2.使徒 (前編)
 
「その女は、自分は人間だって言ったんだね?」
「うん、そう。確かに言った」
 シィエラが謎の敵に襲われた後、京とシィエラはふたり、情報を整理しながら駅からマンションまでの道のりを歩いていた。
 日も暮れた住宅街を、ふたりで歩く。
「実際、戦ってみたシィエラの感想は?」
 ひとつひとつ情報の真偽を見極めるため、京が尋ねる。
「たぶん、本当に人間だと思う。前みたいに天使が人の身体を乗っ取ったってセンも考えられるけど、わたしはそこに借りものの“らしさ”じゃなくて、生まれ持った人間臭さみたいなものを感じたわ」
 シィエラは慣れない日本語でたどたどしいながらも、自分の意見を述べた。
「だとしたら、君の言うように本当に人間なんだろうな。となると、ボクらと同じ《神狩人(かがりび)》か……」
「それともまったく別の異能者か、ね」
 シィエラが京の言葉を引き継いだ。
 またひとつ、ヘッドライトがふたりを追い越していった。
「そっちの可能性の方が高いだろうね。“狩り場”って言ってたっけ? ボクらではそんな真似はできない」
 先の戦いでシィエラは敵の創り出した空間に閉じ込められた。現実とまったく同じ世界を用いている辺り、どちらかというと空間を切り取ったと表現する方が近いのかもしれない。
 自らとともに敵を閉じ込めた戦場――
「なぜそんなことができるのかなんてのは考えても仕方ないけど、実際問題としてその効果は厄介だな」
 予告もなくつくられ、閉じ込められ、出ることも叶わない戦場。そこには一対多という状況だってあり得るのではないだろうか。
 それこそ一方的な“狩り場”だ。
「じゃあさ、ずっとふたりで一緒にいるってのはどう?」
「いいね、それは。でも、却下だ。現実的じゃない」
「……キョウのケチ」
 シィエラは理不尽ともいえる悪態でもって返した。
 そうなる理由は兎も角、好きな人と四六時中一緒にいられるというのはとても素敵だった。考えるだけで楽しい。
 が、その想像に暗い影が差した。
 ふたりで待ち構えていても、きっと襲ってくることはないだろうと、シィエラは感じていた。
 それは戦力差云々の話ではなく、おそらく敵の狙いはシィエラ自身のはずだからだ。そして、そこには京も少なからず関わっているはずだ。
(あの女、キョウを知ってる……)
 シィエラは、京の名を聞いたときの女の反応を思い出していた。
 次もまたシィエラがひとりのときを狙ってくるだろうし、機会がないなら分断すら試みるかもしれない。
「人間か。敵とは言え、まさか人と戦うことになるとはね……」
 嘆くように京が言う。
「仮に敵が異能者集団だとしたら、この戦い、組織的なぶつかり合いになるんだろうか?」
「……」
 シィエラはそれに答えられなかった。単純に解答を持ち合わせていないこともあるが、回答にも迷っていた。確かに京が懸念する事態に発展する可能性はおおいにあるだろう。だが、先のような理由から、この戦いに限っては非常に個人的なもののような気がしてならなかった。
「一度SARAにでも訊いてみるか」
 つぶやく京の隣で、瞬間、シィエラがぴくりと反応した。表情が氷のように冷たくなる。
「……サラって、誰?」
「シ、シィエラ、声が怖いっ」
「そう? わたしはそんなつもりはないけど? ……で、サラって誰? 名前からして女よね、キョウ」
「うん。まぁ、確かにそうだね……」
 頬を掻きながら返事をする京。
「いった誰なのッ? さては昔のオンナね!? そうなんでしょうッ!?」
 対するシィエラは京を強引に自分の方に向けた。
 ふたりの足が止まる。
「違うって。そんなんじゃないってっ」
「キョウはモテるからきっとそうッ。他にも何人かいるんでしょうッ」
「人が違うって言ってるのに、何でそれを無視して次の段階にいくんだよ」
 苦笑交じりに京は言う。
 なおも詰め寄ろうとするシィエラを振り払い、京は再び歩き出した。
「いいわ。キョウがその気なら、今日は朝までかかってでも過去のオンナ関係全部ハクジョウさせてやるんだからッ」
 その後ろを何やら喚きながらシィエラが続く。
 京はシィエラに聞こえないように「やれやれだ」とため息を吐いた。
 
 翌日――、
 京が受講している講義はふたコマ目からだった。
 階段教室の最上段から入り、知った顔がないか探す。この講義なら何人か友人が一緒に受講していたはずである。
 見回すとすぐに見慣れた後姿を見つけた。
 男友達がふたり、女友達がひとり。2段にまたがって固まっていた。男性陣がふたり並んで座り、女友達がひとつ上の段という位置関係だ。
「おはよう」
 階段教室特有の歩きにくい階段を下り、京は声をかける。
「あ、おっはよー。昨日はどうだった、シィエラとのデート」
 真っ先に返してきたのは女友達だった。
「いきなりそんな話題にくるんだな」
「何を言ってんの。あたしたちは京とシィエラの愛の行方を……」
「はいはい。わかったよ。でも、残念ながら昨日は、あの後すぐにシィエラの仕事が入ってね、どこにも行けずにお流れさ」
「あ〜らら」
「嬉しそうに言うね」
「そうじゃないわよ。ふたりの前には常に困難が立ちはだかるのねって」
 それでもやっぱり笑みは消えなかった。
「そんなことよりも、そっちこそちゃんと静を連れて行ってあげたんだろうね。彼女、自分から前に出るタイプじゃないから、こっちで気を回してあげないと」
「それがさぁ、京たちと別れた後、楠木さんも帰っちまったんだよ。急に用を思い出したって」
 そう言ったのは男友達の片割れだ。
「あ、そうなんだ。それはタイミングが悪かったな」
「いいや、俺は京が帰ったからだと踏んだね」
「ちくしょー。周りの女の子はみんな京目当てかよー」
「うるさいぞ。君たち」
 丁度よい高さにあった頭を鞄で一発叩く。階段教室はこういうときに便利だ。
 と、そのとき当の楠木静香が教室に入ってきた。
 今日も深窓の令嬢を思わせる大人しいスタイルだ。真ん中の扉から入り、京たちのいる後ろではなく、前に向かっていった。4列目に座る。
「ボクたちと違って真面目だね。……ちょっと行ってくる」
 そう言うと今日は再び階段を下って、静香のもとに向かった。
「おはよう、(しず)
「痛……っ」
 後ろから近寄り、挨拶とともに肩を叩くと、静香はその肩を押さえて小さくうめいた。
「どうしたの?」
「あ、京……」
 相手が京だとわかると、静香は恥ずかしそうな様子で顔を隠すように伏し目がちになった。
「わたし、いつもぼうっとしているから、今朝、部屋のドアにぶつかっちゃって……」
 そのまま消え入りそうな声で告白する。
「それはまたキミらしいというか……。だから、昨日も言ったように、顔を上げればいいんだよ。せっかくの美人なんだし。ほら、前髪も上げてさ」
「ダ、ダメです……っ」
 前髪に伸びてきた京の手から逃れるように、静香は顔を振った。
「もう、京、強引です……」
「はは、悪かったよ。……そうだ。昨日、みんなと一緒に行けなかったんだって?」
「すみません。ちょっと用を思い出したもので……」
「いや、いいんだ。でも、残念だったね」
「京……。また、誘ってくれますか……?」
 静香は恐る恐る尋ねた。
「もちろんだよ」
「よ、よかった……」
 そして、安堵したのだろう、珍しく顔を上げて儚げな笑みを見せた。が、はっとしてから、またすぐに恥ずかしそうに伏せてしまった。
「きょ、京の方は、どうだったんですか? シィエラとのデート」
「君も聞くんだね。さっき別の連中にも聞かれたよ。……それがね、シィエラの急用でお流れさ」
「京も、残念でしたね」
「ま、仕方ないさ」
 その点に関しては、京は半ば諦めていた。普段から朝夕にしか顔を合わせないなんてこともよくあるし、忙しいときになれば一週間くらい続けて会えないこともある。
 それでもどうにか《神狩人》としての仕事もこなしているシィエラのためにも、京は自分が彼女に合わせるべきだろうと思っていた。
「シィエラは今日もお仕事?」
「らしいね。遅くなるって言ってたかな?」
 と答えた京の言葉は、実はお決まりのものだった。
 有名人と親しく、近くに住んでいるものの悲しさで、よくシィエラに会わせて欲しい、紹介して欲しいと言われるのだ。だから、いつも今のような曖昧な返事をすることにしていた。
「ふうん。静もシィエラに興味があるんだね」
 おそらく静香のファッションや、それに対するスタンスはシィエラのものと大きく異なっているはずだ。シィエラのような派手なファッションに身を包むこともないだろうし、流行を作ることは勿論、それに追従することもしないだろう。
 それだけに静香がシィエラの興味を持つことは意外に見えた。
「い、いえ、わたしは別に……」
「気にしなくていいって。静だって女の子だもの、そういうのが気になって当たり前なんだろうから。ボクも基本的には疎い方で、ちょっと前まではシィエラがうるさかったな」
「……」
 と、そこまで話したところで教師が入ってきて、教壇でマイクの準備をはじめた。
 京と静香の会話はそこで途切れた。

 その日の夕刻――、
「……なるほど。予想さえしていれば、ある程度は知覚できるってことね」
 帰宅を急ぐ夜道でシィエラはつぶやいた。
 今この瞬間、元から人影のなかった夜の世界に、その気配すらもなくなったのだ。まるでこの地上にただひとり取り残されたような感覚。
 例の閉鎖空間が発生したのだろう。
「まぁ、何の対策にはならないけど。……いるんでしょう? 出てきたらどう?」
 不敵に、挑発するように、シィエラは呼びかける。
 澄んでいるはずの夜の大気が、今は重く停滞したように感じる。不気味に重苦しい空気を伝って、シィエラの凛とした声が響いた。
 やがて――、
「ふふ……」
 嗤い声が、聞こえた。
 まずは街灯の光も届かない闇の中に、白い顔だけが浮かび上がった。続けて燃える炎の瞳と、恐ろしく長い紅の髪。そして、豪奢な着物。勾玉を連ねた首飾り――
 昨日の女だ。
「さすがね。でも、安心して。貴女をいきなり殺すような真似はしないわ。そんなことをしても面白くないもの。じわじわとゆっくり死なせてあげるわ」
 残酷に笑みを浮かべる。
「は。いい趣味ね。勝手に吠えていればいいわ。それよりも答えて。あなた、いったい何ものなの?」
「ええ、いいわ。そろそろ教えてあげる。私は《神聖十二使徒》のひとり。名前は、そうね……」
 そこで、女はしばし思考した。
 
「静姫――とでもしておこうかしら?」
 
 
//後編に続く
 
2006年12月7日公開

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