わったのは僕で、再び変わろうとしているのも僕。思うに、本当のことを知ったのが今の僕なら、そこまで取り乱しはしなかったのではないだろうか。だが、当時の僕は中学生。幼すぎた。事実にばかり拘り、母は母であるというシンプルな真実が見えなくなっていたのだ。
 勿論、母にも罪はあろう。だが、あの人は母親としての務めを果たすことでそれを償おうとしている。そうしてきた。罪はいつか清算されるべきだ。
「そう言えば、母が今度、改めて店にくると言っていました」
「え、ほんと!?」
 貴理華さんが僕の横顔を見――僕は顔を前に向けたまま「ええ」と答える。
「そっか、よかった」
 彼女は感慨深そうにつぶやいた。鋭い貴理華さんのことだ、きっと僕の心境に変化があったことを見抜いているのだろう。
「君、明日も朝から学校ですよね?」
 この件に関しては僕が長らくこじらせ続け、彼女には醜態も見せているので、あまり引っ張りたくない。話題を替えることにした。
「うん、そう。月曜はひとコマ目から」
「いつも言ってますが、そういうときは遅くまでつき合わなくていいですよ」
 その辺りはふたりの高校生アルバイト、藤間くんと槙坂さんも同じなのだが、彼らはテストが近いときは学業を優先したりして、程よく力を抜いてやってくれている。しかし、貴理華さんはほぼ毎日、大学が終わると店にきて、閉店まで手伝ってくれるのだ
「そこは、ほら、妻の務めってやつで」
 貴理華さんは多少の照れも入っているのか、笑いながらそう言った。こっちも照れる。どうにも慣れないものだ。
「あ、そうだ。そろそろ引越ししようか」
 唐突な提案だった。
「そうですね……」
 とは言え、思うところがないわけでもない。
 僕らは未だに学園都市のあのマンションに住んでいた。店まで遠いというほどではないが、もっと近いにこしたことはないだろう。貴理華さんの大学へもそんな感じだ。探せば店に出るのにも大学へ行くのにも便利な場所が見つかるのではなかろうか。
 あと、ヴィーのことも考えなくてはいけないな。
 今のマンションだって猫を飼っていいわけではないのだが、特に迷惑もかけていないので周りの人たちは見て見ぬ振りをしてくれている。引っ越すならやはり猫も飼えるところだろうが、そういうところは家賃も高そうだ。いっそもっと思い切るべきか。
「学園都市の駅前の新しいマンションとかどうかな?」
「変わってないじゃないですか」
 気分で引越ししたかっただけか。こっちは真面目に考えていたというのに。
「やっぱりまだしばらく今のままでいいや、うん」
 そして、貴理華さんは勝手に結論した。ついでにあいている腕もからめてくる。もう駅が近いのだがな。
「ユキくんと初めて会った場所だし、ずっと暮らしてきたから愛着もあるしね」
「まぁ、それは確かにありますね」
 きっといざ引っ越すとなると寂しく感じるのだろう。いつかはそういう日もくるだろうが、今はまだ慌てることもないか。
 ならば僕は、そのいつかのため、よりよい未来のため、明日を頑張るとしよう。
 
 
 2013年2月9日公開

 


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