3.使徒 (後編)
 
 その女は言った。
「私は《神聖十二使徒》のひとり。名前は、そうね……静姫――とでもしておこうかしら?」
 と――。
「神の使いに、お姫様? それはまたずいぶんと立派なのが出てきたわね」
 シィエラは笑えない冗談でも聞いたかのように、忌々しげに応えた。
「あなた、いったい何が目的?」
「あら。聞いてなかったの? 前にも言ったし、今さっきも言ったわ。私は使徒。主の使い。神威の地上代行者。この地上を滅ぼすという神意に従い、まずは邪魔な貴方たち《神狩人》を消す。それが与えられた役目」
 静姫と名乗った女は誇らしげに、高らかに謳い上げた。
 だが、対するシィエラの気持ちは逆に冷たく冴えてくる。彼女の瞳は冷たい光を宿して、さらに美しさを増す。
「そう。よくわかったわ。でも、わたしが知りたいのはそんなことじゃない」
「……」
「あなたはもっと個人的なことで戦ってる。いいえ、違う。わたしを狙ってる。そうでしょう?」
「……」
「それに、キョウのことも知ってる」
「っ!?」
「図星のようね」
 シィエラが薄く笑う。
「もう一度訊くわ。あなたの目的は何? キョウの何なの?」
「そんなこと、貴方が知る必要はないわっ」
 瞬間、静姫の首飾りが光り、弾けた。
 首飾りの六つの勾玉が静姫の周囲を衛星のように回り出す。これは対象に超高速で射出する兵器だ。この状態は言うなれば拳銃に弾丸が装填されたに等しい。
 そして、それはすぐに撃ち出された。
(少なくとも目的だけは明白ね)
 思うだけで発音はしない。声帯はすでに別の目的で使われていたからだ。
 シィエラの口から短い呪文の旋律が紡がれる。
 詠唱を伴った魔術は、魔力で見えない壁を編み上げた。直後、勾玉がそこに激突し、シィエラの眼前で縫い止められたように停止した。
「次ッ」
 予想通り、きていた。
 迫りくる凶悪な顎――死した鬼の魂を集めてかたちにした顎は、肉体を失って尚飽くなき食欲を失わず、いかなるものも喰らう。
 だが、それを見てもシィエラはかたちの良い眉をぴくりとも動かさず、ただ静かに右手を振り上げた。
 今度は単工程魔術。
 シィエラがその手を振り下ろした途端、鬼魂の顎はハンマで殴られたかのように地面の上に叩き潰され、霧散した。
 単工程魔術は、呪文の詠唱を必要とせず、ひとつの動作、もしくは単語のみで発動する。
「く……っ」
 静姫が歯噛みした。
「これだけ? わたしの敵じゃないわ」
 シィエラは不敵な自信に溢れた笑みで言う。
 彼女はすでに把握していた。勾玉の威力を見切り、顎が存外脆いことを見抜いていたのだ。故に今なら最低限の力だけで、消費とも言えないような魔力の消費で防ぎ切ることができる。
「じゃあ、次はわたしの番」
 軽く広げたシィエラの両手に魔力が集まり、淡く光る。
 まずは左手のものを投射。放たれた魔力塊は螺旋の軌道を描きながら、空中に浮遊する静姫へと襲いかかった。
 そして、同時にシィエラは駆け出す。
「大きな口を叩いたわりには、貴方もやることは凡庸ね」
 静姫は嘲るように言い、優雅な動作で手をかざした。現れたのは局所防御盾。それを使って何の変哲もない魔力塊の投射を受け止める。
 が――、
「な……っ」
 それは予想以上の爆発を伴って消滅した。
 消滅拡散した魔力が爆煙の如く渦を巻く。静姫の視界が白く染まった。反射的に顔を庇う。
「ッ!?」
 次の瞬間、その静姫の目が驚愕に見開かれる。いきなり目の前にシィエラが現れたのだ。
 至近距離。
 驚く静姫を見てシィエラは酷薄な笑みを浮かべる。そうでなくては困るのだ。このためにわざわざ先ほどの一発に無駄に派手な爆散効果まで付加したのだから。
「いろいろ聞きたいことがあったのに残念ね」
 シィエラは右の掌を静姫へと向けた。
 手を覆っていた魔力が掌に集中し、淡かった光が密度を増して眩い輝きへと変わる。
 シィエラは左手で右手首を握った。砲口となる掌を静姫に定めて固定。ここまできて狙いを外すような愚を犯すつもりはない。
「終わりよッ」
 魔砲が放たれた。
 まだ防御壁の効果が残っているかもしれなかったが、それでもかまわなかった。それを粉砕して到達させるに充分な魔力は注ぎ込んである。
 やがて身体は自由落下に入った。
「これでどう?」
 危なげなく軽やかに着地し、空中を見上げる。丁度、爆散した一発目が晴れるところだった。
 自信はあった。完全に不意を突き、至近距離で撃った魔砲。避けられるはずもなく、生半可な守りで防げるような破壊力でもない。
 だが、しかし、
 
 現れた静姫はまったくの無傷だった。
 
「そんな……」
 思わず絶句する。
「よくもやってくれたわ」
 対する静姫も余裕に満ちた優雅な立ち振る舞いは消え失せ、その身に静かな怒りを湛えていた。
「やはり貴方は邪魔だわ。私の邪魔をする。消さないとダメ……」
 静姫は熱に浮かされたうわ言のように言う。
「じゃないと、京は、ずっと……」
「またキョウの名前を出すの!?」
 シィエラは恋人の名に反応した。
「答えなさい。あなた、キョウの何なの!?」
 シィエラは再び駆け出す。
 問いながら第六感は強く警告していた。この女は自分と京に害なすものだと。ならば問い質すよりも排除してしまうべきだと。思えば彼女の身体は最初からその警告に従って動いていた。
 勾玉が射出される。
「無駄よッ」
 だが、シィエラは力任せの魔力を帯びた左手を一閃し、それをすべてまとめて払い飛ばした。そこから数歩の疾走。そして、跳躍。
 静姫の眼前に躍り出た。先ほどの再現だ。
 静姫の前に鬼の魂が集まる。
「それもよッ」
 シィエラは迷わず右手をかざした。
 魔砲の発射と顎の完成はほぼ同時だった。
 顎の完成はシィエラも認めていた。だが、それでもかまわず撃つ。ありったけの力で顎ごと静姫を撃ち貫くつもりだったのだ。
 顎が大きく口を開いた。
 シィエラを喰らうためではなく、その魔砲を喰らうために。
 顎は、放たれた魔力を余すことなく飲み込んだ。そして、刹那の食欲を満たしたことで満足し、霧散した。
「……」
 理解した。なるほど、先ほど静姫が無傷だったのは、こういうカラクリだったわけだ。
「のんびりしてていいのかしら?」
「!?」
 再び鬼の魂が集まりかけていた。
 まさかこうまで立て続けに放てるとは。これはシィエラにも予想外だった。おそらく鬼たちの底なしの食欲の表れなのだろう。
 シィエラは現状を分析。瞬時に自分が追いつめられていることを瞬時に理解した。
 魔力の収束が遅いのだ。頭に血が上り、この一連の動作に考えなしに魔力を費やしてしまったせいだろう。迎撃が間に合わない。
 シィエラは自由落下しながら行動を切り替えた。着地の瞬間足を曲げて衝撃を殺す。と同時に、力を溜めて瞬発力の限り後ろに跳び退る。
 だが、放たれた顎もシィエラを追ってきている。
(逃げ切れない……!?)
 シィエラの顔に絶望の色が浮かぶ。
 そのとき――、
 
「はっ!」
 
 稲妻の如き縦一閃。
 顎は両断され、消滅した。
 そこに立っていたのは――、
「キョウ!」
 シィエラが恋人の名を呼ぶ。
 光る刃の大鎌を携えた京だった。
「遅くなってすまない。でも、間に合ってよかった」
 京はまずはシィエラに微笑みかけた。
「あれが噂の……、か」
 そして、静姫へと向き直る。
 静姫は信じがたい光景でも目の当たりにしたかのように、京に見入っていた。が、すぐにはっと我に返り、慌てて着物の袖で顔を隠した。
「残念だけど、今日も時間切れのようね。また会いましょう」
 静姫の輪郭が曖昧になっていく。その姿が消えかけているのだ。
「冗談じゃないわ。そうそう何度も逃がさないっ」
 シィエラが叫び、静姫を逃がすまいと駆け出す。
 だが、その横で京は一歩も動かなかった。敵がこの瞬間にも逃走しようとしているのに。それを黙って見送ろうとしている。
 シィエラは思わず足を止め、京を振り返った。
 京は、呆然と消えつつある静姫を見つめていた。そして、その口からつぶやきがこぼれる。
「まさか、(しず)……、君なのか……」
 そのときにはすでに静姫の姿はなかった――
 
 
2007年7月7日公開

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