I'll have Sherbet!

 

 バレンタインSS 「甘い?」と彼女は問いかけた

 

 学年末テストも間近に迫った、2月14日。
 僕が登校して昇降口の下駄箱に行くと、そこに宝龍さんがいた。
 僕らのクラスに割り当てられたスペースなので彼女がいてもおかしくはないのだが、どうにも様子がおかしい。顎を指でつまみ、考え込むような構造で下駄箱の一角を睨んでいる。ただでさえきつい目つきが射殺さんばかりの眼光を放っているのだ。非常に近寄りがたい。
「……」
 だが、それでも僕は彼女の視界に割って入らざるを得ないようだ。なぜなら、僕の気のせいでなければ、彼女が睨んでいるのは僕の下駄箱だからだ。
「おはようございます。宝龍さん」
「ああ、恭嗣? おはよう」
 彼女ははっと我に返って、僕に挨拶を返してきた。
「何か考えごとですか?」
「ええ。今日、バレンタインディでしょ? だからチョコを持ってきたの」
 僕は返事に困った。そのことがここで考え込んでいることとどうリンクするか理解できなかったというのもあるが、それ以上に宝龍美ゆきがそんなイベントに身を投じることが驚きだった。
「最近読んだ本に、チョコは下駄箱に入れるものだと書いてあったのだけど、いざ入れる段階になると不衛生に思えてきたわ」
「これはまた妙な知識を仕入れてきましたね」
 文芸部員らしく本を読むのはいいが、フィクションであることを理解して欲しい。
「男子ならたいてい授業で使う副読本なんかを入れてますから、その上にでも置いたらどうでしょう?」
「そうなの? 恭嗣も?」
「まあ」
 毎回持ってこいと言うわりにはぜんぜん使わない副読本の類の教材は、いちいち家に持って帰らず、ここに入れてあるのだ。
「あら、本当ね。じゃあ、そうするわ」
 宝龍さんは、僕の言う通りに副読本の上にチョコらしき箱を置いた。
 僕の下駄箱だ。
「……」
 正直、彼女の口からバレンタインの話が出たとき、渡す相手は僕くらいしか思い浮かばなかった。が、僕と今ここで会ってもそのまま話を続けるものだから、滝沢か矢神あたりにあげるのだろうと思い直したのだ。まさか僕の目の前で、僕のところに入れようとは。
「ちょっと待ってください」
 僕は、用は済んだとばかりにさっさと教室に行こうとしている宝龍さんを呼び止めてから、急いで靴を履き替え、彼女を追った。並んで廊下を歩く。
「これ、僕がもらっていいんですか?」
「ええ。そのつもりで持ってきたわ」
 さらりと彼女。
「それなら僕がきたんだから、直接渡せばよかったのでは?」
「ああ、それもそうね」
「……」
「でも、一度こういうことをやってみたかったの」
 彼女は時折、効率や合理性よりも知的好奇心を満たすための実験行為を優先することがあるようだ。
「結果はどうでしたか?」
「恭嗣に見つかった時点で面白さは半減ね」
「……」
 だったらやるなよと言いたい。
「兎に角ありがとうございます」
 ひとまず礼を言い、僕はそれを鞄の中にしまった。帰ってから頂くことにしよう。
「それで、かわいい彼女からはもうもらったのかしら?」
「いえ、今のところは」
 というか、
「そんなものくれるかどうかもわかりませんけどね」
「絶対にくれるわね。こういう系統のイベントは好きそうだもの」
 宝龍さんは言い切った。
「そうね。わざわざ学校で渡すつもりとか」
「やめてほしいですね。目立つことは」
「家なら口移しで食べさせてくれるかも」
「……」
 さすがに佐伯さんでもそこまではしないと思うが。
「どうせなら恭嗣があげたらどうかしら?」
「僕から、ですか? それはバレンタインの慣習から外れるのではないでしょうか?」
 普通は女性から男性へと贈られるものだろう。
「最近は逆チョコなんてものもあるらしいわ」
 想像するに男性が女性へ贈るチョコ、ということか。これまた面妖な。ニーズやウォンツ、ブームを創出しようとする企業側の努力は認めるが、少々なりふりかまわない感がないだろうか。
 とは言え、それに乗せられてみようかと思わないでもない。
「そうするにしても、僕ではどんなものを買えばいいか判断に困りますね。宝龍さん、一緒に行ってもらえませんか?」
「……恭嗣」
 と、いきなり彼女の声が冷ややかなものになった。
「私は恭嗣の頭の回転の速いところが好きだけど、それも時々鈍くなるようね」
「はい?」
「私が他の女へのプレゼントを一緒に選ぶと思って?」
「……」
 確かにそうだ。
 それきり宝龍さんは黙り込んだ。どうやら怒らせてしまったようだ。己の迂闊さを呪う。
 そのまま教室へと着いた。
「おはよう、宝龍さん」
 最初に声をかけてきたのは雀さんだった。
「おはよう、ナツコ。……ねぇ、聞いて。恭嗣ったら、私がバレンタインのチョコをあげたのに、それを手に持って他の女のことを考えるのよ」
「は?」
 と、間の抜けた声を出したのは僕だ。
 雀さんの方は絶句している。そして、おもむろに、ジロリ、と僕を睨んだ。
「……不誠実だわ」
 ひと言。
 そうしてふたりはそろって宝龍さんの席へと行ってしまい、教室の入り口に僕ひとりが残された。
「……」
 バレンタインディにチョコをもらいながら、えらく軽蔑されてしまったものだ。
 
 さて、夜、僕が定期テストの勉強に疲れて、リビングの座椅子でひと休みしているときだった。
 佐伯さんの私室のドアが開き、彼女がひょっこり顔を覗かせた。
「弓月くん、暇?」
 本当に顔だけを出して、尋ねてくる。
「暇ではありませんが、今は休憩中です」
 何か怪しいと感じつつも、僕は問いに答えた。
 すると、佐伯さんはにこっと笑って、部屋から滑り出てきた。どうやら後ろに回した手に何か隠し持っているようだ。
 そのまま僕の横に寄ってくると、
「じゃーん。ハッピーバレンタイーン!」
 そう言って突き出してきたのは、きれいに包装された直方体の構造物。どうやらバレンタインチョコらしい。たぶん市販のもの。
「僕に、ですか?」
「うん。もちろん本命」
「……」
 そこまでストレートに言われると、返答に困るな。
「でも、意外ですね。佐伯さんなら張り切って手作りのチョコに挑戦すると思ってました」
「それも考えたんだけどね、一緒に住んでるからここのキッチンでそんなことしてたら、すぐにバレちゃうし。だから、サプライズ優先」
「開けてもいいですか?」
「どうぞ」
 さっそくリボンを解き、包装を外す。四角い箱を開けてみると、中には様々なかたちの、ひと口サイズのチョコが入っていた。
「弓月くん、他に誰かからもらった?」
「もらいました」
「……やっぱり宝龍さん?」
「ですね」
 途端、「むー」と不満げな声を上げる佐伯さん。なにやら考え込んでいる様子だ。
「貸して」
 やがて意を決したようにそう言って、僕の手からひと口チョコを取り上げる。それから投げ出した僕の足をまたいで、太ももの上に腰を下ろした。
「ちょっと、佐伯さん……!」
 僕の抗議の声は無視してチョコの包みを解くと、それを唇ではさみ、顔を突き出してくる。
「んー……」
「何のつもりですかっ」
「サービス。食べさせてあげる」
 一旦、指でチョコを持って、そんなことを言った。そして、再びそのかたちのいい唇でチョコをくわえ、改めて顔を寄せてきた。
「いりませんよ、そんなサービス」
「ん!」
 だが、佐伯さんはより強固な意志を持って近づいてくる。
「……」
 どうも彼女の望み通りにしないと、許してもらえない気がしてきた。まさか宝龍さんの言った通りになるとは。
 ため息ひとつ。
 僕は覚悟を決め、その口移しのチョコを受け取るつもりで、佐伯さんを待ち受けた。
 ――が。
 次の瞬間、チョコは彼女の口を離れ、ぽろっと下へと落ちた。近づいてくるのは、かわいらしい少女の口唇。
「危なっ」
 僕は間一髪、首を倒して、迫りくるそれを避けた。
「もぅ! キスのときに目を開けるのはマナー違反」
 佐伯さんは頬をふくらませる。
「何を言うんですか。そんなことするんじゃなかったでしょうが」
「じゃあ、もう一回。今度こそ」
「ダメです。もうやりません」
「うー……」
 佐伯さんは不貞腐れたように睨んできたが、僕も断固とした意志と表情で応じた。
「ちぇ」
 しばしの睨み合いの末、彼女は小さく舌打ちして、ようやく足の上から退いてくれた。
 僕はほっとひと安心してから、膝の上に落ちていたチョコを拾い上げ、口の中に放り込んだ。
「あ、間接キス」
「何を今さら。もとよりそうするつもりだったでしょうに」
「甘い?」
「チョコは甘いものです」
 さて、本当に口移しでもらっていたら、これより甘かっただろうか――というのは興味深い問題ではあるが。
 
 2009年2月27日公開

 


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