1.天使を狩るもの

 京は左手に持った携帯電話を耳に当てながら、夜の公園をゆっくりと歩いていた。
「シィエラ、どうだ? 見つかったか?」
 電話の向こうの相手に言う。
 整った面立ちに、ブラックジーンズとボア付きのブルゾンに包まれたスリムな肢体。そして、右手には巨大な鎌が握られていた。柄は京の身の丈ほどもあり、それに見合うだけの剣呑な刃がついている。それを肩に担ぎ、油断なく周りに気を配りながら歩を進める。
「ううん、ダメ。こっちにはいないみたい」
 電話の向こうから少女の声で、少し妙なイントネーションの返事が返ってきた。
「そうか。もし見つけたら、すぐに知らせてくれ。ひとりで無理はするなよ」
「うん、わかった」
 珍しく素直な返事。だが、そう思ったのも束の間、シィエラが言葉を続けた。
「でもさ、キョウ? そんなに心配することないと思うけどな。『天国への門ヘヴンズ・ドア』の跡からしても、たぶん、たいしたことない相手だよ?」
「そういうこと言ってると、痛い目に遭うよ。それだからキミは……」
 と、そこで京の言葉が止まった。同時に足も止まる。
「キョウ?」
「あ、いや、何でもない。とにかく、無理は禁物だよ」
 そう言うと、京は相手の返事も聞かず電話を切った。
「さて、と……」
 携帯電話を折りたたむと、それをズボンのポケットに突っ込みながら、前方へと目をやった。そこには幽かに光るものがあった。地上二メートルほどのところで淡く光り、漂うその中心には人がいた。端正な顔立ち、身体に薄衣をまとい、背には一対の羽根――。
 それはまさに人が『天使』と呼ぶものだった。
「シィエラが来ないうちに終わらせたいところだな」
 言いながら、京は鎌を両手で構えた。
 天使はまだこちらに気づいていない。不意の一撃で仕留めることができれば楽だが、ここからでは距離がある。かと言って、これ以上近づけば、ほぼ確実に存在を察知される。一気に駆け出し不意打ちが成功する確率と、京に気づいた天使の防御行動が間に合う確率は――
(五分五分ってところか……)
 京はそれを悪くない確率だと見た。
 意を決すると、京は駆け出した。獲物に狙いをつけた肉食獣のようにしなやかで、無駄のない動き。これならば天使が京の存在を察知するまでにかなりの距離が稼げるだろう。
 だが――
 パキン
 枯れ枝だろうか。京は落ちていたそれに気づかず踏んでしまった。夜の乾いた空気の中にその音はよく響いた。そして、それが天使にこちらの存在を教えることとなった。
「ちっ」
 京が小さく舌打ちする。
 しかし、今更退くわけにはいかない。京は構わず疾走を続けた。そのスピードを一切無駄にすることなく跳躍し、鎌を振り上げる。
「くらえっ」
 渾身の力を込めて斬りつける。だが、その斬撃は見えない壁に阻まれ、天使にとどくことはなかった。
「『障壁』か!」
 京の攻撃を防いだのは天使が張った防御結界――『障壁』だった。京は着地すると同時に、大きく後ろに飛び退き、距離を取った。
『汝、何故なにゆえ我に刃を向ける?』
 天使の声が思念波となって京の頭の中に直接流れ込んできた。
「それがボクの役目だからだ……」
『そうか……。汝、《神狩人かがりび》の一族か……』
 
 歴史の陰で人知れず人外の存在と戦うものたちがいる。
 その名を《神狩人かがりび》という。
 太古の昔、『神狩かみかりの力』を与えられた《選ばれた七人》より連なる一族で、現在、直系傍系を含め七系二十六家が存在し、世界中に散らばっている。
 七つに大別される系列は、それぞれの能力の特徴から、『魔女ウィッチ』『暗殺者アサシン』『演算者カリキュレータ』『戦乙女ヴァルキュリア』、『人形使いドールマスター』などの名称がついている。
 そして、今、ここで天使と相対している京こそが、七系二十六家のひとつ、『死神デス』傍系血族の《神狩人》なのである。
 
『天に仇なす愚か者よ。汝の存在を抹消する』
 そう言うと、天使は手を京へと向けた。その掌に力が集まり、次の瞬間、一気に放たれた。
 衝撃波が走る。
 京はそれを横っ飛びでかわした。地面で一回転して立ち上がると、再び天使に向かって駆け出す。
「やれやれだ」
 つぶやきながら、瞬時に間合いを詰め、先程と同じように跳躍。そして、大上段から鎌を振り下ろした。
 このとき、京は勝利を確信していた。たった今衝撃波を放ったばかりの天使が、この攻撃に対して『障壁』を張るのは時間的に不可能であることを京は過去の経験からよく知っていたからだ。
 だが、天使は京の鎌を掌で受け止めた。
「なっ……」
 絶句する。
 答えは簡単だった。つまりは全身を覆う『障壁』は無理でも、攻撃を点で受け止める『盾』ならば瞬時に、且つ、少ないエネルギーで形成できるということである。事実、鎌と掌は接触しておらず、その間には天使が収束させたエネルギーが停滞していた。
 天使の掌に更に強く力が集中していく。それは京の目から見てもわかるほどだった。しかも、次第に防性から攻性へと色を変えていく。
(このままボクを吹き飛ばす気かっ!)
 京が天使の意図を察したのと、力が臨界点に達したのがほぼ同時だった。この至近距離で攻撃を受ければ、ひとたまりもないだろう。
 今まさに掌から衝撃波が放たれようとした瞬間、何かが天使と京の間を高速で通過した。そして、その一瞬後には天使の腕の肘から先が消え失せ、宙に舞っていた。
 京は天使の腹を蹴り、反動でその場を離脱した。
「ハーイ、キョウ。ご機嫌はいかがかしら?」
 少し脳天気にも聞こえる声。
 その声のした方を見ると、そこにはひとりの少女が立っていた。丸顔に、ややつり目気味ながら綺麗なアーモンドの形をした目は猫を連想させる。赤いフレアのミニスカートに、ファー付きのコート。指には銀のリング。ウェーブのかかった髪はブラウンに染められ、ボリュームを抑えるために頭の左右で白いリボンを使って結ばれていた。この場違いなほどスタイリッシュなファッションをした少女こそが、先刻京が電話で話をしていたシィエラである。
「や、やあ、シィエラ。意外に早かったね」
 ばつが悪そうに京が言うと、シィエラは笑顔を一転して不機嫌そのものといった表情に変えた。
「『やあ、シィエラ』じゃないっ」
 シィエラはどこかたとたどしい発音で言った。それもそのはず。彼女は日本人ではなく、国籍は韓国なのだから。
「『ひとりで無理するな』って言ったのはどこのどなたでしたっけ?」
「ボク、そんなこと言ったかな?」
「言ったっ。なのに何でひとりで勝手にやってるのっ?」
「わかったわかった。ボクが悪かったよ」
 放っておくとどこまでヒートアップしていくかわからないので、京はむりやりシィエラの言葉を遮った。
「文句は後で聞くから、今はやるべきことをやろう」
 そう言って向けた視線の先には、腕を切り飛ばされた天使が地上に降りていた。
『答えよ。汝もまた《神狩人》か?』
 切られた腕の切断面から血は出ていない。痛みもないのか、顔に苦痛の表情も見られなかった。
「だとしたら?」
『抹消するのみ』
 言うと、天使は手をひと振りした。と、同時に天使を始点にして放射線状に衝撃波が走る。
「キョウ、こっちっ」
 シィエラが叫び、京がそれに従う。
 シィエラの手が複雑な印を切り、口からは不可思議な旋律が紡ぎ出された。
 天使の放った衝撃波がシィエラへと到達した。だが、それよりもシィエラの『魔術』が完成する方が早かった。シィエラとその横に立つ京を球形の力場が覆う。まるで水泡に包まれたかのようだ。そして、やや遅れて衝撃波がふたりを襲う。大気を振るわせ、公園の地面をえぐりながら迫り来る衝撃波。だが、それは発生した力場に阻まれ、ふたりに傷ひとつつけることができなかった。
 
 《神狩人》七系二十六家のひとつ、シィエラが属する『魔術師ウィザード』の家系は『魔力』と称する独自の力を生成、操ることができる。術の発動までに呪文の詠唱や印と呼ばれる手の動作などを伴うが、その利用方法は攻撃から防御にと多岐にわたり、バリエーションは術師のセンスによって無限に広がるという。まさに魔術師の名にふさわしい家系である。
 
 衝撃波の余波が去り、シィエラの力場もかき消えた後、京は感嘆のあまり口笛を吹いた。
「こりゃまた見事だね」
 いったい京はどちらに感心したのだろうか。舗装された公園の小径に無惨な傷痕をつけた天使の攻撃にか。それとも、それを涼風ほどにも感じることなく完全に防いだシィエラの魔術にだろうか。
「さて、それじゃ、終わらせてしまおうか」
 言うと、京は鎌を構え直した。
「キョウ、気をつけて」
 いつもは楽天的なシィエラが珍しく真剣な調子で呼び止めた。
「ん?」
「さっきので五つ張った積層結界盾の三つまでが壊されちゃってる。下級天使だけど、意外に力は強いかもしれない」
「君の盾を半分以上破壊とは恐れ入るね」
「うん、まあ、それだけしか張らなかったわたしがいちばん侮ってるって話もあるけどね」
 シィエラは少し申し訳なさそうに言う。
「それはおいとくとして……」
 京のよくわからないフォローが即座に入った。
「じゃ、まあ、サポートよろしく」
「へ?」
 シィエラが素っ頓狂な声を上げた。
「『へ?』じゃないよ。君の力を頼りにしてるってこと。それとも何かい。ボクひとりでや
れと?」
「そ、そんなこと言ってない。あんなの、わたしだけでも大丈夫よ」
 シィエラはなぜか拗ねたように、そっぽを向いて言った。
「OK。頼んだよ」
 言うと、京は走り出した。
「ああっ、もうっ、キョウ」
 駆ける京の背中に文句を言った後、シィエラは呪文の詠唱に入った。
 先の衝撃波で小径が破壊され、足場が悪いにも関わらず、京はそれを苦にする様子もなく、普段とほとんど変わらぬ速度で天使へと迫った。
「ふっ」
 呼気とともに踏み込み、鎌を横に薙ぐ。だが、その一撃は天使に触れることなく、再び『障壁』によって防がれてしまった。
(やはり下級天使のわりに厚い。だが……)
 それでも、今はそれで十分だった。
『この力、やはり危険だ。《神狩人》の一族はただちに抹消しなくては……』
「抹消抹消って勝手なことを。お前たちにとっては小指を少し動かしてデリートキーを押すようなものかもしれないが、ボクたちにだって生きる権利はあるんだ」
『忘れたか。汝ら人間は我らがあるじがお創りになったもの。その創造主が汝らの抹消を望んでおられるのだ』
「それが勝手だと言っているッ」
 京は怒りにまかせて怒鳴った。
 鎌を引くと同時に身体を一回転させ、今度は遠心力を加えて逆から水平に斬り払う。
『無駄だ』
 だが、それも先程から持続状態にある『障壁』が完全に威力を殺してしまった。
(もう一撃だな)
「シィエラ!」
 叫ぶと、京は一度天使から離れた。
 それが合図だった。シィエラが手を横に振り、術が発動した。放たれた無数の魔力塊は空中で次々と刃へと形を変える。先程天使の腕を斬り飛ばしたのも、この術のバリエーションのひとつである。
 散弾の如く拡散し天使を強襲する魔力刃は、やはり京の斬撃と同じく『障壁』に弾かれた。だが、それも最初のうちだけだった。やがて魔力刃のひとつが『障壁』を突き抜け、天使の頬をかすめた。
『………!』
 それを機に次々と魔力刃が『障壁』を破り、天使へと襲いかかった。二度に及ぶ京の斬撃と持続時間の長いシィエラの魔力刃に『障壁』が耐えきれず、ついに崩壊したのである。
 そして、魔力刃がすべて放たれた後には全身をズタズタに斬り刻まれた天使が残った。
「もう『障壁』を張る力もないだろう」
 そう冷ややかに言った京の声は上から聞こえた。
 跳躍した京は渾身の力を込めて、天使を斬りつけた。
『KUAAAAA!!!』
 その身体を斜めに斬り裂かれた天使は断末魔の叫びを上げると、地上に何ひとつ痕跡を残さず霧散した。
「やれやれだ」
 完全に消滅したことを確認すると、京はつぶやいた。シィエラがそばに寄ってくる。
「今日も無事終わったね」
「ああ」
 言って、振り返る。
 シィエラが微笑み、片手を上げた。京も微笑み返す。
 パン、とハイタッチの小気味よい音が夜の公園に響き渡った。


2004年3月29日公開/2006年6月24日改稿

 

 

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